54.想いをスクイ、力はフルエ
爆発の半径は五百程度か。
予想よりは遥かに少なかったが、それでも被害は大きい。
中心部にいた人々は幸せなほうだったかもしれない、痛みも感じなかっただろうから。
「ううぅぅ……!!」
「痛い、いだぃぃぃ!!」
「…………」
「お父さん、どこ? 見えない、何も見えないよ?」
体が半分炭化したもの。
自身の溶けた皮膚で包まれているもの。
壁などが僅かに障壁として機能したり、魔力で自分を守ろうとしたのか中途半端に死ねなかった人々の間を僕達は走る。
これ以上何も失わないために。僕やコウ、そして背負っているルゥが少しでも生き延びられる可能性を増やすために僕達は苦痛に呻く人々の間を走った。
その中には助けられる命があっただろう、僕達が二、三分立ち止まれば生きれた、もしくは楽に死ねた命が。
でも僕達は自分達のためにそれを見捨てて少しでも竜から離れたのだ。
「ここ、どこ……?」
「町の南側」
ルゥの目が覚め、何事もないかのように尋ねる。片腕に、両脚は未だ青白い粒子を散らしているのにもかかわらず。
宿には帰れなかった。兄妹を守りきれず、また町の人々を見捨てて逃げた僕達にはあの光景はつらくて、今晩は町の南で野営することに決めた。
「二人は?」
スイと、ジェイドのことだろう。
ジェイドはともかく、近くに居たスイがどうなったのかをルゥは確かめられていない。炎竜撃による爆発が去った時ルゥは既に意識を失っていたのだから、スイは助けられていたのかもしれないと期待したのだろう。
「……」
竜はあれ以上被害は出さず、いや戦っていたジーンは殺したかもしれないが目立った動きはせず気づいたら飛び去っていたようだ。
町は今、災害の真っ只中といった騒乱は見せておらず、全てが終わってしまった後の混乱が残るだけ。
「そう……」
僕達が何言わないことを回答だと受け取ったのか、ルゥは一人で納得をする。
「体、大丈夫なの?」
髪は短くなり、右腕、そして両脚が無いルゥに尋ねる。
痛みは少なくとも無さそうだが。
「ん……? うん、しばらくしたら生えてくるよ」
「え」
「……体にも魔力が流れているよね、でもそれ以前に魔力でできているものがあるんだ。
それを一時的にあの膜を作る魔力に回して、その結果体が消えてしまうんだ。だから、大丈夫」
「何も大丈夫な理屈が通っていないんだけど」
「わからないならいいよ、わからなくていいから人にはわらかないものがあるんだ。
でも心配しないでいい、魔力が回復するように、回復すると同時に生えてくるから。
少し時間はかかるし、危ないから真似しちゃダメだよ?」
確か偽竜を倒しているとき、魔力切れになっても雷を撃とうとしたら僕の体からも青白い粒子が飛んだんだっけ。
そして魔法陣や魔力そのものも青白い光……だめだ、繋がりそうで繋がらない。どういう原理か想像がつかない。
「アメ」
「なに?」
コウと視線が交わる。
僕に向けられるものとしては珍しい、敵意のようなものが混じったそれ。
「次は迷わないでね」
「……」
あの時、ジェイドが助からないことはわかりきっていた。
だから迷うとしたら、スイの命を優先するか、スイの気持ちを優先するかだった。
完全にエゴだ。
自分のために肉親を全て失ってもスイに生き残って欲しい僕のエゴと、自分のために仲間二人を失うつらさを味あわせても兄の下へ、兄と共に逝きたいというスイのエゴ。
実際悩んだ。
どちらを優先するべきか、何度も悩んだ。
僕達は家族を失うつらさも知っていたし、失ってもまだ幸福があることも知っていた。
憎まれてもいいからスイを救い、憎悪をぶつけられながらも兄を失った彼女を支えられる自信が無い事も知っていた。
そして僕は選べなかったんだ。
選べず、中途半端な気持ちで、中途半端な位置にいたから、コウに引き寄せられてスイの腕だけ残った。
僕は、つらい。
二人を失ったことが、とてもつらい。
でも、スイはどうだろう。
どうだろうじゃない、間違いない。
ジェイドが生き残る可能性はあの場では思いつかなかった、そんな中スイは承知の上で彼の傍に行きたかった。
間違いなく、スイが一番つらかった。
寄り添うことすらできず、一歩でも彼に近づけたと思ったら死ぬ直前にはそれすらも引き戻され。
胸が張り裂けそうだ。
涙が零れそうだ。
ごめんねって、精一杯引き寄せてジェイドを見捨ててごめんねって言いたかった。
助けられなくてごめんねって、繋いだ右手を離して生きている間に言ってあげたかった。
そのどちらもできなかったのは、あの時間で僕が何も選択できなかったからだ。
その中途半端さが、彼女の命も、気持ちも、殺してしまった。
だから、僕には泣くことは許されない。胸が張り裂けたとしても、僕は苦しみながら生きて見せなければならない。
スイやジェイドのためじゃない、僕が、僕に、この痛みから逃げることを許さないのだ、痛みにひれ伏すことも許さないのだ。
- 想いをスクイ、力はフルエ 始まり -
ここ、は。
知っている、いつも目が覚めたら忘れているけれど、ここに来たら思い出す。
ここは深海だ、灰の海の底。
水晶が見せたあの優しい夢でもない、僕が僕に見せる夢の世界だ。
「お姉さま」
腕がある。
真っ白に淀んだ色の指輪をつけた、スイの左腕。
「お姉さま、どうして手を離してくれなかったんですか」
腕が喋る。
肺も声帯も舌も口もないのに腕が喋る。
「……怖かった、自分の選択でスイが死んでしまうことを」
「なら逃がさないように捕まえてくれればよかったじゃないですか」
腕が喋る。
死人が生者に正論を説く。
「それも、怖かった。兄を見捨てて、妹だけを助け。無事に逃げられた時、どうしてお兄ちゃんの傍にいかせてくれなかったんですか、そう責められるのが」
「その中途半端な気持ちのせいで、私はこんな中途半端な死に方をしたんですね」
「……うん」
片腕だけ、それがなによりもわかりやすい証拠だ。
この片腕の分だけ、僕は自分の気持ちを優先したのだろうか、僕はスイの気持ちを優先したのだろうか。
「あの日、私達を助けてくれたあと、コウさんと二人で話し終えた後のお姉さま"これからよろしく"って言ってくれた時、凄く格好良かったです」
「……」
「その時決意した、仲間を失う覚悟も嘘だったんですね。格好良く見せるメッキのように、覚悟も」
あの時決意したのは、失っても泣かない覚悟だ。
失うことを怯えない、そんな覚悟。
そして今回それは守られた、けれどスイの命や、気持ちとか覚悟よりもっと大切なものは何一つ守れなかった。
「空から竜が降ってきて、死に掛けるなんて状況で僕は何も動けなかった。二度目なのに、そんなことも想定していなかった」
コウとルゥはすぐに動けていた。
動けていた上、即興か元々用意していたものかは知らないが魔力の膜であの爆発を耐える術を使って見せた。
「はぁ……何やってるんだろうなぁ……」
勝手に仲間を増やして、黙って竜を殺す術を遺跡に探しに行って、殺すどころか身を守る術すら思いつかなくて。
ジェイドを守れなくて、スイにも酷いことをして。
「……あぁ、もう消えていいよ。やっぱり声真似できないや、僕」
そう言うと僕の声で喋っていたスイの腕がサラサラと灰になり散っていく。
ここは灰の海の底だ。
足元に積もる灰は、家族や故郷、そしてスイとジェイドの分。もしかしたらあの時見捨てて走った人達の分もあるかもしれない。
帰ろう、現実へ。
夢の中で自問自答するなんてまどろっこしい手段はもう飽きた。
僕はもう自己分析はできているつもりだ、夢なんて間接的な手段など必要とせず現実で。
ならここに来る必要はもうきっとない。
目覚めることなんてできなかった。
「ああああああああああぁぁぁあ!!!!」
右腕で床を払う。
何でできているかわからないその地面と、灰が僕の手を擦り痛みを伝える。
「それすらっ、望んではいけないのか!!」
泣けない少年と、泣くことを忘れた少女の隣で僕だけが泣くことは許されない。
だから、僕はただ一人で存在できるこの空間で叫ぶ。
「絶望に堪え、些細な幸福に浸ることすら……そんな当たり前の日常を僕達は許されていないのか!?」
腕を止めない。
どれだけ灰を掬っても、何一つ救えはしないことは理解しているのに。
「何をした! 僕達が、僕が一体何をしたと言うんだっ……!」
火の始末を怠った?
常日頃空を飛んでいる竜が異常だと気づくべきだった?
村を失って経った一年でこの世界の支配者に立ち向かう術を手に入れるべきだった?
「ふざけるなよ! そんな当たり前の生活で、何故人が理不尽に死ななければいけない!?」
床を擦る手が擦り切れ、傷口から血液ではなく炎が湧き上がる。
黒い炎。怒りか憎悪か、上手く感情を覚えることができず、吐き出すことすら許されない僕の代わりに炎が燃える。
僕を、大切な人を殺し続けた炎が、今は僕の代わりに感情を表す。
「知っているさ、それが摂理だと」
炎は力だ。力は善も悪も、必然も偶然も本来は備えていない。全てはそれを行使する存在の想いのままに。
事の始まり、竜に何か思惑はあったのかもしれない。故郷がその対象に選ばれたのも日頃見ていて記憶に根付くそれが原因だったのだろう。けれど何故襲われたのかわからない僕達からしてみればそれは偶然にしか過ぎず、また三人だけ生き延びてしまった現実もまた偶然が引き起こしたものだろう。
次に町が襲われたこと。近場に在った町が選ばれたしまったのは必然、僕達の近くであの爆発が起きたのは偶然。
右手は傷が広がり、そしてそこからあふれ出す炎でもはや感覚はない。
代わりに左手で床を擦る、灰を掬い上げることはできても、救うことのできないその腕から少しでも痛みが伝わりますようにと。
「でもっ!」
討伐部隊が竜を刺激した結果、あの場所を、町を襲ったのだとしたら、それは必然、そして僕達が国へ竜の存在を伝えたのがきっかけだ。
騎士団の様子を見たくて足を運び、襲撃される時間まで話を楽しんだのも自分達の選択だ。
「それなら僕達はっ!」
何もかもが必然で、何もかもが偶然に思える、思いたい。
そんな状況で、何を思えば良いのか。
一つだけある、秩序などなく、ただ混沌とした摂理だけが存在するこの世界に一つだけある。
「自分達で選んでみせる、何が必然で何が偶然か。歩んできた道は自分達のものだと叫んでやる!」
何もかも守れなかったのは僕の選択だ。
大切な人達を殺したのは僕だ。
でも悲しんでやる、失ったモノの大切さに呻いて。
そして、立ち止まらない。生き残っている僕は歩みを止めない。
左腕の傷も増え、そして炎を抑え切れずに両腕から身を焦がす。
熱くて、痛くて、憎憎しくて。
そして、どこか安らげた。
いずれ体は燃え尽き、灰になり、地面を覆うそれらと同化できると安堵する前に僕の意識は浮上するのだろう。
でもそれまでは、この感覚に身を委ねようと思った。
「おはよう」
「……おはよう、腕治ったんだ」
どうやらルゥに膝枕されているらしく、目を覚ますと彼女の顔が間近にあった。
「両脚も見た目は治ってるけど、まだ中身はスカスカだからね。せっかくサービスしてこうしているんだから、寝返りはうっちゃダメだよ?」
一体どうなってるんだルゥの体は、足と共に消えていたはずの靴やソックスも元通りだ。
というか彼女の言い分だと僕達も同じことをできるらしいし、知られない魔法技術の一つなのだろう。
「そんな酷い寝顔してた?」
「うん」
膝枕だけではなく、ルゥはずっと僕の髪をなでている。
思わず僕は目元に指を伸ばすが異常はない。
「涙は流していなかったよ、安心して」
「……起きる」
言うより早く体を起こし、僕を覗き込んでいたルゥが慌てて頭突きを避けて頭を動かす。
日がほとんど落ちているのにもかかわらず焚き火がたかれていないあたり、今この場には居ないコウが薪を作ってるのだろうか。
耳を澄ましても木を削る音は聞こえないのだけれど。
「アメ」
「ん?」
「絶望に溺れないで」
悲劇に酔うのは権利がある人間の特権だ。
僕は二人を守れなかった、だから権利などどこにもない。
「そして幸福にも、溺れないで」
「舐めないで」
あの日を忘れたことなんて一度もないし、あの日からどんな幸せな日々もどこかしこりを抱えながら過ごしてきた。
だから今竜による二度目でしかない絶望にも溺れてはいないし、昨日までの日々が完全な幸せだと確信していたこともない。
「ならいいよ」
ルゥは僕の声にこもっている何かを感じ取ったのか、興味が逸れたように中身がスカスカらしい足を突いた。
「……でも、絶望に二度殴られたことでようやく気づいた。幸福に溺れ、絶望にも溺れるために必要なことを」
彼女の興味が再び僕へ向く。
「あの竜を、殺さなきゃ」
- 想いをスクイ、力はフルエ 終わり -




