34.翡翠の愛情
町を発ち二日目。
人の手こそ付けられた様子はないものの、あたりはまだまだ既に地図が作り終わっている地域だ。
未開拓の基準になる遺跡地帯までは予定よりも更に簡易的な建造物や、持ってきた食料を温存するための狩りをしながら集団で移動している。
あと二日は遺跡地帯にたどり着きはしないだろう、しばらくは歩く行為そのものが仕事だ。
「お姉さま達は町に来るまで何十日も歩いたんですよね、今のペースだとまだまだ楽ちんですか?」
スイが話しかけてきたタイミングを見計らい、少し歩くペースを落としあえて孤立し二人きりになる。
昨日は結局二人で話す機会はなかったので丁度いいタイミングだろう。
「まぁそうだね。でもスイ達も楽だと思うよ」
「毎朝鍛えてもらっていますから、まだまだいけますよっ」
軽く二度跳ね、余力が残っていることをアピールしニコリと笑う。
「休憩するペース、早いとは思わない?」
確かに訓練の影響もある、それもあるが根本的に違っている部分が存在する。
現状一時間経たずに歩くのを一旦やめ、全員で休憩している状態だ。
おそらく本格的な作業に入るまで、休憩するペースは徐々に上がり続けるだろう。
「人数が多いので当然だと思っていたのですが」
主にトイレなどの生理的な問題だ。
食べるペースは多少調整できるものの、食べたものを出すペースは人によって異なる。
そういった面で全員が快適に仕事を行えるようにするには、休憩するペースを増やし少しでも理想のリズムを保つ必要がある。
「それもある。でも冒険者はともかく戦えない人達は体力や魔力を上手く使えないし、精神面でも必要以上に気を張ってしまうから」
「そうみたいですね」
彼女が一瞥するは辺り一面。
その視線には共に行動している全ての人達を認識しているのが見て取れる。意識の中には僕達自身も入っているだろう。
「はじめにダウンするのは戦えない人達、特にエターナーとか政府関連者だね。その次には筋肉だけあって体力はないとか、意識して魔力や体力のリソースを消費できていない冒険者。
最後は経験が豊富で力を上手く使える冒険者達、僕達も普段体力作りをしているからその中に入れるかもね」
目的のポイントまではみな厳しいだろうが、着いてしまったら話は別だ。上の人達は指揮をするだけだし、護衛をする僕らも直接動くことは少ない。前線の人々は数が多く、基本ローテーションしておけば問題はないだろう。
「お姉さまは他の人が見えないことが見えているんですね、凄いです」
きらきらと輝くような瞳でこちらを見るスイ。
恋する乙女か、信じる神でも見ているようだ。
「嘘つき」
だから僕は言った。
「何がですか?」
小首を傾げ、本当に何を言っているのかがわからない様子でスイは尋ねる。
「全て嘘とも言えるし、全て正しいから嘘だとも思う」
別にスイとしては嘘を言っているわけではないのだろう。あくまで誇張した表現か、あえて言葉にしないだけで。
相手にとって都合の良い部分は誇張し、悪い部分は表に出さない。それがスイを人当たりの良い少女だと認識するのに必要な情報だ。
いま行った会話も全て、彼女は一歩も二歩も先を行っていた。説明されたことを一度で理解する、それは当然のことではない。
本来はもう一段階会話に何かを挟むべきだ。
例えば疑問、知らなかったこと、考えていたこととは別の考えに対してのそれは本当に正しいのかというもの。
もしくは反論、理解も納得もできず、それは正しくないと。
その両方を飛ばし、それでも会話を成立させることは、言われたことを一瞬で理解し賛同、そして自分のものにできる能力。もしくはもとより内に秘めていたものをあえて愚者を装い話題にする気概の証明。
スイと会話している人々は皆思ってしまうだろう、自分はなんて説明が上手い人間なんだ、と。
「お姉さまはそこまで人のことを分析、と言ったら少し聞こえが悪いですね……内面を深く見ることができるんですね」
簡易的に伝えた僕の推測を、スイはまた上手く避ける。
AかBかという問いに、そのどちらでもない返答をしながら相手を持ち上げる。
あくまで自分がそこまで考えて行動しているかは肯定も否定もせず、答えなかったことを相手に不快感を与えることなく会話を継続させる。
こうして僕が一足踏み込んでも、一貫した態度で一歩下がるスイに今は踏み込むべきではないと感じ、別の話題を考える。こういった部分は兄とは少し違うのか。
けれど少女はそういった思考を理解し、一歩下がった後に半歩ほど前に戻ってきた。
「私演技とかは結構自信あるんですけど、嘘はつけませんよ」
それは嘘をつく行為が苦手なのか、それとも嫌悪し行わないのか。
「なのでどんなにそれがお姉さまの言う誇張されたものだとしても、本来良く思っていないものをいいものだと吹聴することはできません」
その語彙と信条は十一の少女の言葉ではなく。
「お父さんがいなくなってからはどうだった?」
「もちろんつらかったですよ……少しだけ」
少しだけつらかったのか、少しだけ限界に近づいたのか……少しだけ限界を超えてしまっていたのか。
「そっか、スイは凄いね。僕は故郷を失った時それはもう酷かったよ。馬鹿なことも本気で考えたし、二人がいなかったら馬鹿なことを考える間もなく死んでいたと思う」
少しだけ限界を超えていた段階ではなかった。本当はもうどうにもならないところを、二人が奇跡的に救ってくれたのだ。
ジェイドを救ったスイは、コウやルゥの立場で、僕とは比較にならないほどの存在でしかない。
「でもお姉さまは今こうして生きていて、雷という独自の魔法を扱えています」
その言葉に謙遜しようとして、やめた。
たとえそれが前世の知識を用いた仮初の独自だったとしても、スイが僕に向ける視線の意味は本物だ。
過度な謙遜は相手の好意を否定するのと変わらない、だからその好意が僕に張り付くメッキを賞賛するものだとしても、今だけは自分のものだと受け止めておこう。
「そういえばジェイドが不安がってたよ、スイに恩返しできているかって。もう一度わかりやすく叩くか慰めてあげたらいいんじゃない?」
僕の言葉にスイは一瞬硬直し、顔を真っ赤にして声を発する。
「……もうっお兄ちゃん! そんなことも言っちゃったの!?」
怒りか羞恥で本当に叩くのかと注目したら、スイは勢いに任せてジェイドの腕に組み付きそのまま歩き始めた。
叩くでも慰めるでもない愛情の証明。思春期なのでスキンシップは難しいと思ったが、それすらスイは御することができるのだろう。
「うらやましい? 僕達も久しぶりに手を繋いで歩く?」
二人をまじまじと見ているコウに、悪戯半分で問いかける。
今すぐどうこうできるとは言わないが、たまには手ぐらい繋いでご褒美をあげてもいいだろう。
「……いいよ、恥ずかしいし」
一瞬どもったのは悩んだからか。
そう思い隣を見るとルゥがまじまじと僕達を見ていた。お前のせいか。
「どうぞわたしは無視してやり直していいよ」
「うるさい黙って」
やり直せというのならばこちらを見るな。
微笑ましく僕を見るルゥの手を強引に取る。
「わっ……」
そしてそのまま空いている右手でコウの手も取った。
これでルゥが一人ぼっちになるわけでもないし、先にルゥの手を取ったのだから周りが僕とコウの間に決定的な何かがあると思うことも少ないだろう。
きっと五人が手を繋いで歩いているのは子供たちが何かふざけあっているとしか思われないはずだ。
僕達はそのまま二人と三人で手を繋ぎ、次休憩するタイミングまで仲良く歩いていた。
- 翡翠の愛情 終わり -




