23.慣れたら退屈で
荒い息遣いが聞こえ起きる。
コウが筋トレをしていた。
気持ちはわかる、昨日遊び歩き、いい加減体調面も精神面も回復しきっている僕もそろそろ体を動かしたいと思っていたからだ。
「走りにいこっか」
「……大丈夫?」
「それを確かめるの」
- 慣れたら退屈で 始まり -
実用的な服に着替え、念のため短剣やポーチも所持する。
街中で走るわけにもいかないので、外壁に沿うよう走る予定だ。
町の近くに獣が出るとは思えないが万が一ということもある、最低限装備は整えよう。
「おはようございます、ベルガさん」
「おや、おはようさん。朝食はいるかい?」
脱いだ衣服の洗濯をお願いしつつ、ルゥへの伝言を頼む。
わざわざ起こす必要もなければ、貴重品である紙を使いメモを残す必要もない。
「いえ、後でで。ルゥが起きたら伝えてください、二人で外を走ってくると」
「え? 走る?」
説明が面倒なので疑問に思うベルガの言葉を無視してコウと二人で外に出た。
宿"雛鳥の巣"は南西の、北側に位置しているので西の門から町の外に出る。
乾いた空気は相変わらずだが、天気は良く寒さもそれほどではない、走っていればむしろ心地良いぐらいだろう。
お腹の調子も大丈夫だ、どうやら軽いほうらしく出血ももうほとんどない。
無茶な旅の疲労もほとんど抜けており、トータルで見て体調は八割程度か。
八割……十分だ、村にいたころは今とは違い粗末な二食だったし、寒さに対抗する手段も少なかった。
八割以下でウェストハウンドと対峙するなんて当たり前なのだから、その状況でランニングをするなんて余裕だろう。
ただその自己分析が間違っている可能性もあるし、危険じゃない町の外周を適当に走ろう。
西門から北門へ、と思い走る。
体は好調だ、魔法の精度を上げるため水球をいくつも維持しながら走るが何も問題が無い。
一つ問題があるとすれば意外と北門が遠いことか。
人口約六万、その人々をそれなりに密集させ収容したとしても、その町の外周はかなり広くなる。
体感で三十分ほど経った時に反転し、西門へ引き返す。
「おかえり、どうだった?」
「うん、もう僕は十分かな」
既に起きていて、飲み物一つにテーブル席に着き、他の利用者と会話していたルゥが尋ねてくる。
「お前ら不思議なことをしているんだな、走る時間があればその時間で体動かす仕事をすればいいものを」
そう言うのは昨日の夜、一緒に騒いだ男性だ。
それなりにどんな人かは知っているが、名前は知らない。
「まぁ趣味みたいなものなんで」
ベルガもそうだがこの世界の人々にはあまり訓練をするという意識はないのかもしれない。
「そうか、ならいいさ。んじゃ、俺は仕事探してくるかね」
既に食事は取り終えていたのだろう、僕たちが帰ってきたのを見て彼は食器をカウンターに置きつつ外へ出て行った。
別にそんなルールがあるわけでもないのに、律儀に店員が処理しやすいように動く彼はきっと優しい人なのだろう。
ルゥが言っていたここにはそんな人達が集まりやすい、そう言っていたのはあながち嘘でもないのかも。
ただこの日以降、彼の姿を見ることはなかった。
名前を聞いておかなくてよかったと思う、きっと少しでも寂しいと思ってしまっただろうから。
冒険者の識字率は頭を抱えるほど低く、死亡率は抱える頭が無くなるほど高い。
「今日はどうするの?」
「ルゥの体調はどれぐらい?」
コウが質問で返す。
「六割ぐらいかな、まぁ自分の身ぐらいは守れると思うよ」
「なら仕事探しに行こう、無茶しない程度で」
僕の言葉にコウは内心ガッツポーズをしていたのではないか。きっと動きたくてしかたがなかっただろう。
ルゥが装備を整え、荷物をまとめている間、僕とコウはベルガにしばらく宿を離れるかもしれないことを告げる。
「あら、そうなの。一日分リル余ってるけどどうする?」
「預かって置いてください。あ、荷物があるのでそれを取って置く代金に回しても」
丁度三人分の荷物をルゥが持って階段から降りてくるのを見てそう告げる。
町で着るための衣類を持っていく必要はない。
「これぐらいの量ならタダでいいよ、だからあんた達必ず帰ってくるんだよ」
「はい」
一日泊まる分のリルと、いくつかの衣類。
それだけのために僕たちは帰ってくる必要がある、生きて。
と壮大に何かが始まる前振りに聞こえるが、別にそこまで命懸けな仕事をするつもりはなかった。
何食わぬ顔で日帰りして、温かいベッドで寝たい。
タバコの臭いと煙で満ちた扉を開け、案内所に入り掲示板の前に行く。
朝からだらだらしている連中もいつも通りだし、掲示板の前に誰もいないのもいつも通りだ。
何か手ごろな仕事がないかを探し、土地の開拓するメンバーを募集しているのが目に止まった。
募集人数が多く、三人全員で参加できて、また他の人と共に行動することで安全性が高まる。
仕事内容も多岐に渡り、建築関連こそできないものの、木を切り加工したり、そういった作業員を守る護衛の仕事は共にできる。
国が管理する仕事のうえ、遠征になるからか報酬もいい。いくつかの仕事を担当できる僕たちは報酬も上乗せされないだろうか。
国相手にそんな柔軟かつ打算的な対応を考えている自分に苦笑していると、隣に二人の子供が並ぶ。
子供、と言ったら失礼か。少女のほうは僕と同じぐらいの年齢で、少年のほうは十四ぐらいか。
少女は薄い桃色の髪を短く切り揃え、純粋そのものが眼球になったような碧い瞳をくりくりとさせていた。
少年のほうは少し色が濃ゆく赤みが増した髪で、また少女と同様に碧い瞳で仕事を探している。
兄妹なのだろうか、ここまで幼く、なおかつ文字が読める冒険者がいることに僕は驚いたが、彼女らはそうでもないらしい。
興味がない、というよりは、こちらに気づけないほど余裕がない。そんな様子で仕事を選ぶと、急いで処理を済ませ案内所を出て行った。
そんな二人に気を取られつつ、先ほどの仕事を第一候補に考えながら、念のため他の仕事も目を通していると、一つ目に止まる、というか気になるものを見つけた。
"害獣の退治"
初めてここに来た日と同じものなのだろう、何度も剥がされ、再び貼り付けられたような紙の損傷具合が寂しさを誘う。
思わず手を伸ばし取っていた。
「そんな決め方していいの?」
ルゥが尋ねる。
「うん、いつまでもこれが貼られているほうが後悔するから」
何度も剥がされた形跡があるのに、ずっと貼り続けてあるってことは何度倒してもキリがないのだろう。
もしくは依頼主がよほど嫌な人間で冒険者が仕事を投げ出すか、害獣の中にイレギュラーが存在して冒険者が帰ってこないか。
何にせよ困っている人がいて、それが解決されないことは確かなのだ。
「これカウンターに持っていけばいいの?」
「うん」
ルゥの返事にカウンターを見る。
この前冒険者と怒鳴りあっていた職員は資料を眺めているが、その顔が険しいように感じるのは先入観のせいか。
喋っていた二人の職員は相変わらず会話に花を開かせている。
残りは読書に勤しんでいる人だ、二人の邪魔をするぐらいなら一人の読書を邪魔しよう。あと怒鳴られたくないし。
「すみません、この仕事受けたいんですけど」
前に立ち声をかける。
無表情な女性だ、まるで人形のように。
本の中に没入しているのか、表情を変えずに言葉には反応しない。
「あのー」
どうしたらいいのだろう。
読書を遮るように手を振ればいいのかと思っていたら、ルゥが本を取り上げた。んな乱暴な。
そんな横暴に、職員は怒ることなくこちらを認識し言葉を発する。
「あら、これは失礼しました。ルゥ、お久しぶりですね」
声の抑揚が変だ、機械が喋っているかと錯覚するほどに。
……この世界アンドロイドとかないよね、旧文明から残っている存在がこっそり現文明に馴染んでいるとか。
「覚えていてくれたんだ、エターナー」
「はい、あなたのような奇特な人間はそうそういませんから」
ルゥも彼女には奇特と言われたくはないだろうに、僕から言わせて貰えば現状五十歩百歩なのだが。
ちなみに長年連れ添った分ルゥが百歩だ、当然だろう。
「それより仕事を受けたいんだけど、アメ」
ルゥが本を返しながら僕に指示をする。
「これです」
渡された紙を確認するエターナー。
「これは町南西の農家の方が出している依頼ですね。場所を教えるので詳しくは直接依頼主から聞いてください」
場所を教えてくれると彼女は紙をテーブルの隅に移動させ、本を再び開く。
「ありがとうございます」
「ご武運を」
取ってつけたような言葉だ。
それだけ言うとエターナーは既に読書を再開し、物語の中に入り込んでしまっている。
隅に移動させられた紙は、僕たちが仕事を失敗したらもう一度貼るつもりなのだろう。
指定された南西という場所がネックだった。
南でも西でもないということは、門からかなり離れてしまう。そこまで移動すると太陽はもう頭の上まで昇っているだろう。
道中歩きながら食べられる食料を買いつつ、保存食も減っていたので念のため買い足す。もう飢えに苦しみたくはない。
「すみません、害獣駆除の仕事をしにきました。誰かいませんか」
指定された地域に着き、依頼主がいると思われる小屋をノックし声をかける。反応を待っているとすぐに一人の男性が出てきた。
「ん? 随分小さい冒険者様じゃないか、大丈夫か?」
「大丈夫じゃなかったら僕たちだけが死ぬだけなので大丈夫です」
何も護衛をするために来たのではない、あくまで退治だ。
失敗したら彼らに危害が加わるわけでも、損失が発生するわけでもない。失敗したら報酬を払わなければ良いだけだ。
「まぁそうだな、んじゃ内容を説明させてくれ。そんなに時間はかからない、このままでいいか?」
一時間立って話を聞けとは言わないだろう、黙って頷く。
仕事の内容はハウンド一頭につき50リル。討伐した証として頭部を持ってくるのが条件。
場所はこの辺りを中心にならどこでもいいらしい。頻繁に畑を荒らされたり、作業中襲ってきたりするので数を減らしてほしいとのことだ。
内容に不自然なところはない、だからこそ不自然だった。
「その内容で何故何度も依頼を出しているのですか?」
僕の言葉に依頼主は顎に手を当てそれを告げる。
「今までの冒険者が言うには動きが変らしい、まるで人間を相手にしているようだとさ」
「というと?」
「いくつかの群れに分かれて襲ってきたり、勝てそうな人数のところだけにまとめて当たりに来たり。あとは逃げる奴らを追ったら待ち伏せされたなんてのも聞いたな、最後のやつは結構酷い傷を負っていたよ」
獣が知性を持っているというのか。
初めて狩りに出たときウェストハウンドに挟み撃ちされて死に掛けたことを思い出す、気をつけよう。
「なるほど、わかりました。では行ってきますね」
「あぁ、気をつけてな。お前達が失敗しても誰か他のやつがまた来るだろう、無理せず無事に帰って来い」
そう告げる彼の目には諦めの感情が浮かんでいた。
どうせ今回もダメだと、また新しく仕事を出す必要があるなと。
「どうしようか」
たかがハウンド、けれど注意する必要がある相手だ。対策、とまではいかなくとも方針をある程度定める必要がある。
「リーダーがいるのかもね」
コウがそう言う。
ハウンドで長く生きた個体が群れを導いているのではないかと。
妥当な推測だ、それ以外だとなんらかのイレギュラーしか思いつかない。
そしてイレギュラーは今こうして話を聞いて推測するだけでは対策のしようがない。
「三人まとめて動いて、リーダーがいるようならそれを潰す。それぐらいかな」
当面取れる方針はそれだけだろう、後は一度戦って、必要なら退いてからもう一度考えよう。
「待ち伏せはどうする? 例えば狭いところで四方囲まれるような状況におびき寄せられるときは」
ルゥの問いに少し考える。
退く、のが一番か。でもそれだと繰り返しに過ぎない、また開けた場所で戦闘し、不利になって逃げ出す相手を追いかける。そうなると待ち伏せされる状況まで誘導される間にちまちま削るほかない。
ハウンド、ぶっちゃけ雑魚相手にそこまで丁寧にやるつもりはない。
なら潰す、のがいいのか。待ち伏せしているだろう相手を囮を無視して撃破する。
でもこれは相手が無能一歩手前なら通用する手段だ、辛うじて待ち伏せする知能があるだけでなく、それ以上の知能を持っていたらこちらがそういった動きを取ると同時に退くかもしれない。
「コウ、一人ならどこまで耐え切れそう?」
「近くに二人がいないなら、十頭同時でもしばらくは耐え切って、一人で逃げられるはず」
それなりに魔力は使うけど、とコウは付け足した。
魔力を消費して暴れたり、炎を巻き起こすのかは知らないが、彼がそう言うのなら大丈夫だろう、おそらくそれ以上の結果を見せてくれるはずだ。
「ならコウを囮にして、僕たち二人はコウの安全を優先しつつ遊撃する」
無言で頷く二人を見て、僕たちは指定された地域に向かっていった。
畑から少し離れたところに林がある。
その指定地域から十分ほど奥に行くと森に変わる辺りで探知魔法に反応があった。
「左前方、四匹ぐらい」
わざわざ言うまでもなく目視できている距離なのだが一応告げる、森の木々の間からこちらを狙う視線が確認できた。
相手の出方を確認しつつ、いつでも対応できるように構えると向こうからこちらに走ってきた。
コウが即座に対応し、抜刀しつつその勢いで風の刃を飛ばす。居合いなんて僕教えてないんだけどな。
恐らく鞘の中で魔力を貯めて、一気に放出したのだろう。
抜刀した状態で放つかまいたちよりも、二回りは威力があるように見える。
視認しずらいもののかまいたちをハウンドは難なく避ける。
ハウンドから見ても素振りをしていたし、草木を散らせながら飛ぶのだからまぁ避けれるか。
「一匹目!」
コウの声が聞こえる。
先頭を走っていたハウンドの体を剣で貫いていた、こちらに迫ってくる勢いと、こちらから迫る勢いで刃は頭骨を貫き顔に刺さっている。
あの刺さり方は完全に死んでいるだろう。
残り三匹はというと、一匹はルゥと対峙しお互い牽制しつつチャンスをうかがっている。
残り二匹は全部こっちに来た、一撃で仕留めるために放った土槍は全て避けられ、一番体が小さくてわかりやすい脅威だと認識したのだろう。
できればコウがある程度止めてくれると助かったのだが、数に差があるうえ閉所じゃない、仕方がない。
短剣を抜こうとしたものの、既に距離は詰められ左腕を犠牲に一匹を押さる。もう一匹を右手でどうにかする時に、武器を持って自由の利かず上手く動けないことを恐れたので素手で対処した。
左腕に噛み付いているそれの鼻を右手で殴り、怯んで噛む力が一瞬緩くなったのを確認して蹴り飛ばして距離を離す。
蹴る際自身の体も浮かせ、反対側にあえて吹き飛ぶ。これで二匹目の攻撃も避けつつ、双方と距離を取る事ができた。
「右側、五匹! 急いで!!」
ルゥが叫ぶ、追加でハウンドが来るのだろう。
探知する余裕などなかった僕は、今目の前にある脅威を排除しようと水球を二つハウンドの顔に飛ばす。
殺傷が目的ではないそれはしつこくまとわりつき、視界の確保と呼吸を邪魔する。
「二匹目!」
コウが片方の首を綺麗に刎ねる。
無防備な相手かつ、予備動作をする余裕があったコウの一撃。魔力で強化されていた獣の肉体だとしてもその一刀の前には無意味だ。
「こっちも終わった、コウこっちにきて一緒に五匹相手にするよ!」
あと一匹ぐらい僕一人でもてこずるものじゃない。
ようやく水から逃れた獣にどう致命傷を与えるかと思案していると、突然その相手が逃げ出した。
まぁいい、二人に加勢しようと振り向くと、二人が相手をしているはずの五匹もその一匹と合流し一目散に森に駆け出している。
待て待て待て。
二匹じゃ割に合わない、慌てて三人で追いかける。
しばらく追いかけ、ようやく追いつけそうという時に視界が狭くなっているのに気づく。
まぁ待ち伏せだよな。いくら魔力で強化しようとも、同様に強化しているハウンドに追いつけるはずがない。
木々と茂みは増え、勝てると思っていた人数で勝てなかったのなら取るべき手段はそれしかない。
「コウ!」
「行って来る!」
僕とルゥは立ち止まり、コウは一人追走する。
探知をかけると、茂みや遠く離れた場所から彼を狙うハウンド達が認識できた。
ルゥと二人、何があっても対応できるように身構えつつ、コウの様子を見る。
一匹目、飛び掛ってきたハウンドをその勢いを利用し貫こうと剣を前に出すが、もとより牽制のつもりだったのか難なく避けられる。
二匹目、その突き出した動作の硬直に首元を狙い飛び掛るが盾で防がれ、盾を突き出す勢いを利用して剣を引き戻し、攻撃を防がれた硬直を見せているハウンドの顔を横から斬りつけ傷を与える。
三匹目、と四匹目は賢明だった。彼の死角から飛び掛り、二匹で同時に制圧しようとしたのだから。
でもコウの死角は僕たちの方向だ、彼に注意を払いすぎたハウンドは僕達の魔法で難なく命を散らす。
遠吠えが聞こえる、声の主は森の奥から悠々と姿を現した。
ハウンドよりも一回りも大きい、おそらくリーダーなのだろう。
威厳あるその姿が吠えるとハウンド達は失いかけていた士気を取り戻し、瞳に殺意を込める。
でもウェストハウンドよりは一回り小さい、ただのわんころが吠えているとしか思えなかった。残念だ。
「ルゥ」
「わかってる」
一番身軽に動けるのは彼女だ。
何かあったとき、リーダーを殺しきるチャンスが見えたとき、そのチャンスを生かせるのは彼女が適任だ。
遠吠えにあわせ全てのハウンドが寄って来る、今現在立っているのは十二匹か。
そのほとんどがコウに注意を向けて、まずは一人罠にかかった獲物を刈り取ろうと牙を振るわせる。
そしてもう一度吠えた時、彼に向かって十匹のハウンドが同時に殺到する。
もしその全ての牙と爪が彼に突き刺さった時、流石のコウも耐え切れはしないだろう。
いくつか水球を生成し、限界まで彼の動きを確認する。
決して援護で巻き込まないよう、決して彼の反撃を無駄にしないよう。
《炎と風、相容れぬ二つが相容れた時》
彼の足元に魔方陣が展開される。
なんだ、あの詠唱は。初めて聞く。
コウは一体なにをしようとしているのか。
《その全てが灰塵に帰するのだろう》
炎が燃え盛り、その周りを風がうねり炎を圧縮し続ける。
魔方陣が展開されているにもかかわらず、士気が上がったハウンド達は決して止まらず、決して止まることができず。
《炎竜撃》
その爆発に巻き込まれたのだ。
少し離れたこちらまで目を塞ぐほどの強烈な爆発……ではなく、まるで威力はなく近くにいたハウンドを吹き飛ばし転ばせる程度しかなかった。
半分は既に体勢を立て直しコウに飛び掛り、もう半分もこけてはいるものの大した外傷がない。
コウの爆発は失敗したのかもしれない、でもこれは十分だ。転んでいるハウンドに、展開していた水球を氷にしながら突き刺してとどめを刺す。
隣を見るとルゥはもういなかった。
正面を見るとリーダーの首に二本の刃を深く突き刺して、息の根を止めていた。
一つの遠吠えが聞こえる。
それはきっとリーダーがやられたことを群れに伝達するものだろう。
叫びが響き渡ったと同時に、コウに群がり辛うじて生きていた数頭も慌てて散らばり逃げていく。
そこにははじめの統率などどこにもなく、ただ生き延びたいだけの獣が走っているだけだった。
……逃がすと思った?
一匹50リル、体を売ったらいくらになるのか。楽しみで仕方がない。
素敵な鬼ごっこの始まりだ、背中を見せて走るハウンド達に僕達は追いつくことはできない。でも体に触れて敵を捕まえる必要はないのだ。
背面を見る術がないのなら、簡単に魔法という手で体に触れることができる。そして言うんだ、"捕まえた、死ね"って。
「すみませーん! 仕事終わりましたー!」
「おう、早かったなって……うぉっ!!」
依頼人が悲鳴を上げる、気持ちはわかる。
「次から頭で数えるのやめにしようかな……」
結局十六のうち二匹は逃した。
だから十四つの頭をなんとか抱えて小屋まで戻ってきたのだが、その過程で血塗れになってしまった。
せっかく戦闘中衣服の汚れは最小限に済ませていたのに、これでは台無しだ。
「リーダーらしい個体もしとめたので、しばらくは大丈夫だと思います」
「そうか。十四だから700リル、いやそんだけ狩ってくれたのなら800でいいか。リーダーも居たんだろう?」
「あ、体見ます?」
「みねえよ、頭だけでも酷いのに体なんて見たくもない。ほら」
袋に入れられた金貨八枚を確認する。
「ありがとうございます」
「お前さん名前は?」
「……? アメですけど」
「そうか、また何かあったら頼むわ」
気に入られた、ということなのだろうか。
でも彼がまた何かあるときは、害獣に困る時だろう。
なら何かはないほうがいい、けれど、何かがないと僕達は仕事がない。世の中困ったものだ。
「はい、それでは失礼します……あ、体いくつかいります? 僕たちだけじゃ食べきれないので」
「いらねえよ! 見たくもないし、あんなまずいもの食えるか!」
もったいない。
あんなものでも餓死寸前だと食べられるようになるのに。
森に残していた十四の体をばらす。
毛皮は丁寧に、それ以外は雑に処理したので日が暮れる前に終わった。
肉や骨は肥料になるので、余ったものは依頼主に全て押し付け、僕達はルゥが自分用に取っておいた肉と、毛皮を持って町に帰る。
やたら血なまぐさいそれらを持って大通りを歩く気にはなれず、細い道を使って宿に帰ると見慣れた顔を見つけた。
「お前ら、凄い荷物だな……」
第一声がそれかレイノア。まぁコウに至っては毛皮で前が見えないほど抱えているからしょうがないのかもしれない。
隣にはシンもいる、なんだかんだで未だに護衛を続けられているのだろう。
「こんばんは、レイノアさん。何か用事ですか?」
そろそろ夕日が沈む、こんばんはでいいだろう。
「あぁ。しばらくはローレンとここを往復して稼ごうと思ってな、少し町から離れるから顔を見に来た」
商業都市ローレン。
隣町といっても距離がある、道中の危険を払うためにシンと契約を続けることにしたのだろう。
この宿に泊まっているとはどこで聞いたのだろうか、そもそもこの町に来てあまり名乗った記憶が無い。
まぁ商人なのだからそういった部分は敏感なのだろう、気にすることもないか。
「そうですか、寂しくなりますね」
寂しくなる、といって町に居るかもわからなかった彼にどう寂しさを感じていたのだろうと自分で突っ込む。
「そう言って貰えると嬉しいよ、ただ世辞ならもう少し感情を込めて言うんだな」
まったくだ。
「まぁそれはいい。しばらく町から離れるというのを伝えたかったのと、もし何か用があれば案内所のエターナーに伝言を残しておけ、何か商品があればタイミングが合えば買い取れるかもしれないしな」
エターナー、彼女が僕たちの宿を教えたのだろう。彼女にどこに泊まっているかを伝えた記憶はないが、女性のネットワークというものは恐ろしいものだ。ベルガかユズ辺りから伝染して、彼女まで届いたのだろう。
「ねぇねぇ、今がそのタイミングだとは思わない? わたし達とても重くて、この荷物どうしようかなって悩んでたところなんだ」
ルゥが詰め寄り、押し付けるように毛皮を渡そうとする。
「だぁー! わかってる! わかってるから無理に渡そうとするな! 汚れる!」
「十四個あるんだ」
「前と同じ値段でいいか? 全部で4200だ」
「いっぱいあるとは思わない? 一気に仕入れられて楽じゃない?」
レイノア相手だからかルゥがここぞと値段を吊り上げようとする。
「……4300」
「ほらほら、そんなだと汚れちゃうよ?」
そう言いながら再び押し付けようとするルゥ。
もはや交渉でもなんでもない、脅しだ。
結局4500リル払い、レイノアは逃げるように去っていった。
仕事の分とあわせて5300リル。
十日はのんびり過ごせる、でも十日後にはまた命を賭けなければこれほどは稼げない。
危険なくハウンドも狩れたのも、才能あるコウが囮を買って出てくれて、ルゥが彼の作った機会を逃さずリーダーをさっさと始末したからだ。
たまたま全てが噛み合って、たまたま上手くいっただけ。こんな効率よく稼げる日はほとんどないだろう。
だから尚更命を賭ける機会は増える、稼ぎが少ないほど、天秤に掛けて都合のいい方に傾くことを祈るしかない。
……冒険者の死亡率が高いわけだ。少しでも体を鍛えて生き残る可能性を増やすか、別の手段を考えなくてはいけない。
自分が、自分達だけが特別なんてこれっぽちも思っていない。
隣を歩いていた冒険者が死んだとして、それが僕達ではなかったのは幸運なだけだ。明日しななくとも明後日死ぬかもしれない、いや今日死んでいなかったことが奇跡なのだ。
忘れてはいけない、自分たちは特別でもなんでもなく、幸運の上に生きているのだと。
宿のドアを開ける。
「ストーップ! 止まって!」
ベルガの声が聞こえる。
彼女が慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「着替えとタオル持ってくるから、裏で待ってなよっ!」
入ったばかりの宿を追い出され、裏口で三人立ち尽くす。
忘れていた。
僕達は血と汗と土と毛と、まぁいろんなもので汚れすぎている。このまま中に入ったら掃除が大変だっただろう。
何かを覚えるためには、他に覚えていくことを忘れる必要があるのかな。
寒空の下、やることがなく呆然と立ちつくす僕達。そんな中僕は一人でベルガが来るまでそうどうでもいいことを考えていた。
- 慣れたら退屈で 終わり -




