215.律する者
「なるほど。そこまで規格外だったとは頭が痛くなる話だな」
「わたしも一度戦ってみたい」
「やめときなって。文字通り瞬殺されるから」
僕がシュバルツに前回の戦闘、イルの生存能力について報告していると勝手に飛び掛かりかねない様子でカレットが声を上げるので予め牽制しておく。
同様の規格外、今回で実は一歩飛び抜けているのではという疑惑が浮かんだヒカリは報告を僕に委ねて優雅にお茶を楽しんでいるが。
「とすると、魂鋼の確保はどうするか。
未だ竜は西に居着いている報告が上がっているが、要である討つための手段が無い事には何も始まらない」
「魂鋼は一応候補があるんだけどね」
「本当ですか?」
「魔刻化同様私達にとっての奥の手というか、なるべく選びたくない選択肢なのだけれど。確実性も薄いし。
まぁテイル家の問題が一段落に、アメがどうにか竜を傷つけるための手札を増やせないと私だけ装備を整えても仕方ないから今は考えなくていい」
「精進します、ほんとに……」
項垂れる僕にヒカリは微笑みかける。
「た、大変です……!」
そんな中、クローディアがヒカリの私室をノックもせずに大きく開け放って声を張り上げる。
「どうしたの」
冷静なヒカリの声。無作法を咎める声音ではなく、普段作法はしっかりと行えている彼女が犯した失態を、そうするに値する何かが起きたと判断し事情を伺う。
「翼を持つ巨大な人間が街の北部に出現。真っすぐ屋敷へと向かって来ているそうです!」
- 律する者 始まり -
「翼? 巨大? もう少し具体的な情報は無いのか?」
「すみません。あたしも人づてに聞かされた情報を、オーリエに急ぎヒカリ様達へ伝えるようにと言われただけなので」
「こちらへ向かって来るという確証は?」
「町の警備兵が意思の疎通を図ったようで、その時リーン家に用があるとその人間が口にしたそうです」
そして直接警備兵と関りがあるリーン家に情報が流れて来た、と。
耳や肌で感じるだけでは町の雰囲気があまり変わっていない辺り大規模な戦闘は起きていない様子だが。
「そう、下がっていいわ。非戦闘員に走って伝えて、屋敷から一刻も早く離れるようにと」
「……は? 屋敷から?」
「命令よ。何も考えず行動に移しなさい、そしてあなたも伝達はそこそこでいいから余裕をもって離れる事。いいわね」
有無を言わせない反応にクロはコクコクと頷き扉を開け放ったまま駆け出す。
「話を聞く限り伝説上の調律者かな」
「ほぼ確実に。それ以外だと意図が見えない」
調律者。
二百年ほど前に一度世界を終わらせた戦争。行き過ぎた文明を持つ人類同士の争いが世界の終わりを招くと危惧し、全人類と後に介入する竜よりも限られた数で人類と戦争を行った伝説上の存在。
竜討伐を大々的に掲げた場合顔を見せる可能性は僅かながらあった。けれど以前国が炎竜討伐の騎士団を派遣した際に関与した様子が無かったためほとんど無視しても良い要素に落ち着いていたのだ。
「シュバルツ、兵の召集は任せたわよ。皆を集め、非戦闘員の護衛に使いなさい」
「主は?」
「アメと玄関で出迎える。
これは恐らく私達が蒔いた種、あれと同じ誰も巻き込みたく無い物」
「わかりました、どうかご無事で」
戦闘服に着替えるため寝室に入ったヒカリに、僕は一人先に玄関へと向かった。
「ソシレ」
僕の愛犬の周りには丁度談笑時だったのか野良猫が集まり、その中で僕は彼の名前を呼んだ。
「クローディアに着いていてあげて。何があっても彼女の指示に従う事、わかった?」
一体何事かと首を傾げるソシレの頭を僕はぽんぽんと内心を気取られないためにも笑う。
きっと今ここにあるような平穏は長く続かないと知っているから。
「おまたせ、アメ」
「うん」
「ソシレは?」
「逃がした、巻き込みたくない」
「そうね、兵の皆も同じ。
結果がどうなるにしろ早めに片付けましょう」
しばしの時をヒカリと共に待つ。
特段異常な気配を感じる事など無く、僅かに辺りを騒々しくさせて、それは現れた。
確かに、大きい。
巨大と呼称されるほどではないが二メートルを優に超えたその男性は身長と、その背中にある翼以外は特筆して人間と差異が無いように見える。
ただその翼も、厳密には翼"らしき"物だ。
まるで一枚一枚羽を毟られたように骨格を浮き彫りにさせ、まるで戦火の中で焼き落したかのように残った僅かな羽を黒ずませ。
「失礼する」
調律者は開け放たれたままの門を潜り立ち止まり、僕達を見て口を開いた。
「招かざれる客人よ、名を名乗りなさい」
「現代風に言うのであれば調律者、とでも名乗っておこうか」
辺りに僕達以外の気配は無い。
先ほどまで賑やかだった屋敷は既に避難を終えているのか物音がせず人影は見えない。近所の家々は己達に未知の存在が干渉してくる可能性に憂い息を潜める。
「して、伝説上の存在がこの家に何用で?」
「無論竜に関する事だ。
西に住まう竜、あの炎竜の討伐を諦めていただきたい」
厳格に険しく刻まれたような表情で、あたかも炎竜に飛べぬよう羽を落とされた当事者として他者を戒める荘厳とも呼べる風貌で男は語る。
「理由を伺っても良いかしら」
「人と竜が何かしらの形で交わる事は両者にとって、延いては世界にとって好ましくない結果を招く」
「承諾した際にこちらへの利益は?」
「もう二度と己が姿を見せることは無いだろう」
丁寧な態度ながら常に上から目線で僕達を、いや人類や世界を俯瞰している存在に思わず失笑が漏れそうになる。
「拒否した場合は?」
「それは十分に理解してもらえているようだが?」
その言葉にヒカリはそっと剣を抜刀し身構え、僕も腰を落とす。
「その程度の理由で、私達が退く道理は無いのよ」
「残念だ」
目を伏せながらも殺気を全身から吹き出させる調律者にヒカリは駆け、僕は雷の充電を開始する。
調律者は一見無防備な姿で斬撃を浴びるかと思えば、視認が困難な速度でヒカリの初撃を手刀にて剣の腹を叩く事により拒絶。
続いて盾を腹部に突き立てたヒカリは攻撃のためか振り上げられた拳を見て数歩分後ろへ跳躍。僕は閃電を放ち、雷の残滓が漂う中全身の魔刻を活性化させて軌道の後をなぞるよう駆ける。
並みの生物ならば十二分な致死量を持った雷の直撃を受けて調律者は僅かに動きを止めて、ロングソードの先が僅かに肉へと沈むのを僕は見た。
零れた血液は赤。血が出るならば殺せる、生き物の道理が通じる。
毒投げナイフを二種類投擲し、突き刺さった肉体を見てヒカリが再び追撃に刃を沈ませてその部位を爆発魔法で爆ぜさせる。
まるで獣に食い千切られたような僅かな傷跡、でも確かにダメージは通っている姿に僕は間合いを詰め終わり、渾身の拳に破壊魔法を乗せて肉体の破壊を試みる。手応えはあった。
「これは少々、効くものだな」
あまりにも余裕を持って呟かれた言葉に、僕達は一旦距離を離して相手の様子を窺う。毒が回るのであれば何かしらこちらに戦況が傾くような反応が見えるはずだ。
「まだ若いにも関わらず剣術に、複雑な魔法を扱えるというのは称賛するに値する事なのだろう。
――一度目の生ならば、な」
向けられた視線にヒカリは思わず口を噤む。
「アメと言ったか。
お前も努力した方だ、例えそれが別世界の知識を基本とした技術の群れであっても。
推測するに争いとは無縁の別世界から訪れたのだろう? よくこの世界に馴染み、これほどまで闘争に慣れ親しんだものだ。素直に驚愕する事実だ」
そこまで知っているか、という言葉は口から出なかった。
刺さった二本のナイフはみるみると回復する肉体に押し出され地面に転がり、ヒカリが与えた爆発による傷も人間や回復力に優れた獣では到底届かない速度により損傷した衣類と共に治り切る。
「だがな、人の身である限り到底届かない境界と言うのは世界に存在するものだ。現に私は今までそれを常に俯瞰し見届けて来た、最期まで、な。
何も人と言う種を劣っていると愚弄する気など毛頭も無い。ただ劣っている自覚を持たないというのは……」
そこで調律者は腕を横へ伸ばし、世界がそれに応えるよう円形状に空間を青白く口を開け、そこから長い鈍器のような筒を取り出した。
「……どうしたものか」
怒りを向けるわけでも無く、微笑むわけでも無く。感情を表情に浮かべず一時的に開いた空間の挟間を閉じて調律者は呟く。
あぁ、この存在は本当に――人の形をした何かなのだな。人の枠で化け物であるヒカリやイル、ジーン達と違い、存在を構成する要素の全てが逸脱し次元が違う事を証明している。
「青白い、魔道具じゃなく遺物か……」
「青白い、か。
やはりそうとしか視覚出来ないのは現人類の限界か」
一体お前には何色に見えているのだと世界の奥底へ触れられそうな探求心が疼き、すぐにそれが音によってかき消される。
こちらへ向けられた遺物。それが大気を震わせるようにコォーンという呼吸音のような音を鳴らしたかと思えば僕達の体は見えない壁にでも押し出されたのか背後に吹き飛ばされ、屋敷の壁に叩きつけられる。
傷は、酷くない。というか爆発の影響を受けたような挙動だったにもかかわらず、遺物が発した何かそのものに触れた時点では体へほぼ負荷はかかっていなかった。今僕達にあるのは背中を壁にぶつけた痛みのみ。
「――っ!」
次の攻撃が行われるまでに無言で散開。
目視は出来ない、遺物が振りかぶられてからの着弾は速い。今僕達にできる事は対抗策を思いつくまでにまとめて食らう事が無いように気を付ける程度だ。
「一人ずつになると神懸っていた精度が急に落ちるな」
片方が吹き飛ばされ、もう片方が張り付いても有効打を与えられず。
「ただの悪あがきは心底醜い」
策など思いつかない。それほどまでに圧倒的な力量の差。
魔力量も底が知れず、持っている得物も魔道具程度ではなく前時代の遺物で。
いや、それら全てに目を瞑っても、単純な武術が僕達では足元にも及ばない。己の肉体と、鈍器のようにも振られる遺物により未だ初めに立ち止まってから一歩もその場から動いていない調律者相手に。
「お前達が遺物というこの物体、この個体は前時代に置いて楽器として作成された。
この意味がわかるか? 傷をつけない、音を鳴らす副産物として衝撃波が発生する、武器でもない存在一本に翻弄される現実」
僕達は立ち止まらない。
その楽器という情報が事実だろうが、ブラフ……いや冗談だろうが止まらない。
この存在を超す事が出来ないのであれば、竜に届かないのであれば立ち止まれなどしない。
「ぐぅっ――!!」
巨大な手で掴み上げられ、地面に叩きつけられた所で追撃を避けるため右腕の魔刻を活性化。
強く地面を強打し、反動で浮かび上がった体で見たのは僕に蹴りを繰り出そうとしている調律者の姿。
「させない」
ヒカリが僕を庇うため不安定な姿で間に割って入り、盾を構えた所で二人纏めて強烈な蹴りにより吹き飛ばされる。
流石に連続して態勢維持を行えず地面を転がる僕に、ヒカリは更に間に立つためにふわりと魔法にて運動エネルギーを斜めに変更して足から着地する。
「これだけ一方的に往なされて、まだ抗うというのか」
まだ終わってなどいないと、僕は立ち上がり同様に不屈の意思を見せているヒカリに並ぶ。
「抗うさ! これは、それだけは僕達が許せないもの! あの竜の存在だけは、絶対に!」
「お前達の事情は曖昧にだが把握しているつもりだ。憐れみも、同情すらしている。
だがその行為が、十六年前の悲劇を繰り返すことになっても構わないというのか」
「構うものか。十六年前のあの日が二度と来ない保障があるとするのならば、僕達だって諦めたかもしれない。
――けれど、十八年前にあった一度目の襲撃で、二度目の警告を呑むのは安全が保障されていない証明になる」
思い出せ。
あの何も無くなってしまった故郷を思い出せ。
「復讐は誰かが呑み込まなければならない。たとえどれだけその行為が悲しみと、不条理を背負っていても」
「ならば呑ませてやるさ、もう二度と動けなくなったあの竜にたらふく!」
景色を、憎しみを。
そして吠えろ、負け犬のように醜く。
吼えろ、人としてはあまりにも理性を欠いて。
「この矮小な私一人に勝てないのにか?」
「質で竜や人間に争えた存在がよくも」
決着がつく前に気持ちで負けるな。
自責が、憎しみが、殺意が僕達を後押しするのだから。
「ならば征して見せよ。二人がかりでこの私に傷をつけ、骨を折り肉を抉り、内臓を取り出し心の臓に刃を突き立てよ。
そうして私を殺め、竜を殺せたとして、お前達は何を見るのだろうな。多くの死体を足場に、血痕に塗れた足跡を残し」
「過ちだって何でもいい、取り返しのつかないことをしている実感だってある。
でも守るべきもののために、悲劇を繰り返さないために。何もかもが終わった時、この両手に何も残っていなくとも、確かに意志はそこにあったのだから」
もう時間なんてかけていられない。
僕達の魔力量は先天的に少なく、このままでは騒ぎを聞きつけた人間がこの場に居合わせる可能性もある。
恐らくあの炎竜より単体では強い調律者という存在。策という最大の武器等伝説上の存在に用意などしておらず、今から組み上げあれるかと問うても否だ。
退く事等できない。ならばどれだけそれが愚かで、惨めな選択だったとしても僕達は今までそうして来ているように前に進むしかないのだ。
「私達が今ここに居る意味を示しましょう」
《自壊ロジック"二位一体の片翼"》
全身の魔刻が活性化し、認識は強化された片目片耳と不安定なそれを制御するための忘我魔法により最大限活かされる。
願うは翼。片翼の翼。
もう片翼はヒカリで、僕達は二人で一つの鳥になる。
最低限しか動かない上、遺物の衝撃波以外は単純に徒手と武器で戦う人間だ。大掛かりな動作は不要、二人で息を合わせて囲む、それだけだ。
遺物が振りかぶられた時点で隣を駆けるヒカリと共に互いを押し、瞬時に離れ合間を見えない衝撃波が通り過ぎた事を肌で確認するともう一度距離を詰める。
これ以上は無駄だと感じたのか近接戦にて迎撃する調律者に肉薄し、片腕による反撃は僕が対処、鈍器のように扱われる遺物はヒカリが対処しつつ共に反撃。
こちらは無傷。相手はそれなりに傷を負って、何を思ったか地面に遺物を突き立てる。
「飛べ」
先端から衝撃波が射出される物体を、地面に向けたらどうなるか。
簡単だ。設置点を中心に近場を吹き飛ばす。
再びヒカリや調律者と距離を開けられ宙を舞う己の体。自身も衝撃の影響を受けただろうに、まるで何事も無かったかのように不動を貫く敵の標的はこちら。
向けている手は遺物を持っていない素手。想像できる攻撃手段は未知数。魔力装甲で防ぎ切れる可能性は低い、今から回避運動を行っても間に合わない可能性が高い。破壊魔法による迎撃を選択、効果が出る確率は二割程度か。
「ソシレ!?」
調律者から発せられる何かがこちらへ飛ぶよりも早く、僕に近づく存在を察知して思わず忘我魔法を解除する。
迅速に駆け寄って来た愛犬が、無防備に舞う僕を回収するように横から飛び掛かり、僕は彼の首へ手を回しながら背中で態勢を整える。
「助かった。
僕達はあれを倒さなければならない、でもソシレは危険過ぎるから直接戦っちゃダメ。
でも戦闘には参加して欲しい。わかる? 足になって欲しいの」
ワンッと珍しく屋敷内で低く吠えたソシレの頭を撫でつつ、僕は予想外の追加戦力により生み出された隙に付け込み今度は引き剥がされないように張り付くヒカリを確認。
中腰の僕を抱えたまま調律者とヒカリに距離を取りつつ周囲を旋回するソシレの背中で考える。勝ち筋が未だ一つも期待できない現状と、ソシレが介入してきたことによりいよいよ時間が足りなくなってきた事実。
でも、まだ使えそうな手札が一つある。それを実行するために必要な条件は……。
「ソシレ、距離を詰めたい。一緒に駆けよう、二人で風のように」
僕の願いに答え、親を奪った相手にソシレは助力するため旋回していた動きを変える。
遺物がこちらへ向けられた時点で僕はソシレを足場に跳躍。腕から魔道具を展開して斜め下、未だ激しい近接戦を行い続けている二人の合間へチェーンを伸ばし、地面に突き刺さった刃から返しを展開し収納。
高速で上空から近づく中、ヒカリではなく僕へ敵の意識が向いた時点でこのままではダメだと相棒が土魔法により足場を生成。それを踏み台にしながら来た場所とは反対方向の上空へと跳ぶと、既に回り込んでくれていたのかソシレが僕をキャッチし再び背中に乗り中腰で身構える。
「このままじゃマズイ。正面からお願い」
未知の存在に獣が立ち向かう事がどれだけ恐怖を伴うのか。僕はそれを理解しながらソシレに頼み、彼は確かに答えた。
ヒカリの後方から駆け寄るが、相手は身長がとても高いので視線を遮れているわけもなく。全て纏め吹き飛ばすため向けられた遺物に僕はソシレを見捨てて上へ跳ぶ。
横へ回避できたヒカリに、再び上空へと舞っている僕。無防備なのは当然こちらで、標的にされるもののヒカリはそれた意識の合間で爆発魔法を練り上げて、自身が巻き込まれるのも厭わずに威力を押さえることも無く至近距離で爆ぜさせた。
ようやく生まれた明確な隙に、僕は魔道具を鎖のように手に持ち調律者の首へと背中合わせで食い込ませる。
「この程度効くはず無いのは承知だろうに」
「えぇ。でもこれはどうですか」
僕が生み出した、未完成の魔法。夢幻舞踏。
魔法の行使はそれほど難しいものではないが、肌が触れ合うほど肉薄しなければ効果が発揮できない点、そして時間が経つごとに倍々と増えていく威力を行使者も食らってしまう欠陥魔法。
それを数少ない夢幻舞踏を扱えるヒカリと共に同時に行使する。ただでさえ耐え難い苦痛を承知で僕達は無様にも踊る事を選んだ。
「やめ、ろ。命を粗末にするな」
「僕達を……襲う人間が、何を……」
僅かに途切れた言葉は確かに効いている証拠。
ただし人ならざる存在が、僕達よりも早く倒れることはあり得ない。それでも、止まる事は出来なかった。
「醜い、全くもって醜い。叶わぬと知ってなおどうしてそこまで抗うのか」
痛みは堪え切れる。ただもう肉体が感電死寸前だったところで調律者は僕達を振り払う。
その様子に夢幻舞踏のダメージはあまり見られない。対してこちらはヒカリですら両足で立つのが精々で、僕に至っては体を起こす事もままならず。
「けれど、醜くも、眩しい。我々には無く、人間にしかない執着や妄執は何時の世も変わらない」
「……そりゃ、どうも。良ければその眩しさを体の芯に触れさせてくれませんかね?」
「そうしたいのも山々だが時間切れだ。愛されているのだな、お前達は」
辺りを取り囲むのは屋敷に住まう人々。
かつてない僕達の危機を嗅ぎ取り、ソシレ同様こちら側の意図を無視してまで助力に駆けつけてくれたのだろう。
親衛隊は元より、戦えるユリアンやその隣に居るカナリア。使用人の皆だって肉壁の一枚として機能する事を望み今ここに居る。
「もう私に抗う意図はない。今からでも穏便に対談を願う」
まるで多勢に無勢な状況で勝ち目が無いと諦めたように調律者は敗北を認める。
こちらはボロボロにも関わらず、相手は終始手を抜き殺傷力のある攻撃を控えていた事実に嫌気が差す。
初めから殺し合いをするつもりなど相手には無く、ただこちらを測りたかった事は容易に、とても容易に想像できる。以前あの幼姫におちょくられた経験があってこそ気づけた事実だが。
「ようこそ客人、我が屋敷へ」
手を抜かれた事実にか、最後までまるで力を引き出せなかった自分に嫌悪を抱いたのか、力強く持っていた剣を地面に突き立て鍔へ足を乗せ、ヒカリはそれだけを告げたのだった。
- 律する者 終わり -




