38.おはよう、止まったままの世界
世界が暗い。
自分が立っているのか、座っているのか、寝ているのかもわからない。
体中の感覚はないのに、思考だけは回転していく。
僕は死んだのかな、それとも夢でも見ているのかな。
一度目の死と二度目の生の間、その空白期間がこのような場所に居たと言われたらそんな気もする。
真っ暗で、上手く体が動かせないことは夢のような気もする。
どちらが正しいのかはわからない、もしくはどちらも正しいのかも。
死後の世界は夢のようなもので、いや、僕は二度目の生を授かることなくここでずっと夢を見ていただけなのかもしれない。
胡蝶の夢、だっけ。
自分が蝶になる夢を見ていたのか、蝶が自分になる夢を見ていたのか。
確か学生の頃に習った記憶がある、それは数年前の話か何十年前の話かはわからないが。
でも思い出せる。
この話を聞いたとき僕は、夢でも現でも全力で生きるのにって思ったことを。
現に普段見る夢でも、いつも自分にできる全力を出しているつもりだし、アメとしての人生も頑張ったつもりだ。
そういえば自分の右腕が飛んで、頭に血が上って……違う、腕が飛んだ後、幼馴染達が死ぬかもって思ったら頭に血が上って、無茶して戦ったんだっけ。
痛くて、疲れたなぁ。
体も動かないし、少し休もう。暗くて寂しいけど、そう悪くはない場所だ。一呼吸するにはまぁいいんじゃないだろうか。
あ、でもよく見たら遠くで何かが光ってる。
暗い場所よりは明るい場所、休憩するのならそうしたい。
でもどうやって行けばいいんだろう、体は動かないし、意識だけ移動することもできそうにない。
向こうから近寄ってくれでもしたら……
あぁ、そうか。
目覚めて、瞼を開けばいいんだ。
- おはよう、止まったままの世界 始まり -
繋いだ手。
切断されたはずの僕の右腕を、隣にコウが横になりながら繋いでいる。
今僕がいるのはエターナーが普段使っているようなテントで、どうやらそこに寝かされていたみたいだ。
右手は問題なく動く、僕が気絶していたのに一体どうやって繋げたのだろう。
「あ、起きた?」
視線を動かすと、入り口の近くで椅子に座りこちらを見ているルゥと視線があう。
起きているルゥに、寝ているコウ。そして目覚めた僕、既視感を覚える。
「……前にもこんなことなかったっけ」
「大きな鳥を倒した時かな」
それだ。
何かを達成した後のこの状況、そう何度もあるものじゃない。
「これからも同じ錯覚を抱いて生きていくのかな」
「そうできたらいいね」
あの時は三人で無茶して、コウが僕達を庇うために父親の前に出て無茶して。
今回は僕が無茶して、それに二人があわせてみんなで無茶して。
何もかも命を賭けて行っているものだ、そう何度も誰も欠けずに成し遂げられる保証なんてどこにもない。
だからこの既視感は、きっと幸福とも言い換えられる感覚なのだろう。
「あれから何日?」
「翌日の夜、来た道を引き返して町に戻る途中。エターナーに感謝しなよ、このテント毎晩愚痴の一つも零さずに貸してくれたんだから」
開拓の途中、建築を行うポイントならば大半の人々は屋根を貰える。
でも移動している間は、上層の人間以外は基本夜空の下だ。折りたためるとはいえただでさえ荷物を運ぶスペースに困っている現状、全員分のテントなど用意されていない。
「あとコウにもね。腕、繋げてくれたのコウだから」
「どうやったの?」
人の体には魔力が流れている。
その結果自分の魔力に体が慣れ、他者の魔力は基本的に受け付けない。生き物同士の魔力の反発、この原因の一因となっているのもこのせいだ。
本人の意識が無いのであればなおさら、自然に拒否反応がでるのが当然だろう。
それは体内の魔力がほとんど存在しなくても変わらない、魔法がどうの以前に肉体が魔力という存在を拒絶するのだ。血液型の違う血を人が受け入れられないように、魔力も体は慣れないものを嫌い、そして害されるのではないかと抵抗する。
「どうもしてないよ。いろんな人が試したけど、意識のないアメにコウの魔力だけは受け付けた。ただそれだけ」
それは、どういうことだろう。
意識が無い状態でもコウだけは受け入れたということでいいのだろうか。
それは、ルゥですら僕は受け入れなかったということだろうか。
「喉、渇いているよね。水とって来るよ」
強いて言えば空腹も感じる、それに圧倒的に血が足りていない。
ただ起きてすぐ数日ぶりに、そんな血を作るような食事を取れる自信がなかったので何も言わずにルゥを見送った。
体を起こし、未だに眠り続けているコウを見る。
目の下に隈を作り、疲労を隠しきれていない寝顔。
きっと寝ずに僕の看病をし、自身の魔力を使い続け丁寧に腕を繋げてくれたのだろう。
苦しそうな寝顔を見ていっそ起こしたほうが楽ではないかと思う。
多分自身の疲労よりも、僕の体調を心配して苦しんでいるだろうから。
キスでもしたら起きるだろうか、僕の王子様は。
……やめよう、柄じゃないことはしないべきだ。
それに何よりお姫様からキスをするのはナンセンス、いや待てそれ以前に何かが決定的に間違っている気がする。
どこからだ、なんでキスって発想に至った。いや王子様と考えるのも間違っているのではないか。そもそも僕の恋愛観は今どうなっていただろう。
「おまたせ……どこか調子悪い?」
帰ってきたルゥが難しそうな顔をしていただろう僕に心配そうに尋ねる。
「……頭が、ね」
その言葉で何かを察したのか、ルゥは無言でコップを差し出す。
受け取って中身を全て飲み干そうとするが、喉の渇きや感情とは異なり体が胃に何かを入れようとする行為を拒む。大人しく少しずつ飲むことにした、食事はもう少し後ででいいや。
「あの生き物殺しているとき、どんな気分だった?」
水を半分ほど飲み口と喉を十分に潤し、溜息をつくように湿った吐息を吐き出すとルゥが尋ねてくる。
言葉だけ聞くといつもの嫌な癖が出たのかと思ったが、表情を伺っても厭らしい笑みは浮かんでおらず、どこか真剣さをまとっている様子すら見て取れる。
「どうって……」
生き物を、殺しているのだ。
苦痛を与え、可能性を奪い、それすらを憂うことすらできない存在にしてみせる。
なんておぞましい行為か。現に僕達の故郷は殺された、緩やかな衰退に歩いていた村をレイノアが延命し、ルゥがきっかけを与え、僕達を通じ村の人々に村の外へ対する意識を持たせた。
これからだと思った、これから、皆で歩き始めるのだろうと。明日へ、行くのだろうと。
「気持ちよかった、とても」
だから素直に告げた。軽蔑されようとも構わない。
確かに僕は感じたのだ、今まで感じたことのない快感を、偽竜一匹殺すたびに。
竜に故郷を滅ぼされた悲しみを、紛い物の竜に当り散らして発散する。やつあたりそのものの行為を僕は心地よいと思った、このためなら腕を失っても、命を投げ出しても構わないと思った。
「そっか」
ルゥは軽蔑しなかった。
ただ楽しそうに、嬉しそうに、喜ぶように、そして……悲しそうに薄く笑みを浮かべるだけ。
「でも、物足りなかったな」
何匹倒せただろう。
あと何匹倒したら僕は砂の器を満たすことができたのだろう。
「冒険者から害獣駆除にでも転職する? きっとしばらくはあの生き物の素材は値段が良いと思うし」
今もほとんど害獣駆除屋のようなものなのだけれど。
でも、それでも多分僕の心は満たされない。これを満たすことができるのは恐らく……
「アメ、よかった……!」
思考を遮ったのはエターナーの言葉。
水を取るついでに、僕が目覚めたことをルゥが伝えでもしていたのだろう。
「どうも。心配かけてしまったようで」
隣に駆け寄り座り込むエターナーに、そのまま横になっていると無礼になると思い体を起こす。
血が足りずにふらつくがそれ以外体に問題はなく、よろめき体を支えるために体重をかけた右腕も危なげすらなかったのでコウが完全に繋げてくれたのだろう。
「ほんとですよ、もう! クエイクがもげた右腕を持って、アメは前線に行ったと教えてくれた時には私が倒れるかと思いました」
ほんとにだ、そいつは酷い。
僕だってその立場だったら倒れそうになるだろう。
「ごめんなさい、少し頭に血が上ってしまって」
「二度目は、なしですよ」
無言で頷くと、吐息を感じそうな距離からやっと離れエターナーは一息を入れる。
「でもそのおかげで被害は軽微、本部でもアメ達の働きは評価されています」
「はぁ」
被害少ないから、行動を評価されているから。
そんなものがどうしたというのだろう、そこにはもっと素晴らしい何かがあったはずなのに。
ドロリとした何かが胸に流れ込む、エターナーが遮らなかったら正体のつかめただろうそれを僕は、ただ今は胸にしまうしかなかった。
「尾刃型偽竜、あの生き物の名称はひとまずそれに落ち着きました。
そして偽竜は計十九匹、うち実質アメが単独撃破した数が六。これはもう記録に、歴史に残るはずです」
ロク。
その数を思い出すと、六の命を奪ったときに抱いた興奮を思い出す。
思い出して、頭とか心とか、どうにかなってしまいそうだ。
「それで、何名死にましたか」
殺した時の興奮に、今エターナーが僕を持ち上げてしまったらそれに溺れてしまう気がして現実を尋ねる。
「前衛八名、右翼二名。後衛は接敵せず、左翼は三匹の偽竜と接敵しながらも重傷者一名のみで死亡者なし、それ以外は怪我こそあれど大きな損害はありませんでした。皆さんが守ってくれたんです、無茶をしてくれたからこそ多くの命を救うことができた」
十名の命で、残り全ての命が守られ、また次に人類が偽竜と未知の恐怖として対峙することなく、既知の障害として対峙するきっかけにもなった。
そう考えれば死んでしまった人々の数など安いものだろう。
思い出す。
頭部を切断された人の頭を蹴り飛ばしたことを。
嫌悪はしなかった。死者を冒涜する行為は、あの場では対して大きな事実ではない。
恐怖も感じなかった。初めて、二十八年生きてきて初めて見た惨たらしい死体、地獄のような惨状。まるで今目の前に広がっているかのように思い出せる、けれど、恐怖はない。
思い出す。
失った故郷を、そのやつ当たりを行い、結果今まで味わったことのないような快感で胸が満たされ、まるで砂の器に水を注ぐよう無為だったことを。
故郷では何名の人々が生きていたのか、そして紛い物ではない本物に、一瞬で何名が殺されたのか。恐怖を感じる時間も与えられず、痛みを感じる必要すらなく。
胸が、痛んだ。
「人を、呼んできます。皆さんに会いたがっている人がいるので」
何度機嫌を取ろうとしても反応の薄い僕、それに合わせるように沈黙を続けるルゥ。
そして未だ眠り続けているコウに居心地の悪さでも覚えたのか、エターナーはこの場から逃げるように去る。
「コウ、起きて」
誰が来るかはわからないが、流石に他の人が来るのに寝たままのコウはマズイ。
いつ寝たのか、どれほど寝ずに僕の看病をしていたかはわからないが今は起きてもらおう。
それに僕が元気な姿を彼に見せてあげたいと思う、きっとそのほうが彼にとって疲労なんて吹き飛んでしまうと思うから。
「ん……」
軽く揺すって少し意識が浮上する。
そもそも彼の寝ている隣で僕達は会話をしていたのだ、いつ起きてもおかしくはなかった。
「コウ」
もう一度名前を呼び、揺する。
それだけでいいとわかっていたから。
「……アメ」
目を擦りながら体を起こし、一瞬、本当に一瞬何かがあふれ出そうで、しかしそれを瞬時に抑えてコウは口を開く。
「よかった。腕、どう?」
昔のコウならばきっと泣きながら僕に抱きついてきただろう。
でも、時間がそれを許さない。成長か、喪失か、決意なのかは僕にはわからないが、それがとても寂しかった。
「うん、いつもより調子がいいぐらい。ありがとうね」
「いいよ、アメが無事なら」
彼はよく笑うし、よく喜ぶ。
僕が怒れば彼も怒るし、悲しめば悲しむ。
けれど彼は、一人では悲しむことだけはできないんだ。
- おはよう、止まったままの世界 終わり -




