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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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44.左側の唇は地面へ捧げた

「遺跡に行ってみたいと思う」


 軽い仕事を終えたあとの夕食時、僕は四人に向かって最近考えていたことを告げた。

 僕達の中に一瞬沈黙が降りる、それは様々な感情が込められているようで、ようやくそれを飲み込めただろう時にスイが尋ねる。


「何故、ですか」


「見識を深めるため。どんなものか興味があるし、あと遺物でも手に入れられたらお金に困ることはなくなりそうだしね」


 僕は予め用意していた答えをスイに告げ、彼女は僕の答えに発せられた言葉とは違う意味を受け取り視線を逸らした。


「別に反対はしないけど、危険性は理解しているんだよね?」


 ルゥが念を押してくる。


「うん。レイニスの近くにある遺跡は、北に確認されている遺跡二箇所だけどエターナーから詳細を聞いてる。

片方は門みたいなものを潜るとまったく別の場所に移動させられるみたい、街中とか空の上とか、あとは水の中とか」


「ただ自由に動けるらしいな、空なら飛べるし、水の中なら泳ぎ方を知らなくても移動できるし呼吸もできる」


 この町に暮らして長いだろうジェイドが僕の言葉を補足する。

 僕はエターナーから聞かなければ知らなかったことだが、この町に長く暮らしていると誰でも知っていることなのかもしれない。

 ルゥとスイも特に新しいものを聞いた様子は見せなかったが、コウだけは知らなかったようで疑問を口にする。


「じゃあ安全ってこと?」


「いや、そうではないらしい。事故や、あと危険な存在もいるみたいだし、怪我をしたり、飢えでは死ぬって聞いてる。

あくまでその空間に存在するのに不自由することはないだけな上、何よりもとの世界に帰ってくることが困難みたい。

初めて移動した時は門に繋がっている場所が必ずその空間にあるんだけど、間違って別の出入り口を通過したら一気に迷ってしまって門には帰って来れない、ってエターナーは言ってた」


「なに、それ」


 珍しくコウが理解できないものを目の当たりにしたような反応をしている。

 というか喋っている僕もいまいちどんな場所か想像がつかない、書類に書かれている文面でしか記録として残っていない上、たった一人の生還者である冒険者も今は別のことがきっかけで死んでしまったようだ。

 まぁ生きていたとしても、おそらく直接体感しなければ把握しずらい事象だったと思うので意味はないだろうが。


「そんな感じで、理解できないどころか危険度もわからないほどだから、もう一つのほう行ってみようと思う。

こっちは劇場みたいな場所で、危険も特になく探索が全て終わっている箇所だから雰囲気を確かめるには丁度いいかなって」


 ただ見落としがある可能性は十分存在しているだろうし、その存在が僕にとって必要なものかもしれない。

 そんなものがなくとも雰囲気さえ確かめられれば、もう一箇所や別の場所で確認されている遺跡を攻略する際少しでも危険性を抑え込むことができるはずだ。


「劇場って、あの王都にあるっていうあれ?」


「うん。劇をしたり、音楽を披露するような」


 コウは僕の答えに心ここに在らずと言った感じで空想の世界に入ってしまった。

 劇場は王都にしか存在しておらず、遺跡の存在と共に彼にとっては未知であり好奇心の対象だろう。きっと今彼の頭の中は見たことのない劇場で、いろいろな催しが行われているのだろう。ありったけの想像力と知識、それから断片的に得られている知識を総動員し。

 僕にはとてもじゃないができないそれは少し羨ましかった。


「とまぁ、そういう報告。もう必要な物は揃えているし、朝には出発してくるよ」


「え、一人で行くつもりなの?」


 ルゥが意外そうに尋ねてくる。


「そうだけど、ついてくるならついてきてもいいし、報告はしっかりするべきだと思ったからこうして話してる」


 僕の言葉にジェイドが少し口調を強く現実を指摘してくる。


「一人でって寝るときはどうするつもりだったんだ?開拓時とは違い身軽で進めるとはいえ数日は野営だ、見張りもなしに睡眠は取れないだろう」


「数日程度なら浅い睡眠でも大丈夫だと思うし、あとはこうして話すからには最低誰か一人でもついてきてくれるかなって思ってた」


 ジェイドは短く息を吸い、怒り、もしくは悲しみを飲み込み、代わりに理性的に努めようとしたような言葉を吐き出す。


「お前が俺達を……いや、いい。俺はついていくよ、それがアメの意思だというのなら、何も言わずに従うさ」


 兄の言葉にスイも無言で頷き同行の意を示す。

 コウとルゥを見ると、二人も頭を縦に振っていたので結局全員で行くことになった。


「それじゃ明日人数分最低限なものを買い足しつつ出発で。

前時代の遺跡がどれだけ危険かわからないけれど、行く場所は全て探索が終わっているし、何か危険がありそうならすぐに引き返すことを第一に。

報酬はないも同然だから、冬の前に散歩をするつもりで行こう」


 僕はそれだけを言うと先に一人で席を立ち、ベルガに明日から宿を離れることを告げに行く。

 少し重くなってしまったあたりの空気から逃げるように。




「お姉さま」


 明日の準備も終え、あとは寝るだけという段階でスイが喋りかけてくる。


「なに?」


 僕の返事に少し悩みながらも、スイは感情で拒む体を、理性で無理やり開けたように口を開く。


「さっきお兄ちゃんは言いませんでしたけど、私からは言わせてもらいます」


「……」


「仲間なら、お姉さまが私達を仲間だと思うのなら前日ではなくもっと前から相談して欲しかったです。

それに最近のお姉さまは何を考えているかよくわからない、一人でいろいろ動いているようですけど私にはそれが何を目的にして動いているかまるで想像がつかなくて」


 続く言葉は霞み、今にも消えてしまいそうなものを振り絞るようだった。


「……あなたが、少し、遠い」


 その反応に僕はとても申し訳なく思い、少しでも何か伝わればと語りかける。


「心配させてごめんね。今考えて動いていることは夢物語というか、途方もないことをできるできない、やるやらないを確かめている段階だから他の人に話せるものじゃないんだ」


 それに僕一人、もしくは僕達三人にしか関係ないことで、とても兄妹二人を巻き込めるものではないと思っているから。

 たとえ伝わったとしても一緒にそれに向かって歩こうなどとは間違っても絶対に言えない。


「相談しなかったのは反省してる。コウは何も言わなくても考えていることが伝わってるし、ルゥは何をするって言っても人に合わせるからそれに甘えている部分があったと思う。

まだスイ達と出会って半年だし、信頼していないというよりはコミュニケーションの取り方がまだ上手くいかない段階だと思う。だから、心配しないで」


「……はい」


 その返事は表面上のものか、心の底から納得して出たものかは僕にはわからない。

 けれど伝えたように、まだ半年しか共に過ごしていないのだ。コウとは生まれたときから一緒にいたものの、ルゥも付き合いが長い印象で実は出会ってから三年ほどしか経っていない。

 まだ焦るような時期ではないのだ、未来がある限り僕達は何も、人と人との関わりで焦ることは。本当に焦り、恐るべきは。


「大丈夫だよ。わたしとコウはアメが何を考えているかなんとなくわかっているし、今本当に必要なことなら二人にもそれを共有するからさ」


 ルゥの言葉にスイは今度こそ僕にも納得したような様子で、おやすみなさい、そう挨拶をしてから自分のベッドに入った。

 ランプの近くに居たルゥが火を消そうとするのを確認し、僕も自分のベッドに入る。


 明かりが消え、暗闇の中ふと思う。

 ルゥは、不思議だ。

 いや、存在自体が不可解には違いないのだが、対人関係が特に奇妙に見える。

 特筆すべきほどコミュニケーションが上手いとは思わない。僕相手にはその歪んだ性格を遺憾なく発揮するのが見て取れるし、他の人相手でも結果的に他者の意見を優先するが、その結果に至るまでに行われるやり取りは粗野や適当といえるほど相手のことを考えず行動していることも多い。

 けれど皆彼女のことは受け入れている。頭のどこかに存在が残っていたり、あるいは長年寄り添っているかと錯覚するほど自然に交流する。

 いつも傍にいるかと思えば、気づけば居なくなっているのにもかかわらずそれに問題を感じることなどなく、また再会してみれば空白の期間を感じさせないほど身近にルゥ自身を感じる。


 まるで、換気したとき部屋に流れ込む空気のよう、まるで水溜りに落ちる一つの水滴のようだ。


 そんな印象を抱きながら、僕はゆっくりと深海に沈むよう意識を手放すのだった。



- 左側の唇は地面へ捧げた 始まり -



 遺跡にはなんの問題もなく到着した。

 いや、実際には何度か獣に絡まれたのだが、今回はそれらが目的ではないので適当に追い払ったり、逃げられるのなら逃げてやり過ごした。

 帰りにも絡まれるようなら容赦なく臨時収入として狩るが、目的地があるにも関わらず道中で余計なリスクや荷物は抱えたくなかった。


 前回の開拓時に建築した建物から東に行き、以前より前に立てられていただろうボロボロな看板を目印にはしごを掛けられた縦穴を降りる。

 地盤が緩んだ結果穴が空き、偶然発見されたのか土が雪崩れ込んでいる扉から遺跡内部へと侵入する。


 以前開拓時に購入しておいたリュックからランタンを取り出し、火をつけて光源を確保する。

 リュックは敵と戦うときには邪魔になるが、所持できる物の量が増える有用性は理解しているつもりだったので残しておいて良かった。

 ランタンも重要だ。空気中の塵だけで火を燃やし続けるのは困難だし、魔法で目にはいる光の量を調整するのにも限度が存在する。

 この世界の魔法は非常に科学的だ、一見物凄いことを成しているように見えても裏では必要なエネルギー、もしくは複雑な魔法の行使が必要となる。魔力も無限ではないので可能であれば装備を充実するに越したことはない。


「俺が最前列を歩こう、何かあるとき指輪が変色するだろうし」


「では私がしんがりを努めますね、指輪に変化があればすぐに伝えます」


 ジェイドとスイがそれぞれ進言する、残った三名は特に異論はなくそれを了承。以前に買ったつがいの危機を変色し伝える指輪を有効活用するためだ。

 何も鉱山内のカナリアになれとは言わない、僕達は言葉の交わせる仲間なのだから互いを庇いあえる。多少の危険は付きまとうだろうが、指輪の効果が発揮できない状況のほうがメンバー全員が危険に晒されるし、危機回避能力に優れている僕達に指輪を渡したとしても、万が一危険に遭遇した時その優秀な僕達が先に無力化されるほうが全員にとって問題だ。

 一つ懸念があるとすれば道中獣に奇襲された時は変色しなかったことか。問題なく即対応できたので指輪が大丈夫だと判断したのだと思う、思いたい。動作不良とかやめてほしい。


「じゃあ俺二番目で」


「ならわたしが後ろ側かな」


 コウとルゥがそう言いながら隊列を組み、結果的に僕が中心という安全な位置に守られる。

 ランタンとリュックを持っているしその分守ってもらおう、他の人は軽装で必要なものは大体全員分リュックにまとめているので生命線といっても過言ではないだろう……あと邪魔だし。


 改めてランタンを掲げ周囲を見渡す。

 青白い大理石、もしくはコンクリートといった微妙な材質でできた廊下の端に今はいるようだ。

 軽く拳で壁をノックしてみるが、予想していたコンコンと音が返ってくるわけではなく、どちらかというとストンという表現が近い音が返ってきた。

 硬く衝撃を拒絶するような感覚でもなければ、弾力があり反発するわけでもない妙な素材。非常に強固な発砲スチロールといったイメージが一番強いのだろうか。


 腰から短剣を抜き、強く壁に突き立てる。

 これまた甲高い音が聞こえてくるわけでもなく、叩いた自分自身すら本当に刃が触れたのかと疑うほどだ。

 突き立てた刃を見ても痛んだ様子は見当たらず、またこれは当然といったものか、壁自体も傷ついた様子はない。

 普段土を掘削するように魔力を込めるが反応がない、どうやら魔力そのものが壁に伝わらず魔法の影響を受けないようになっているようだ。


 入ってきた扉を見る。

 内開きになっているそれは土に押されて開いたというよりも、遺跡を構成している素材の強度を考えるに開いていたドアに土が雪崩れ込んだという認識が正しいだろう。

 取っ手や鍵は至って普通のもので、レバーに回して施錠するタイプの鍵がついている。

 何度か鍵を回してみたがシリンダーが正常にカチカチと出入りするだけだった。特に魔力の流れなどは感じなかったが、これだけのテクノロジーを有しておきながらそれだけで防犯上の効果を示すとは思えない。文明が力を持っているのならそれを構成した人間もまたそれに値する力を持っているのが当然だからだ。おそらく魔法ではない何らかの技術が使われていて、それを僕が感じ取れないだけなのだろう。


 ここで調べられるのはこの程度だろうか。

 僅かに持っていた前世の知識への期待も捨て去る。僕が過ごしていた時代の技術に近いものがあるのならある程度は対応できるかと思っていたが、この様子だとほとんど通用しないものだと思っていいだろう。


「……と、この程度かな」


 それぞれが調べたり感じた情報を共有するが特に目新しいものは見当たらない。

 他に新たな発見を求めるのであれば奥に進むほかないだろう。


「ランタン、ジェイドが持つ?」


「いや、十分見えているから大丈夫だ」


 拒否された。

 できれば押し付けたかったが真ん中の役目だと思って我慢しよう、重いだけではなく微妙に持ち手が熱かったり油を燃やす臭いがくさい。


 五人一列になりながら慎重に廊下を進む。

 空気は張り詰めいつ何が起きても反応できる状態なのはわかるが、今のところ生き物の気配どころか景色に変化すらない。

 しばらく歩くと開けた空間に出る。

 エターナーはここを劇場といっていたが、見た感じコンサートホールの受付といったものか。

 ただそこまで広いわけではなく、中央まで行けばランタンの灯りが端から端まで届いて視界を確保できる。


 特に危険は無さそうだったので全員バラバラに受付や、あたりの設備を漁るが目新しいものは何もない。

 紙の一切れすらないのは戦争で燃えてしまったのか、風化してその辺の埃になっているのか、誰かが持ち出してしまったのか。


 確認を終え一旦休憩をしたあと隊列を組みなおし階段を上がる。

 螺旋階段を上り終えると広い空間に出るがここがおそらくコンサートホールだろう、他に光源はないうえ流石にランタンでは遠すぎて舞台は見えないが。

 並ぶ客席に何かがあるとは元より期待しておらず、適当に見て周り一階に戻る。強いて言えば壁と同じような素材で作られた椅子が思いのほか座り心地がよかったが、無理やり外した後町まで持って帰るまでの価値はない。


 今度は入り口だっただろう場所の正面にある扉を開け、一階部分からコンサートホールへ入る。

 二階の客席に何もなかったので一階部分は周辺をろくに調べすらせず舞台へ一直線に移動する。

 元は高価なカーテンでも吊るしていたのだろうが今はそんなものは存在せず、あったとしたら初めてこの遺跡を見つけた人間に持っていかれたのだろう。

 そんな舞台に上がる人間も居らず、ただ寂しいだけの場所から上を見上げる。照明器具のようなものが見えるが電力もなく、また高い場所へわざわざ登ったうえ僕一人以上の重量を持ったそれを持って帰る道理はない。無視して舞台裏を探索するが特に使えそうなものは何もなかった。


「何もないね、どうしよっか」


 あっけらかんとルゥが言い放つが、皆の中にも既にここは危険ではないという認識が根付いてしまった。

 どれだけ緊張感はあっても指輪が変色することは一度もなく、また何か既知外のものがあるわけでもない。仕方のないことだろう。


「全然時間使っていないし、一階のロビーをもう一度調べてみよう。細かい部屋と入ってきた場所の反対側は見てないから」


 僕の言葉に皆が頷く。

 まぁ残っているとしても事務用のスペースやトイレ、休憩室といったところか。何か凄いものがある気はしないので僅かな情報のために動くと考えたほうが良さそうだ。


 緊張は抜けてしまっているものの隊列はしっかり組み、定期的に索敵や指輪の色を確認する。

 もちろん指輪に変化は見られず、また索敵も魔力を遮断する壁のせいで別れている通路や部屋の先までは確認できないが反応はない。


「ん?開くみたいだぞ」


 最後、入ってきた逆側の廊下の先の扉にジェイドが手をかけて疑問を口に出す。

 それはおかしい。

 エターナーから聞いていた事前の情報では土に阻まれているのか扉は動かなかったはずだ、それがジェイドの手によって僅かではあるが隙間を作っている。

 入ってきた扉とは違い外開きになっていて、構造上少し不思議なことになっているが今それは些細な疑問にしか過ぎない。開かないはずの扉が開く、その事実だけがおかしいのだ。


「スイは指輪確認していて。ジェイド、扉の向こうがどうなってるか今の隙間だけでわかりそう? これ以上開けないままで」


「いや、暗くてわからないな」


 ルゥが指輪に意識を向けているスイの代わりに後方を警戒しているのを確認しつつ、僕はランタンを持ってコウより前に出る。

 そしてジェイドにランタンを渡しながら、自分はコウの隣で報告を待つ。


「空洞になっているみたいだ。多分上下に広く、奥行きは大したことないようだが。それ以上は開けてみないとなんとも言えないな」


「蹴破るに一票」


 ジェイドの報告にコウが声を上げる。

 音と衝撃はある程度出すが元々衝撃を吸収しやすい素材だ、慎重に開けて扉の向こうに存在するかもしれない脅威と間近で出会うよりはいいだろう。


「僕も一票」


「じゃあもうやっちゃいなよ、新鮮な空気を早く吸いたい……あ、槍使う? 足で蹴って離れるより多分安全だよ」


 一応投票式にして行動しようとしたが、ルゥが適当な返事を返してくる。

 スイも異論はないようだし、僕としてもさっさと探索を終えたい気持ちは強い。


「お兄ちゃん、やっちゃえ!」


 ジェイドからランタンを受け取りつつ、扉の向こうを視界取れる位置に立つ。

 皆も身構えており、何かあってもすぐ対応できるだろう。


「いくぞ」


 少し押した扉をルゥから借りた槍で開けながら自分の身は後ろへと引くジェイド。

 本来存在しないはずの空間は、ただ縦穴が開いているように見えた。それ以外特にめぼしいものはない。


 何も起きなかったのを確認し、ジェイドは穴を覗き込むが暗くてよく見えないようだ。

 僕も隣に並び、少し身を乗り出して光源を縦穴の中央に移動する。


 上はそれほど高さはない、頂点で弧を描くように穴が湾曲し横へ向かっているのはわかる。

 ただ下はかなり深いようでランタンの光では底が見えない。


「何の穴だろう」


「大きなミミズでも通ったようだな」


 槍を返しつつ隣に並ぶジェイドが僕の呟きに答える。ふざけたような答えで実は的を射ているかもしれない。

 地面が陥没しどこかの空間へ土が流れ込んでいる様子ではないし、水や、もしくは溶岩といったものが流れた痕跡も壁には見当たらない。

 大きなミミズがこの世界に存在しているかはわからないが、ここからもっと北に偽竜という新しい生物が居たことを考えると十分ありえる話だろう。


「大きなモグラかもね」


 立っている地面、施設を構成している素材よりも遥かに脆い地面を手で抉り穴に投げるが、砕けた音は一向に聞こえてこないのでどこまでこの縦穴が続いているかは見当がつかない。


「少し気になるけど遺跡じゃないならいいや、とりあえず地上に戻ろうか」


 そう伝え穴に背を向ける。

 近くに居たコウも僕より少し遅れ振り向く、ルゥとスイはミミズよりはもぐらがいいね、とよくわからない会話をしていた。


 だから、気づけたのは僕一人だった。

 誰にも意識を向けられていないジェイドが持つ指輪の片割れ、スイが指につけているそれが赤く変色していたことを気づけたのは。


「ジェイド!」


 慌てて振り向くと、彼の下半身が暗闇に吸い込まれているのがわかった。

 落ちているのだ、底の知れない縦穴に。

 遺跡の素材より脆すぎた? あっている、そしてそれだけではなかった。地面としてあの土は脆すぎたのだ、簡単に抉れた土、それはジェイドの体重がふとした拍子に足場を足場足りえなくするのには十分で。


 ランタンを放り投げジェイドに手を伸ばす。

 彼自身も自分の体重を支えようと手で地面を掴むが、その土も脆くなっていたようですぐに砕け意味を成さない。


 僕も自分から穴に跳ぶ込むようにジェイドへ手を伸ばす、そしてもう片方は反対側へ。

 コウなら掴んでくれるはずだ、少し振り向くのが遅かったが彼自身変色した指輪と、僕の声、そして投げられたランタンを見て瞬時に何が起きているのか、今自分が何をすべきなのかを理解し僕の片腕を掴んでくれるはずだと。


 ジェイドの腕を掴むことには成功した。

 そしてもう片方、コウへと伸ばした手が確かに反応してくれていた彼に届こうとした時、何かが落ちる音が聞こえた。


 視界が、真っ暗になった。


 ランタンが消えたのだ。僕が投げ出したそれは床に落ちて、コウと手が触れそうになった瞬間に明かりを消してしまった。

 伸ばした手のひらの近くを何かが横切る風の流れ、おそらくそれはコウの手だったのだろう。肝心なタイミングで視界がなくなってしまったハプニングと、ジェイドの体重をあわせ予想以上に地下へと落ちていく僕の体、流石のコウでもこれは対応しきれない。


 諦めて僅かな希望を抱き地面を掴む、ただその期待も虚しく、またジェイド一人分も支えきれなかったからには当然僕達二人分、しかも片方は落下の加速がつき始めてる人間の体重は支えられない。

 掴んだ大地が砕けるのを確認し、次策。まだ、諦めない。生きることを諦めてはいけない。


 縦穴の壁に、僅かな魔力を込めた右手で掘削しつつそれを支えにして現状の位置を保とうとする。

 だがその願いも打ち砕かれる。縦穴の壁は予想以上に脆く、魔法を行使せずとも勢いのついた今では素手で掘り進んでしまうほどなのだ。


 諦める。

 落ちないことは、諦める。次はいかに上手く着地するかだ。


「ジェイド聞こえる!?何でもいいから減速して!」


 暗闇の中、左手からのみ伝わる存在に僕は声を張り上げながら、空いている右手で短剣を慣れた手つきで抜刀しつつ壁に突き刺す。暗闇で何も見えなくともこの程度の動作なら問題はない。

 突き刺した短剣で少しでも摩擦し、減速しながら落下できるように意識して落ちる。

 しばらくすると僕の行動だけではなく、ジェイドも何かをしたのだろう。僅かにだが落ちるスピードが下がる。


 けれどそれも自然落下の加速には勝てない、徐々に早くなる落下速度に恐怖を覚える。

 ……どの程度の高さならば僕達は耐え切れるのだろうか。五、六メートル程度ならば全身を魔法で硬化させれば受身を取れなくとも大丈夫かもしれない、ただそれが十となると怪しい。

 三階建ての建物か、そう考えるとなんとかいけそうな気がする。

 ただ十メートル程度ならば、底は明かりで見えたのではないか?


 考えてはいけない疑問が頭に浮かぶ。

 落ちてからどれぐらい経った?短剣は何メートル分壁を抉り、そしてどの程度落下速度の減速に繋がった?

 今は、考えるな。何もかも後でいい、恐怖は思考を麻痺させ、思考の放棄は死に繋がるのだから。


「ぐっ!」


 ジェイドの悲鳴にも似た声が暗闇で響く。

 一瞬底に着いたかと思ったが、そう優しい現実は存在しない事を身を持ってすぐに思い知る。


 壁にめり込ませていた短剣が弾き飛ぶ。

 何か硬いものに当たったようで、突き刺していた短剣はそれに引っかかってどこかへ消える。ただそれは鉱石などの自然的なものではなく、何か別のものだと感じた。


 似たような感触を最近感じた気がする、それがなんであるかを思い出す前に下から吹き上げる風に思考を遮られる。

 空洞から風が吹き上げているのかと思い、その疑問をすぐに捨てる。

 その風は魔力を有していた、これはつまりジェイドの魔法。風を操り僅かにでも落下する速度を落とそうというのだ。


 くそっ。もっと早く気づけ、僕。

 落下するタイプの娯楽、スカイダイビングでもバンジージャンプでも、遊園地のアトラクションでもいいから思い出せたらよかったのだ。

 あれらで一番印象に残るのは風だ、体に当たる風が少しでも抵抗を生む。

 短剣で行った減速に加え、風で減速を初めからしていれば生還する確率はもっと上がったはずだ。


 そんな後悔も、今は捨て去る。

 自身でも風を操りながら、他に何か減速に使える手段はないかと模索する。

 壁は硬い。土に風は使った、あとは水と火か? ダメだ、その両方ともこの空間で集めきるには時間がかかる。

 時間。


 時間。いま、何十秒落ちている?



 ジェイドの声が聞こえる。


「底だ!」


 その言葉の意味を考える前にありったけの魔力を使い筋肉を硬化させる。

 何故底だとわかるのか、下を見ると僅かな明かりが地面を照らしているのがわかった。

 なんの光かは考えない、今更地面がやってきて耐えられるかも考えない。

 ただひたすら、思考に割く時間を減らし、代わりに残っているだろう時間で全身に魔力を回す。


 ジェイドが地面に触れそうなのを確認し、壁を蹴る。

 地面との衝突に耐え切れたとして、耐えた上でジェイドが僕の衝突をも耐え切れるとは思わない。

 自分の体重は、自分で抱える。それがたとえ両方が死んでしまう選択だったとしても、僕はそれを選ぶのだ。



 離れた手。


 壁を蹴り少し横へ移動する自分の体。


 ジェイドが地面に落ちる音。


 その音に水音……血がばら撒かれる音が混ざっていないことに安心しつつ、


 今度は僕が地面に衝突した。









「いき、てるか……?」


「半分、ぐらい。ただしばらくは休みたい」


「同感だ」


 僕の体は左側が地面に突き刺さっている……のだと思う。

 あまりにも痛みが強すぎて、上手く現状を把握できない。

 左半身の感覚がほとんどなく、視界はぶれる上に左目が埋まっているのか潰れているのか見えない。


 ただ、生きていた。

 僕達は、生きていたのだ。



- 左側の唇は地面へ捧げた 終わり -

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