214.人間としての義務
思うところが多数ある魔刻化の性能が最大限活かせる状況は十三歳の夏、リーン家によって引き起こされたテイル家との争いによって作り出された。
表向きはそろそろ竜に一戦目挑むため、憂いを少しでも排除するためにヒカリを前線に送り相手側の戦力を削ぐこと。
裏の理由はイルの持っている魂鋼製の幾つかの剣。飛翔剣の一本でも奪えれば僕の短剣には十分な量、二本かショートソードでも奪えればヒカリの魔砲剣の材料に成り得ると思ったからだ。
早まった行動かと思われるかも知れないがレイノアから目新しい続報は届いていないし、国を今度はリーン家という貴族で叩いてみたがそう易々ともう保有しているかもわからない魂鋼を手放す様子も無い。
暴力という解決手段は楽で好きだ。それがどれだけ人道に反している行為だとしても、人は結局弱肉強食という生命の摂理から逃れられないのだから。
- 人間としての義務 始まり -
「全く……どうしてこんな少女が、しかも全身真っ青に染めて戦場に居るんだかっ――!!」
テイル家の兵としてクアイアが叫び、レイニスの近くにある川の上流で人の迷惑になる心配もなく存分に水と土で魔法を飛ばして来る。
「あなた達より幼い少女が今ここに居る意味を知れ!」
至近距離に入られてしまえば不利だという事は今までの戦闘で存分に理解されてしまっている。
故に絶え間無い牽制により距離を離されるのだが、僕は迎撃用の魔法も、隙を見て反撃するために必要な雷の準備も行わず、ただ触れそうになる魔法全てを破壊魔法で壊して駆け続ける。
「あぁもう! 前々から思っていたけどその技術卑怯だろ! あたしにも教えろ!!」
恐らくアレンを中心に数えられるほどしか広がっていない技術。誰が教えるものかと僕は破壊魔法の条件や欠点を隠し、単純に触れた魔法全てを破壊して進む不条理の塊の仮面を被る。
魔法達の合間に僅かにできた隙。そこを縫うように走り真っすぐに近寄るとそれが間違いだと思い知る。
開けている場所から木々が密集している場所に誘い込まれ、横に動ける選択肢が極端に減る。前方には魔砲剣を構えたクアイアの姿に、後方は恐らく誤射するような場所に味方はいない。
人が持ち得る最大威力の脅威を構えて見せれば怯むとでも思ったのか、逆に距離を詰める速度が上がる僕にクアイアは勝気に笑って見せる。
十メートル。既に有効射程圏内、ただ魔砲剣の砲撃はそこまで弾速が早いわけではなく、普通に飛ばす普遍的な魔法達よりも一段階弾速が劣る。
八メートル。まだ引き金は絞られず、変則的に動きながら近づく僕へ銃口を構え続けて。
六メートル。左目と左耳の魔刻を活性化させる。意外にもまだ引き付けるようだ。
四メートル。ほぼ目と鼻の先。僕の目が捉えたのは青白く光る少女の顔を見るクアイアの後悔の念と、こちらへ向かう魔力の砲弾。
完全に引かれたトリガーの音を耳で聞きとったおかげで反応は余裕で、前宙を行い空に足を向けて魔砲剣が吐き出した反動を押さえているクアイアの懐に着地して潜り込み、破壊魔法を込めて腹部へと膝を打ち込んだ。
後方へ吹き飛ぶクアイアに勢いを殺し切らずそれに続くような僕。思ったより手応えが足りなかったが、魔砲剣が明後日の方向へ飛んで行っている辺り反動を押さる事を諦めて、逆に腕を骨折させるほどの反動を後方へ移動し衝撃を殺す防御へと使いながらリソースを身を守る事に割いたのだろう。
ただ破壊魔法が完全に通っていなかったとしても十分に助走をつけた膝蹴り、もはや瀕死である彼女に止めを刺すか、武器を無力化するか……いや、今回の主目的はイルが持つ魂鋼。当分満足に動けないだろうし放置。
「ゲホッ、グポッ……」
起き上がり、口から赤さを伴った血液を吐きながらこちらを睨んでくるクアイアに背を向けて、僕は途中で落ちている持ち主を失った手斧にグレイブを持ってこの戦場の中で最も激しさを纏っている箇所に迷わず飛び込む。
「アメっ!」
「くっ――!」
僕の到着を迎え入れたヒカリに、人数差を付けられ苦しそうに辺りに助力できる人間が居ないかを探すイル。
《僕達は己の心に従い――今!》
《手を取り合いあの空へと続く場所を駆け抜ける》
二人で紡ぐ魔法陣が辺りを覆い、地面を隆起させて簡易的ながらも周囲から隔絶するための簡単な壁を幾つも作り上げる。
宙には無数の土壁が足場兼イルの飛翔する剣の動きを阻害するための盾としてヒカリの魔力で浮かび上がる。
防御を捨てた分だけ攻撃に専念したヒカリの肌へ刃が走り、イルの体と同様に傷を同じく増やし始め、僕は人の手よりも鮮やかに、作法など煩わしいものに縛られることなく自由に宙を踊る刃を避けて、あわよくば相手の制御下から強奪できないかと試みる。
グレイブを薙いで間合いに入る前の飛翔剣を払い、大型の武器を振った際に生じる殺しようのない隙にまるで意思があるように付け込むもう一つの剣を斧で叩き落し、すぐさま確保しようと足を伸ばせば地中から魔力反応。
何らかの物理現象を巻き起こす前に魔法を相殺できなかった事を悔やみつつ、一つ、二つと後ろへ跳び、それでもなお追いかけて来る土槍の最前線を槍で叩き折り、腕が貫かれる前にグレイブを手放し足場代わりになる土槍だった物を踏みつけて大きく離れる。
僕の体重を支え切った浮遊する壁に、それよりも下方向でミシリとひびが入るもう一枚の土。
子供ならば辛うじて隙間を縫えるかもしれない密集された土壁をテイル家の人間が壊している。僕は崩れゆくその床に、足場にしていた壁の制御権をヒカリからもらいつつ槍として再構成し頭上から振り下ろす。
一つ目避けられ、次撃が死角にでも入っていたのか片足を貫かれる敵。すかさず飛ばして来る炎の魔法を足元で枝分かれしてか細く流れている水を脚でまとめ、掬い上げ防壁にしつつその水球を貫くように手斧を投擲する。着弾を確認する必要は無い、未だ燻っていた炎の魔法が掻き消えた事が何よりの証拠になる。
「罷り成れ!」
再び浮遊するようになった剣による攻撃を避けつつ、僕はヒカリの声に従って状況を確認する間もなくイルへと駆け出す。
予め決めておいた合図。どちらかが絶対的なイルの隙を生み出す事に成功した証拠。現に今、ヒカリは盾刃の矛先を己の盾、将来魔砲剣の弾丸をしまうため不自然に空いている構造に引っ掛け外せないようにし、もう一方の手で持たれているロングソードは体が浅く切られているのも意に介さず、相手の剣を持つ手をカウンターで貫いていた。
背後から迫りくる殺意の気配。それが避ける事を前提に射線を通している事を確認し、僕は一切避ける事無く体を刃で貫きながらイルの懐に潜り込む。
毒ナイフを突き立て、手榴弾を足元に放置した所で、盾刃が盾から外れたのか半歩分ずらされた体から蹴り上げられる足を以前とは違い避け、その後連撃に行われたかかと落としを頭上に貰う。
今己にできるのは最大限魔力で防壁を作るだけで。次に誰かが何か行動する前に、ピンを抜いていた手榴弾が爆ぜて体が風に舞うゴミのように吹き飛ばされる。
「これなら――!」
互いに損傷を負い、期待を込めてイルを眺めると爆発の影響に毒への対処で初めて足が止まった。
次いで壊れ始める周囲の土壁。轟音に、隙間から見える戦況がイルの危機だと知られてしまったのだろう。
ヒカリと駆け出し、彼女は途中二人の敵に捕まって、僕は入り乱れる敵味方の中小さい体を活かし全身の魔刻を活性化させ、渾身の一撃を無防備な姿に叩き込んだ。
一瞬静まり返る周囲の音。遅れて殴り飛ばされ転がりながらも座り込むよう崩れ去り、耳や眼球の隙間からも破壊魔法の影響か僅かに血液を漏らすイル。
クアイアとは違う内臓を確かに致命的なまでに破壊した手応えに、まるで死に至る気配の無いイルは今まで見せた事の無いような憎悪に似た表情で何故かヒカリを見る。
「殺しているんだから死ねよっ」
「なるほど、今の今まで不明瞭な点が多くてあなたを……」
人として死ぬべきタイミングを逃したイルに思わず叫ぶ僕に、対して冷静さを見せながら呟くヒカリの声は轟音で途中にかき消されて。
音の発生源を見ると小川の上流、クアイアがボロボロな体を木に預けながら川の流れを意図して止めていたのか洪水にも似た水の塊が押し寄せる。
敵と味方の距離があまりにも近く、滝の方へと流されないためにも皆と同様に後ろへ跳ぶヒカリを確認して僕も後方へリスクを切るために移動する。
《雷鳴にて刻まれるターミネイト》
激しい流れを伴う水の中、まだしがみ付く余裕があるのかと目を疑いたくなるイルへ向かって、ヒカリと隣接し加速した電力供給をより強化するため呟くように詠唱を唱え、それが聞こえたのか、単に力尽きたのか離された手によって閃電は宙を切る。
濁流に流され、滝つぼに落ちていくイル。
「どこ行くの、アメ!?」
「殺り切る。リスクは承知」
ヒカリの声を聞きながら、僕はある程度装備を投げ捨てながら自身も滝へと身を投げる。
眼下に広がるは雄大な自然に、何十メートル下にある水面と十メートルも離れていないイル。彼女は水面に視界を下ろしていたが、こちらの気配を感じ取ったのか、念のため上を見上げただけなのかこちらに気づき一瞬驚愕。
すぐさまその表情を抑えこむと、迷わずに自身と同様に宙を落ちている刃をしまい、手に持っていたロングソードも納刀しながら周囲にある水をこちらへ固め槍状に飛ばして来る。
当然下から上へ射出してもそれほど威力は無いのだが、体を横にしてこちらを視界に収めている彼女に対し僕は空気抵抗を抑え追いつこうと頭から落ちている状態。
自然落下する程度の氷柱はこちらへと向かって飛んで来るような物で、またたとえ鋭い部分が当たらずとも鈍器としては威力が十分だ。
もうほとんど魔力に余裕は無いので投げ捨てていなかった装備の一つ、短剣を太ももから抜き取り最低限進路を逸らす。お返しにと投げナイフを投擲するが、まだ捨てられていない盾刃で姿を隠され難なく防がれる。
そうやり取りしている間にも水面は近づく。
残念にもそこにたどり着く前に僕はイルへと触れることは叶わず、また彼女も着水することを忘れていなかったのか頭から水飛沫をあげ体勢を整え水中へ消えていく。
水に高所から入る危険性も理解していたか……つくづく残念で、無視できる存在ではない。
僕も大きく肺に空気を溜め、顔と鼻を腕で隠しながら水に入る。まるで地面にぶつかったような衝撃。これほどの威力があれば、たとえば体を横にしていたり、もしくは下半身から無防備に着水すれば穴という穴から水が入り致命傷に近いダメージを与えることができただろう。
水中に入ってもまだ安心はできない。
滝つぼ特有の暴力的な水流は根元から僕達を逃げさせないようにするどころか、水流そのもので体を捻じ切ってきそうなほどだし、そもそも追って飛んで来た相手が何より危険すぎる。
水中、それも着水直後泡だらけで非常に悪い視界を何とか往なしつつ、対象を捕捉。
ただ僕がイルを見つけたときには既に、先に着水していて視界を確保していただろう彼女から攻撃が跳んできている最中だった。
かまいたち。
恐らく落下時に自身の周りで宙を切っていた空気を集めていたのだろう。少なくとも炎や土をこの状況下で操ることはできない。そう思いながら残り少ない魔力で水を切り裂いて迫りくるそれに手が傷つかないよう触れて破壊。
お返しにとこちらは水を固め、氷で槍を作り投げる。位置関係がこちらのほうが上というのもあるが、僕は未だに追いかけるために滝から飛び降り、空中にいる間風の抵抗を受けないようにしていた勢いが残っている。ただ魔力だけで飛ばすだけでなく、自分の腕力とそのエネルギーも活かすために生成した槍を手で掴んで投げ飛ばす。
当然、未だ盾を手放していないイルにそれを防ぐのは容易い。
……けれど、追いつくには十分な時間を稼げた。
「……っ!!」
口の端から空気を漏らしつつも、太ももから抜かれた鋭い短剣による閃撃。
僕も同様に短剣をその軌跡に合わせ殺傷力を殺しつつも、空いている左手で体のどこかを掴もうとする。
流石に僕相手にそれはマズイとわかっているのか、盾刃と短剣両方を巧みに扱い全力で抗うイル。
当然容易く制することもできず、僕は片腕に隠されているワイヤー付きのナイフを飛ばし盾刃にワイヤー部分を絡めることに成功する。
しめた! と思ったのもつかの間、迷わずイルは今まで優勢を保てていた大きな要因である盾刃を全ての魂鋼製の剣を抜き去りながら捨てる。
このまま盾に身を振り回されるのも都合が悪い。急いでワイヤーを解いて残った最後の毒ナイフを投擲。この際毒の効果が無くとも、傷をつけられるのなら普通の刃物でも何でもよかったのだが、それも短剣で弾かれる。
《飛べ、水の中を空のように》
一瞬離れた距離を詠唱を行い水や酸素を扱い詰めながら、肺にも新鮮な空気を取り入れる。
……いつかルゥに教わった多重詠唱が役に立った。声の発せない空間での詠唱を、声を魔力そのもので作ることで成功させる。
この場合の詠唱の主な役割は何よりも威圧だ。珍しい技術に、水中という危険な環境、視界も悪ければ呼吸もできず、また耳も上手く機能しない。そんな中で聞こえる相手の詠唱、少なくとも僕は上から押さえつけられながら詠唱はされたくはない。
詰めた距離で、今度は両の手による攻撃。
左腕による拘束は無効化された……けれど、右手の短剣は確かに二の腕を斬りつけることに成功する。
この状況下で切り傷は大きい。
魔力は少しでも切り詰めなければならないほど状況は切迫しているし、傷を治さなければ体温の低下を招き拮抗している立場は傾く。
ただ……二の腕? 位置関係の上下こそあれど、ほぼ向かい合っている状態でどうして二の腕に傷をつけられる?
僕の左腕はイルの右腕だけで防がれたし、空いている彼女の左腕は僕の右手同様短剣を持っていた。互いに傷つけあうならまだしも、何故一方的に、それも変な体勢をしなければ傷がつかない場所を攻撃できたのか。
疑問はすぐに解決された。
答えを自分で思いつくより一瞬速く、透明感のある液体ではなく赤い靄のような液体が視界を埋め尽くす。
なるほど、視界を防ぐ手段として自分の血すら利用するか。
悪くない、それどころか元々視界の悪い水中で、それも僕が未だに底へ向かって追いかけている状況。水の流れも相まってか視界のほとんどは血で埋め尽くされ、僅かな空白も僕達が動くたびに発生する泡で上手く活用できない。
対処方法をいくつか候補に挙げていると、相手がそんな悠長に待ってくれるわけもなく血煙の中から攻撃をしてきたのだろう。右腕を浅く短剣で切られる。
……これ以上リスクは取れない、か。瀕死まで追い込んだと思っていたイルの抵抗も激しく、このまま続けても十分に回復した体による反撃で魔力残量が厳しい僕が返り討ちに合う可能性が高い。
ここまで魔力量の差が致命的になるとは。
歯痒い気持ちを抑えながら少しでも妨害になるようにとスカートに仕込んである防水性の袋から、香辛料を巻きつつ一足先に水面を目指して泳ぎ始める。
水から顔を出せた瞬間、肺の酸素を更新することよりも周囲の安全を確認、落ちたイルを追ってテイル家の人間どころかリーン家の人間すら未だ崖から降りてきていない事を確かめて電力を溜め始める。
そこでようやく呼吸を整えながら辺りを見渡し、イルが少しでも姿を見せたら溜めた雷をぶつけてやろうと身構える。
水の導電率は案外悪い。少なくともどこにいるかもわからない相手に、湖の水面へと雷を打ち込んだところで体が僅かに痺れることすら望めないだろう。
「アメ」
ヒカリが崖の中腹からこちらへ跳躍し、地面へ落下死するかと思えば以前見せた物理法則を書き換える魔法でふわりと斜め上に跳びあがり、大木にぶつかるかと思えば上方に飛び上がるエネルギーを殺しながら靴を木で擦りながら降りて来た。
「ごめん、逃がしたみたい」
順調に人間離れしているヒカリの声にそう答えながら、僕は展開していた電力を少しでも魔力へと戻す。
慣れない状況への対応力や、知識に判断力。武勇も優れているイルは泳ぐこともできたのだろう、いつまで経っても目に入る範囲で彼女が姿を見せることは無かった。
撤退し始めたテイル家の私兵達を追い払い、崖下にリーン家の人間が集まった頃に僕はもう一度湖の中を泳いで調べてみたが魂鋼の刃どころか手放されたはずの盾刃すらどこにも見当たらなかった。幾つもここから離れられる水路は存在しており、そのまま水面下で武装を回収し逃げおおせたのだろう。
手元に届きそうだった魂鋼は未だ遠く、それどころか竜じゃない人間の可能性を見せつけられて僕達はまだまだこれからだとため息を吐くしかなかった。
- 人間としての義務 終わり -




