212.彼女は、故にまた一歩人間から離れました
あと右足だけ。
それだけなのに、僕は何時間かわからない時をただぼんやりと右足を眺め過ごしていた。
あと一箇所だけで終わり、そんな気持ちは全然浮かばず、あと一度魔刻化しなければならない、そんな想いで頭が一杯だった。
魔刻化された部分が痛みを発することはない、けれどそこで与えられた痛みをすぐに忘れることもできない。
現実か、幻か。どちらかわからない体を魔力で焼き代えられる痛みの余韻で今も体は悲鳴を上げ続け、僕の心は怯え竦んでしまった。
「すっかり変わってしまったな。蒼色が目立ち人肌が少ないかと錯覚するほどだ」
ユリアンが部屋に入り、そう告げる。
両腕、左脚、それに鏡がないので具体的にはわからないが、顔の左側もそれなりに侵食されているはずだ。青系の髪色も相まって、服を除けば寒色以外の部分はかなり少なく見えるのではないか。
「ユリアンさんは来ないと思っていました」
特に魔刻化を行うなど伝えてはいない。
リーン一家が住む方の屋敷で使えそうな部屋をヒカリに確認し、勝手に押しかけはしたが。
「私もだ。でも気づいてしまった。だから他のに仕事を押し付けて、無理にでも時間を作ってきた」
ユリアンは一家の長だ。貴族であるうえ、その立場上非常に忙しく、時間が取る事は難しいだろう。
そして例え時間があったとしても、空いた時間は使用人との交流に割くような人柄だ。決して既に互いを知り合った人間の、前に進むとはいえ悲惨な自傷行為を眺めるほど酔狂な人物でもなかった。
「竜に家族を殺されたのは、私も一緒なのだ」
「そうですね」
それは知っている。
それが無ければ僕達は野営をせず、また街から離れようとしたユリアンとも出会わなかっただろう。
「その私は復讐を考えず、家や自分のことだけを考えている。どうしてお前とは違うのか」
「立場が違うからでしょう」
「あぁそうだ、私は唯一残されたリーン家直系の血を持つ人間だからだ。では何故ヒカリは戦っているのか、何故ヒカリが戦っている中、私は戦っていないのか」
「……」
言いたいことに気づいてしまう。
唯一リーン家の血を引いた子供であるヒカリが、自身の重要さを理解してなお命を賭けるのか。その唯一さが危ぶまれている中、どうして自分は戦おうとしないのか。
立場が違う? 確かに違うだろう、ヒカリはユリアンと同様の重責を背負ってなお復讐を誓った。それは僕と同様に大切なモノを失った重さを理解しているからだ。
けれど、もし彼がヒカリと同じ立場にある人間であれば、おそらくユリアンは戦いに身を委ねたりはしない。
人間性、価値観が違うのだ。
これ以上の被害を出さないという大義名分を掲げ、自分たちのために復讐を遂げようとする僕達と、そうしない彼とは。
家族を殺した存在に対し何もしようとしないのは当たり前なのか?
「……僕達は、きっと純粋で、正しいのでしょう」
仇を討つために自己犠牲を厭わない僕を見て、ユリアンは自責の念で目を細める。
「けれど、間違っている」
その目が、開かれた。
「この街では多くの人が竜に大切な人を殺され、また仇を討つことを諦め明日へ向かって生きている。
竜を討伐しに向かった話なんてほとんど聞かず、仕方の無い存在に、仕方の無いことだと諦めている」
「仕方無くはないだろう、少なくとも不可能であっても志すことは間違いではないはずだ」
「それすらも間違いですよ。あくまで僕とヒカリは例外で、過去を見て生きるそれは、未来を見て生きる多くの人々と比べ間違っている」
「その盲目な純粋さが過ちだというのか?」
「世の中の全てを正しいか正しくないかでわけたらそうなるでしょうね。
でもいいんです、僕達は明日を見れない子供で。竜のせいで、僕達の時間はあの時で止まったままだ、だから、殺さないと」
目を閉じれば思い出す。
村の人々と粗末な生活で、たまに宴をして楽しんで。僕達二人は村で二人だけの子供だからって甘やかされて、途中でルゥも入ってきたけど三人とも甘やかされて。
それが全て一日で無くなった。
三人だけ残して、全て無くなった。
その三人も、今はもういない。あの村にいた人間は、皆死んでしまった。
ベッドから立ち上がり、イスに座り短剣を取る。
躊躇いは無かった。あの懐かしい日々を想い、明日を生きるために過去に閉じ込めている竜を殺すために。
「せめて、見届けさせてくれ。我々大人の罪に対して、今から行われるそれを見ることはなんの償いにもならないだろうが」
「責めるのも、許すのも、全部自分自身ですよ。大人はそんなことも忘れてしまったんですか。
らしくないですね。本来ならばリーン家の人間であるあなたから告げられる言葉のはずなのに」
「気の迷いが起きるほど悲惨な現実なのだよ」
短剣を右足に振り下ろした。
最後の魔刻化が終わった。
- 彼女は、故にまた一歩人間から離れました 始まり -
「……カナリアを連れて来なくて良かった。あいつも見届けたがっていたんだが、ヒカリとシュバルツが必死に止めていたから最終的に来なかった。これは確かに、酷い」
目は僕が自分に剣を振り下ろすところを焼きつけ。
耳は痛みに悶える悲鳴を聞き取り。
鼻は全身から漏れ出す体液を嗅ぎ取り。
……僕もお勧めはしない。最後まで慣れずに暴れ回り、魔刻化する前に納刀したはずの短剣が剥き出して床に刺さって、椅子の一つは三本の足が破壊されて使い物にならない。激痛の中何をどうしたのかすら覚えていない。
「これで全て終わりか?」
「はい……」
「ヒカリを呼んで来よう、手を貸したほうがいいか?」
「いえ」
体はかなり汚いので、できればユリアンの手を汚したくはなかった。
「わかった、すぐに呼んで来る」
そう告げ、小走りで駆けて行く彼の背中をぼんやりと見る。
家長なのだから走らなくていいとか、ベッドには行きたいなとか、いろいろ考えたけど、何かを考えるのも既に億劫だった。
今はもう死ぬよりもつらい痛みを感じる必要が無くなったことを、まだ痛みの余韻を残す右足で素直に喜ぶ他無かった。
「お疲れ、アメ」
「……死ぬより疲れた」
二度目の死はあまり覚えていないので一度目の死としか比べられない。
あの時は自分は焼け、家族が死んでいくのを眺めているしかなかった。ただ酸欠で朦朧としていた上、長くても十分ほどか。
今は体が焼けるのよりも何倍も痛い魔力で体を焼く行為を、何日にも渡り徐々に続けていた。比較するなど論外だな。
「これでまた負けたら最悪だ」
「万が一を拾うつもりだし、負けてまた生まれ変わりでもしたら一人でも挑むんでしょ?」
「まぁね」
「肩貸す? それとも抱えようか?」
「前者で、あとお風呂行きたい」
「ベッドよりも?」
「うん、流石に臭いが気になる」
「……そうかな」
「嗅ぐな」
「誰か呼ぶ?」
「……今回はヒカリでもいいよ」
ヒカリに肌を見られるのは恥ずかしいが、ここ数日は人間性を軽んじていたので今回はどうにかなる、はず。
「一足遅かったか」
「はい、全部終わりました」
廊下をヒカリに引きずられるよう歩いていると、魔刻化という術を教えてくれたアレンと出会う。
丁度様子を見に来てくれようとしたのだろう。新しい水瓶とタオルを持っている。
「実は私も四肢を魔刻化するはず、だった。けれどあまりに痛くて右腕だけで限界だった」
アレンは右腕。僕は四肢に左目と左耳。
魔刻化を行う人間は精々一、二ヵ所が限度だと聞いていたが、アレンもその内の一人だったか。
「この差は、なんだろうな」
「相手でしょう」
決して覚悟の差などではない。人間と竜とではあまりにも差がありすぎる。
彼はこうして復讐を果たし今を生きているが、僕はこれでも足りるかわからない。
「痛みで諦めそうにはならなかったか? これぐらいでいいのでは、そもそも復讐しなくていいのでは、とな」
「なりましたよ、何度でも」
「ならお前は、どうして最後までやり遂げられたんだ」
「……一人じゃ、なかったので」
誰かがそばにいて話をしてくれた。同じ悲しみを知っている人間が隣にいた。
それだけが彼との決定的な差だったのだろう。
話は終わったとヒカリが歩き出し、引きずられるようについていく。
僕の体調や、汚れた体を見られたくないという心情を察してか、それとも単純に大人の感傷に付き合ってられないと感じたのか。
「遂げろよ、必ず」
「頑張ります」
復讐を遂げた男を置いて、僕達は前に進む。
「全てが終わった時、そこにアメ一人だったらお前はどうなってしまうのだろうな」
声はもう、届かない。
「やり遂げられたら英雄だ。ここ二百年竜を倒した人間なんていないのだから、竜害にあった人々は祝福してくれるだろう。
でもお前にとっては、二人とも生きて帰らなければ幸せじゃない。竜を殺すこと自体が奇跡なのに、犠牲無しにってのは都合が良すぎる話だ。
覚悟しろよ、二人共」
復讐を終えた男は一人呟く。
「ここは中々……辛いぞ」
「はーすごいねー」
肌着を身に付けたヒカリに背中等を洗ってもらいながら、前や局部を自分で洗って鏡を眺める。
そこに映る自分は四肢の多くが青い刻印で染まり、どうやっても衣服で隠しきれないことが一目でわかる。明るい場所ならば目立たないかと思えばそうとはとても思えず、ファンデーションでも誤魔化しきれないほど面積が広い。
左耳も付け根辺りから後頭部まで枝が伸びるよう青い痕がついていて、左目の横側にも耳に向けて扇状に筋が伸びている。
よく見れば瞳の色も若干変わっている。もともと青かった瞳は魔刻印と同様に明るい青と形容するに相応しい色に変わってしまっていた。魔力を流し込み活性化すると血管が浮き立つように青い筋が何本も走る。
「今のアメも可愛いよ」
「ヒカリならそう言ってくれると思っていた」
冗談めかしながらも本心からの言葉と確信できるそれを聞きながら、これからも普段通りの服装で居ようと決心する。
一番重要な人から必要な言葉を聞けたので、他の人からどう見られようと構わない。
ただこれではまるで化け物だ。
一ヵ所を魔刻化するなら大部分は人間で。片目の色が違うだけでもオッドアイという先天的な物も存在する。全身を覆うものでもタトゥーなどがある。
でも今の僕は明らかに一線を超えている、人という一線を超えている。
「後悔してる?」
「全然」
体を洗い終わり、湯船に移動するわけでも無く無言で鏡を見続けシャワーを浴びている僕にヒカリは尋ねる。
竜という化け物を殺すためには、同様の化け物が必要だ。例えそれだけでも敵わなくとも、確かに化け物なんだ。
今ならわかる。前に見たカステルの崩本の真髄が理解できた気がする。
悪魔になる方法が書かれていなかった事は、作品の問題点でも、オチに扱われるため意図し放置されていた要素でもない。
化け物を倒す存在は、勇者でも英雄でも物語の主人公でも無く、一切の例外なく皆化け物だ。
あの本は化け物になってしまった存在へ告げる手遅れの証明。化け物ではない存在が読んでも、ただの娯楽誌になってしまうことすら作者の意中に嵌っている気がする。
「もう少しだね」
「これからだよ」
魂鋼は届く、僕は手札を更に増やした。
あとは僕が竜を貫く刃を手に入れる事が出来れば、きっと実践という第一歩が踏み出せるはずだ。
- 彼女は、故にまた一歩人間から離れました 終わり -




