205.暗天にて煌く
フェルノとソシレ、それに騎士団のライムとレモンを馬車の護衛に置いて、新しい偽竜が目撃された地点である一帯に皆で乗り込む。
常に未知の存在に怯え警戒するわけにはいかない。周囲の地形、遠くで鳴る音、地面の振動に、何かが居たかもしれない残り香。そうした様々な要因を人は雰囲気と呼び、マズい雰囲気に陥らない限り交代ずつ一人か二人が魔法による索敵を怠らないよう警戒する。
そうして三十分ほど過ぎた頃、露骨にマズイだろうという雰囲気をバリバリ放出している谷に当たった。
歩兵戦で谷の底という要素は奇襲にうってつけだという事実は誰もが知る事だろう。ただそうした地形は水だったり、巣に使えそうな出入りの限られる箇所が生まれやすい。
そしてこのような事態に対峙した僕達は、獲物を探すためには、獲物が見つかる存在になることが最も手っ取り早い。そう結論付けた。
「それで誰が行くかという話なんだけれど」
皆を纏める僕にアレンは徒手。索敵能力には長けているが若干囮という役割は防御面で不安が残る。
ココロは防御面の技術が長けているものの、得物である刀は咄嗟に重い攻撃を当てられてしまえば折れて台無しになりかねない。ヨゾラは両手に槍を構えているので大きく立ち回り、数相手にも生存するには向いているのだが、当然間合いを詰められたり小細工には弱い。
「私が行くわよ」
結果誰が一番かと言えば僕の知る人間の中で最も防御技術が優れていて、ロングソードに盾という汎用性も安定感も存在する一番死んでしまっては困る人間であるヒカリ。
「何かあればすぐに引き返して」
「わかっているわ」
ヨゾラとそう短くやり取りをして、彼女は谷の底を注意深く歩き始めた。
- 暗天にて煌く 始まり -
僕達は谷の入り口で、自分達や単身歩み続けるヒカリの周囲に異変が無いかを察知する。
既に何百メートルも離れており魔法による探知は効かない。少しでも五感で異変を探る他無いのだが、特にヒカリに異変は無く彼女自身も拍子抜けしたようにある地点で立ち止まり周囲をよく観察し始める。
二分ほどじっくりと確かめ、それでも何も無かったのか戻ってこようと振り向いた直後、ヒカリは慌てて抜刀し反転、宙を切る。特に何かを切った気配も、彼女自身に異常も見当たらないがすぐさま盾で二度何かを払うように踊って見せたら、すぐにその動きを止める。
腹部から見えない刃でも貫かれたように傷が広がり出血を始める。僕達がそう認識した頃合い、痛みに堪え、魔法で出血を押さえながら駆け戻ろうとする彼女を皆で少しでも早く迎えようと走りだし、僕達が谷へ入った頃合いでヒカリは再び歩みを止める。
こちらの周囲を一通り確認した所で、ヒカリは迷わず反転。何かを切り払いながらも、まるで僕達から逃げるように駆け出した。
当然追う。胸に近く、負った傷はかなり深いだろう。咄嗟の一撃で貫かれた攻撃だが、その傷を治すために今後防御が疎かになり致命傷を負いかねない。早く追いつかなければ、僕達の頭にあるのはそれだけで、自分達の事はまるで意識になかった。
「皆、前に跳べ!」
アレンの声で後先考えずに何も確認せず転がるよう前に跳ぶ。
こういった時、事態を何も把握していない人間より、何かを察知し確実性が無いながらも指示を出せた人間に従うべきだと訓練で嫌というほど学んだ。
跳び、反転し何が起こったのかを理解する。
僕達が居た場所へと谷が崩れ、大量の土が雪崩れ込み、切り立った崖に擬態するよう黄土色の鱗を持った偽竜が宙に舞いこちらへと向かい、その周辺が既に風の魔法により歪められていた。
《立ち防ぐ》
ヨゾラが詠唱を行い、片方の槍で一度地面をなぞればすぐさま土の防壁が生み出されて。
アレンとヨゾラが何度も土で防ぎ体で防ぎ、それでも堪え切れないほどの大量の魔法に押し潰されそうになり戦線を後退させる。その中で比較的前進していた僕達は前にも存在するだろう偽竜からの攻撃を防ぐために土を魔法で操りながら、まるで戦争の弾幕のような厚みを誇る後方から漏れ出す視認が困難な風による刃や槍のように研ぎ澄まされ、無防備に浴びてしまえば容易くバラバラになりそうな攻撃をどうにか往なす。
不可視の存在。
擬態か風魔法か。どちらかとは思っていたが、その両方とは誰も予想していなかった。
そして敵がどのような存在かを真っ先に察知し、合流するよりも前進した方が安全だと判断したヒカリは間違いなく正しかった。
「い゛っ――!」
後方の壁が未だ健在か確認した所、既にボロボロだった土壁を認識した途端激しい痛みと共に視界が奪われる。
恐らく眼球をかまいたちが切り裂き、骨に当たりどうにか止まったという所だろうか。
「二人共、早く立て直せ!」
「これ以上はっ――!!」
アレンの嘆願に、ヨゾラの悲鳴にも近い空気の漏れるような声。
「アメさん! 私の声の場所まで来れますか!?」
ココロの声に僕は躊躇わず跳び、近くを通り過ぎようとしていただろう僕の手を彼女が掴む。
「目をやられた。何をすればいい?」
「こちらは足をやられました。私を抱えてください、ヒカリ様の後を追いましょう」
「わかった」
眼球ともなれば腰を落ち着けて数分使い治したい所。ただ耳や肌で状況を把握する辺り一分もそのような余裕は無いと悟り、指示された通りにココロを抱える。
僕よりも重い体重。これを抱えて走れと言うのだから一度に扱える魔力の都合上回復にあまり割いてはいられない。ココロにされるがまま鞘を押さえているだろう長い布で僕と彼女の体を固定され、鞘を持った片腕が僕の背から前に垂れるよう支えた所で走り出す。
「状況は?」
「後方は大丈夫です。二人とも私達の後を追うように逃げています。
前方は偽竜が恐らく五、六体ほど。大まかな地形は覚えていますね? 細かな地形はそちらで対応してください、偽竜は――私が!!」
体に振動。早速風の魔法でも鞘で防いだのだろう。
逃げるという事を最優先に僕は足を止めず、ココロは耳元で指示を囁く。
「左に跳んで……防御態勢!」
回避し、ココロが防ぎ切れなかった魔法が僕に当たりそうな所を全身を魔力で覆い対処。
「次、前進。偽竜の接近を確認、迎撃します!!」
僕を掴む左腕にギュッと力を込められ、支えとして機能するように足へその場に止まれるよう力を込める。
索敵魔法は行えない。隣接しているのであれば全てココロに任せて、僕は与えられた任務と自身の治癒に努めるべきだ。
短い獣の断末魔。そして返り血か、温かい液体が頬に張り付く。
「……行動、再開してください」
「現状雷なら支援として使えそう。少しビリッと来るし、そっちが目をくれないと撃てないけど」
「こう、ですか?」
魔法により与えられた目を貫くように、僕はその痕跡へ斜線を通すよう雷を急速充填。夢幻舞踏のように互いが帯電し、行き交う相反し合う二つの魔力が反発する中で、殺傷力を秘めた閃電一発分の電力が速やかに溜まりきる。
「どう?」
「少し射角がずれますね、こちらで修正します。アメさんはそのままの反応で」
放電後すぐさま体をビリビリとさせながら走り続ける。
多少動きが鈍くなりかねないが、魔力的には体が触れ合っている事で余裕が生まれるし、満足に動けないココロの武器が増えるというのは良い事だ。
「次はその方向へ……偽竜の合間を駆け抜けます! 堪えて!!」
放電し、次帯電する前に全身を魔力で防御しながら走る速度を少しでも上げる。
風と風が触れ合う耳鳴りのような音。鞘が弾かれるような鋭い音。刀が肉を裂くようなぬちゃっとした鈍い音に、感触と返り血。
徐々に、徐々に生々しい音が増え、僕へと流れてくる攻撃も少なくなく漏れ出した物とはいえ衣服を貫き肌に傷を増やす。それでも、切り抜けられた。
「……大丈夫?」
「へいき、です。現状は追撃されている、状態。木々が増え、辿る道は……ヒカリ様が残した物がありますね、これを……」
リーン家の親衛隊で使われている魔力痕による伝達。それを僕も確かめ、たまに出っ張っている根っこ等に足を掬われそうになりながらなんとか駆け続ける。
音はもうほとんどしない。たまにココロが力む声に、肉が裂けるような様子があるだけで。それがどこか、不気味だった。
「目、は?」
「八割。あともう少し」
「立ち止まらないで、今のままで……」
痕跡は途絶えない。ヒカリが無事に進んだ証明を僕達は辿り続ける。
声は少なく、代わりに草を掻き分ける音が足元で涼し気に鳴り、時折思い出したように何かを迎撃するのか振り払っているのかココロが動く。
「治った!」
目を、開く。
治りきったばかりの眼球には光という存在は少し眩しく、青々と茂っている周囲の地形は襲われた初期地点からかなりの距離を逃げて来たのだなと実感できるもので。
「よかった、まにあって」
ココロの左腕が……左腕のように見える、鞘は既に手放し、剥き出しの肉やその奥にある骨が大部分を占めて肌は僅かにしか残っておらず。体重を支えるには限界だっただろう刀の帯が、僕と彼女を繋ぎ止めるその手が離されると同時に千切れ後ろへとココロが倒れていく。
腿を支えていた手を慌てて離し、抱き止めるように抱えた体の両足も辛うじて繋がっているような物で。
何かが近寄る気配がした。
期待と共に頭を上げると、ただ体色で擬態していただろう黄土色の鱗を持った偽竜達が、僕達を取り囲み始める。後ろを追っていると思っていたアレンにヨゾラの姿は見えない、追いつくはずだった単身のヒカリはどこにも居ない。
ココロは僕の両目がしっかり機能している事を確かめると、酷く安心したように意識を手放した。
体の回復は止まっていない。最も効率良く回復するために不要だった意識を閉ざしたのだろう、あるいはそうしなければならないほど余力が残っていなかったのか。
甲高い指笛を鳴らし仕手を失った刀を取る。
ココロならば大丈夫だと、長い間気づけば僕の隣か前を歩いている彼女を見てそう思い込んでしまっていた。
でも、そんなものは嘘だったと現在の彼女を見て思い知る。今まで虚勢か、ただ頑張って上手く危うい橋を渡り続けることに成功していたのだと思い知る。
だから、今は、僕の番だ。
今まで守ってもらった分、ここで全てを賭せ。
彼女をこんな世界に引きずり込んだ時、普段やっていたように少女を守るだけだ。
「スッ――!」
見様見真似の構え。
息を吸い込み、草木を薙いで近寄る風の刃を叩き落す。
少し力を込め過ぎた。刀という得物をはもっと表面を切るように振るわなければ。
もう一度飛翔する二つの風魔法。
魔法を行使する相手の姿も、視認が難しい風の魔法も見やすい地形に入り込めた事は素直に助かる。
一振り、軌道を逸らすよう軽快に刃を振るって魔法を離散。次いで飛んできた反対方向の魔法を、ココロを跨ぎつつ上段から体重を乗せ切らずに打ち落とす。安らかに眠る彼女とは違い、ブォンと刀に空いた穴が音を響かせて答えた。
二匹が小さな僕に組み付ける程近くに到着した。偽竜の気配は途絶えず、仲間の気配は見当たらず。
着実と傷を癒す意識の無いココロが近くで眠るだけ。
《自壊ロジック"気高き刃が為の鞘"》
迷わず忘我。
自分を、狭めていた手段を見失った事により視野が広くなる。どう行動して良いか生き延びるための枝が広がる。
一匹目が振り上げた爪を切り上げる。己より二倍ほどある体長に似つかわしくない小さな前足を切り落とし、致命傷を与えるため首元へと刃を振り下ろす。
二匹目、首元を狙ってきた口に左腕を差し込む。瑞々しい血液に、粘着質のある唾液が頬に落ち……そこで既に固まっていたココロの返り血が右腕を強く震わせる。
破壊魔法を込めて柄を抉り込ませ、衝撃に離れた肉体を魔道具である刀が今まで風を切り貯めていた魔力を持って両断する。
《岩壁》
風魔法を防ぎつつ、迫りくる偽竜の体を地面から突き出る壁が持ち上げる。
そこを起点に飛び掛かる偽竜を迎え撃ち、先に尾で発生させられたかまいたちを肉で受け止めつつ、脇から刃を突き上げる。
抜き去り、ココロの上へ落ちそうな巨体を蹴り飛ばし、気配に振り向けば新手はもう目前に。
体当たりにより離された肉体。このままでは無防備な彼女へと牙が向くのも遅くはなく、腕から魔道具を展開し偽竜に巻き付け縮小。無防備に近づいた己の肩へ牙が食い込み、代わりに取り出した麻痺毒のナイフを突き立て。毒が回るまで刀を噛ませて時間を稼ぐ。
ようやく緩んだ偽竜から体を離し、二方向から繰り出される風の魔法に近づく偽竜。最も最適な行動は、彼女を守るために必要なことは。
「ココロ!」
忘我を解除し、自らの体を盾にして彼女に覆い被さる事だった。
片腕は偽竜に魔道具が絡みついたままで満足に動かせない、もう片腕を支えにしてココロを潰さないように覆い被さる。
傷は大分治った。少なくとも今の僕と同程度までには治っており、そう意識を取り戻すまでに必要な時間は多くないように見えた。
双方から襲い来る二つの風魔法。全身を魔力で覆い、下に居るココロ毎守るが片方の槍状に展開された風の塊が優秀で僕の太ももを貫く。
迫りくる偽竜の気配。首元へ最大の魔力を込め、それ以外は最小限に構える。まず真っ先に牙が首を狙い、僅かだった手応えから他の個所を攻撃し始める。噛まれて、引っ掻かれ。引きずり倒されようとし、それだけは避けようと支えた体を偽竜の体が強引に潰そうと圧し掛かったのか、裂傷とは別に骨格全体を崩しかねない負担が全身を包み込む。それでも、堪えた。
何かが近寄る気配がした。
それが新しい偽竜の物か、仲間である人間の物か察知できるほど意識ははっきりとしておらず。
それでも大丈夫、そう僕は僕へ言い聞かせる。絶え間無い痛みに堪え、成すべき事は果たされるだろうと信じ切る。
「もう二度と、私に娘達を失わせるなっ!!」
僕に組み付く偽竜が離れた。
近くに居る偽竜が僕と同じ場所まで視線を落とすのが見えた。
麻痺毒が切れ初め、動こうと振動を伝えている偽竜が二度と動かないよう動きを止めた。
視界を上げる。
全身がボロボロで、血に塗れ赤いなか右腕だけ青白く魔刻化された箇所が光り輝き、まだ地に伏すわけには行かないと迫り来る脅威を打ち払う。
その体を、一匹の偽竜が噛みつこうとした所を、もう一匹の獣、指笛により到着したソシレが噛みついて離し、食い千切り止めを刺す中その体に赤い花が咲くのを僕は見た。
短い悲鳴に、ソシレへ駆け寄ろうとしたアレンは新しい偽竜に組み付かれ。
倒れ往く偽竜と比べてしまえばあまりにも小さいそのウェストハウンドの体が、魔力により生成された矢が飛来する風魔法を食い止めるように防壁として地に縫い建てられ。
遠くから、風を振りほどき、爆炎を響かせながらこちらへと近づく存在に、僕はやっと意識を手放した。
- 暗天にて煌く 終わり -




