229.そこにいたよ
竜討伐に向けての出立は質素な物だった。
王都からユリアンが無事にレイニスへ帰って来たことを確認し、準備を終えていつも通りの日常を歩くよう僕とヒカリ、シュバルツとカレット、それにソシレに犬ぞりを荷物持ちとして引かせて西へ歩く。
特に見送りは無い。誰に出発を告げるつもりもなく、偶然顔を合わせた人々と軽く挨拶をして。既にやるべきようなやり取りを済ませているのだから。
「少し待っていただけませんか」
そうして歩き町からしばらくした場所でイルに声をかけられて止まる。あくまで口調は穏やかに、けれど確かに熱くその瞳は燃えていた。
- そこにいたよ 始まり -
テイル家との決戦から、今の今まで何の干渉もしてこなかったイル。
あの日から姿が劇的に変わっているようなことは無く、しっかりとした肉体に衣類、腕には体を覆いつくすほど巨大な盾刃と、その隙間からは青白い魂鋼製の刃が顔を覗かせている。
「最期だ。言いたいことを言いなさい」
僕達は退くつもりなど無く、相手もそれを見越して今日という日を待ち望んでいたはずだ。
「ありがとうございます」
目を細め、イルはそう敵であるヒカリに頭を下げて礼を告げた。
おそらく心の底から感謝しているのだろう。そしてまた心の底から僕達を憎んでいる。
「シュバルツ、あなたの意向をテイル家は把握し、尊重している。
これまで正確な情報を伝え続けたことから、その忠誠がまたテイル家のみに向くことを我々は信じている。戻ってきなさい」
再び目を開けたとき言葉をかけたのはヒカリに対してではなく、シュバルツに対してだった。
「戻らんさ、己の意思は変わらない。
それよりも我が主の慈悲を無下にしたその罪は如何にして払うつもりだ?」
「どうしてそう頑ななの……」
貴族の私兵としてのイルが、崩れる。
哀れむように、悲しむように、慈しむように。
まるで、その仕草は。
「こちらの台詞だ。どうしてそう頑ななんだ?
兵士として生まれた己が武力で負けたんだ。貴族として生まれた、年下の、少女に圧倒され。
もう一度問おう、どうしてそう頑ななんだ?
貴族として生まれた男が、貴族として生きていた息子を殺され、代わりの跡継ぎも作らず貴族という生き方を捨て復讐に燃える家に何故未だ仕える?」
「あなたにはわからないでしょうね。
高貴であることが貴族であることではない、血で恥を拭い去ることが貴族として正しいこともあることを」
ふん、と鼻でシュバルツは笑う。
お前はまだそこにいるのかと、そんなことは既に知っているのだと。
それとも互いに交わされる言葉がどこか薄っぺらい事を茶番と感じてか、その奥でやり取りされている当人たちの本質が一蹴するほどくだらないものだと実感したのか。
「ならば死ね。形骸に縋りつき、共に崩れ落ち潰れろ」
シュバルツはその暴言を持って口を閉ざす。
イルもまた、もはや言葉は無意味と知り半身を前にしてその時を待った。
風が吹き、張り詰めた神経がその身を震わせる。悲しみと、それを決別するために流れる血を誰もが想像し、言葉を亡くした。
緊張が裏返り、このまま何も無ければいいのに、そんなことを考え始めた時その時は来た。
「私一人で十分、彼女は私が終わらせてあげる」
ヒカリがゆっくりと剣を抜き、剣先を前に向ける。
僕達は距離を離して二人の末を見守った。
《飛翔剣》
刃が宙を舞う。
誰よりも討つべき敵と見据えてヒカリへと近寄る。
無造作に攻撃を振りほどかれ、ゆっくりと歩を進めるヒカリにイルはロングソード抜刀し、リーチと重量のある盾刃で先手を取る。
背後から迫り来る刃を少し身をずらす事で視線すら向けずヒカリは攻撃を避け、イルにも当たらない軌道を描くことを予想されていた二本の刃は太ももと首の横をすれすれに飛び交い、最小限にその大きな盾刃を振るおうとした矛先を足先で踏む事により動きを阻む。
咄嗟に突き出されたロングソードを盾で防ぎ、再び迂回し突き刺さろうとした刃二本がヒカリへと突き刺さる前にイルの胸へと赤い花に青い茎が咲き誇る。
「ごめんなさい、あなたの事は識り終えているの」
「――ぐっ!」
位置は、心臓。直撃しようとも備えていれば致命傷は避けられる。
ただヒカリがそんな猶予を持ってチェックメイトをかけた訳が無く。
「致命傷を与えた相手に弾丸は贅沢だけれど、長い付き合いになったあなただから贈ってあげるわ」
刃が爆炎により爆ぜる代わりに、ゆっくりと姿勢を整えて砲撃姿勢と整えるヒカリを見届けるイル。
爆音に、胸に大穴が空く。
終わった。心臓があるべき箇所には、今はもう何も存在していない。
――けれどイルは倒れなかった。
胸に空いた穴の中を渦巻く血流。魔法で無理やり延命し、重荷となる盾刃を腕から外してヒカリの首を掴んで持ち上げる。
「そこまでっ……かっ!」
首をねじ切られないよう抗うヒカリが見せる感情は焦り、動揺、驚愕。そしてそれらに負けず劣らんと煮え立つような歓喜、余裕、好奇心。
そんなヒカリへ立ちはだかろうと首を絞めながらも落ちた地面の上でカタカタと揺れる二本の刃。
「死したあなたにもう一度問おう。言いたいことは?」
「……あなた達も、同じ。形骸であることに、何故、気づかないのか」
声は虚ろ、視線はもうヒカリを捉えていない。
腕は震え、胸を渦巻く血流は徐々に赤黒く変色しており、それでもヒカリに有効打一つ与えられない。けれど想いは。
「知っている、私達は形骸であることを望んでいるのだから」
「そう……」
喉から空気が漏れたように彼女は呟く。
ようやく、ようやく自分が呼吸で何を取り込んでいたのかを彼女は最期に気づいた。
「お父さん、お母さんごめんなさい。私は、シュバルツの」
口が紡ぐ、本来語られるだったはずの想いを語る。
「安らかに眠れ」
そんな彼女にシュバルツは喉元へ刃を突き刺し、イルが確かに自身へ刃を突き立てている彼を見ると悪あがきが嘘のように力を抜いて穏やかに今度こそ活動を停止する。
ピクリピクリと薄い刃は脈動するよう最後まで再び飛翔する事無く動きを止めて、本来そうであるべき形でイルの胸に空いた大穴から血液がぼたりと地面に染みを作る。
「すみません、手出しをしてしまい。あまりにも見苦しかったので」
「構わないわ。こちらこそ悪かったわね」
地に付いた足で、ゆっくりとヒカリは喉元にへばりつく指一本一本を丁寧に剥がし、鬱血した喉を放置してもう動かない亡骸を整える。
僕の目が正しければ、途切れた言葉に続く言葉は『家族にはなれなかった』そう言っていたと思う。
手厚く死体を葬り、夜を迎える。
最低限の言葉だけで野営の準備を終え、平気な顔をして皆で夕食を摘んでいた。僕も人を殺すのに随分と慣れたものだ、そう思いながら保存食を頬張る。できれば糧食の質素な味には慣れなくともよかったのだけれど。
「何度も考えたんだ」
そんなことを考えているとヒカリがそう口火を切った。
「ずっとこれでいいのかって。せっかくもう一度生を授かったんだ、過去の事を忘れて生きたほうが父さんも母さんも喜ぶんじゃないかって。お父さんもお母さんも家のためになって喜ぶんじゃないかって」
知っている。
ヒカリがずっと悩んでいることを、皆の前に立ちながらそれでもその表情の裏で迷っていたことを。
知っている。
迷うことが減り始めた時、僕と再会したことを。
思い出として忘れようとしていた哀愁が、現実で追いかけてきたことを。
「迷うことも、後悔することも、アレを殺してから。そうじゃなきゃ何も始まらない」
半ば言い聞かせるように呟いた僕の言葉にヒカリは同調する。
「そう思っていた、今でも思っている。でもああやって見せ付けられると……少し思うところが出てしまう」
確かに見せ付けられた。自分達が弱いと自覚している部分を、鏡で見せ付けられるように。
その現実感は自覚していると驕る僕達にはよく効く。
そして何より狂った家族が、そう、きっと家族なんだろう、僕達が狂わせたそれが確かにあった。
亡くなった家族を想うために、今ある家族を僕達が狂わせたのだ。
「「「それでも」」」
言葉が重なる。
狂わせても前に進み続けるとヒカリが。
狂うのは後で良いと僕が。
狂ってもついて行くとシュバルツが。
六つの視線が交差する、それぞれの瞳に映る自分を見つけ、確かめるように。
そして、笑い声が零れ出す。夜の闇に相応しく僅かに、人を殺した後にしては大きく。
「寝よう、もちろん交代でね」
そう告げたヒカリは沈黙を守り続けているカレットの方を向いていた。
焚き火の炎で明るくなく暗くなく。そう絶妙なポジションで横になっている彼女。
僕は知っている、カレットはヒカリが口を開いたのを確認してすぐに一人寝るポジションを探していたことを。
そして今晩のローテーションが決まる。
僕とカレットが同じで、先に休息を貰うことになった。相方がすでに寝ているのだから当然の流れなのだが。
後で彼女を叩き起こした後に言い聞かせなければならない、例え今から始まる話が自分にとってどうでもよかったり、結果が見えているものだとしても空気は読むべきだと。
- そこにいたよ 終わり -




