201.三人分の笑顔
「じゃじゃん! また二つのぬいぐるみが完成しましたー!」
ヒカリがそう室内に響き渡るように声を張り上げる。
前回はユリアンとカナリアのぬいぐるみが完成していたが今度は一体誰だろう。もういい加減寝るスペースが無くて、時々誰かのぬいぐるみが寝ている間にベッドで潰されている事を僕は知っているぞ。
「あ、わたしだー」
手渡され、カレットは嬉しそうに表情の変化は少ない物の声を明るくする。
比較用にかルゥのぬいぐるみもちゃっかり用意しているヒカリ。
「こうして見ると髪の長さだけでなく、目つきや雰囲気もだいぶ違いますね」
「背はきっとカレットが大きくなるだろうけどね」
「これありがとー」
「……いや、あげないよ!? 私のだから返しなさい」
「えー」
貰えて当然といった態度で意地でも自身のぬいぐるみを持っていこうとするカレット。そんなに自分の姿を模したものが手元に欲しいのだろうか、感覚がわからん。
「これは、ユリアン様では無いようですね」
「……。
……コウ、だよね」
ぬいぐるみを抱きしめて離さないカレットを、面倒だったのか全身を抱きかかえて逃げられないように押さえるヒカリ。
武器を用いない戦闘技術ならばカレットが一歩リードするかと思ったが、まだまだ技量不足や体格の差で上手く往なせないようで子供がじゃれつくようにじたばたと暴れているだけだった。
「アメがわかったくれてよかった。私、コウの服や概要は知っていても、詳しい所までは知らないままだから自信が無かったんだ」
「まぁ僕から見てみればもう少し頼りなさそうな雰囲気があった気がするけれど上々じゃないかな……ただこうしてヒカリのぬいぐるみと並べたら物凄い違和感が抑えきれない」
「私も作っていてそう思った」
二人で懐かしく、それでいて少し寂しく笑いあう。
「それで置く場所どうするの?」
「ベッドはそろそろ厳しいね。色々な人が来客するしこの部屋に置くわけにもいかないし」
「わたしがもらってあげてもいい」
カレット、お前は何様だ。
言葉の使い方を間違っただけだと思うが、今羽交い締めされてなおそのような言動ができるのは呆れを通り越し称賛に値する。
「まぁ専用の棚でも寝室に置こうかしら」
適当にそう纏めると、本来の目的を既に忘れてじゃれついているだろうカレットを振りほどき、ピンッと額を指で弾いて椅子に座らせるヒカリ。
カレットも不服そうながらもこれ以上の抵抗は無駄だと知ってか、頬を膨らませて大人しくすることを選んだ。
「何故筋肉がつかないのか」
そんな争いを目撃し、僕は思わず腕を伸ばして呟く。
日々しっかりと鍛えて、良い食事を摂っているはずなのだが十台に乗ったばかりの少女の範疇は超えず。順調に特大剣を振り回すためから成長しているカレットに肉付きがもう追いつかれる。
「現状以上に筋肉のみ成長するのは基本体格の都合上無理、あるいは普段から傷の修復に栄養が消費されている」
そう冷静に分析するヒカリ。どうしようもないよと微笑みながらハイヒールを片足だけ脱ぎ払い、ソファーへ足を乗せて膝を抱える。
「何故傷を負う機会が多いのか」
そのようなはしたない様子を誰よりも見咎めるのは後ろに立っているシュバルツで、対面に座っている僕に下着が見えないようスカートを押さえれども事の問題点は中が見えるかどうかの物理的なものではなくだらしない格好という精神的なもの。
「技量不足、それに体の損失を軽視しすぎ」
自分からは何を言っても無駄だろうとこちらへ視線を向けて助力を請うている彼の視線に、僕は他の誰にでも見られる状況ではないことと、単純にやめるよう諭すのが面倒で仕方無さそうに首を傾げるだけ。ヒカリは僕達のやり取りが心底おもしろそうに、少しだけ喉を鳴らして笑うと問答を再開した。
「何故相対的に成長速度が遅いのか」
「主観年齢が多いことからの成長の余地、つまりことろ才能の欠如に繋がっている」
「詰んでるじゃねーか!」
一見八方塞がりに見える理屈に、僕は両の手を突き上げて誰かに抗議のように声を上げる。
「大丈夫だよ! 体を大事にして、学べる機会を増やせば自然と体格も良くなるから。
悩むのは最善を尽くしてからでも遅くはないんじゃないかな?」
ヒカリはそう言ってくれるものの、何となく劇的な改善の道筋は極端に狭まっている確信が僕にはあった。
結局遺伝や性別年齢、成長期に栄養が取れなかったため無理なのだ。ヒカリのように力を込めると腕に目を見張るほどのコブが浮かぶなどできやしない。
「……はぁ、つらい」
「どうしたら人は幸せになれるのだろうな」
何もかもに対して漠然とした不満を吐き出すと、シュバルツが少しの慰めにでもとほぼ飲み切っていた紅茶を淹れ直してくれる。
「幸福になる方法なんて簡単だよ、不幸から目を逸らせばいいんだ」
起こりえるかもしれない不幸や、過ぎ去った不幸に何時までも囚われる必要なんてない。
まぁ僕が現状その手段を取れるかと言えば否なので、苦しいと知ってなお今進んでいる道を歩み続ける他無いのだが。
「お前が言うと信憑性はあるな。説得力はまるでないが」
ごもっともだが、優しくしてくれるならば最後まで甘い嘘でもついてくれればよかった。
じゅっと溶けるように押し込んだこの角砂糖のように甘く、それでいて儚い嘘を。
- 三人分の笑顔 始まり -
「あぁ、お見合いの件だけど気にしなくていいからね」
そうヒカリの口が言葉を発した時、丁度角砂糖二つを入れた紅茶に唇が触れているにもかかわらず苦虫でも噛み潰したような顔になった自覚がある。
「……聞いたの?」
「聞いていないけれど、まぁアメの様子を見てから何となく」
「なら蒸し返さないでいいから、忘れさせて」
「今回だけなく、これからもこれまでも同じ対応を続けていくつもり。そう私からしっかりと伝えておきたかったの」
真剣な様子でこちらを見てくるヒカリに、何か別の含みがあるように感じて状況を確かめようとする。
「そもそも条件の一つに主より強い武人である事が含まれているから、早々に顔を合わせる機会も無いのだがな」
淡々と教えてくれたシュバルツに僕は思わず鼻で笑ってしまう。それはそれは、月の人間を嫁に迎える難題より難しそうで。
実際のところヒカリの武力は最上の一角に部類されるのだが、事前情報が無かったり、ある程度の力を持つ人間が牽制する間もなく初めから全力を出すとヒカリは相手を把握する前に敗れる可能性が高い。
隊長であるシィルはもちろん、その友人であるルナリア、副隊長であるツバサやアレンも関係性が希薄で慈悲や情報が無いのであればヒカリに勝てる候補に成り得た。まぁ一部、騎士団隊長のジーンや、テイル家のイル等ヒカリが万全を尽くせる状態でも上から殴ってくるような化け物がこの国にはまだ居るのだが。
「まぁそもそも私は子を成せる体になっていないのだけれどね。そういった話を持って来られても早急としか言えないわ」
「……?」
そこで不思議そうにヒカリを眺めるカレット。
本人はしばらく前に女の子の日が訪れて、どういった事か把握しているため幾つか年上のヒカリがまだな事実に疑問を覚えたのだろう。
「やっぱりコウの記憶があるからかな」
「その理屈は以前の僕に来ていたから筋が通らない」
言われてみれば不思議な気がする。
単純に僕が来ていないのは身体的成長が遅いからだと思っていたが、筋肉だけではなく胸やお尻にも程よく肉が乗り始めているヒカリに第二次性徴の最たるものだけが欠けているのは些か不可解だ。
「……あの、今からでも退席した方が良いでしょうか」
居心地の悪さを覚えてかシュバルツがそう進言するが、僕は気にしないしカレットも似たようなものだ。ヒカリも同じような顔をしているので代表として意見を纏める。
「いや、別にいいよ。むしろ現役男性が居てくれた方が原因の究明に繋がるかもしれないし」
「うんうん」
「主もそうおっしゃるのなら……にしても現役男性という単語を聞く日がこようとは」
自分で口にして何を言っているのだろうと思いはした。
僕とヒカリの事情を知っているカレットが遅れてどういう意味か理解してかクスリと隣で声を漏らしていた。
「もしかすると、生に執着が無いからかもしれませんね」
「性に執着……? うん、まぁ考えてみればどっちでもいいかな、自分の性別なんて。案外慣れるものだよ」
どうしようもなければ慣れるしかない。
性別を能動的に変換できる技術が手元にないのだから、不満を覚える感情の源をちょいと矯正したほうが効率的だ。
「いや、そうじゃなくてだな」
シュバルツの言葉にどこか胸がざわつく。
決定的な何かを違え、根本から誤った会話を行っているのではないかという疑念。根底から人間性が覆りかねない疑惑。
不安が憶測を呼び、胸に荒波を立て。
「いいよ、アメは考えなくても」
「うん」
ヒカリの一言で僕は安心し、この件に関して何かを考えるのは全てヒカリに委ねよう、そう思った。
「……どうかそこに惹かれないでください」
「惹かれてはいないよ、アメも私も。ただ必要とあらば底は通る必要があるというだけで」
「常人はそれを惹かれていると分類するのです。可能な限り生きる道を模索してください」
「やっているし、私達は今まで生きてきて、これからも活きていくつもり」
まるで激しい口論を行っているように、けれど声音や仕草はあくまでも冷静さを保ったまま。
「全ては来る日の為に、ですか」
「そうとも言うし、そうじゃなくなるかも知れない。
シュレーはそう口酸っぱく私達を責め立てるけれど、あなただって主人としか見れない私に寄り添って、生涯の番を探すことを諦めているじゃない。
生命の主目的を放棄し、私が望めばあなたはきっとその身を盾にして喜んで逝くのでしょう?」
主とそれに仕える人間はぶつかり合う。
滅多に意見が食い違う事など無く、自身が望む主人の理想像など決して押し付けないシュバルツが。
「……それを持ち出されるとこれ以上は何も言えません。けれど抑えきれないのです。理性では道理ではわかっているのに、動揺を隠せないほど感情が振り起こされ、本来逆の立ち位置であるはずの感情が、どうか生きてほしいと、同類に向けて叫ぶのです」
「どうしてシュバルツはそんなに興奮しているの?」
一人だけ酷く動揺しているシュバルツがあまりにも――哀れで、できれば隣に立ってあげたいと思って僕は尋ねる。
「どうして……どうして、だろうな。きっと三人分の感情が俺に入り込んでいるかもしれないからかもな」
涙を流すよりも悲しそうに、シュバルツは笑ってこちらを見た。
まるで、誰よりも可哀想な存在を見つめるように。
- 三人分の笑顔 終わり -




