53.届いている手、届かない想い
副団長に出入り口まで見送らせるという大それた事態に今更慄きつつ、頭をペコペコ下げながら施設から離れる。
現在は町の南東、政府関連の建物が密集する表通りにいる。
北側を向けば貴族達の住む見事な街並みが揃っており、東側からは商業都市ローレンからの人々で道は混雑している。
近くに政府間連施設や、貴族街があるからといってその人ごみを商人達が逃すわけがない。
道には辛うじて邪魔にならない程度に露店が詰められており、食べ物を扱っている店からは小腹が減り始めた胃袋にはよく効く香りが漂ってくる。
「俺、少し買っていくな。先行っていていいよ」
ジェイドがそういい騎士団支部の近くにある露店に寄る。
「っていっても先に行くわけには行かないよね」
「私達も何か買って行きましょうか」
僕の呟きにスイが答え、ジェイドより少し町の中央に寄ったあたりで各自好きな料理を探す。
自分だけ動かず合流する起点になる、というのも少し不満が出る。僕も何か好きなものを探そう。
そう思い、足を一歩出した時だった。
ざわめきが聞こえる。
まるで伝染病のようにそれは人から人へ移り、言葉は飛び交い視線は頭上へと釘付けにする。
聞こえる単語は竜。
上に見えるはあの忌まわしき姿。
遥か頭上を旋回し、こちらの様子を伺っているようで。
誰かが言った。竜が飛んでいるなんて珍しいと。
僕は思う。危機感が足りていないと。
別の誰かは言う。全人類を滅ぼした恐怖がそこにいると。
人々は思う。半数はその恐怖に不安を抱き、もう半分は時代と共に忘れ去られてしまった存在に何を怯える必要があるのかと。
僕は思う。そのどちらでもなく、ただの憎しみを。
そして今まで旋回を続けていた竜は動いた。
狙い済ましたかのように、先ほどまで僕達が居た施設へ。
「どうする?」
気づけばコウとルゥが隣に駆け寄り、そう尋ねる。
何をどうすればいいのだ、今降りてきただけの衝撃で、着地した箇所の、そう騎士団支部の二階は半壊してしまった。
騎士団員は突如訪れた脅威に、若干遅れながらもその辺においてあっただろう装備を不揃いに装備し竜と対峙する。
他の人々は、半分は恐慌状態で逃げ惑い、もう半分は現状を理解できずに立ち竦んでいた。
僕も、その一人だった。
竜はゆっくりと周囲を見渡し、そして一瞬僕と目があった気がする。
それが錯覚かどうかはおいておいて、竜は確かに周囲を認識し、そのまま崩壊した二階部分で頭を高く上げる。
そして開かれた口内に、周囲の熱と風、それら全てが竜の魔力によって巻き上げられる。
はじめは僅かな火種のようなものだった、でも時間を得るごとにそれは徐々に大きさを増していく。
あれは、マズイ。
おそらく、あれは、故郷を滅ぼした。
炎竜撃。
コウの模倣した可愛い物じゃない、半径二キロは確実に爆発の影響を与える兵器。
僕達がいる場所は竜から三百メートルも離れていない。
あれがどの程度の速度で十分な威力を得るかは知らないが、少なくともその準備を終えるまでに二キロを直線で走りきる自信はない。
どうする?とコウは言った。
多分逃げるか、あるいは戦うかの問いだったのだと思う。
何か被害を与えるようなら人々が逃げられるまでに時間を稼ぐ、そんなリスクを取るかどうか。
なら僕はこう言おう。
どうすればいい?
半径二キロに死を与える存在が、すぐ目の前に降ってきた時、僕達は一体何をすればいい?
竜と戦うことは考えていた。
だけど相手から来るとは思っていなかった、一度それで故郷を失っているというのに。
あの爆発に対抗する術は未だ見つけられていない。
そしてあの竜は、ほぼ間違いなくそれを行使しようとしている。
口内に溜められている炎はもはや火の粉と呼べるものじゃない。周囲の熱や塵を吸収しながら、もはや炎と呼べる大きさにまで差し掛かっている。
風は渦巻き、人々の衣服を靡かせながら熱も奪い、緩やかにではあるが確かに溜めている炎は大きくなっていっている。
「アメ!!」
コウが叫び声と共に僕を壁際へと引きずり寄せる。
「ありったけの魔力を込める、それ以外は何も考えない。炎竜撃を凌げた時に初めて考える、いいね?」
コウは喋るよりも前に、竜の方向へと扇状の膜を魔力で作っている。
ルゥもそれに応じ、魔力を注ぎ込んでいる。
ここには、三人しかいない。
「二人を、連れてこなきゃ!」
「アメ!考えないでって言った!」
「それはダメだ! もう二度と僕は失いたくないんだ!」
何かを言っているコウの叫び声を背中で浴びながら、僕は魔力の膜を作ることを手伝いはせず近くに居たスイの元へたどり着く。
「スイ、コウとルゥがいる場所に逃げるよ」
「は、はい……!」
放心状態だったスイの目を覚まし、手を繋いで戸惑う人々の間を縫いながら二人の場所へ戻ろうとする。
「お兄ちゃん!」
その途中、こちらへなんとか寄ってこようとするジェイドを見つける。
ただ呆然と立ち竦んでいたり、混乱し何故か東側へ逃げている人々に流され上手くこちらへ近寄れないようだ。
「コウ、ジェイドの場所に近寄ってあそこで身を守ることは?」
「無理。というか現状でも耐えられるか怪しいのに、今ここで使った半分以下の魔力で竜と距離の近い場所じゃ」
スイを握っている右手とは逆、空いている左手でその膜に魔力を込めつつ、竜の様子を見る。
口内に溜まっている炎はそこまで大きくはない、けれど魔力は違う。
今ここにいる僕達四人だけの魔力の何百倍も大きい魔力がその口内だけに溜まっていっている。
もう一度ジェイドを見る。
近寄ってきてはいるが、おそらくその時には間に合わない。
僕は、目を逸らした。
歯を食いしばる、上の歯が下の歯を、下の歯が上の歯を圧迫し、痛みと共に血が滲む。
こんなものじゃ足りない、四人が助かるために一人を見捨てることを決意した僕に与えられる痛みはこんなものじゃ。
スイには手を差し伸べたのに、ジェイドには手を差し伸べない自己矛盾。感情が助けたいと、理性がもう間に合わないと、そう判断した妥協点の歯がゆさを押し殺すように。
「お姉さま」
「ダメ」
彼女の指輪は僕が手を繋いだ時から赤い。
「行かせてください、お願いします」
「絶対に、ダメ」
右手を強く握る。
決して離さないよう、逃げられないよう。
左手は魔力を送り続ける。
少しでも生き延びられる可能性があるとすればこれだ。
「お願いしますっ!そこに少しでも可能性があるのなら!」
「それでも、許さない」
「無くてもいい、可能性なんて無くてもいいっ」
施設の二階に陣取り、硬直し続けているだけのように見える竜に騎士団が応戦しているのがわかる。
《その向こうで流されるであろう涙よ、流されぬよう我らを守れ》
ルゥが聞いた事のない詠唱を始める。
おそらく魔力が極僅かしか残っていないのだろう、それをより効率よく行使するため足元に魔法陣を展開させ魔法を唱える。
「行かせてくださいっ!」
応戦する騎士団の人々。
二階に張り付き手の届かない場所に留まる竜に、思いつく限りのありったけの魔法で傷をつけようとするがその甲殻を傷つけられた様子はない。
《その向こうで燃える怒りよ、薪無くして同属と対話を果たせ》
ルゥの詠唱が聞こえる。
僕とコウの魔力も合わさり、ルゥが展開する青白い魔法陣の中、同様に青白く可視化できるほど濃度の上がった魔力の膜が成長する。おそらく、これでも足りない。
「逝かせて、くださいっ!」
スイのそれは懇願だった。
両目からは雫を零し、ただ兄の元へ行きたいと願う祈り。
彼女には何が起きるのかわかっている。僕達の過去を話したことによって、炎竜撃の存在を認知し、そして僕達の対応によって何が引き起こされるのかを。
彼女には何が起きるのかわかっている。僕達三人がジェイドを切り捨てたこと、そうでもしなければ一人でも生き延びられる人間を増やすことはできない事を。そんな状況で、彼の元に向かった場合自分がどうなることさえ。
《その向こうで失われた喜びよ、今それに笑顔を持って武器を振るえ》
ルゥの体内から魔力が完全に消えたのがわかる。
それでも彼女の詠唱は止まらない。
「僕に何度も、大切な人を失わせないで」
返答は打撃だった。
スイを掴んでいる右手に、僕が教えた技術でスイの片手が添えられる。
間接に打撃を与え、一時的にでもその力を失わせるために。
「私も」
でも僕は一度魔力の供給を中断し、左手でスイの右手首を捻り痛めさせる。
《その向こうで待っている絶望よ、自らの必要性を否定してみろ》
魔力の存在しなくなったルゥが詠唱を続け、魔法陣はその要求に答え結果、彼女の髪先が少し青白い粒子となって消える。
「二度、失ったんです。大切な人達をっ!」
スイは、わかっていた。大切なことを、大事な人を失う悲しみを。
僕の手が一瞬だけ力を失い、スイはそれを待っていたかのように巧みにすり抜ける。
「なら、その痛みがわかるはずだよ!」
でも、逃がさない。
今度は手ではなく腕を掴み、再び離れた体を引き寄せる。
僕とスイのやり取りはもはやエゴのぶつけあいだ。スイも失いたくない僕のエゴ、兄を見捨てたくはないスイのエゴ。
《今抱かれる希望よ、自身が必要とされる脅威を、その存在と共に潰えてなくなれ》
髪の毛が徐々に粒子と消えていくルゥが、更に右腕を急速に失う。
一瞬で無くなったかと思えば、傷口から血を流すことも無く、腕が文字通り存在しないだけの状態になる。
切断されたわけでもなく、もげたわけでもなく。ただその存在そのものが、ルゥの右腕というものが消失していた。
青白い粒子だけか、包み込むものを無くした右腕から漏れ出すだけで。
「コウ、ルゥを止めて!!」
「ならアメが、早く決めて!迷っていないで、早く!!」
ジェイドは自力でこの膜の場所まではこれない。
「お姉さまあああぁぁ!!」
スイの腕を強く握る。
これだけは逃がさないと、強く強く。
逃れようと足掻き、離れようと力を入れる彼女に負けないためにも。
「……アメさん、お願いっ」
スイの声が聞こえた。
その言葉に、姉として慕うことをやめた言葉に踏ん張る僕の足から力が抜ける。引きずられるように膜の外へと出る。
竜が口を閉ざす。口内に溜まった炎の渦を噛み砕くよう。
左手に感触、誰かが僕を引っ張る。
竜を中心に爆発が巻き起こる。
人々が塵のように、建物が灰のように消し飛ぶ。
右手は離さない、左手は引き寄せられたまま。
ルゥの声が聞こえた。
《故に、それはパラドックスを越える事は無く》
五感がバラバラになったような感覚。倒れそうだった、いっその事意識を失い倒れたかった。
けれど魔力の膜が僕達を守りきり、全身から発せられる異常は生きているって証拠で。
「ありがとう、コウ」
「……」
僕を掴み引き寄せてくれた彼は何も言わない。
ルゥは髪の毛が短くなり、右腕に両脚を青白い粒子に変えながら意識を失っている。
僕の体は五体満足で、右手は握ったままで。
辺りは悲惨だった。あれだけ賑わっていた源である人々はほとんど消し飛び、建物もまた爆発の近くに存在するものは無くなっていて。
だが少し離れた場所にはまだ重症ながらも生きている人や、溶けたり燃えているが原形のわかる建物がいくつもあった。
爆発の近くも一部の人々はどうにか耐えられたようで、片手で数えられる程度の人は生きていた。おそらく熟練の技や才能を駆使し生き延びたのだろう。
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
さっきまで談笑していた騎士団副団長ジーン、彼もまた炎竜撃を至近距離で受けてなお生き延びた人間の一人だった。
彼は爆発の起点となり、かろうじて建物とわかる程度無事だった物を垂直に駆け上がる。
手に持つのは剣と盾。
他には何も無く、他に生き残っている味方は誰も居らず。
先ほどまでは穏和だった様子はどこにも存在せず、今はただ仲間を失いその怒りに身を任せ獣のような叫び声を上げ。
その一刀が竜の甲殻に届く。
そして無慈悲にも弾かれた。
防御する様子もなく、攻撃された竜は体に集るハエを憐れに見下すのみ。
でも男は止まらない。
死んでしまった人々の恨みか、僅かに生き残っている人々が逃げる時間を稼ぐためか。
逃げなければ。
それが生き残った人間の使命だ。
「アメ」
コウの声が聞こえる。
振り向くと意識のないルゥを背負いいつでも動ける様子だ。
「その右手に持っているの、捨てて」
「……うん」
スイの腕を見る。
体は消え去り、腕は途中で溶けて無くなっている。
逃げるのには少しでも荷物は減らさなければいけない。
結局新調してから役に立つことの無かったルゥの槍を捨て、スイの腕も放り投げる。
腕と共に投げ捨てられた彼女の指輪に色はなかった。
- 届いている手、届かない想い 終わり -




