22.慣れても一息
記憶は脳に宿るものかと言う問いは是だろう。
この世界でもそれが通用するのかはわからないが、前世では科学的にそれは証明され常識となっている。
ただ常識の外に存在する現実がある事実もあった。
臓器提供などにより体の一部を他の人から貰った際、その時記憶が付随することも度々確認されているし、そんなことすらなく死んだはずの人間の記憶を受け継いだ子供が居たことも事実だ。
もしかすると転生、つまり記憶を新しい体で引き継ぐという事例は、そんなに珍しいことではないのかもしれない。
誰もが死んだ後に記憶を引き継ぐが、幼児の期間でそれを忘れてしまう、もしくは無数にある別の世界で生まれ変わりそれを確認する術がないのだろう。
少し話が脱線するが幽霊というものが存在する。
肉体を持たぬ精神だけの存在、未練を持って死んだ人間の成れの果て。
ホラー映画で主役のそれらは、実際勘違いや偶然といった頻度ではなく人々に目撃され、記録として残っている。
ただそれが何であるかを詳細に調べる技術が存在せず、確かに"いる"のだがどういう原理かはわからない、というのが現実だと思っている。
その幽霊に僕は一つの持論を持っていた。
脳は電気信号のやり取りで思考し、記憶を保持する。
ならば死ぬ間際、それこそ普段思考する際に生じる信号の何百、何千倍もの想いがその時発生するのであれば、その電気信号がその場に焼きつくことがあるのではないか。
そうして焼きついたそれが自縛霊や、呪いや守護霊のように人間にも影響し、可聴域の個人差のようにそれを認識できる人々だけが霊を見ることが出来るのだとしたら。
もし僕たちが生きる世界がゲームの中だとしたら。
ゲームを作った世界をAとして、前の世界をB1、今の世界をB2とする。
B1で生きていた僕は焼け死に、死の寸前強く願った何かは偶然となりに置いてあったB2のディスクに影響を及ぼし、結果今の世界で僕は男だった頃の記憶を保持したまま生きている。
全ての仮説が確かなら、今こうして存在している僕の理由も納得がいくのではないか。
まぁ当然全ては仮説だ、妄想でしかない。
この推測たちにはいくつもの穴があるし、答えを教えてくれる誰かは存在しない。
だから僕はいつも生きていてラッキー程度に思うことにする。たまにこうして考えることもあるが、見つからない答えに途中で飽きて日常に戻る。
目の前で家族が焼け、自分も死に、新しい体で激痛を味わいながら狩りをして死を彷徨い、ふらりと現われた竜が村人ごと故郷を失くし、町に向かうまで死んでしまいたいような飢えと寒さに堪えた。
目が覚めて、ベッドから抜け出さずぼんやりと思考していた体を起こす。
前日も結局町を見て回って仕事はしていない、にもかかわらず未だに体が非常にだるい、というか昨日よりだるい。僕と言う湯たんぽを失い体を丸めるルゥを見て寒さのせいだと認識する。
コウの隣に行き、寝顔を見る。
穏やかな顔で眠る彼は、ルゥとは違い寒さを苦ともしていないのだろう。
この二人が居れば僕は、どんな苦痛にも耐えられる。
三人が生きて、幸せならばなんでも生きていてラッキーなのだ。
ただ二人のうちどちらかが欠けてしまったら僕はどうなるのだろう、もう一人さえ無事ならその悲しみはまた乗り切れるのだろうか。
お腹が痛い。
不安に胃が締め付けられているのかと思ったら、どうやら違うらしい。
もう少し下、下腹部が鈍い痛みを発している。
疲れが抜け切っていないのかなと思い、お腹を撫でながら二度寝しようと歩いたら、太ももに伝う違和感を覚える。
血が、出ていた。
怪我なんてもちろんしていない、意味がわからない。
死ぬのかな僕。せっかく生き延びたのだ、町での暮らしが二日だけというのは悲しい。せめてあと一週間生きて、仕事のための狩りで油断してハウンドに噛み殺されるような最期がいい。
そこまで意味不明な思考をして気づく。
寒くて、だるくて、イライラして、お腹が痛い。胸が膨らんできて、十歳になって半年ほど経った。
生理だこれ、間違いない。
知識はあってもどうしたらいいかわからない。
とりあえずコウが寝ていることをいいことにその場で下着を脱ぐ、せっかく可愛いものを穿いていたのに汚れてしまった。少しだけならなんとか洗ってどうにかなるか。
「起きてルゥ」
汚れても良い布で股を押さえつつ、小さな声でルゥを叩き起こす。
寒さで寝起きの悪い彼女は早朝から何事かと半目を開いて僕を見る。
「……おめでとう」
自体を認識し、それだけ告げて再び横になる彼女に迷わず拳を叩き込む。
「痛いって、起きるからやめて。で、どうしてほしいの?」
「どうしたらいいかわからないの」
「全部?」
「全部」
「そう、じゃあ少しだけ待ってて」
ルゥはそれだけ言うとドアを開け外に出て行った。
それの音に反応しコウが目を覚ます。
「どうしたの?」
「どうもしていないから、いいって言うまで下に行ってて」
有無を言わさず部屋から叩き出す。
僕の様子から何かを察したのか、コウは何も言わずに出て行った。
「はい、これ。ユズから貰ってきた」
ルゥはそう言ってその道具の使い方を教えてくれる。
記憶にある用品とは遥かに粗末だが、無いよりはマシだ。
着け心地こそ悪いものの、少なくとも下着が汚れることはないだろう。
「……ルゥはまだきてないの?」
念のため実用的なほうの下着に上下とも着替えつつ、素朴な疑問を尋ねる。
そもそもこの現象をすぐに思い出せなかったのは身近に存在していなかったからだ、ルゥがそれに困ったり、対処するための道具を持っているところを見たことがない。
齢十二、そろそろきていてもおかしくはないはずだ。
「うん。一度もね」
"一度も”
彼女にとってその言葉がどれほどの意味や、重さを持っているかは僕には想像もつかなかった。
- 慣れても一息 始まり -
「コウ、ありがとう」
「うん」
何も言わずに下で待っていた彼にお礼を告げる。
その返答も最小限だったが、きっと彼なら何が起きているか把握して、これからも適切に対応してくれるだろう。
「その様子だとアメちゃんなのね。はい、サービス」
「ベルガさんいないけど大丈夫ですか?」
一人降りてきたコウの相手をしていたのだろう、ユズがそういってコップを渡してくれる。
「いいよいいよ、これは私の奢り。大切な日だもの」
「……ありがとうございます」
素直に渡されたティールを受け取る。
何かあるたびにこれを飲んでいる気がするが、コップ一杯のティールで20リルは超える。
宿の手伝いではそこまで懐に余裕はないはずだ、それでも渡してくれる彼女の気持ちに感謝しつつ味わって飲む。
「朝食はどうする?」
「もちろんいただきます」
三人分の食事代と、二人分の飲み物代を渡す。
財布も随分軽くなった、特に武具や衣類をまとめて補充したせいで、既にレイノアから借りている分は3000リルを切っている。
そろそろ仕事を始めなければならない、始めたその日からすぐに報酬を貰えるとは限らないので、少しでも早く動き始めたほうがいいだろう。
「今日はどうするの?」
コウが尋ねる、彼はもう体調が万全だ。
僕もある程度回復したが、万全とは言い難く挙句これだ。
ルゥも体力が無かった上、一番死に近づいた人間だ。あと数日は休まなければ厳しいだろう。
「今日も休憩……しばらくかな」
僕にとって月のものが重いのかわからないのだ。
それを確かめる意味でももうしばらく時間が欲しい。
「俺だけでも仕事してこようか?」
「それはだめ」
即座に否定する。
それはいけない、自分のために働くのならいいが、彼は僕たちの生活にも稼いだ金を回すだろう。
誰か一人に必要の無い負担を強いるのは、皆の幸せとはいえない。
「わたしのお金も使ってもう一週間ほど遊び歩く?」
「それもだめ」
気楽に笑うルゥ。
彼女が一人の時に稼いだものだ、それは彼女自身のために使うべきだ。
いざとなったら頼りたいけれど、負担を一人に押し付けている行為とたいした差はない。
「アメはわがままだなぁ。わたし達が別に良いよって言っているのにそれを否定して、自分が思い描く三人の幸せを押し付けて。
結果体調と仕事の天秤が崩れて、お金に困って三人で苦しむんでしょ?」
皮肉を込めながらルゥは気楽に笑うが、言葉は刃となり僕の深いところを抉る。
自分の正義は誰かの悪。
これは仕方が無い、人々は自分が信じる道を進み、時に他の道を排除してでも進む。
仲間達の幸せは、一人一人の幸せを尊重しているのだろうか。
コウの配慮を無視して、ルゥの気遣いを否定し、僕が思い描く幸せ像を押し付けて。
誰が幸せだ?みんな?違うだろ、僕だけか? いや、それも違う。その僕もお金の工面に苦労するのだから。
「あっ……」
あ、ってなんだ。僕は一体いま何を言おうとした。
何も思いついていない、何が正しいのか、何を信じるのか、誰が幸せになるのか、誰もが幸せになる答えを。
ただいま出た声は、焦燥に駆られ漏れただけじゃないか。僕の意見は間違っていないって、そう言いたくて。
仲間内にそんな見栄とか考えて一体僕は何がしたいのだ、お前が今生きている理由、故郷を失ってからの苦痛を受け入れそれでも生きようとした根源は何だ。
「ごめんね、アメ」
ルゥの手が頬に触れる。彼女の表情にもう笑顔は無く、ただ真摯にこちらを見つめる二つの瞳が見えるだけだ。
「意地悪しすぎたね、今のは超えちゃいけないラインだったね」
「……そんなこと」
むしろ超えるべきラインだったと思う。
僕は気づかなければならなかった、ただ幸福を押し付けている現実を。
「ううん、ただでさえ考えすぎる性格だってわかっているのに。
わたしもよく考えすぎるからよくわかる、きっと今のアメはわたしの言葉を深く受け止めすぎて、一人じゃ抜け出せない螺旋にはまってしまっている」
頬を撫でる手はどこまでも優しい、まるで我が子を撫でるように、まるで自身を慈しむように。
「アドバイスだと思って聞いて、これは押し付けでもなんでもない。よかったら聞き入れて欲しい、思考するための杖にして欲しい、これはアメが歩く道ではない、道を歩くための杖だから」
「……」
「わたし達は三人一緒、一人じゃ見つけられないものも三人なら見つけられる。
一人が三人のために苦しむのは、きっとアメが信じるものとは相容れない」
誰かを切り捨てて生きることを僕たちは捨てた、死ぬのなら三人で死のうとあの日言葉は無くとも誓った。
それに僕自身が今矛盾していた、二人の幸せを考えるために、僕一人で抱え込み三人の幸せを否定していた。
「答えなんて無いかもしれない、みんなが幸せになる答えなんて存在することが少ないはず。でも、意外なところにそれはあるものだよ」
ルゥはコウを見る。
「ねぇコウ、自分だけ働いてみんなにお金を渡すのって辛い?」
「ずっと、は流石に無理だと思う。どうしても体に限界や、なんで俺だけって不満が溜まると思う」
才溢れる少年も人の子だ、できることとできないことがあり、辛いと思う負の感情も持っている。
「でも二人の体調が万全じゃないなら、しばらくは大丈夫だよ」
けれどどこまでも真っ直ぐだった、自分の暗い部分を見つめながら、それでも前に進もうとする光があった。
「コウはこう言ってる。わたしも一人で稼いだお金だからね、好きに使われたらふざけるな! ってなるけど、誰も無駄にはお金を使っていないし、使い道が無いから今まで何年も持ち続けていたお金だし、大変な目に合った直後に生活が安定するまでの費用に使うというなら喜んで差し出すよ」
「でもそれはっ! 二人に負担を強いてしまう、よくない!」
必ず不満が溜まってしまう。
人は良いところも悪いところも兼ね備える生き物だ、どうしても自分だけが苦しい目にあったら嫌なことを考えてしまう。
「アメ」
コウが僕の名前を呼ぶ。
「俺たちも、三人で幸せになりたいって思っているんだ」
……あぁ、そうか。僕だけではないのだ。皆の幸せを願うのは、僕だけではないのか。
なら、間違っているのは僕のほうだ。
「わかった、じゃあ……」
「ストップ」
ルゥの頬を撫でる指が唇を押さえる。
「自分の意見を押し殺さなくて良い、アメは今みんなが幸せな光に向かって歩いて、前が良く見えていない。
今わたし達に負担を強いても、いつかアメがわたし達より頑張って働けば良いし、何よりあと数日は宿で三食満足に食べて暮らせるんだ。この瞬間に悩む必要なんて、どこにもないんだよ」
きっと、疲れているのだろう。
思えば何時だって頑張っていた気がする、焼け死んで、新しい世界に慣れようとして、魔法を学んで、獣を狩って。
そんな穏やかだったと思える日々ですら、毎日働いていた覚えがある。働いていない日も文字や魔法の練習をしていたかもしれない。
町に来てからだってそうだ。
新しい環境に慣れるために人と交流し、施設や空気に慣れるため情報を集め続けた。
性別の差に戸惑い、今こうして休むと決めた日でも今後のことを悩み、その結果がこれだ。ルゥの示すいつか返せば良い借りにも気づけなかったのだ。
口の中が乾いている。
飲み物を飲むことすら忘れ、口を閉じることすら忘れ。
「……うん、大丈夫。大丈夫になるまで、ゆっくり休もうと思う」
ティールは甘かった、ユズの真心の味がした。
飲み物の味を感じられるならまだ僕は大丈夫だ、きっとどうにかなる段階だろう。
食事を取り終え、僕は部屋に戻った。
今日は全員自由に行動することにし、珍しく三人別々に行動する。
誰もいない部屋で一人横になったり、窓を開けて空気を入れ替え、寒くなって閉めたりを繰り返し、途中で飽きて僕も町に出る。
美味しそうなものを見つけて買ってみたら、そういえば生理用品を買っていないことに気づき適当に売っていそうな店を何箇所か入り、何となく良さそうな種類を選んで支払いを済ませる。
今身につけているものはユズから貰った物だったな、あってまだ数日なのにやたら優しくしてもらっているし何かお土産でも持って帰るか。
女の子なんだしアクセサリーとかどうだろうと思い、これはルゥに似合いそう、これをつけたらコウは何ていってくれるかなと考えている途中にアクセサリーは無いなと気づく。
何かの記念日になら間違っちゃいないのだろうけど、あくまで日頃の感謝だ。手ごろなもの……菓子あたりにしよう。
香りに釣られいくつかの店をふらふらと彷徨い、自分が食べたいだけのものをいくつか買いながら、彼女が気に入りそうな菓子を見つけ宿に向かう。
朝と比べ随分財布が軽くなった、ほとんど値段なんて確認しなかったしな、まぁこんなのもいいだろう。
宿に着きユズに菓子を渡すが、その場で飲み物を注文し自分用の菓子も食べる。
途中で帰ってきたルゥとコウも巻き込み、僕一人で買いすぎた食べ物を四人で消化する。日頃の感謝とはなんだったのか、贈り物を自分で食べて贈り物じゃないものを食べさせて皆で談笑していた。
あまりにもサボりすぎたのか、ユズを叱るベルガも全員で言いくるめ、五人でスイーツを食べつつ、夕方なのに食事も注文する。
カウンター席に広げられた料理達に、何か祝い事があったのかと宿の利用者達も興味を示し会話に混ざってくる。
結局その日は宿全体で軽いパーティーのような状態になっていた、どこか懐かしい宴の空気に幸せと寂しさを感じながら、いつもよりは遅い時間にベッドに入る。
「今日はどうだった?」
隣で眠るルゥが尋ねてくる。
「どうだろ、よくわからないや。でも、楽しかった」
「ならいいんじゃない?」
何をして過ごしたなんて半分は覚えていないし、その日を過ごして自分が何を感じたのかも分析していない。
頭を真っ白に、というのは意外と簡単だった。
考えるより先に手を動かせばいいのだ、何かしたいと思ったら支払う対価を考えずにやればいいし、胃袋が求めたら食べ物を買えばいい。
気の向くまま心の指す場所へ、あるいは直感と天啓に従い理屈じゃ考えられないことを成す快楽に身を任せればいい。
もともと悲鳴を上げていた財布は、もはや悲鳴を上げる余裕すらないが、そんなもの買いたい物が買えなくなった時に悩めばいい。
これじゃ案内所で朝から酒とタバコに溺れていた冒険者達をバカには出来ないな。
……でも、これが冒険者として一番楽な生きかただろう。
正しいかどうかはわからないが、明日のことを考えて今日悩む、というのは一見合理的に見えて常に損をし続ける行動だ。
何故なら何時死ぬかわかったものじゃない、冒険者というものは。
今日我慢して明日得をする、という日々を続けていたら、最終的に死ぬ時に一日分損をすることになる。
ならばはじめからその日稼いだ金をその日消化しきれば、何時死んでも無駄に貯めた金が残ることはない。
まぁ働かなければすぐに餓えてしまうのは間違いないのだが、それは別に明日からでもいいだろう。
自身の体調を見るに十分耐え切れるものだ、ルゥも少しずつではあるが確かに回復している。
軽い仕事をするか、それともルゥの所持金から借りてまだしばらく休むか。
それらも明日考えよう、何故なら僕たちは三人で生きているのだから。今はベッドの柔らかさと暖かに身を委ね、一日の疲れを取ることに集中しよう。
- 慣れても一息 終わり -




