228.月の裏側を歩む者
ココロに最後かもしれないからと挨拶をしに行ったら、
「じゃあ中庭で稽古をつけてください」
と有無を言わせずに嬉々とし何時も振り回している刀を握り、僕を引っ張って仲介人としてヒカリも巻き込んで中庭に引きずり出された。
秋風が寒い、ヒカリも呼ぶとは本気だ、意味がわからなくて怖い。誰か助けてほしいが、一番助けてくれそうなヒカリが今からおもしろいものが始まるぞとニコニコ待っている。もう無理だ。
- 月の裏側を歩む者 始まり -
離れた距離、お腹から声を出さなければ相手には届かない遠さで、僕の目はココロの瞳に踊る炎を見届ける。
何時かどこかで見た光景。それを思い出さない方が良いものだと判断した所で、僕は早々に事を片付けようと口を開く。
「早く終わらせよう」
「その前に少し話したいことがあるんです」
「……ん」
「難しい話じゃないです。今からでも構わないので、私にもあなたの隣を歩かせてほしい」
流石にその言葉の意味がわからないほど鈍感ではない。
今隣を歩き……竜へと続く焼け爛れた絶望の道を歩んでいるヒカリを横目で見る。
「それはダメ。この道は僕達の物だから」
他の誰にも歩めない。歩かせるわけにはいかないのだ。
大切なモノを守ると決めた。そのために喪われる対象に曝されるのは僕達だけで十分だ。
「まぁ、そうですよね。そうじゃなければ今私達はこんな関係になっていませんし、お二人が歩んでいる道もそうして在る筈がない」
「話が早いね」
「そうです。暴力はいいですよね、結論を出すためにこれ以上無いほどシンプルな議論の方法です」
流れるように刀へと手を伸ばし、激流の中流れる木の葉よりも早く抜刀を行うココロ。
僕は咄嗟に短剣を抜き去り、胴体が物理的に回避できないほどの速度で放たれた居合いに付随する風魔法、その槍を破壊魔法を構築する間もなく必死に逸らすだけで。
「……どういうつもり? ココロらしくない」
「そういうつもりです。お二人に並んで歩くためならば私は自分らしさを殺し、流儀に沿って追いつきます」
「どんなに痛めつけても無駄。僕を殺して代わりに此処を歩こうとして無駄」
僕達が竜を倒すと決めたのは、君たちのような存在を二度と失わないため。
それが例え自己満足で、どうしようもない矛盾を孕んでいても。
「穏やかな狂気に身を委ね、眠るように正気を手放そう。
きっとそれが僕達を幸福に導くのだから。
狂うのは僕達だけでいい。どうか君達はそのまま幸福を享受して欲しい」
まるで詠唱を歌うように本音を吐露し、僕は戦うために氷柱を展開し始める。
ココロは再び納刀し、鞘の中で風を唸らせ威力を引き上げながらも、鞘で軽く宙を何度も切ってかまいたちを準備する。
《絶望を背負わせて》
《幸福を謳え》
その気持ちを拒絶するため、僕は飛んでくる魔法を凍てつく氷で迎撃する。
遠距離魔法合戦は長くは続かない。
お互い埒が明かないのは知っているし、僕は人より魔力量が劣っているのでこんな消耗をするぐらいならば早々に近接戦闘で勝負をつけたい。
無数に交わされる風と氷のやり取りの中、スカートの内側から煙玉を取り出して風魔法の認識を容易くする。
短剣を取り出し、未だ不動を貫くココロ目がけて駆ける。目は直撃寸前の風を叩き落すため魔刻を活性化させ、耳は魔法及び本体の動きを見逃さないよう気を付けて。
「抜きなよ、舐めてるの?」
僕の間合いに詰められても、一向に刀を抜こうとしないココロに僕は尋ねる。
鞘の中で力を溜める時間を一秒でも増したい慢心は感じられない。けれど僕が彼女を組み伏せ、成す術も無く余力を削ぐ様子も未だ無く、まるで風に舞う羽根のように伸ばした手からは逃げていく。
「アメさん。アレンさんと、この屋敷に来てから接する時間はどれほど減りましたか?」
問いに返されたのは問い。
「私はその分、きっと触れ合う機会が増えたのだと思います。
だからわかるのです。かつてのあの人は、あの人の武器は、仇討ちの拳」
手のひらは届かず、拳は衝撃を流されて。
「既に亡くなっている二人を想い、一人の仇を殺め、その返り血でこびり付いたさび付いてしまった剣。
でも今のあの人は違う。孤独な世界から抜け出して、再び居場所を得て、私達を本気で娘のように想ってくれている」
返しに来るのは刀ではなく、収められたままの刀の柄による殴打やヨゾラの様な足技。
「親しい人が増えるほど、その人を身を挺してでも守りたいと願い研ぎ澄まされるアレンという名の剣。
弱くないわけがないじゃないですか。守れなかった復讐のための武器と、今尚守り続けている守護の武器」
刀身を損傷から守る筈の鞘が、僕を攻撃するために巧みに動く。
「今の私はその術を学ぶ最大の庇護下にあります。刀を抜いて戦う抜刀術はほとんど独学で、刀を収めたまま戦う、守るための武器、納刀術はアレンさんという師を得てこそここまで至れました。
別に手加減をしているわけじゃないんですよ? 刀を収めたまま戦う私も、至って全力を出しています。ただ本来人が持つ一つの全力より数が一つ多いかもしれませんが」
僕に最大の有利が付くはずの極至近にココロが潜り込み、こちらが組み伏せる前に当てられた肩で意識が揺れる。
「やはり昔のあなたとは違い鈍いですね。爪は残れど牙は欠けてしまったと言うべきでしょうか」
竜に挑むという、どこかにある有数を信じる行為を思い出してしまったから。
「これで終いです」
無造作に突き出された手のひらを、生半可な魔力装甲を付与した事で、あぁココロの手のひらから送られる魔力により、自身の魔力と魔力が反発し合い肉体が崩壊していく感覚がよくわかる。
引き延ばされる体感時間に痛みの中、魔刻化を施しても容易に落ちていく己の右腕だった肉塊を見届けながら態勢を整えるために後方へ跳躍。すぐにそれが間違いだったと知るのは、ココロが遂に刀を抜くために鞘に触れて柄を握ったからだ。
《夢穿ち》
戦闘中、一方的に喋る余裕がある上に、魔力を鞘の中へ送り込み続ける事の出来たココロにより渾身の一撃。
居合い抜きにより、距離があり刃が届かないものを風魔法で補助するかと思いきや、躊躇いも無く手放された刀そのものが風魔法を纏って真っすぐに僕の左肩へと突き刺さる。
「――かっ!!」
悲鳴すら漏れず、ただ左肩を中心に全身をばらばらにしかねないほどの勢いで壁へと縫い付ける渾身の一撃に堪える。
「これがあなたに届けるための、人殺しの刃です」
悠然と僕が横へと飛んだ十何メートルを歩いて、こちらがその間にできた事と言えば崩壊した右腕の出血を止めるぐらいで。
「どうですか? 私かなり強くなったんじゃないですか?」
「……それで竜殺しの仲間に、僕が加えるとでも?」
「当然思っていませんよ。だからまだ続けないといけませんよね、まだ試合は終わっていないのですから」
どう見ても決着はついている。
けれどここから更に屈してしまえばココロを止められない気がした。
「うんしょ……っと」
僕の太ももに指先をなぞらせ、無用な刺激を齎さないように気を付けて下着付近のベルト二つに到着し、知識では知っているものの経験が足りないのか多少ぎこちなく二本の投げナイフを抜き取るココロ。
「私から見て手前でしたよね、合っていますよね?」
目の前でチラつかせられるナイフに塗られている毒を僕はよく知っていて、今から彼女が何をやろうとしているのかも理解している。
止まらない冷や汗に、せめて声だけは震えないよう気を付けながら頷く。
「うん」
「よかった♪」
瞳を見据えたまま、躊躇いも無く右太ももに突き刺される二つの刃。
ナイフ自体は大した傷ではない。根元まで深く突き刺され、例えそれがぐりぐりと傷を歪に広げようとも、刀身に浸み込ませられた痛みを齎す毒に比べてしまえば大きな問題ではない。
神経を活発にしたまま、それを炎で丁寧に炙られる様な魔刻化の感覚とは違う。傷口付近にある血管全てに針が入り込み、様々な箇所を傷つけながら全身へと回っていく毒を僕は魔法による抵抗を行わずに歯を食いしばって堪えた。記憶の中の少女もまた、毒に対して大した抵抗も無かっただろうから。
「次はこれですね」
肩が未だ縫い付けられぶらりと垂れ下がった左腕が落とした短剣を拾い上げて、ココロはそれを力強く振り上げ、腹部へ膝を突き立てて態勢を整えながら左太ももへと刃を抉り込ませる。
意図し間接部に潜り込ませ、神経を引き剥がし軟骨を折りながら、太い骨を少しでも歪ませようと傷口を歪に広がせまるで嗚咽するようにピュッピュと血液を吐き出す左脚。
「はふぅ……人を傷つけるってやっぱりきついですね……」
何時か、ザザが言っていたことがわかった。僕とアレンにはココロが必要だって。
今でも十分壊れているけれど、本当に肝心な一線は超えていない。ココロがずっと傍で繋ぎ止めていた。この線を超えていれば僕達は何も思わなくなっていた気がする。
自分達が、アレンが貴族の庇護下に置かれる。その目的だけを意識して、僕は道具のように自分を扱いアレンもそれを不自然に思うことは無く。
今だってそう。竜を殺す、その目的のために本来竜から守ろうとした大切な人々を踏み台にしてまでそこに登ろうとしたのだろう。あの日、ヒカリを逃げてきた道を戻るなんて選択選べなかった。
「どれだけ人を殺めることに慣れても、残酷で冷酷でも、ココロは人間、だよ。
ココロは自分がどういった人間か良く理解しているし、何よりそういった行為を喜んで行ったことは一度だって無いはず。だから、化け物なんかじゃない」
肘から先が何もない右腕を伸ばし、ココロの頬に添える。
彼女はそれを受け止めると、自身が鮮血に赤く染まるのも厭わずに優しく受け止める。
「ありがとうございます。
でもやっぱり私は連れて行ってくれないんですよね?」
「うん、ごめんね」
「これ以上痛めつけても無駄だってわかっています、終わりにしましょう。本当に仕方の無い人達なんですから」
刀を抜き取られ、両脚の感覚がまともじゃなくずり落ちる僕をバラバラになった右腕を纏めて持って来たヒカリが支える。
彼女とすれ違うようにココロは背中を見せて歩いて行く、決して振り返る事は無く。
「どうして、止めなかったのさ」
試合でも決闘でも仲介役が行き過ぎないように制御するのは当然のこと。ただその筈に同行したはずのヒカリは今の今まで一切行動しようとしなかった。
「どうして、止める必要があるのかな。
あんなにも二人で仲睦まじく楽しんでいたのに」
よくもまぁそのような物の見方をできたものだと視界をずらしたら、去り行くココロの背中が揺れたのが分かった。
多分ココロには聞こえていたのだろう。その背中が笑うようにか、泣くように揺れていたのかはわからなかったが。
- 月の裏側を歩む者 終わり -




