26.一から三、五人とみんな
「ふぁ……。おはようございます、お姉さま」
「ん、どうした?仕事か?」
ジェイドとスイの二人は空いていた隣の部屋を借りることになった。
元々借りていた宿よりは少し値段が増すが、格段に快適に過ごせるようで満足だと何度も口にしていた。
「違うけど、動きやすい格好に着替えて」
「……? わかりました」
頭上にクエスチョンマークを浮かべている二人と、まだ目が開ききっていないルゥを引きずって、僕とコウは西の門までたどり着く。
早朝はすでに過ぎているものの、まだ町は目覚めきっておらず人通りが少ない。
「それで、何をするんですか?」
「ストレッチして、走る」
- 一から三、五人とみんな 始まり -
三十分後。
そこには立つことすらできず、ただ呼吸をすることだけしか考えていない兄妹がいた。
「ぜぇぜぇ……なんの、意味があったんですか……?」
尋ねるスイの呼吸は荒いが、対して声をかけられた僕は肩で息をする段階にすら至っていない。
三人で毛皮を持って町に帰ったときに気づいていたが、僕と二人では基礎体力が全然違う。
常日頃から訓練を欠かさないことも重要だが、効率よく魔力を使うことすら上手くできていないのだろう。
せめて魔力を肉体強化にまわせていたら、魔力が空になる代わりに今は二本足で立つことができていただろう。
「なるほど、いつかはアメ達のように魔法の練習をしながら走れるようになればいいんだな」
考えていることをそのまま伝えると、ジェイドはそう呟いた。
「まぁ二人がそうしたいっていうならね。無理にとは言わないけど、一緒に行動するならせめてそこまでこれないと二人がつらいと思う」
二人が今の僕達の場所まで来るころには、更に僕達は前に進んでいるだろう。
しかしいつかは追いつき、隣に並べるはずだ。
まぁもっとも隣で立っているコウのような例外も存在する、竜の爆発を想像し、不完全ながらも模倣していたのを思い出す。
爆発という事象がどうやって発生しているかは詳しく説明した覚えはないし、ルゥが教えているのも見た記憶は無い。
確かめてはいないが一人で想像し、自分だけで試行を重ね扱えるようになったのだろう。
隣に立つコウを見る。
僕と同様に息を整え疲労を見せず振舞うその姿は、きっとスイ達には僕とコウは同レベルに見えるのだろう。
でも実際は違う。
彼は僕より常に先に進み続けているし、体力も、それを補助する魔力もまるで削れていないのだろう。
焦りなどとうの昔に忘れた。
初めて二人で絵本を読んだ時、恐怖に怯えた僕を逃がさないように抱きしめた彼にもう僕は諦めたのだ。
コウに勝ることは一生ない、そしてコウが敵にまわることもない。なら何も心配など必要ない。
「お二人でも十分凄いのに、ルゥさんはもっと凄いんですね」
そう口にしたスイの視線の先には日向ぼっこを楽しみ、柵に腰かけ浮いた足をぶらぶらさせて遊んでいるルゥの姿だった。フードをいつものように被って陽光を楽しんでいる辺り、不毛という言葉が似合う。
そんな彼女は当然のようにランニングには参加していない、それがおそらく訓練する必要も無いほど優れているという誤解に繋がったのだろう。
二人に事情を説明する。
ルゥは非常に体力をつけることが難しく、わざわざ訓練する必要が無いのだと。
僕もはじめはそう告げられ納得していたが、どうしても嘘くさくて無理やりランニングに参加させていた時期もあった。
けれどいつまで経っても体力がつく様子がない、いや一応少しずつ体力がついているのはわかるのだがあまりにも効率が悪い上、その様子が"体力がついていく"というよりも"体の使い方を思い出している"に見えてやめさせた。
良く言えば彼女は十二歳の現時点で既に人間として完成されている、悪く言えば現時点でもう限界なのだ、底は既に見えている。
知識は非常に豊富で、技術も十分。しかし肉体面は体質もあり脆弱で、魔力もその体調維持に使うせいで多くはない。
総合的に見れば七十点といったところか、得意な教科や好きな分野では八十に届くかもしれない。
でも九十や百は彼女には決してありえない、どれだけ器用に立ち回れても、それを専門に生きる人々には勝てることはないのだ。
前の人生を思い出す。
僕が男だった時、様々なスポーツや趣味に手を出し、部活動もいろいろ経験したのも思い出す。
まるで体の芯に火が付いたように急にそれに打ち込んだかと思ったら、数ヵ月後にはまるで別のことをしている。
飽き性だと思っていたが今なら理解できる、その分野に精通し本物を見たことでそれに叶わない自分の才能や、そこまでに届くまでに必要な努力に無意識に怯え逃げ出したのだと。
今度の人生はどうだろうか、何かを自分の中だけでも残すことは出来るのだろうか。
スイとジェイドを見る。
二人はそんな怯えには気づかず、いつか追いついてみせると荒い呼吸を整えながらも瞳が語る。
ルゥを見る。
彼女はどう思っているのだろうか。現時点でコウは既に追い抜いているかもしれない、僕も遠くないうちに彼女に背中を見せる立場になるだろう。
「俺達はもう大丈夫だ、次は何をするんだ?」
ジェイドの言葉で現実に引き戻される、二人の肌はまだ紅く染まっているものの、肩で呼吸はしていない。
今は、いいだろう。その時が来たら、彼女や僕達が悩めばいいのだから。
「朝食取った後は午前中いっぱい使って座学、戦術とか魔法とかの勉強。午後からは少し休んで仕事を探そう」
訓練しているだけで誰かが金をくれるなんて甘い世界は存在しない。
レイノアに借りたお金を返すにはまだまだ稼ぎが足りないし、二人の懐事情は僕達よりも更に厳しいだろう。
生きるために体を鍛えて、生きるためにお金を稼がないといけない。
裕福な暮らしはまだまだ見えそうにないが、急ぐことはない。人生は長いのだから。
「助けた上、面倒をみることに決めたんですね。まったくお人よしも過ぎた人です」
午後。
四人が掲示板で仕事を探している間に、一応エターナーに事の顛末を報告すると呆れながらも、どこか温かみを持った表情をされた。
「自分でもそう思っているんで、あまり言わないでください」
「まぁ若いとは良い事です。その過程が良くも悪くも、ね」
人を若いと言うが、エターナー自身も十代後半か、もしくは若く見える二十代前半といったところだろう。
僕の周りにはどうやら年齢が怪しい人物が集まりやすいのかもしれない、類は友を呼ぶ、とも言うし。
「それで仕事を探しているんですか?」
「はい。できれば五人全員でやりたいですけど、まぁ二つのグループに分けることも考えています」
仲間の人数が多くなったことが枷になってしまっては意味がない。
仕事を選ぶのではなく、いくつかの仕事を平行して行えると考えたほうが現実的かつ建設的と言えるだろう。
「皆さん文字の読み書きできましたよね?」
「はい、最低限は」
ルゥは文句なしに、僕とコウは同レベルと言ったところか。
スイとジェイドは文章のみでも意思疎通が可能なことは確認済みだ。
「なら案内所の仕事を手伝ってくれませんか? 少し書類整理が溜まってしまって、困っていたところなんです。
命をかけるほどではありませんが、国からの依頼なので少なくない額を渡せます」
「……喜んで」
返事を言いよどんだのは示された報酬の額が不足だったからではない。
案内所に入ったとき僕はしっかり見ていたのだ、エターナーは本を読み、隣の二人はいつも通り雑談に勤しんでいるところを。
常日頃からしっかり働いていればそんな依頼を出す必要はないし、本当に困っているのならそれ相応に今働くべきだろう。
そう思ったが、余っている国の予算を市民にまわす都合のいい手段だと考えたら、それに甘えるのも悪くはないと思い結局承諾することにした。
仕事の内容は簡単だった。
文字さえ読めれば書く必要なく、大量に溜まったそれを適切な場所にしまったり、処理をエターナーや他の職員に任せれば、基本的に荷物運びと書類の分別、あとは雑用だけだ。
ただそれら全てを終えるのには夕方までかかった、溜め過ぎだ。
「まさか一日で終わるとは思っていませんでした。ありがとうございます、皆さん」
全職員が朝からしっかり働いていれば今日中には僕達の手を借りるまでもなく終わっていたと思うのは野暮だろうか。
一応一時的にとはいえ雇用主になったエターナーにそれを告げるわけにはいかない、給料はまだ貰っていないのだ、変なことを口にしてこっそり減らされていたりしたらたまったもんじゃない。
「これが報酬です。五人分、想像よりも早く終わったのでその分上乗せして、あと夕食も経費で食べられるように追加しておきました」
中身を確認する、しっかりエターナーが言うようにはじめに言われた金額より追加されていた。
これなら五人全員の二、三日分の生活費に、それぞれお釣りが入るほどだ。慣れない仕事とはいえ肉体労働じゃない上、命を賭ける必要が無いとなれば十二分だろう。
「確かに。ありがとうございます」
「はい、また機会があればよろしくおねがいします」
「そんな機会は作らないように日頃から働いてください」
報酬が手元に渡ったせいか口が滑る。
「……金額に不備があったようです、少し預かってもいいですか?」
「是非次の機会もよろしくお願いします!」
「はい、それ以上余計なことを言う前に早く帰ってください。新しいお仲間は少しお疲れのようですよ」
機械的な彼女がお茶目な表情で冗談を口にすることに驚きつつも、スイとジェイドの様子を確認する。
話題にされたからか背筋を伸ばしているが、おそらく朝からの訓練と、午後の仕事。共に慣れない作業をしたせいで疲労が表に出ていたのだろう。
エターナーに別れを告げ、仕事の途中少し仲良くなった他の職員にも軽い挨拶をしながら宿に帰る。
「はい、二人の分」
「……こんなにいいのか?」
戸惑うジェイドにこちらが戸惑う。
しっかり五等分してそれぞれに渡したからだ。
きっと立場が対等だと思っていないからか、均一に報酬を分けられるとは思っていなかったのだろう。
「お金はしっかり分けるよ。狩りをしてもね、慣れてないから受け取れないなんて言わせない。
戦いで貢献できない分は荷物持ってもらったりして負担を分担するから」
「アメがそう言うなら良い、わかった」
「あぁ、ただあまり無駄遣いはしないでね。装備や遠出する時に必要な物を揃える為にまとまったお金が必要になる時があるから、節約する意識は常に残していて」
無言で頷く二人。
その真剣な様子からはきっと大丈夫だろうと確信させる想いを感じる。
「じゃあ解散、今日は疲れたでしょ。夜まで少し休んだらいいよ、夕食はタイミングが合えばよければ一緒にとろう?」
挨拶もそこそこに自室に上がっていく二人を見送る。
僕には見せなかったけれど、おそらく疲れは確かに溜まっていたのだろう。
二人の姿が完全に消えたのを見てルゥが呟く。
「エターナーのあんな表情初めて見たよ」
報酬を受け取った後のやり取りを指しているのだろうか。
それなりに長い付き合いなのだろうが、そのルゥがそう言うのなら実際珍しいものだったのかもしれない。
「あの二人もそう、きっかけは偶然だったけどそこからはおそらく必然なんだろうね。
アメの持っている何かは、特定の人を強く惹きつけるのかもしれない」
「……どこ行くの?」
「お金に余裕あるし遊んでこようかなーって、アメのそれのおかげでこれからも楽に稼げる機会あるだろうしね」
ルゥはそう言って宿から出て行ってしまった。
僕はコウと二人ロビーに取り残される。
「俺も少し体動かしてこようかな、ちょっと物足りない」
「着いて行く」
またいきなり自爆でもされたらたまったもんじゃない。
コウの手の内を少しでも把握しておくことは、僕の精神安定に繋がるだろう。
「炎竜撃、だっけ。どうやって思いついたの?」
おなじみな西門に向かいつつ、僕はコウに尋ねる。
確かハウンドの群れを相手にした際、彼が爆発した時に行っていた詠唱の中でそう呼んでいた気がする。
爆発に似て、爆発ではない何か。
音や炎はそれほどでもなく、殺傷力の少ない衝撃だけがあったそれ。
「あの時何があったかを思い出したんだ。あの時あったのははじめは音、後から風が来て、村に近づくたびに木々が燃えていた」
「そうだね」
「だから音を魔法で動かすんじゃなくて、風と火を魔法で動かした結果音が発生するんじゃないかって思ったんだ」
風と火は普段魔法で扱う基本的な要素の一つだ。
コウがそのように考えたのは当たり前な過程だったのだろう。
「で、いろいろ試したら火を大きくしつつ、風で押さえ込んだら、解放した時にあんなことになるようになった」
町からは遠く離れ、今はもう喧騒も聞こえにくいほどだ。
コウは一本の木を目がけ、炎竜撃を放つ。
詠唱もなく、しっかりと爆発と呼べるそれを。
そこまでに至る思考の過程は当たり前だったかもしれない、けれどその行為は当たり前じゃなった。
爆発が何であるかも理解せず、村を滅ぼしたそれを制御し自分の力として扱おうという行為は当たり前なんかじゃない。
「おかしいな、燃え広がらないようにしたつもりなんだけど」
少年は意外そうな口調とは裏腹に、冷静かつ迅速に鎮火作業に取り掛かりそれを終える。
爆発した後必要以上に燃え広がらないように、そこまで考えているのか。相変わらず底が知れない。
爆発というものは火と風の複合属性だ。
火を扱うのは簡単、風を扱うのも簡単。けれどその二つを組み合わせ、効果的に運用するとなると途端に難しくなる。
本来相容れぬからこそ、火水風土と基本的な属性に分類されているのだ。それらを組み合わせるのは確実な理論と、繊細な魔力操作を要求される。
僕はまだそこまで扱えるような人間ではなかったし、ルゥも複雑な魔法を使っている様子を見たことがない。けれどコウは、既に一人でその領域に入っていたのだ。
そんな彼と僕は肩を並べ、自分の知る爆発の原理を伝えつつ、自分でも炎竜撃を扱えるようにと時間の許す限り練習した。
爆発、というものは僕には扱えないかもしれない。火は苦手だ、自分や家族が焼け死んだものだから。爆発も苦手だ、故郷を失ったきっかけなのだから。
なら電気、はどうだろう。雷雲は水と風が合わさって発生する自然現象だ。
水なら得意。応用力があり使いやすく、何より火が消せる。僕はコウとは違う方向性で魔法を扱えるようになったほうがいいのかもしれない。
宿に戻り、五人で夕食を食べ終え、また明日と部屋の前で別れて自室に入ると、ルゥが自然な様子で荷物からはみ出ていたそれを奥に仕舞う。
だから、不自然だった。
いつも当然のように何かをこなす彼女が、今こうして動いたことは何かが間違っている気がしたのだ。
「出して」
「はい」
僕の言葉に素直に従い、隠したものを渡すルゥ。
手渡されたそれは今日の朝まではなかったはずのもので、おそらく夕方外に出たときに買ってきた物と思われる。
懐中時計だった。
綺麗な装飾が施されたそれは、歯車をカチコチと鳴らしながら時を刻む。
「かわいい……センスいいじゃん」
素直にそう思った。
「でしょ?見つけたときこれだ!って思ったんだ」
嬉しそうにはしゃぐ彼女を見て思った。
素直に、思ってしまった。
「……で、いくら?」
「……」
無言で、あえて不自然に視線を逸らすルゥ。
冷や汗や、青ざめる様子は見て取れない。
「ま、いいんだけどさ。ないとは思うけど、お金無理に使ってみんなが大変ってのはやめてね」
「それはもちろん」
部屋に入ったとき不自然にしまいに行ったのは、よほど気に入っていて皆が集まるまで眺めていたか、もしくはわざと気づかれるようなきっかけのためだろう。
後々高い買い物をしたのがばれて問題になるのなら、はじめからばらしていく……もしくはただ単に自慢したかったのかもしれない。
村という狭い範囲から町に出て、いろんな人と仲良くなりながら、二人の把握できない部分も増える。
どちらかというと今までが異常だったのだろう、何から何まで知っている、そんな状態が。
前世を思い出す、それは現時点で同じ部屋を借りて住んでいる状態も異常だと告げているようで。
エターナーと二人で交流したり、スイとジェイドを追ったのも一人だったし、まぁこんなものだろう。
少し寂しいが、流れ行くものを止める権利は僕には無い。
過ぎ去ったものに愛着を残しつつ、今ある現実に適応するしか手は残されていないのだ。
懐古厨って言葉があったっけ。
無線でデータをやりとりできるようになったゲーム機や、形と機能の変わった電子機器、数年前から変わってしまった交友関係や、生活スタイル。
どれも驚き、戸惑いつつも、気づけば慣れている。
でも一度は誰もが寂しさを覚えるんだ、そんな現実に。
なら、人を懐古厨だと指差して笑うなんてできたものじゃないな、気づいたら自分がその位置にいるのかもしれないのだから。
懐かしむことはやめられない。
いつだって人は大切な時間を覚えてしまう、そしてそれが失われた瞬間も。
僕は今だって覚えている、家族と自分が焼け死ぬ時間を、竜が飛び爆風と共に全てを失ったことも。
ずっと、覚えている。忘れられなんて、忘れようなんて、しない。
- 一から三、五人とみんな 終わり -




