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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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30.鼓動の源は何時から

 冬が終わり、春が来た。

 あれから雷の魔法を実戦で何度か試したが、雷の魔法全般は強力なのは確かだけれど癖が強いという結論に至っている。

 相手と自身を共に感電させる魔法を夢幻舞踏なんて少し捻った名前を付けたが、単純に電力を貯め相手に放つ魔法は閃電と呼ぶことにした、恐らくこれを基礎にいろいろと発展させていくのだろうから名前もシンプルなほうがいいだろう。


 夢幻舞踏はやはり使いどころを選ぶ。

 ハウンド程度なら生命力は相手のほうが上だが、雷への耐性をつける前にだいたい相手が感電死する。

 ウェストハウンド以上の体躯を持つ獣には接近された時の足止め程度しか使えず、相手が死ぬ前にこちらが死ぬので途中で中断せざるを得ない。

 共に痺れて満足に動けないので、仲間が助けてくれればそれで勝負は決まるのだが、これは逆にこちらが劣勢の時に使ってはいけないということでもある。

 人数や戦況が五分以上でなければ麻痺している命が散るのは自分のほうだ、獣だって仲間と敵が同時に動けなくなったのならそのチャンスを逃すとは思えない。


 なら閃電のほうは使いやすいのかと言えばそうでもなかった。

 ハウンド相手に十分な効果を出すには四秒以上電力を貯める必要がある、四秒で無防備な相手に撃ち込めば体の自由をほとんど奪える、感電死させるなら八秒近く、閃電自体で焼き殺すのは夢のまた夢だ。

 四秒といえば水球を生成し、相手に直撃させられる時間でもある。六秒あれば土の槍は地中から相手を貫くであろう。

 即着弾で十二分な効果を示す、それなのに前者二つを比較に挙げる理由は一つだ、閃電は直線的にしか出せない。

 前衛と後衛に分けるという基本的なスタイルは前衛が後衛を守ることで成り立つ、後衛を守るには前衛は後衛に背中を見せる立ち位置がもっとも効果的だ。その位置関係を貫く以上誤射する可能性は高く、また誤射は戦う上でもっとも避けなければならない展開だ。


 結果戦うためのカードが増えた、に収まりそうだったが、コウの「閃電を前提に戦略を立て行動すればいいのでは」という鶴の一声で僕達は戦い方を変えることにした。

 号令一つで必要とあれば陣形を崩し、後衛を守る体制を一瞬でも放棄する。もしくは狙いを変えて他の敵に撃つか。

 後衛の危険性はそれほど上がらない、前衛が退くのは閃電が貯まり終わった後だし、発射時点で射線が通っていれば一瞬で雷は相手に直撃する。

 誤射の心配はその着弾の速さでまずなく、ルゥも不意を撃つために接近せず、木の上などの高所から閃電で狙撃できるようになったおかげで結果的に安全性を向上させたまま仲間全体の戦闘力を上げることに成功した。


 スイやジェイドも雷を扱えたらよかったのだが、電気の発生原理をよく理解できないようで現段階では無理だった。

 効率的に魔法を扱えるようになってまだ数ヶ月だ、流石にそこまで求めるというのは酷なものだろう。

 僕自身最高効率で電気を発生させられているかと言われたら自信がないし、直線でしか撃てない現状も改善できると思っている。

 そのあたりはゆっくり訓練していこう、それまでは身の丈にあった仕事をして稼ぐことに決めた。


 その身の丈も雷の魔法で大きく伸びたと思う。

 一戦一戦で発生するリスクも減っているし、消費するリソースも減ったおかげで仕事をする頻度を増やせた。

 日々行う訓練で体力をつけ、魔力の効率も上げているのに、更に別の方面から余裕が出るとなるとそれはもう生活が楽になる。

 二、三日かけて仕事をしたら、一週間は遊んで暮らしながら貯蓄ができるレベルだ。

 僕とコウ、ルゥの財布を合わせたらレイノアに借りていたお金の半分は余裕で返せる、まぁその本人は今町にいないようなのだが。


「今日は訓練してくる」


「何か思いついたの?」


 訓練もせず休日五人で朝食を取っている場でそう宣言すると、コウが尋ねてくる。


「ないけど、実際に使っていたら何か思いつくかなって」


 机で妄想しているだけではどうしても限界が訪れる。

 やってやれなくはないが、一定の境界線にたどり着いたらいろいろな方面で試したほうが早いだろう。


「そういうものなの?」


 スイがジェイドに尋ねる。


「あぁ、結構あるぞ。戦っている最中ふと気づくんだ、それが最適じゃないかって」


 お姉さまと慕ってくる彼女は意外に理屈っぽく、兄のジェイドはどちらかというと感情的なほうだ。

 もちろんそれぞれの一面でしかないし、実は気に入られやすくするために"妹"を演じている可能性もある。まぁどちらでも構わない、人は誰しも腹黒い部分があるものだし、味方である以上気にする必要はないだろう。


「考え事に最適な場所知ってるけど」


 小動物のようにモソモソと口に食べ物を含みながらルゥが喋る。

 行儀が悪いが冒険者である以上行儀の悪さなど日常だ、この世界ではあまり気にならない。


「……興味あるけど、何故今更? 最近見つけたの?」


 考え事をしている様子はずっと見ていたはずだ。

 町に着てから随分経つ、もっと早く教えてくれてもよかっただろう。


「いや、アメも知っているんだけど興味なかったみたいだね」


 意訳"灯台下暗しって知っているか、あの灯台はお前でもいいんだ"

 ……というのは流石に邪推しすぎだが、普段稀に見せる悪質な言動を考えるとそう思ってしまう僕に罪はないはずだ。


「そろそろ私がどこに行けばいいのかハッキリと教えてくれないかしらチェシャ猫さん」


「……チェシャ猫って何だ? 村の近くにいたのか?」


 ジェイドの疑問にコウが答える。


「いなかったよ、というか俺もはじめて聞いた生き物」


 ルゥが嗤う。


「愚かなアリス、自分の頭に入っているものの使い方も忘れてしまっただなんて」


 僕に答えるよう彼女は笑い、見慣れてしまった厭らしい笑みを浮かべて、口を三日月のように歪めた。

 でもすぐに演じることに飽きたようで、食事に戻った。


「まぁ教えてあげる、というか案内してあげるよ。一人じゃちょっと入りずらいかもしれないし」


 一人じゃ入りずらいところで満足に思考できるのだろうか。


「……アリスって誰ですか?」


「あの二人がわけのわからないこと言っている時は無視したほうがいいよ」


 スイの疑問にコウはもう既に諦めていると言わんばかりの表情を浮かべてそう言った。



- 鼓動の源は何時から 始まり -



 朝食を終え、五人で目的地に向かう。

 実は五人で休日を過ごすことはあまりない、訓練仕事食事中、しかも同じ宿に暮らしているのだから休日ぐらいは兄妹で過ごしたいだろう。

 何よりまだ知り合って数ヶ月だ、命を預けているとはいえ前世ならまだまだ適切な距離感を探る時期だ。

 僕ら三人も常に一緒に行動しているわけじゃないし、そのように二人や一人の時間を作らなければ気が休まらないはず。


 今日は、たまたまだ。

 特に予定がなく、何か他に興味が湧くことがあったら別れる、その程度で全員で行動している。

 まぁそういうたまたまが積み重なって仲良くなっていくものなのだろう、この世界でそれが通用するかは今回が初めてなのでわからないのだが。


「ここだよ」


「なるほど、確かに良さそうですね」


 目的地に着きスイはルゥに同意するが、僕は素直にそうとは思えなかった。

 着いた場所は教会だった、確かイオセム教というリルガニア国最大の人数を誇る宗教だった気がする。

 自分が死んだ頃は様々なカルトの被害が積もり、日本人は宗教から離れていた。

 僕もまたその中の一人だ。冬にはクリスマス、その次にはすぐに神社を参拝し、それが終わると何もない日常に戻る。

 いま思えば信仰者の人々はそんな僕達を見てどう思っていたのだろうか。


「行こう」


 扉に手をかけるルゥを思わず止める。


「……いやいや、めっちゃ歌っている途中なんだけど」


 朝の礼拝時間なのだろうか、扉の向こうから賛美歌のような歌声が響いてくる。

 苦手意識もそうだが、今勝手に入ったら邪魔にならないかが一番気になる。


「大丈夫大丈夫、誰も気にしないよ」


 そしてルゥは扉を開けてしまった。

 ワァーっと音が質量を持ち迫ってくるような印象を受ける歌声が届く、どうやら扉は意外と防音性能があったようだ。

 コウは興味を惹かれ一番先に入り、スイとジェイドもそれに並んで続いた、そこには躊躇いなどどこにもない。


 扉を支え残ったルゥと、残ってしまった僕は視線を交わす。

 進むか、止まるか。望むほうを選んでごらん。彼女は目でそう語る。

 一人残っても仕方がない、僕もさっさと入ってしまおう。室内へ足を踏み入れ、後ろで扉が閉じる音を聴いた。


 室内はイメージ通りの教会……よりも少し地味だった。

 神父が立つ祭壇はあるものの、十字架や天使などを模ったステンドグラスは一切なく、目立った装飾のない室内では長椅子が一番目立つ次元だ。

 その長椅子も前方部分は歌う際に邪魔だったのか適当に退けられ、祭壇近くに人が集まり歌うスペースを作られている。


 歌う人々も僕達が入ってきたことに気づいて数名が視線を寄越すが、すぐに興味を失ったのか歌うことに専念した。

 よく見ると後方に並べたままの椅子に数名歌わずに座っている。

 聴くことに集中し音楽を楽しんでいる人がいるが、数名は露骨に音楽にすら興味を持っていないのがわかる。

 退屈そうに欠伸をするのはいいが、船を漕いで惰眠を貪るのは如何なものか。他の皆さん精力的に活動していますよ?


 いろいろと現実に呆然している僕を置いて、四人は一番後ろの長椅子に座る。

 中央、コウとスイの間が露骨に空いているがなんとなく座る気にはなれず、端に座るジェイドの隣で立ち尽くす。

 しばらくすると賛美歌は止まり、要式もほとんどなく人々は仲のいい連中で集まり、建物の外へ出て行ってしまった。


 数名は椅子を片付けたり、雑談をするために残ったものの、多くの人々はもうここにはいない。

 ……一体なんなんだろう、もう少し神聖、というかちゃんとするべきだと思うんだが。


「どうした迷える人よ、もしくはここに迷いに来たのか?」


 未だに呆然と立ち尽くす僕が気になったのか、神父の格好をした男性がこちらに近づいてきて尋ねてくる。

 三十代前半だろうか、栗色の髪を短く切り揃え、冒険者のような厳つい顔に、祭服の内にある筋肉を隠しきれていない。

 肌が見える部分の肉質がいいのもそうだが、朝の礼拝が終わり窮屈な祭服が気に入らないのか胸元を開いているのも原因だろう。


 冒険者が急にやりたくなって神父になってみた、そんな印象を受ける。

 そう認識すると第一声も「戸惑っているようですけど、ここが何か説明しましょうか?」じゃなくて「道に迷ったのか、出口はわかるな?お前が入ってきた場所だ」そんな軽口に聞こえる。


「……そんなものですね。考え事をしたいと告げたらここに連れて来られたもので」


「そうか、よければ話し相手になろう」


 手で座るよう促され、拒否することなく空いている中央に座る。

 それを確認した神父は前にある椅子を適当に傾け、位置的には僕の右斜めに座った。

 右端に座るルゥの正面だが、あくまでその斜めで僕を視界に収める姿勢は崩さない。

 その適当さからやはり聖職者じゃなく冒険者を相手にしていると思ったほうがいい、そう認識しようとしギリギリ止まれた。

 確か心理学的に、会話をするときには斜めに座ることがいいと聞いたことがある。

 正面は対立し会話するため、隣は同調し賛同するため、斜めは敵意を示さず、中立から対等に会話するため。

 威圧せず、近づき過ぎず、その距離をもし意識的に行っているとしたら、ならず者……冒険者という認識は間違いだろう。


「それで何を悩んでいるんだ?」


「いえそれは一人か、そうですね、二人の時でいいです……スイ達はイオセム教のこと知ってる?」


 スイとジェイドに尋ねる。

 礼拝が終わり、人がいなくなった今、僕以外のみんなはここにいる意味がたいしてない。

 そんな中僕が神父と相談事を始めたらあっという間に解散してしまうだろう、それは少し寂しいので皆がいる間は巻き込んでいこう。


「いえ、名前と宗教がどんなものかぐらいは知っていますがそれ以上は」


 スイの言葉にジェイドも頷いている。

 ルゥはイオセム教の教えまで知っているだろうが、コウはどうだろうか。

 案外町を探索したり、冒険者や他の人と会話している様子を見るのでもしかしたら既に全て知っているのかもしれない。


「なるほど、では少し聖職者らしく教えを説こうとするか」


 自覚あったのか。

 でも自覚はあるが記憶力は無いらしい。先ほどまで祭壇で皆をまとめ、歌を奏でていたはずなのだが。


「イオセム教は神イオセムを讃えている、教えの基本理念は自由だ」


 一瞬場の空気が止まる。

 別におかしなことを言ったわけでも、言葉が理解できなかったわけでもない。

 続く言葉を待っていたからだ、ここから長々と教え説くはずの言葉を。


「……それだけ?」


 皆を代表して尋ねる、一応僕がメインで対話している形だし。


「あぁ」


「もう少し詳しく。ええと、さっきの歌の内容とか、歌う意味とか」


「内容は自由に生きろ!といった意味だな、昔から伝わっている歌だ。歌う意味は歌いたかったからだ、人が自然に集まり、なんとなく歌いたい空気が漂い始めたから指揮を執ってみた」


 なんとなくってなんだ。


「不思議そうな顔をするな、もしかして他宗教の者だったか? ならすまないことをした」


「いえ、無宗教ですけど……どうしてそう思ったんですか?」


「我らの教えを聞いて疑問を抱くのは、だいたいなんらかの宗教に関わっている人間だからな」


 左右を見る。

 スイとジェイドはそれが当たり前のような表情で、ルゥは全てを既に知っているといった表情で……コウはよくわからない、多分適当に情報を得ていて今頭の中でいくつもの推測が飛び交ってる状態だろう。


 そして気づく、なるほど、と。宗教を知っているからこそ疑問に思うのだ。

 何かをモチーフにした装飾がないことに、適当に歌いまた歌わない者を受け入れる寛容さに、一言で済むような単純な教えに。


「自由って何でも自由なんですか?」


「あぁ、常識の範囲内だがその常識も人によって違うからなんとも言えん。

そうだ、神は昔人々に言ったそうだ"成したいことを成せ、成せぬことは皆で成せ"とな。

宗教なんて私からしてみればただの集団にしか過ぎない。存在しない神を讃え、それに協調し集まる人間と共にしたいことをしろとな」


 サークルか何かだろうか。イオセムサークル、適当に集まって適当にしたいことをする。

 "成せぬことを成せ"は"成すべきことを成せ"とは大きく意味が変わる。

 後者はしなければならない、だ。正しいと信じることを、辛くても成すのだと。

 前者はやりたいことをやれ、だ。そこに善悪は無く、己の欲望に従えと。


 否定したかった。

 自分の今までの価値観が壊されていくようで、どうにか目の前にいる存在を否定したかった。

 なんとなく神聖に思い、なんとなく嫌悪感を抱き、なんとなく日常に存在していたそれを守るために。


「神はいないんですか?」


「私はそう思っている、しかし信じる人の前には確かにいるとも思っている。そして私にはその存在を否定する意思はない。

そこが気になるのか? ならば探してみるといい、世界中を余すことなく同時に、もしかしたら神はいるかもな」


 義務でも、権利があるわけでもなく、ただ意思がある。

 自由に神はいないと認識し、神はいると認識する存在を自由に肯定する。

 しかも神を証明したければ悪魔の証明を実現して見せろと神父は言った、その手段でしか神は証明できないだろうからと。

 ……なら付け入るべきはそこだ、相手の言葉で、相手を突き刺す。

 よほど酷い顔をしていたのだろうか、右目の端に見慣れた三日月が浮かんだ。


「全てが自由なら、人を殺すのも自由なんですか?」


 神聖な場で、人を殺す、そんな発言。

 その冒涜さで、僕は自分の中の神聖な何かを守ろうとした。


「あぁ、それがお前の、いや殺人者の常識の範疇ならな。常識じゃなくともやりたければやればいいさ」


 そして、守れなかった。

 目の前にいる男が、聖職者が言ったのだ。

 殺したければ殺せ、私達の信じる神はそれも赦す、と。


「でも忘れるなよ、隣に立っている人間はその行為を常識外、悪いことだと思っている可能性もある。必要とあれば仲間に裁かれるだろうよ」


 椅子に深く腰かけ、深呼吸をする。

 諦めよう、神父は自由だと言っているんだ、神を信じるのも信じないのも。

 そしてどんな暴虐さも、人の手によって裁かれるだろうと。人を殺すのも自由なら、殺した人間を裁くのもまた自由。

 彼の理屈だと神はいない、もしくは人自身や、集団が構築するルールそのものが神だと。


 がっかりした、サンタクロースが父親だったことを知った時のように。

 退屈だと思った、神秘さを説く存在が神秘さそのものを否定した現実に。


「こんな宗教が最大勢力なの?」


 ルゥに尋ねる、口元に浮かべた月は未だに消えきっていない。


「うん、信仰者の五割ぐらいかな。残り二割が竜信仰、一割が調律者信仰、残り二割は細かい宗教。

ただ無宗教は多いよ、少なくとも過半数の人々は何も信仰していない」


「大丈夫なの?」


 こんな混沌だとか、無法が似合う宗教が最大だなんて。

 指導者が望めばそれこそ秩序の無い、私利私欲に溢れた戦争でも起きるのではないか。


「アメ、勘違いしているよ」


 消えかかった月が再び浮き上がる。


「大丈夫じゃないから、こうなったんだよ」


 ……あぁ、そうだった。

 二百年前、たった二百年前に世界は一度滅びたのだ。

 文明は滅び、遺物は少数を残して全て失われ、人間の九割以上は死んだ。

 町は三つしか認知されず、世界はまだまだ広いはずなのに他にあるはずの国にこちらからも、相手からも連絡を取れない。

 ほんの十日ほど西に行けばハウンドの生態は変わり、空には竜が飛ぶ。


 この世界は未だ戦争の傷跡を治せていない。

 発展途上なのだ、前時代の歴史と文明を中途半端に引きずりながら。

 そんな中信仰を許された時、人が一番何に縋るのか。自分に利益が大きいものに決まっているじゃないか。

 もしかすると一過性のものかもしれない、イオセム教が最大勢力という現実は確率でいう誤差だ。

 サイコロを十回振ったときの和の理論値は三十五だ、実験値で三十になっている時期なのかもしれない。

 それほど今の世界は不安定なのだ、求めていた本が偶然手に入るとか、唐突に竜が降りてきて村を滅ぼすとか。


「お前さん達、性善説と性悪説、どちらを信じる?」


「なにそれ?」


 コウが無邪気に問う。

 そういえばそういったものは教えていなかったな、話題にした記憶もないし。

 性善説と性悪説、単純なようで少し難しいんだよね、なんだったかな。

 どうしてか、上手く思い出すことができない。忘れているんじゃなくて、思い出す作業を何かが妨害している気がする。

 胸が、ざわざわして止まらない。いつからだろう、教会にはいる前や、会話を始めた直後は大丈夫だったと思うのだけれど。


「人は本来善い存在か、悪い存在か。そういった話だ」


「……赤ん坊の頃、産まれた時に既に、善い人間とそうじゃない人間に分かれているということか?」


 ジェイドの疑問を神父が答える。

 いや、そうじゃなかったはずだ。それが何か上手く思い出せないけれど。


「そうじゃない、結論から言うとこの考え方は善悪両方備えたものが人間という終点に到達する。

その終点にたどり着くまでに、本来善である存在が悪行を学び善悪備えるのが性善説。

逆に、本来悪である存在が、たどり着くまでに善を学び善悪備えるのが性悪説」


「呼び方から受ける印象から実際は真逆なんですね」


 スイの言葉に共感する。

 確か僕も始めて聞いたとき同じ疑問を抱いたはずだ、呼称から来る先入観にどうしても囚われてしまう。


「さぁ、どっちだと思う?」


 もう一度神父が問う。

 各々が考え始め、自分なりの答えを見つけ出そうとする。

 ルゥは既に自分の答えを持っているのか、周りを見る余裕があるようだ。

 きっと初めに口にした意見はそれなりに皆の考えに影響すると思ったのだろう、それを避けるために彼女は十分に答えが出始めた頃に口を開くはずだ。


 そんなルゥと視線が交わる。交わって、気づく。

 どうしてこんなに自分は客観的に皆を見ている余裕があるのかと、僕も問いを投げかけられている一人ではないか。

 慌てて考えるが思考は未だに上手くまとまらず、すぐに答えを見つけたのかコウが口を開いた。


「俺は性悪説かな」


「何故だ?」


「周りにいた人から良い事をたくさん教えてもらったのを覚えているから、結果的に性善説ではないと思う……もちろん悪いことも少しずつ覚えたけど」


 コウの悪いところってなんだろう。

 泣き虫もやめたし、優れていない部分はあっても劣っている部分は見当たらない。

 実はばれないように裏でこそこそしているのだろうか、ちょっと気になる。


「よく昔のことを覚えていたな、何歳だ?」


「十」


「……言葉を変えよう、よく考えられたな。大人でも十分戸惑う質問なんだ、それをしっかりと考え答えを口にできるほどまとめられたのは素晴らしい。

お前は三歳ほど大人びて見えるな。体格もいいし、動きや言動に筋が通っている」


「どうも」


 少し頬を紅くしつつ身を引くコウ。

 言葉足らずなのは少し直していくべきかもしれない。


「他には無いか? まぁこう言った通り子供が考えるには少し難しい、理由がわからないのなら無理に答える必要はないぞ」


「はいっ、私いいですか?」


 スイが小さく手を挙げ尋ねる。


「あぁ、理由もつけてな」


「私は性善説です。善いことって基本的につらいじゃないですか、悪いことを後から学ぶのはそれを少しでも楽したいから、なのかなぁなんて」


 その理由はなんというか、その。


「非常に合理的だ、理屈も通っている」


 打算的とも言う。

 やはりスイは演技派なのかもしれない。


「俺も性善説かな。人が産まれながら悪だとは思いたくない」


「感情的だが悪くない。したいしたくないは大切だからな、思いたくない、は立派だろう」


 ルゥが一度こちらに視線を寄越し、僕が何も言えないのを確認して意見を言った。


「わたしは性悪説。ジェイドとは逆の意見かな、産まれながら悪だけど後天的に善を学べるほうがわたしは好き」


「……その心は?」


 小さく頬をあげて彼女は笑う。

 厭らしい笑みではなく、挑戦的な表情だ。


「可能性を感じるでしょ。悪が善にも成れるなら、人はきっと何にでも成れるよ」


「確かにそうだな、善から悪になるのは簡単そうだ。おもしろい考え方だな」


 神父はそう感想を伝え、僕のほうを見る。答えられるか、と。

 僕は黙って首を振った、今はどうやら調子がよくない。


「頭のいい子供たちだ、きっともうわかっているとは思うがこの問いに答えはない。

でもあることが一つだけある。善いものが必ず勝つ、ということだ。

さっきその少女が疑問に思っていたな、我々イオセム教が最大勢力なのは問題かと」


 僕のほうを見て神父は続ける。


「客観的に見れば問題だろう、何せ善にも悪にもなれるような集団だ。

でも悪は必ず善に討たれる、その善は同じ宗教から生まれたものかもしれないし、別の宗教の人間かもしれないし、無宗教の人間かもしれない。

だから大丈夫だ、最後には必ず善が立っている。お前達の信じる先天的な善や、後天的な善を信じろ」


「隠そうとしないでいいよ」


 ルゥが笑う。


「……あぁそうだな、お前達なら伝えても大丈夫だろう。

最後に立っているのは悪だった善かもしれない、悪が過半数を占めたならそれはもう善だからな。

その時が来てしまい生き残っていた場合こう呟け"時代が変わったな"と」


 それは、受け入れる、なのか。

 諦める、じゃないのか。

 理が変わったというのはそういうことなのか、二百年前の悪が今の善なのか。

 今の悪がその時大量に殺されたということは、竜は善な存在なのか。


 なら、なら村が滅びた理由はなんだ。

 竜に意思があるのなら、村の人々が悪だったのか? 竜に意思がないのなら、村が滅びたのは偶然のようなものなのか?





「……あれ、みんなは?」


 辺りを見渡すが、正面に座っている神父はそのままだったが室内に仲間は見当たらない。


「ようやく帰ってきたか。お前さんが呆けている時間が長くて途中で出て行ったぞ」


 つれない、とは思わなかった。

 どれだけの時間呆けていたのか自分でもわからないし、元々適当に集まってここに来たんだ。

 本来ここに用があるのは僕と、案内するルゥだけで十分だった。


「ええっと、性善説とかの話ですよね?」


「ん? 答えられるのか?」


「はい、本当に少しだけ、少しだけ時間を頂けたら元々話は知っていたので答えられます」


 初めにこの話を聞いた時に抱いた感情を思い出せる。

 その感情は疑問だった、何故この二つしか選択肢がないのか、という。

 でもそれは周りの人の性善説を指示する声が大きくて消えてしまった、でも今なら思い出せる。

 一度死んだから、思い出せる。


「答えはどちらでもない、です」


「……」


 死んで、そして生まれ変わった時、僕は記憶がある状態だった。

 それは善でも、悪でもない可能性の一つだった。そんな状態を得たから思い出せる、当初抱いた理屈を。


「ルゥは悪から善に成れた人の可能性を信じましたけど、僕は産まれながらにして何にでも人は何かになれる可能性を持っているのだと思います。

空っぽの状態で、ただただお腹が空いて泣き声をあげて。それから日々を重ね見て感じるものを自分のものにして善や悪になる、そう思っています」


「それは自己を持たないということか? 他者に合わせ、その時々で自分を変化させると?」


「いえ、違います」


 断言した。

 男だった自分ならそう言っていたかもしれない。

 まわりの顔色を伺い、上手く立ち回るような自分なら。

 ルゥの基本理念も似たようなものだ、場の空気を最優先にし善も悪もこなす。


「自分の中にある何かを常に抱き続けることです。

それは善でも悪でも変えない、変わらない。もし善悪が流動的なものならなおさらそれは、善でも悪でもない何かの証明ではないでしょうか」


「その生き方は、つらいぞ? 道が二つに分かれているのに、あえて森の中を進むようなものだ」


 四人全員の意見を肯定した神父が、僕の意見を否定しようとする。

 それはおそらく善意からだろう、まだ幼い間に叩き直せば、歪んだ金属は正しく元に戻ると。


「それでも、ですよ」


 多分、僕の笑顔は歪んでいたのだと思う。

 こんな生き方はつらい? そんなもの既に知っている。

 それでもなお、進み続ける理由がそこにはあるのだ。

 名状しがたい形で燻って、胸から出てこないそれは。


「お前がそう言うのなら、いいさ」


 しばし静寂が訪れる、教会内にもう人は見当たらず、聞こえるのは自分の呼吸と、少し早い鼓動だけ。

 それを治めながら、この音を出しているものの正体を大切にしながら、形にしていこうと思う。


「それで本題は?」


 言われて気づく。

 そういえば雷の魔法をどうにか使い勝手を良くしたかったんだ。

 自分の価値観を守ったり、不安定な情勢が村を滅ぼしたことを憂うためじゃない。


 雷の魔法が使えることを伝え、閃電を直線的でなくもう少し別の形で行使できないか、夢幻舞踏を自身が感電するペナルティをなくす、もしくは軽減できないかと考えていることを簡潔に伝えると神父は悩んだ。


「そうか、もっと精神的な話しかと思ったんだが……」


 確かに悩むだろう、神父に魔法のことを尋ねている現状は何かがおかしい。

 聞かなかったことで、とさっさと去ったほうが互いのためかもしれない。


「私から言えることは二つある。一つは殺す覚悟は殺される覚悟をする必要があるってことだ。

いや、もっと単純だな。傷つけるってのは、傷つけられる覚悟が必要になる」


「つまり?」


「これ以上発展できるかもしれないが、私が自分で使うならそうはしないな。自身を傷つけながら、効率的に相手にダメージを与えられる。

それが完成形じゃなくとも、私はそこで止まる。考え方の問題だな、夢幻舞踏とやらが私自身の考え方にあっているし、ある程度完成されたものをより完全に近づける作業をするぐらいなら、その時間で他の未熟な部分を伸ばす」


 前者は好みの問題だろう。

 僕自身痛みに慣れているし、自分に合っているかどうかと聞かれたら今の段階が一番適しているかもしれない。

 後者は参考になる。

 雷に思考を囚われすぎていた、別にそれだけが手段じゃない、目的でもない。

 魔法は過程にしか過ぎないのだ、勝利、生存という目標に向かって進むためならば、他のどんな手段でも構わない。

 自分という人間が天井知らずに一分野だけ伸び続けることがないのは前世でよく知っている、一分野を極めるのなら本当にそれ以外のことを意識してはいけないのだ。

 僕が嫉妬した天才達はそんなことをする必要がなかったかも知れないが、自分がそのような本物とは思っていないし、一分野だけを極めるつもりは毛頭無い。


「参考になりました、とても。もう一つは?」


「雷を扱えるなんて凄いな。人に教えたり、本でも書いたら稼げるだろうな」


 朗らかに口を開け笑う神父を背中に僕は去ろうとする。ダメだこの人。


「お嬢ちゃん、名前は?」


「……アメ、冒険者をやっています」


「そいつは奇遇だな。私の名前はクエイク、冒険者をやっている、趣味は神父だ。案内所でも会ったら一緒に仕事でもどうだ?」


 そんなことだろうとは思っていたが、せめて神父が本業であってほしかった。


「考えておきます、気が、向いたら」


 スイやジェイドと同じように長い間仲間として活動、というのはあまり想像できないが、機会があれば一緒に仕事をしてみてもおもしろいかもしれない。

 ……ずっと一緒だと疲れるだろうが。




 教会を出ると日は頭上から落ち始めている頃だった。

 皆が帰るほど長い間、村のことをなどを考えて呆然としていてもずっと待っていてくれたし、昼過ぎであの筋肉量ならそれなりにお腹が空いたはずだ。

 そんなこと微塵も感じさせない態度で、長い時間付き合ってくれたクエイクに感謝しつつ露店で適当に昼食を取り案内所に向かう。


 本の事で相談をしたかった……それで稼ごうというつもりはないが、稀有な技術なら後世に残す価値があるのかエターナーに相談しようと思った。

 それと雷魔法が実現するのに彼女の言葉が役に立ったにも関わらず、正式に報告をした記憶が無い。改めて報告がてら礼を言おう。

 昼も過ぎていることだし、甘い菓子が土産として丁度いいか。目に止まったシュトーレンのような焼き菓子をいくつか買っておく、同僚の人の分も買っておけば雑談に向けられる怒りも少しは薄れるかもしれない。


「アメ、こんにちは。今日はお話ですか?」


 正面に立つと本から目を上げ、エターナーはそう尋ねてくる。

 街中で過ごすお洒落な格好だったからだろう。


「はい、でも本の話とは少し違います。いえ本の話なんですけどね」


「……不思議な物言いをするのですね。まぁなんでもいいですよ、確かに本の感想を話し合うのは好きですけれど、私とあなたの関係はそれだけじゃないと思っていますから」


 だからこの過剰な好意の源は何なのだ、僕は未だに理解できてない。


「以前相談した雷の魔法が実用段階まで使えるようになったことを報告していなかったので、その報告とこれ、お礼です。皆さんでどうぞ」


 二桁近く買ったので簡単な箱に入れて渡してもらった菓子を渡す。

 エターナーが隣にいる職員に声をかけ渡すと、すぐにたくさんのお礼を告げながら職員の人々は奥のデスクを中心に集まった。


「後で私の分残っていますかね」


「さぁ?」


 職員へ挨拶に軽く下げていた頭を上げ、ぽつりと漏らした彼女の呟きを適当に流す。

 本当に危機感を覚えているのなら今からでも一つ確保するべきだ。


「まぁそれはいいとして、おめでとうございます、アメ。

あなたは凄い人ですね、時間がかかっているのかと思ったらもう完成していただなんて」


「いえ、さんに……エターナーさんや、多くの人々がいたからこそです。僕だけでは到底無理なものでした」


 エターナー、コウ、ルゥ。この三人のおかげ、そう言いかけ止まる。

 僕の後ろには、死んだ男の記憶には様々な人の生き様が歴史に残っていて、それが電気技術を発展させた。

 だから三人や、僕を入れて四人の功績ではなく、想像もできないような多くの人々の痕跡が雷魔法の実現に繋がったのだ。


「なのでこの魔法も記録として残したら、誰かの役にたつのかな、そう思ったんですがどうでしょうか」


「なるほど、それで初めの言葉に繋がるんですね。少し待っていてください」


 エターナーはそう言い、自分の机に向かい多くの紙と、執筆するのに役立つ品々を持ってきてくれた。

 途中で焼き菓子を一つ確保しながら。


「こふぇふぉふけふぉって……」


「飲み込んでからにしてください」


 口には焼き菓子を放り込んだままだ、今朝のルゥといい何故みんなこうも行儀が悪いのか。

 もしかして僕も普段意識していないだけでこんな様子なのか心配になる。


「……失礼しました。これを受け取ってください」


 渡されたのは三桁近い枚数の紙に、インクとペンだ。


「代金は?」


「もし完成したら初めに私に読ませていただければそれだけで」


 物に対する対価はしっかりと払いたいのだが、陶酔したような視線を受け悟る。

 何を言っても無駄だろう、大人しく好意に甘えよう。


「どうして、魔法の書籍が少ないかわかりますか?」


「……? いいえ」


 今までは感覚的なものだから文字として残しずらい物だと思っていた、けれどそれが違うというのは今回の件で思い知った。

 確かにきっかけは感覚的なものだろう、それこそナイフで指を切らないと理解できないような些細な問題、でもそのきっかけさえ乗り越えてしまえばあとは理屈だけだ。

 そのことに気づいてからは、魔法関連の資料が少ないことを考える機会など無かった。


「書けば、いえ、書こうとするとわかるはずです。どうかあなたが、その感覚に苦しみますよう」


 一歩先を歩む女性が、一歩後ろの少女に笑う。

 ここまで来るのなら、その苦痛と向き合う必要がある、あなたはそれを乗り越えられるのかと。


「どうでしょう? 僕は痛みには強いけれど、つらいのは苦手ですから」


 焼け死に、殺し合いの中傷を負うのが当たり前で、今は魔法を行使するのに痛みを伴うことすら躊躇わない。

 けれど家族や、故郷を失ったことは忘れられない。未だに僕の心はそこらに留まったままだ。


「私はどちらでも構いませんよ、あなたの選択を楽しみに待っています」


 まとめた道具を受け取る。


「今日はこれだけで。以前頂いた本の感想は次回で」


 宿のロビーにも随分本が増えた。

 エターナーが言うにはまだまだあるそうなので当分は飽きずに過ごせるだろう。

 ベルガも大喜びだ、宿の客室は僕達が死なないせいで四部屋しか空きが無い上、その四部屋を本を読みたい利用者が取り合うように代わる代わる入るし、泊まりはしないけど食事を取るついでに本を読む、という人も口コミでだんだん増えてきた。

 気をつけるのはエターナーの懐と、本の置き場所、あとは本の管理体制か。

 町に着てから盗難や殺人といった悪い噂は聞いたことないが、耳に入っていないだけの可能性が高い。

 そんな悪意で、エターナーの好意を無下にされるのは気に食わない。


「あ、一つ依頼したい仕事があったんでした」


「また手伝いですか?」


 以前五人でやった書類整理を思い出す。

 命を賭ける必要がない事を考えれば、稼ぎが増えた今でも十分美味しい仕事だ。


「いえ、地図の作成をお願いしたいです」


 どくんと心臓が跳ねる。

 地図の作成自体はありふれた仕事だ、未知の地域を開拓する前にある程度の地形を少数で把握するのは重要だ。

 でも僕が動揺したのはそれが理由ではなかった、今この時期で、僕にそれを告げたことはもしかしたら特別な意味があるのではないかと察したからだ。


「アメ達の村……だった周辺の地形をできるだけ細かく描いてください、町からの道のりと、村周辺に竜が居つく可能性がある箇所など。

王都から連絡が来ました、正式な先遣隊を編成し、必要ならば討伐隊も組む、と」


 ……速い、王都まで進みやすい道を選んで二ヶ月ほどか。

 それをこの時点で情報が往復するというのは、人か馬を使い潰さなければできなかった行為だ。


「ありがとうございます、必ず描きます」


「直接出向く必要はありません、記憶に残っている限りの情報でいいです。

時間もそれほど気にする必要はありません、実際に先遣隊が組まれるのは数ヶ月は先になるでしょうから」


 その言葉に頷き、今度こそ案内所を出ようとする。

 彼女も、その言葉は蛇足だと思ったのか、少し戸惑いながら口にした。


「……初めに読んだ絵本を覚えていますか」


「はい、それこそ一字一句忘れないほどに」


 誇張ではない。

 文字を学ぶためにコウと二人、毎日穴が空くほど見たのは事実だ。

 細かい表現こそ誤るものの、全ての内容を複写することは可能だと思う。


「あなたは、あなた達は作者が竜信仰だと思っていましたね」


「はい」


 竜が尊い存在だと描かれており、ルゥはそれを竜信仰による解釈だと納得し、僕達はそれを共通の認識にした。


「もし、もしあれが、作者が竜信仰でない物だとしたらどういう意図があったと思いますか?」


 それって、どういう意味だ。

 それを告げるということは、どういうことだ。

 背中で語っていたのをやめ、エターナーの表情から少しでも情報を読み取ろうとする。


「振り向かないでください、きっと今の私は、とても酷い顔をしていると思うから」


 その言葉に僕は止まる。

 振り向けば、今集まりつつある幾つもの記憶から、一つの欲しかった答えを彼女の表情から読み取れるだろう。

 だけど、エターナーが、友が望んでいる。

 だから、諦めた。大切な何かを知ることを諦め、友人の酷い表情を見ることを是としなかった。


 まとまり、掴めそうだった糸が解けていくのがわかる。

 それはきっと尊いものだったのだろうけど、それよりも今見えている大切なモノを選んだ。


 どうしても抱いてしまう未練を振りほどきつつ、エターナーの問いを確認する。


 "本の作者が竜信仰ではないのに、竜を善いものとして書いた理由"


 真っ先に浮かんだのはそれが事実だった可能性だ。

 伝聞か何かで少しだけ後世に残った情報、それを真実だと信じ本に記したのだとしたら、竜信仰でなくともそう書いた理由と納得できる。

 でもそれだと話の筋は通るが、今こうしてエターナーが話題に出した理由にはならない。

 尋ねるのなら初めに話を聞いたとき、もしくは本の話題を扱っているときにするだろう。

 わざわざこうして、僕の去り際、彼女自身間の悪いタイミングだと理解しながら会話をすべきだという理由にはならない。


 "成したいことを成せ"


 あの神父、クエイクと言ったか、先にあの人に出会っていてよかった。

 いや、出会わなければエターナーに今日会いに来ることもなかったか。

 ならばそれが運命という奴なのだろう、その運命で、答えに至れたから。


 間が悪いタイミングで会話をすべきではない。

 逆だ、今だから会話をしたい理由があったんだ、それこそ今度こそ去ろうとする僕を引き止めてでも。

 伝えたかったのは自分のためか、僕のためか。まぁ、どちらでもいい。



「……否定して欲しかった。自分も信じたくなかったものだから、お前の書いていることは間違っているんだぞって」


 僕の答えに、女性の息を呑む声、そして声が泣いているような震えた声が耳に入る。


「正解、ですっ……! 一緒に否定しましょうっ! どんな形でも私達ならそれに関わることができるっ……! 竜を、否定できるんだってっ……!!」


 その言葉を聞き、今度こそ僕は案内所を去った。

 振り向かなくてもわかっていたから、声は濁り、無機質な表情は涙で溢れていたと。





 結局、答えは見つかってしまった。僕に対し好意を向ける、その源。

 いや、初めからわかっていてもおかしくはなかった、今思えば初日で十分情報は出ていたのだ。

 僕はエターナーの態度に戸惑い、自分で考えることを気づいたらやめてしまっていたのかもしれない。

 それに対し、自分で考え続けたルゥは答えにたどり着けた。それがたとえ以前から面識のあったアドバンテージだったとしても、その時点でたどり着けたのは事実だ。


 そろそろ追い越せる、そんな風に思っていたけどまだまだかなぁ。

 胸に手を当てる。短い時間でいくつも感動することが多かった。

 かなり膨らんできた胸の感触を確かめながら心に刻む、必ず竜を否定して見せると。



- 鼓動の源は何時から 終わり -

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