47.鏡を見なければ気づけない
「どうしようか」
恐怖に支配された中、ルゥがこともなげに尋ねる。
「どうって……」
呟く。
どうしろというのだ。
ありえない空間が存在している。
その事実は、本来ありえるはずの空間すら危険だと錯覚してしまう。
わかっている、そこにあるのはわかっているのに、今いる空間すら別のどこかなんじゃないかって。
「もう、入ってしまったよ」
続けて、言葉を漏らす。
コウとジェイドと共に入ったありえないほど大きな空間。
そして、皆で入った出入り口を挟んで並んでいる二つの部屋。
どちらが存在しなかったはずの部屋なのか、どちらが存在しているはずの部屋なのか。
いや、よく考えたら気づくはずだ。外周が二つ通路が並ぶ前提の構造ならば、内側で部屋が一面に二つ並ぶことはありえない。初めに違和感を抱けた理由はそれだ。
「……そうですよ」
スイが突如明るい言葉を吐く。
空気には不釣合いなそれは、空元気なのだろうか。
「もう入ってしまったし、入ってから何もなかったので気にしないことにしましょう」
……え、いいの?
それでいいの?
気味悪くない?
ほら、捻じ曲がった空間っていったら自分達も捻じ曲がってそう。
どこでもいけるドアに設定があったじゃん、目的地に分身を作って入った本体は処分するみたいな。
僕達三人は一杯入ったけど、ルゥとスイも部屋に入ってたよ。二箇所往復したのなら四人ぐらい処分されている計算になるよ?
「まぁそれもそっか、何もないんだし部屋が変なことなってるのは気にしないでおこう」
コウもスイに同意し、表情を明るくする。
え、そんなもの?
「そう、だな。そういった凄い魔法だと思っておこう、身動きが取れなくなるのも困るしな」
ジェイドも場の空気に同調したかのように明るい表情を戻し始める。
ルゥは初めから恐怖なんて微塵も感じていないように見える。
……え、僕だけ?まだ怖がってるの。
「ほら、行こうよアメ。なんか部屋が広かったり別の場所に繋がってるだけだって。
便利だし、もしかしたら地上に出られる道もあるかもしれない」
一人竦んでいる僕を見て、ルゥはわざとらしく頬を上げ嗤う。
……そんな態度をされると、一人で怯えている僕がバカみたいじゃないか。
「……わかったよ、もうさっさと見て周ろう。時間のほうが惜しい、一応警戒しつつさっきの部屋も含めてこの区画は探索を終えよう!」
部屋に入った瞬間自分が偽者になっている可能性?知らん!我思う故に我あり、語りえぬものは語らないべきだ!
自分だけを信じて、未知に怯えずただただ進め。
捻じ曲がった部屋に入った瞬間自分の体が捻じ切れる?腕を前に出してたら腕だけで済む!
めんどうだからそんなことしないけどな!
- 鏡を見なければ気づけない 始まり -
やけくそだった。
念のため警戒しつつも、躊躇わずさっき気づいてしまった部屋に戻り中を見て周る。
どうやら本当にホールにある大きな水槽を上から見ているようだ、横に動いただけなのに斜め上に移動しているとは便利ものだ。
対面には大きな扉があり、おそらくそこから人ではない大きな生き物を出し入れするのだろうと推測しながら水族館の中央に戻る。
別の場所に繋がっている可能性が高いし、後回しでいいだろうというのが僕達の総意だった。
最後の部屋、もう一つあるはずのない部屋は対面にあったような資料室のようなものだった。
つまり特に何もない、以上。
内部の探索はほぼ終わった、あとは外周だけだ。
ただ通路が八本あるのは外側から既に確認済みで、うち四本は捻じ曲げられていないのであればホールへの出入り口、一つはトイレ。
残りは三箇所だ、その三箇所を見て回ればこの区画はほぼ安全。大きな扉と、何が原因で掘られていたのかわからない縦穴以外は特に懸念すべき点はない。
「一応入ってきた窓から半時計周りに見て回ろうか」
窓から左回りにある部屋はトイレだったのを確認している。
右回りに三箇所部屋を潰せば、もし二つ目以降に危険があったとしても外周の半分は安全を確保できる。
まぁいらぬ心配だろうが、現在は中央にいるので移動する手間も変わらない。
「休憩室だね」
もはや一人が確認してから全員で覗き込む必要もないし、休憩室"かも"と曖昧な表現をする必要もない。
二つのテーブルにいくつかの椅子があり、おそらく雑誌でも載せられていただろう空の棚とドリンクサーバーが置かれている。
棚に本がないのはおそらく紙の媒体だったからなのか。
資料を説明しているだろうパネルはしっかりと残っているし、そもそもこれだけの技術を持っているのであれば本棚など必要なく、例えばこの部屋に入ると電子書籍にアクセスできるようにすればいい。
つまり長期保存に向いていない実物のある、加工のされていない紙の書籍はそういった趣味なのだろう。
コンシューマーゲームの説明書が、データとして添えられているだけの時代に少し寂しさを感じていたので気持ちはわかる。まぁその趣きもゴミ扱いか何かで既に跡形も残っていないが。
ドリンクサーバーは適当なボタンを押してみると少し臭いの怪しいジュースが出てきた。
微生物が紛れ込んで腐ったのか、もともとこういった臭いの飲み物かは知らないが遺跡に美味しい飲み物を求めているわけではないので無視する。
見た感じ施設とは別に独立している機械なので人の手が付かず長期間放置されているとこんなものだろう。
コップらしきものは見当たらず、ゴミ箱が近くにあるので恐らく使い捨ての容器があったのだろうがそれも年月を得て風化しなくなったのだろう。
ゴミ箱には何もなかった、今までの推測通りだと床に捨てても同じだが心意的なもので文字通り形としてゴミ箱が存在していたのだと思う。
にしてもドリンクサーバーか。何もせず飲み物が出てきたのは少し気になる。
触れたときに電子マネーを払う必要があるのなら僕が触っても反応しなかっただろうし、自動販売機を置いていないということはこの施設に入った段階で施設利用料としてお金を払いその中に飲み物代が含まれている形なのか。
そう仮定すると開けた空間に繋がる通路の先は他の施設に繋がっているのだろう。
「どうする? 結構長時間動いてるけど、今ここで休む?」
僕が尋ねるとスイはルゥを見てから答えた。
「いえ、あと二つの部屋も一応確認してから休みましょう。少し疲れてはいますがその程度なら誤差だと思います」
この区画全てが安全だとわかれば肉体だけではなく精神的にも休めるだろう。
体力が二番目に低いだろう少女が、一番体力のない人間を見てそう判断したのだから大丈夫に違いない。
「結局何もなかったですね」
二つの部屋を見てから初めに見つけた休憩室へと戻ってきた。
対になるよう休憩室とトイレが配置されていただけだったので、縦穴に繋がっている場所に近いほうで休むことにした。咄嗟に逃げられる選択肢は多いほうがいい、まぁその縦穴も何があるかわからないけど。
「何もない、も情報の一つだよ」
ルゥがスイの言葉にそう返す。
それぞれが椅子に座り、一息つけるという段階でようやく肩に入っていた力が抜けた気がする。
何時間ぐらいだろうか、ここだけではなく上の遺跡も探索していたのでそろそろ夕方だろうか。
この遺跡に入ってからいろいろなことが起きた。
結局実害のないものばかりだったが、未知に対する命の危機を間近に感じそれぞれが最善を尽くして動いている。
ジェイドは心を魅せて見せた。
誰よりも優しく、そして寛容力を持って。コウと共に最前線に立ち続けている。
コウは優秀だ。
知識こそ僕よりは持っていないものの、未知を既知に変える速度は誰よりも早く状況判断と対応速度は間違いなく突出している。
スイも続いて内面的な能力が強い。
特に決断力はコウより優れているだろう、迅速に状況を把握し、誰もが躊躇うような判断を一番に行える。
肉体面ではコウには叶わない、けれど内面となるとどうかは僕にもわからない。
ルゥは特に何もしない。
肉体面で秀でているわけでもなく、内面での強みがあるわけでもない。
それなりに知識はあるのだろうが、彼女はあくまで一員の中の一人に徹する。
おそらくそれはこの中でもっとも信条が強いということであるのだろう、自分にしかできない事を放棄し、誰にでもできることをこの状況下でしかしないことがたとえ誰かの命を奪ったとしても。
それに対し、僕は何があるのだろう。
知識はあるのかもしれない、けれどそれは前世のものだ。
それが通用しなくなると途端に理解が及ばず、そして対応できずにただ怯えるのみ。
コウとスイはやってみせた、まるでわからない文明を相手に僕より一歩先へ進んだ。
ジェイドはできなかったかもしれない、けれど彼は彼にしかできない事を、そして彼にはできることを尽くす。
ルゥはできないを貫く、僕にはその強さすらない。
僕は、何が足りないのだろう。
「アメ?」
その声が聞こえたのは、きっとその人が僕の名前を呼んだから。
「……え、なに?ごめん、聞いていなかった」
耳に何か音が流れ続けていたのはわかる。
それがおそらく皆が喋っている声だったのもわかる。
でも何を話していたのかはさっぱり聞いていなかった。
「そんなに消耗していないし、食料のことを考えたら眠くなる前に探索を続けたらいいんじゃないかって話してた。アメはどう思う?」
「うん、いいと思う。行こうか」
僕はそういうとすぐに立ち上がる。
自分にできることは決定することだけだ。
無難な判断を、そして決定的な判断を求められる時は誰かが思いついたことを優先して。
まるで御輿じゃないか。
今、僕がどんな表情をしているかわからなかった。
でもきっと良くない表情だったのだと思う、胸に疼く嫉妬や劣等感、そんなものを感じて皆には背中しか見せないようにしたのだから。
- 鏡を見なければ気づけない 終わり -




