225.曖昧な性
生み出した水刃という魔法の効果は確かだった。
カレットの魔力でコーティングされた特大剣を切り裂き、金属製の武器を絶ち。望み通り今までの標的同様に炎竜の甲殻を二つに分けた所で、まぁ壊れてもまた直せばいいからと適当に笑うヒカリに答えるため魂鋼の盾に手刀を振り下ろしたら、流石にコイツは無理だったようで手首を痛めた。
ちなみに的になった竜の甲殻はヒカリが試し切りに使い、最後には細切れになった所で魔砲剣の砲撃により粉々にされて燃えないゴミとして袋に詰めて棚の隅に放置している。一応魔力はそれなりに有している破片なので、庭にでも植えたら植物が元気に育ったりしないだろうか。地味にヒカリとカナリアが作っている家庭菜園で採れる野菜は料理で使われたと聞くと心なしか美味しく感じる。小屋が近いソシレは何時も食欲に負けないように我慢している。
- 曖昧な性 始まり -
「そんなこんなで上手くいけば最終回な作戦会議ー」
「わーい」
ユズの適当な掛け声で、僕達は茶菓子をもぐもぐしながら何となく雰囲気を出す。
「と言っても唯一の懸念だったアメちゃんの武器が見つかったから、もう喋る事無いんだよね」
雷魔法、夢幻舞踏、手榴弾、投げナイフ、暗器、破壊魔法、縮地、忘我魔法、重複詠唱、魔刻、そして水刃。
我ながら多芸だが、竜相手に使う手札は半分も満たないと思う。残り半分はここまで生き延びるために有効活用してきた。
「その姿、いつ見ても驚愕に値しますね」
「そりゃ見た目は変わっているけどさ、エターナーさんが言っているのはそういう事じゃないんですよね?」
僕の肌をちらちらと見ながらユズは尋ねる。
所々の血管を青白く可視化させたように、枝分かれして刻まれた刻印。一応生身の肌色の方が圧倒的に面積で言えば多いのだが、目立つ箇所に認識は持っていかれてしまう。
顔の左側も目元や、耳の付け根から扇状に外側へ広がっているので、無事なのは顔の残った部分に胴体。
普段から露出の高い服を着ているが、流石にお腹や背中は大きく見えない辺り見えている部分はもう髪や目の色含めて全身寒色に包まれているようなものだ。
「そうですね。
どういった技術か知っているのであれば、狂うにしても度が過ぎると言ったところでしょうか」
「確かに強くなったらしいねー
今のアメちゃんから魔刻化を取り除いたら何が残るの?」
他意は無く純粋に出てきたユズの言葉に思わず悩んでしまう。
水刃と違ってこれが竜討伐のキーになるかと言えばそうでもなく、テイル家との争いで魔刻化していたおかげで勝てたかと言えばそうでもなく。まぁ楽に勝てた勝負は増えたと思うが、苦戦しながらもなんとか勝てていたんじゃないだろうか。
「魔刻化を取ったらね、アメの残り全てが残るよ」
思わず言葉で出てこなかった僕に代わりヒカリがそんな事を言って、まぁそりゃそうだとその場に居た全員が笑った。
エターナーとユズは仕事に戻るため、会えるのは最期になるかも知れないからと改めて今まで協力してもらった例を告げ別れ。
シュバルツはシャルラハローテと事務仕事、カレットは冒険者の仕事があるからと別行動。僕達は二人で肩を並べ、一時期より人気が少なくなり穏やかな一階にある渡り廊下を無言で歩いていた。
そろそろ夏が終わる。あともう少し最終確認に、訓練を詰めて、どちらかが死ぬかも知れないからと身辺整理を行い、もうテイル家との小競り合いなど私怨含めても見当たらないが、念のため秋の召集で王都へ向かうユリアンの様子を確かめてから無事を確認でき次第故郷へ向かうつもりだ。
そこで全てが終わるのであれば冬の初め。故郷を失い、自暴自棄になった僕達が死ぬことになった季節で再び竜に合いまみえる事となる。
「やっとここまで来たね。もうすぐ全てが終わる。
一度で決着がつかないかも知れないし、僕達が望む結果は掴めない可能性が遥かに高い」
「でも、不服は無い。それを承知で私達はここまで歩いて来たのだから」
満足気に頷くヒカリに、僕は感慨を共有したいからか自然と手を伸ばす。
困った時、何時もコウにそうしてあげていたように。
「もう、アメの涙は見たくない」
何気ない一言、本人もわざわざ僕の耳に入れるつもりなどなく呟いたのだろう。
でも僕は止まった。手を繋ぐために伸ばした手が宙を切り、それが自分の足が止まっているせいだと気付いたのはヒカリが隣について来ていない僕に気付いて振り向いてからで。
「……え? もう?」
「……?」
「僕、ヒカリの前で泣いた事なんてないよ?」
それは戒めのような呪いのような覚悟のような。
泣くことを止めた少年と、泣けなくなった少女を想い自分で決めた決意。
欠伸をして目の端に雫が浮かぶような生理的な物は防ぐ気は無かった、魔刻化の痛みの際、思わず暗闇の中零したものでもない。そのどれでもない何かを指していて。
「あっ……」
数秒遅れ、ようやく事態が飲み込めたのかバツが悪そうに笑うヒカリ。
僕は彼女に追いつけない。ヒカリの前で悲しくて泣いた記憶は無い。
というか、この世界に来てから満足に泣いたことなんて……。
……。
…………。
……一度だけ、一度だけあった。
「うん、そうなんだ」
ヒカリは申し訳なさそうに目を細め、人差し指で頬を引掻きながら言った。
「あの時、最期の時、まだ意識があったんだ」
コウが二つになった時、上半身と下半身が分かれて尚、彼は僕の方を見ていた。
痛みで意識はほとんどなかっただろうに、そもそも物理的に僕を視認することが可能だったのか? 内蔵を撒き散らし、体中の血液をほとんど失って視力なんてないだろうに、それでも……?
……それでも、見ていてくれたのだろう。
ヒカリははじめに涙と言った。叫び声を聞いただけならそんな表現はしない、泣いて欲しくないという表現で済むからだ。今まで見たことの無い、僕にとってありえないもので嘘はつかない。
慈しいと感じた。
あまりに純粋なその想いを。
愛おしいと思った。
その想いを僕に向けてくれたから。
「ごめん、私も、こうしてあげたかった」
ヒカリがそっと手を伸ばす。あの時僕がコウに手を伸ばしたように。
死んで尚、僕が光を求めたように、今生きている光が僕に数メートル先から手を伸ばしている。
今しかないと思った、今彼女が生きている間に、僕の愛おしさが隠れてしまう前に。
伸ばされた手に僕も手を伸ばす、そして掴まえる。
あの時とは違う、二人が伸ばしたから届いた。
その尊い時間を感じながら掴んだ手を、そっと体ごと引き寄せる。
少し足りない身長を、精一杯の背伸びで誤魔化して。
目を閉じさせる時間も与えず、僅かな時間唇が重なる。
控えめすぎるその行為を終え、僕は力強く彼女を抱きしめた。
死が二人を分かたないように、幾つもの奇跡により生み出されたこの夢幻のような瞬間が、泡沫に消えてしまわないように。
そして何より、愛おしさで来る絶望を潰せたら。僕は彼女の胸の中でそんなことを考えていた。
「ありがとう」
戸惑いながらも受け入れ、そっと抱きとめてくれている彼女に告げる。
何に対してありがとうの説明とか、他にももっともっと伝えたいことがあったけれど、僕の口から出たのはそれだけだった。
そんな僕を、ヒカリはそっと抱きしめ続けてくれた。
「どうしたの、アメ」
「どうしたもこうしたもないよ、僕がそうしたいと願ったから、こうしたんだ」
「そっか」
それだけを呟いたヒカリの表情には、既に戸惑いも喜びも、興奮も嫌悪も無く、ただただ酷く安心したような表情だけが浮かんでいた。
- 曖昧な性 終わり -




