56.気持ちとまぐれで
「あ! お風呂の人だ!」
「お風呂……?」
思わず僕が叫んだ時、コウが手刀で頭を叩いてくる。
まるで僕がいつもルゥにしているように。
「ごめん。この子、少し変なところがあるから……俺はコウ」
また怪訝な視線を受けたので大人しくする。
確かに名前を聞いて出す言葉ではないだろう、でもお風呂には入りたい。
「わたしはルゥ」
一人だけ名乗っていない僕に、ルゥは自己紹介を終えたあと視線を向ける。
「……アメ、です」
「アメ……? あの"片腕の雷光"の!?」
名乗った僕の名前に過剰に反応するユリアン。
「腕ありますから」
またしても異名が変わっていた。
雷っぽい部分はコロコロ適当に変わるくせに、どうして片腕の部分だけは変わらず伝わっているんだ。
腕、ちゃんとあるから。まったく失礼な話だ。
「でも片腕の切り落とされても偽竜相手に戦果を上げたと聞いている。
父上から話を聞いたときそれはもう感動したものだ。私と同年代の子供が大人顔負けの活躍をしてみせる、そんな可能性、世界の広さを!」
なんか僕から世界に繋がって大変なことになっている。
いや、実際は大したことないとわかっているのだが、一人歩きしている噂が世界という言葉に肩を並べると違和感しかない。
「あー、それで何故命を狙われているかそろそろ教えてもらってもいいですか?」
「……おお、そうだった。それには父上のことから話さなければならないな」
ユリアンが言うには一つのパーティーが全ての始まりだったそうだ。
王城で行われた一つのパーティー。
貴族間での交流や、駆け引き、それらが王を交え行われるための場。
そんな胃の痛くなるような空間で一つの事件が起こった。
テイル家という貴族の若造が、家の名ではなく金の力で貴族という立場を得、その場にいるミスティ家という家の少女に難癖をつけ始めた。
何がきっかけだったかはわからない。けれど何かがきっかけで、その若造の逆鱗に何かが触れ、超えてはいけない一線を超えた。
曰く"成り上がりには相応しくないドレス"らしい、そう言って少女のドレスを引き裂いた。
それがどの程度だったのかはわからないが、貴族も、それに大勢の人々の前で肌を晒してしまった少女。
凍りつく場で、真っ先に動いたのはユリアンの父親、ガロン=リーンだった。
装飾用に飾ってあった剣を取り、迷わずその青年の首を刎ねた。
「ええぇーーー?えー? ばっかじゃないの!?」
どんなに頭にきたって、相手の洋服を破るとはアホか。
しかも王の御前で、名のある人々の前で。
それ以上何かをするわけではなかったのだろう、破いてしまった本人もやってしまったと後悔したかもしれない。
「えーーー?ばか? ばかなの?」
テイル家の若造も馬鹿だが、その場にいただろう騎士団に処理を任せれば適切な対応をしてくれたはずだ。
にもかかわらずガロン卿は動いた。暴力だけならまだマシだっただろう、何をしているんだと鉄拳制裁で教え込むような。けれど命を奪ったのだ。
初めてエターナーにガロン卿を紹介してもらった際、過激な人という言葉が出ていた。
過激どころではないじゃないか。実際に話した感じ悪い印象ではなかった、少なくとも頭のネジが外れていた様子はない。
「うむ、馬鹿だったのだろうな、父上は」
僕の暴言に息子であるユリアンは怒りが湧いた様子も無くそう頷く。
もう少し怒れよ、お前も頭のネジ足りていないんじゃないか。
「まぁそういうことがあったのだが、国としてはどう対処するのか困ったのだろうな。
はじめにテイル家の子息が常識外れのことをしていまい、その後父上が常識の外れた対応をしてしまった。
口で揉めている段階で未然に防げず、挙句対応が父上より遅れた警備の騎士団にも問題がある。
故に王は一つの願いをリーン家に伝えてきた、王都リルガニアから発展都市レイニスに居を移してはくれないかと」
「……それは左遷ってこと?」
僕が抱いたものと同じことをコウが尋ねる。
ユリアンは答えた。王は望んだだけだ、ただ移動してくれと。
王都からの移動。それは王の近くにある貴族社会から離れた場所へ飛ばす行為なのか、それとも。
「真意はわからない。リーン家に友好的な人間は貴族の少ないレイニスで力を奮って欲しいと、王が思っていると捉えたし、テイル家に友好的な人間は左遷だと思った。
ただリーン家としてはそのどちらでもないと思っている、王は明確な答えを持たず、また明言もせずただ厄介ごとを王都から離したのではないかと」
騎士団副団長という、貴族ではないものの王に近しい立場のジーンは、今の王は怠け者だと友人のことのように笑った。
それが正しいのであれば、リーン家が捉えた認識が一番おそらく答えに近いのだろう。
答えがないことが答え。解釈した人間によって判断と対応を任せ、揉め事は自分とは遠い場所で行わせる。人としてどうかとは思うが、民衆の上に立つ人間としての判断と考えると合理的だ。
「そして父上はその願いを聞き入れ、一家全員でレイニスに新しく居を構えた。
ただ明確な罰を下されなかった事実にテイル家は怒り狂ってしまい、以降裏で私兵を使いこちらに対し隙あらば危害を加えようとしている」
貴族社会怖い。
無礼を働いた息子が、さらに無礼な仕打ちで殺され、その仇は処刑どころか目立った罰も与えられずにレイニスへ移動するのみ。
そしてそのレイニスでは、リーン家がどうやら実質的なトップの権力を持っていたらしいのがエターナーの口から出ていたのを思い出す。
そりゃ怒るだろう。
「……それでユリアンさんは何故一人でここへ?」
なんとなくわかるが、一応尋ねる。
「夕方に竜がやってきて、屋敷を丸ごと吹き飛ばしてしまったんだ。
一家は全滅、辛うじて私は優秀だった部下に守られたが、その部下は私を庇い死んでしまった。
テイル家は元より息子を殺した父上ではなく、息子を失った悲しみを仇に味あわせようと私を優先的に狙っていた」
今一テイル家の思考回路がわからないが、怒りに狂ってしまった人間なんてそのようなものだろう。
「あぁ、それで東ではなく南へ逃げてきたんですね」
人通りの多い東では、テイル家の息がかかった人間に見つかる可能性が高い。
町に獲物が居なければ、整備された街道を移動している可能性を一番に考え、たとえ直接見つからなかったとしても似たような風貌の人間を探せば、人通りが多い街道では目撃情報でも出るだろう。
それならばいっそ地図もまともに書かれていない南側から、王都の北西へ入ろうとしたのだろう。
身一つで護衛を雇う金や、悠長に町で過ごす時間など無く。
「……え、これからどうするんですか?」
「当初の予定通り南下しつつ王都を目指す」
「無理でしょう」
武器も無く、魔法も使えない。
追っ手どころかハウンド一匹に襲われても死ぬような人間が森や山を歩く。
奇跡的に外敵に一切出会わなかったとしよう。けれど一ヶ月以上かかる道のりを、火を熾せず何が食べられる植物なのかもわからない人間が生き延びられる可能性は限りなくゼロに近い。
「無理でも成し遂げなければ成らないのだ。唯一残ったリーン家直系の血筋、これを絶やすわけにはいかない。
王都にさえたどり着ければ、匿ってくれる可能性のある家がいくつかある。そのどれか一つでも私を受け入れてくれれば血を残せる可能性は一気に増える」
敵対しているテイル家のはじめの動きは、竜の被害で混乱している中消し飛んだリーン家の屋敷で生き残りがいないかを確認することだ。
まずそんな希望は捨てるだろう、そして給金を貰っている以上惰性的に捜索を続ける。
もしかしたら顔を知っている人間に、ユリアンが町を出て行くところを見られているかもしれない。あるいは燃え尽きた屋敷の場所で、唯一生き残っていた人間がいないかを見ている人がいた可能性もある。
その情報があるにしろないにしろ、捜索を続ける。町にいないことがわかれば隣町であるローレンや、王都に向かっている可能性も考慮するだろう。
ここまで判断して動くこと事態の可能性がまず低い。
そしてその鈍い動きで、地図のない場所を進むユリアンを見つけられる可能性は更に下がる。
つまり王都にたどり着ける可能性はかなりあるのだ、その道中で自然に屈しない限り。
……ただ、何らかの補助があり、王都にたどり着けたとしよう。
その状況で危険を承知にユリアンを保護してくれる家が存在するのか?
唯一の生き残りなのだ。名声や力を持っていた父親は死に、資材の大概も吹き飛んだかレイニスに置いたままだ。
そんな諸刃の刃である人間を、敢えて受け入れるような可能性はどれほどあるのだ?
どれだけの家がリーン家の味方で、どれだけの家が家長を失ったユリアンを保護し、その僅かな可能性に当たるまで貴族達の家を歩くユリアンにテイル家が気づかない可能性はどれほどある?
「アメ」
「……なに?」
ルゥの声が聞こえる。
嫌な予感が激しくする。
「わたし、ユリアンを助けるね」
- 気持ちとまぐれで 終わり -




