207.背中を押すもの
「ただいまーっと。なんでこんな所にいるのかね」
自分の部屋に帰り、鍵をかけているはずなのにも関わらず内部へと侵入し、布団も被らずに寝てしまっただろうカレットに声をかける。
ヒカリの私室や、カレットの部屋、他の場所には見当たらず、挙句眠るカレットはメイド服を着ていない。掃除している中、ふと睡魔に負けた様子も無く、不法侵入の意図が見えずに反応を伺っているとカレットは室内に入って来た僕に気付いてゆっくりと意識を浮上させ始める。
「おかえり……」
「うん、どうしてここに居るの?」
「……どうしてだろ」
呟く少女は何か隠している様子も無く、ただ自身でも何故そうしたのかわからず戸惑っている気配すら持っている。
まぁ、いいか。わざわざ問い詰めるほど問題な事ではないし。
「どうだったの? 新しい、ぎりゅう、たたかってきたんでしょ? すごかった?」
そんな好奇心に塗れた問いに僕は荷物を整理し、自分の体をタオルで拭きながら何があったのかを簡単に説明する。
「――まぁこんな感じだったかな。遺跡と同じで珍しく死に掛けた、誰も欠けなくて良かった……な……?」
僕はそう軽く笑うと、何故かカレットの頬を雫が伝い言葉が途切れる。
泣くところ、初めて見た。
欠伸をした時など生理的に発生する涙は普段見るのだが、こうして何かを想ってか涙するカレットの姿は初めてだ。
言葉で危機的な状況を説明するだけならば前回遺跡で行った時でも同様のシチュエーションが生まれた。ただその時には目に見えるほど動揺している様子は無かったし、今泣くという事は想像で足りない箇所を補填して感情を溢れさせるに至ったのだろう。これはカレットという少女の人生において、大きな一歩だと確信できる。
「なに、これ」
「それはね、涙って言うんだよ」
あまり多くは無い量を指先で掬い、確かに濡れた事を確認してピンッと雫を弾く。
「なみ、だ。知ってるよ、でもわたし、かなしくなんてないよ?」
「人はね、嬉しい時にも泣くの。怒った時もそうだけれど、堪えきれないほどの感情を感じた時に人は瞳から溢れた分だけ零してしまうんだ。
今回は僕が無事だったことを喜んでくれたのかな? もしそうだったとしたら、母親としては光栄だね」
「そっか」
カレットはそう呟くと頬に伝う雫を掬い、何度か手で躍らせた後にゆっくりとまぶたを閉じて考える様子を見せる。
少し、無言で悪くない時間が過ぎた。
「じゃあ、どうしてアメとヒカリは泣かないの?」
- 背中を押すもの 始まり -
「じゃあ、どうしてアメとヒカリは泣かないの?」
無言の時間は涙の意味を、自分が泣いた感情の整理をしているものだと思い込んでいた。
だから、そうして僕達について言及される言葉に思わず動揺を隠せなかった。
「ど、どうしてって……」
「泣かない、ちがうよね。泣けない、泣きたくない、泣くことができない、そんなひつうなおもいを二人からは感じる」
本や、僕達がたまに使うそれを自分の語彙として吸収したのだろう。たどたどしくも適切で、少し日常で扱うには難しい言葉をカレットは巧みに扱う。
その言葉一つ一つが僕の心臓を付近を突き刺し、肉体から引きちぎるようにそっと表面を撫でる。
「ほかの人とはちがう。泣くきかいがない、泣くひつようがない。ねもとから二人はちがってしまっている。ねぇ、どうしてなの?」
どうしてヒカリが泣かないのか、僕は良く知っている。
泣き虫だったコウがどうして泣くことを辞めてしまったのかも僕は良く知っているのだ。
そして、僕が泣けない、泣かないことも。
多分二人共同じ理由。外面の理由も、本質も両方同じ。
でも、今カレットに伝える言葉が思いつかなくて、僕は曖昧に笑って誤魔化すしかなかったんだ。
その薄っぺらい笑みの内側で、徐々に抱いていた決意が確かになるのを感じた。
冬の終わりが見え始めた頃、僕は一人の男性に長い間考えていた行動を取るために接触を図った。
「アレンさん」
「アメか、どうした?」
「……どうしたって、こうして雑談しに顔を見せることも珍しくないでしょうに」
「そこまで気を張り詰めているから尋ねているんだ」
相も変わらず身内へ表情を隠すのは苦手なようで。
「偽竜の報酬の話ではないよな」
「えぇ」
偽竜の調査はヒカリが動くことでリーン家の仕事の内に入る、当然必要な分の経費は個人的なお金から出しているのだが。
遺跡の時は休暇扱い。休みの日に、冒険者の仕事を副業で行ったもので、後からテイル家と一戦交えたことでリーン家から追加で給与が出たが、特にこれと言って改めて話す内容は今ここにはない。
「魔刻化の手段など、具体的に教えていただきたくて」
今まで青白い光には畏怖しか抱いていなかった。
人が魔法を扱う時や、遺物を主に構成する物質、魂鋼に、魔刻化された部位が発する枝分かれした模様。
けれど偽竜の件でアレンが駆けつけてくれた時。大切なソシレを守ってくれたフェルノの矢。ただの畏怖が希望に成り代わることも痛感した、それが元々その道を考えていた僕の背中を後押しした。
「考え直すつもりは無いのだな」
遺跡関連では単純に腕力や脚力が足りなくて困った、感覚系がもっと優れていても楽だったかもしれない。
偽竜相手は何もかもが足りていなかった。辛うじて人としての耐久度は残っていたから無様な姿でココロを守りながら時間を稼ぐことができた。
けれど、もう彼女を、誰かをあそこまで己の力量不足で追い詰めたくない。そのためならば外法にも手を伸ばそう。
「はい。できれば取りたくない手段でしたが、そうは言っていられない進捗なので」
もう少し手札が増える頻度が増せば、魔刻化等という非常手段を選ばなくても済んだ。
尋常じゃない痛みを伴い、恒久的に見た目を変化させ、それでいて劇的な能力が手に入るわけでも無い。ただでさえ少ない魔力を魔刻印を活性化することにより消費させ、本来肉体が消費するエネルギーの分だけ魔力が常時減り続ける。
そうした踏み台の上で得られるのは、本来石で出来ていた武器を鉄に変える程度。超えられるハードルは一つ増えるのだろう。ただ代償に釣りあうか問われれば否だし、これだけで竜に勝てるようになるかと問われても否だと答える。
「――と、こんな所だな」
「ありがとうございます。何か特筆するような副作用などあったりしますか?」
あらかた情報を教えてもらい、最後に念のため聞き漏らしていない重要な情報が無いか確認すると、アレンは少し悩んでから口角を上げた。
「さぁな。寿命が減ったり増えたりはするかもしれないな」
確かめようもなく、実際に減ろうがどうでも構わない情報に僕は笑い、たぶん彼の意図したように肩の力を抜いてその場を去った。
- 背中を押すもの 終わり -




