5.流れは望むがままに、望まなくとも
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むかしむかし、ある所に文明が発達した人々の町がありました。
2ページ目
人々は人間同士で争いました。
他者が望む技術が欲しかったためです。
3ページ目
それを見た天使*1はその力を恐れました、このままでは世界*2が壊れてしまうと。
4ページ目
天使は人間同士の争いに介入することにしました。
有り余る文明を衰退させ、危険な存在である人間の数を減らすために。
いつしか戦いは、人間と天使のものになっていました。
5ページ目
戦いは長引きました。
そしてその戦いは、ついに竜の目にとまることになりました。
竜は思いました、長引く不毛な戦いを終わらせようと。
6ページ目
三種が交わる戦いはかつてないほど激しいものになりました。
多くの命が失われ、文明は失われていき、地形や理*3そのものが変わり果てるほどでした。
7ページ目
ついに戦いが終わる日が来ました。
竜の圧勝でした。
8ページ目
ほとんど損傷*4のない竜は翼を広げ、いつも居た場所へ帰って行きました。
9ページ目
天使は生きていたものの*5、少なくない被害を受けました。
10ページ目
僅かに生き残った人々は再び集まり、町を作り始めました。
けれど竜と天使はいつもそれを見ています、発達した文明が、再び世界を滅ぼさないかと。
*1 天使
翼がある人間をこう訳したが、実際に天使という存在がいるのか、適切な表現かは不明。
村にはそういった知識がなく、常用外の言葉のため。
*2 世界
発達した文明が前世と同等の水準ならば、原子力により破壊できるであろう惑星、前世で言う地球という訳が適切。
口語として元の単語は日常会話で使われているものの、世界や惑星どちらとでも取れる曖昧な意味で用いられる。
また、宇宙や世界そのものを破壊できる技術が存在した可能性も留意すべき。
*3 理
常識や礎、それらとは別の表現で用いられている。
理という訳が適切ならば、戦争で物理法則などそういったレベルのものが変わってしまったのかもしれない。
*4 損傷
怪我や傷とは別の表現。
竜が一匹しか描かれておらず、種としての損傷なのか、もしくは竜は機械的な存在で、損傷と表現されているのかは不明。
*5 生きていたものの
上記とほぼ同義。
種として生き残っていた個体がいたのか、7ページ目に倒れている天使が蘇ったのか。
- 流れは望むがままに、望まなくとも 始まり -
夏を越え、秋になった。
僕達は二人で文字を学びつつ、絵本の解読に勤しんでいたものの、その成果は完全とは言い難い。
「ここじゃない気がする」
「足りない、よね」
この村じゃどうしても知識が足りない。
会話に使われない言葉は廃れ、文字がないせいで記録にも残らない。
「流れが必要」
コウの言うとおりだ。
知識、もしくはそれに類似する何か。
「もしくは、流れるか」
類似する、つまり村人である我々が村の外に流れ、知識を得てくるか、村を捨てるか。
「それは厳しい。物理的にも、感情的にも」
「……うん」
村人を説得して移住することを勧める?
どうしても何人かは残るだろう、そして残った数名では長くは持たない。
我々の知識欲のためにその数名を殺すことはできるか?否だ。
なら二人で、もしくは家族六名で知識や技術を他の町から得て帰ってくる?
これも、厳しい。
何も知らないのだ、村の外を。
どれだけの文化があるか、人々がいるのか、町があるのか。
そんな場所で知識を得る?その前に餓えて死ぬだろう。
親の助けを得るとしてもどう説得したらいいのか。
知識が流れてくる可能性、も切り捨てるべきだろう。
今まで二人しか居ないのだ、レイノアとシン。この二人だけが村の外からやってくる人間。
他に物好きが居るか?そもそもこの村の存在は知られているのか?
「やめやめ」
手に持っていた炭を放り投げ、考えることをやめる。
炭はコロコロと文字で埋め尽くされた床を転がり、手が届く範囲まで文字が書かれた壁にぶつかって止まった。
……自分の部屋ながら凄い様子だ。
学ぶために二人で手当たり次第書いていたらこうなってしまった。
両親もはじめこの様子を見たとき絶句していたのを思い出す。しょうがない、どうみてもワケあり物件でしかない。
慌てて二人で理由を説明すると、賢いなと頭を撫でてくれた。
さすが産まれた時から"少し"頭のいい女の子を育てている親の器量の大きさは違う、本物に怯えた偽者とは違うのだ。
少し頭の良いに収まる範囲を振舞う為に、随分苦労したことを思い出す。
ここまでは大丈夫かな、そう思い生活していると驚いた顔をされ、慌てて歳相応の愚かさを振舞う。
どうにか上手い事やってきたつもりだ、そしてそろそろその辺はあまり意識しなくても良いかもしれない、親というものは僕が想像するよりも遥かに全てを受け入れる大きさを持っている。
「気持ちいい……」
窓から空を見上げ深呼吸をする。
涼しげな空気が肺を満たすその快感、煮詰まった思考を冷ますには丁度良い。
本を手に入れて三ヵ月経った。
夏が終わり、秋が来て、僕達は八歳になった。
「今はまだいいんだけど」
「冬はやだね」
隣に立つコウと笑いあう。
冬は嫌だ。雪が降り、非常に寒い。
少しでも厚着をし、家族全員で暖炉を囲む。
日が落ちるのが早く、明かりを灯すための油はどんどんなくなるし、野菜や動物の取れる量が減るから食事もいつも以上に質素になる。
冷房のない夏も辛いはずなのだけど、この地域はかなり涼しく過ごしやすい。
食べ物の腐敗が早いのが難点だが、痛むほど食料が取れない冬よりはましだろう。
「そろそろ来るはずなんだけど」
外を見ながらコウがそう呟く。
確かにそろそろ来てもいい時期だ、というかいつまで待たせるつもりなのだあいつは。
息をするのも面倒そうな青年を、レイノアの顔を思い浮かべる。
三ヶ月前に来てから、まだ一回も来ていない。
普段は季節ごとに一、二回来ているので、かなり遅めのペースだ。
資源は大丈夫、こういう不測の事態に対応するために余裕を持って取引しているから。
というか加工が面倒な商品などを持ってきてもらっているだけで、いざとなればこの村だけで生活することはできる。
問題は僕達だ。
早く訳した本の内容が正しいかを、もしくは不足している答えを知りたい。
商人なので最低限読み書きはできるだろう、怠け者の彼にどこまで貢げばそれらを教えてくれるかは知らないが。
何にせよ彼は僕達にとって一番手ごろで、現実的な"流れ"だ。利用するに越したことはない。
「……まぁ今できることをやってのんびり待とうか」
水瓶の中を見てそう思う、もうほとんど空っぽだ。
腹が減っては何とやら、喉が渇いても何とやら、だ。知識欲よりも優先されるべきものは多い。
これが空ということは、おそらく我が家に貯めている水がもうほとんどないのだろう。
日が暮れる前に少しでも井戸を往復しておこう。
「アメ」
二度目の往復が終わり、これでしばらくは大丈夫だろうという三度目の水を汲んでいるときにコウが名前を呼ぶ。
表情と声音からある種の確信を得ながら、水を移す手を止め音に集中する。
村の出入り口から近い井戸からは、確かに馬車が動く音が聞こえた。
「行こう」
汲み上げる用の桶から水を井戸に戻し、その間に邪魔にならないよう、家に運ぶための桶を脇に退けていたコウを連れ音の発信源へ向かう。
桶も、本すらも後回しで良い。
まずは滞在する期間を尋ね、時間を作ってもらい、必要ならば知識の対価に払う物を準備する必要がある。
「レイノアさ……」
「おう、お前ら。丁度よかった」
馬車から降りる暇すら与えず、名前を呼ぶがそれを遮られる。
何が丁度いいのだろう?
「おーい! 着いたぞ!」
馬車の中に呼びかけるその声。
はじめはシンに対して言っているのかと思ったが、シンはそもそも馬と並ぶように歩いている。
「どうもありがとう」
そう言いながら荷台から降りてくる一人の少女。
日差しが気になるのか、ねずみ色のマントのフードを片手で引っ張っている。
見た目相応なら歳は十ぐらいだろうか、僕より少し背は高いもののまだまだ小柄だ。
「こいつらがこの村で一番歳が近いだろう、村を案内してもらえ」
「うん、わかった」
そして僕らと、向かい合う。
吸い込まれるかと思った、その白に。
まるで老いた人間のように、銀とはいかないものの艶やかに頭髪は白く輝く。
危機感を覚えた、その赤に。
ルビーのような瞳、綺麗だと思った。
でも、赤は警戒色だ。異質な風貌も相まって何かがおかしいと本能が叫ぶ。
「こんばんは、かな。日もほとんど落ちているし」
「こんばんは」
答えたのはコウ。僕はまだ彼女の観察に集中している。
マントは腰の辺りまでの長さで、生地が薄い。
僕らが普段使う寒雨対策というよりは、日除けの意味が強いのだろう。
アルビノ……色素が欠乏しているのだろう、前世でもそういった症例はあった。もっとも僕自身はウサギやヘビなどの動物だけで、実際にそれを患った人を見たことはないのだが。
マントが覆う服もどこかおかしい。
学生服のように小さなリボンのついた上着に、スカート。体を動かすことに相応しくないミニスカートの下に、スッパツのようなものを穿いている辺り、前世での女子学生の記憶を刺激される。
脚はソックスに包まれているのだが、片方は太ももまで長さがあるのに対してもう片方は膝下までしかない。
上手く非対称で着崩されたファッションは学生服とは言いがたく、この世界の貴族がこういった服装をするのかなと、ぼんやりと抱いた感情もすぐに振り払われる。
右腰にベルトで固定された短剣があり、それよりも一回り大きいだろう短剣が後ろの腰に固定されている。
使い古された様子の鞘、またいざという時二本同時に抜けるよう最適化された配置はおそらく貴族ではない。
大道芸人。最後に抱いた感想はそれしかなかった。
「宿は……ないんだよね。じゃあ村をまとめている人とか、いる?」
「いえ、特にはいません」
村には年長者こそいれど、村長のように代表者は存在しなかった。
「そっか……。困ったな、適当に借りていい家とかあるかな?」
その発言でようやく彼女が何を求めているかを理解する。寝泊りできる場所を求めているのだ。
「ねぇ、アメ」
わかっている、言われなくてもわかっている。
見逃すものか、これは僕達が望んだ"流れ"だ。
「あの、よければうちに来ませんか?」
「いいぞ、好きなだけ居たらいい」
いいのか。
事情を説明し、説得する要素をいろいろ考慮していたが、家長である父親の一言で全てが決まる。
両親も突然の来訪者には驚いていたものの、特に排他的な要素は感じさせずにすんなり受け入れた。
閉鎖的な村だ、そういう要素が根付いているものかと思ったがそうでもないらしい。
「もちろん生活する以上、最低限働いては貰うけど、しばらくは村に慣れるまでのんびりしていたらいいんじゃない?」
「うん、いろいろできるから任せて」
どう現実的な側面を告げたものかと父親が悩んでいたところ、母親がすんなりと口にしてしまう。
少女もそれは当然と受け入れている辺り、父親は相手の気持ちを尊重しすぎるタイプだ。
きっと前世で生活していると対人関係で余計なストレスを抱え込んでいただろう。
「あの子、君の弟じゃなかったんだね」
「そう見えました?」
少女はルゥと名乗った。自己紹介の場に同席したコウは今頃自宅に着いているだろう。
「うん。仲がいいことはいいことだ、うん、凄くいい」
二人で階段を上りながらルゥは笑みを零す。
部屋は余っていないので、一緒の部屋で寝ることになった。
「ちょっと待っていてください」
夜の帳は既に下りていて、月も出ていない今夜は何も見えないぐらい真っ暗だ。
二度ほどマッチをするが上手くいかない、火を扱うことに関してはてんでダメだ。
「いいよ、もったいない。わたしがやる」
どこか用法がおかしいような言葉に思わず手が止まり、彼女が何をするのかを注視した。
そして確かに見た、何も無い指先がランプに火を灯すのを。
「「へぇ……」」
両者の言葉が重なる。
僕は彼女に知識を求めた、ある程度の外の知識を得られれば他には何もいらなかった。
それは間違いだったのだ、彼女は確かに奇跡を、魔法を扱って見せた。
だから思わず漏れた、感嘆の言葉が。これは大物を釣ったぞ、と。
けれど彼女も同じ言葉を発したのだ。
視線の先にあるのは無数の――文字。
床に壁に、あらゆるところに学ぶためだけに書かれた文字達。
やってしまった、そう思った。
間違いなくこれは異様な光景だったからだ、会って初日の印象を悪くしてしまうのはこちらとしては非常にまずい。
「あの、これは……」
「これ、どうやって?」
彼女が指差すのは部屋の中央にある4×8のマス目。
文字を学ぶにいたって初めに組み上げた図だ。
「この本に使われている文字を整理しました」
素直に絵本を渡す。
彼女は素早く内容に目を通し、口を開く。
「何歳だっけ」
「八です、少し前に誕生日を迎えました」
少女はそれを聞いて、絵本をそっと胸に優しく抱いて目を閉じた。
少しの時間が流れ、何か言うべきかと考え始めた時、彼女は目を開け、零すように漏らした。
「素晴らしい」
「……」
「合理的だ。よく法則を見つけ処理できたね」
大粒の宝石を撫でるよう、愛おしそうに指先で図をなぞる。
「堅実だ。知識を得たところで満足せず、貪欲に学び続けたことは人間の誇りだよ」
黒く汚れた指を擦りながら、無数の文字たちを見渡す。
「よくやりとげた。難しかっただろうに、この本に使われている言葉は難しいものが多い。八歳の少女には荷が重い」
大して年齢の変わらない少女が笑う。
「応用力もある。一文字、一文字足りなかった。この本には。そして口語から推測してここまで学び続けた」
得体の知れない存在が僕と向き合う。
そして胸を指先でちょんと突いた。
「胸を張りなよ、アメ。君は到底成し得ない事をやってのけたんだ」
指摘され、気づく。
気味悪がられると思っていた、もしくはなんらかの否定をされると思った。
だからそれを防ぐために体を丸めた、本能的に弱点である胸を庇い、猫背になっていた。
「僕は凄くないです、本当に凄いのはコウだから」
咄嗟に、逃げる。
僕は偽者だ、隣で着いてきた彼こそ真に賞賛されるべき本物だ。
「謙遜するか。まぁ二人でやったにしてもこれは凄いよ」
「……何者?」
未知は恐怖だ、恐怖は敵だ。
敵は排除するか、逃げなければならない。
だけど思わず尋ねていた、なんとなく敵ではない気がしたから。
「ルゥ」
それはさっき聞いた。
「ただの、冒険者だよ。この村に来たのは少し知りたい事があったのと、何かおもしろい物がないかを探しに来たんだ」
声音が変わる。芝居がかかった口調が戻り、得体の知れない存在が一人の少女に戻る。
だけど、今の僕にはわからない。どちらが本質かがわからない。
「それより何かして欲しいこととかない? わたしは報いたいんだ、この感動は容易く得られるものじゃないだろうから」
上手く、はぐらかす。
問いの本質を彼女は理解している、無視されたことを認識している僕を認識したまま、それでもはぐらかせるだろうと。
「じゃあ文字と、魔法を」
うん、任せて。彼女はそう微笑んだ。
曖昧なままでもいいのかもしれない、常識を超えるものを理解しようとするのには恐怖を伴うものだから。
焚き火がこの体を燃やさない限り、影を漠然と眺めるのも悪くはない。
任せて、の後に続いた言葉は明日からでいい?だった。
長旅で疲れたらしい、僕としても何かを学ぶのはコウと一緒がよかったのでそれを了承した。
そして、寝る前に体を拭いているのだが。
「アメは女の子が好き?」
「さぁ?」
「なにそれ、変なの」
彼女の裸体を見つめてしまうと、そんなことを聞かれた。
自分でもこの返答は変だと思う、まぁこれ以外なんと答えたらよいのかわからなかったのだけれど。
彼女のスタイルは有体に言えば貧相だった。
あばらは浮き出て、胸は抉れているんじゃないかと心配になるほど平坦だ。
既に第二次性徴は迎え、冒険者と名乗るぐらいだからよく食べよく運動しているものかと思ったけどそうでもないらしい。
筋肉も脂肪も無い辺り、冒険者には成り立てか、あまりに儲けが少なくて食べれる量が少ないのか。
「一緒に寝ても気にならない?」
肌着にスパッツだけと、上着やスカートはそのまま荷物にまとめてかなりラフな格好でそう聞いてくる。なんて適応力だ。
「はい、大丈夫です」
そう答えふと思う。どこからが大丈夫じゃないのかと。
コウは大丈夫、弟みたいなものだまだまだ一緒に寝れる。
両親も大丈夫、前世では親離れしていたはずだが、肉体の年齢に精神も釣られるのか今のところあまり気にならない。
まぁもっと小さい時から一人部屋を与えられ、一緒に寝る機会なんてまずないのだけれど。
ケンを思い浮かべてみる……流石にちょっと無理だ。
性別のせいかと思い、ディーアを想定するが、できればこれも遠慮したい。
性別ではなく親しさの問題なのだろうか、ならどうして今日あったばかりの少女を受け入れられるのか。
……わからない。
頭で考えてもわからないことが最近とても多い気がする。
まるで部屋の主のようにベッドの隅を陣取り、おいでおいでしているルゥを見て少し腹が立つ。
ランプを消し、少し勢いをつけて飛び込む。難なく、受け止められた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
きっと明日から楽しい日々が待っている、だから今はゆっくり休もう。
その言葉は夢か現か。意識が薄れていく僕には判断できなかった。
- 流れは望むがままに、望まなくとも 終わり -