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曖昧なセイ  作者: Huyumi
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20.ここからはじめよう

 発展都市レイニス、人口約六万。

 海に面している商業都市ローレンと、海に近い王都リルガニアでは土地に限界があり、国全体の発展を目指して徐々に町自体も発展していることからそう呼ばれる。

 東にはローレン、南東にはリルガニアがあるので、必然的に北と西を重点的に開発する必要があったのだが、国としてはそこで一つの問題にあたった。

 西には僕らの村周辺、つまり森林地帯が続いており、竜を除いて人間という天敵が存在しないハウンドは屈強に育ち独自の生態系を築いていたこと。

 北はしばらくは平地が続くものの、遺跡が散乱しておりどんな危険があるか不明、その遺跡地帯を抜けると山脈地帯に当たりそこは竜の縄張り。

 結果国としては発展とは名ばかりの緩やかな成長しか得られず、少ない人口の中から命知らず、もといその日の食事にも困るような定職の無い人間が冒険者として徐々に地図を作っていき、国はそれをもとに町を発展させていく方針を決めるほかない。


「それだと西に来る人がレイノアさんしかいなかったのはおかしいんじゃない? 遺跡や竜と狼を比べたら後者のほうが楽だと思うけど」


 そろそろ町に着くということで、改めて国や町の情報をルゥから聞いているとふと疑問に思う。


「平地が多いというのは木を伐採する必要が少ないってことなんだよ、あと遺跡から出たものは国が高く買うからね」


 国か冒険者かは知らないが、どちらにせよ面倒くさがりで楽して金が欲しいわけだ。

 町に着くとレイノアのような人間がそこら中に居るに違いない。


「あと怖いってのもあると思う」


「怖い?」


「竜とか遺跡は想像もつかないような力を秘めている。

それに対して狼はその辺に居るからね、ハウンドがウェストハウンドになるだけであそこまで凶悪な存在になる。

わかりやすい恐怖は、それ以上の恐ろしさよりも人を怯えさせるには適しているんだよ」


 どこか遠いところで行われている戦争の情報よりも、近所で起きた事件や事故のほうが人は気になるものだ。

 どの世界でも人間の本質は変わらない。

 その性質は知性ある人間の種として共通の罪なのだろう、けれど誰もそれを責めることは出来ない。強弱はあれど、皆が一様に抱く感情だからだ。

 自らも罪を犯しているのに、罪人に石を投げることは出来ない。


「そろそろじゃないかな」


 ルゥの言葉で荷台から降りる。

 二人とも体調は万全だったが、なんとなく気楽な旅行をしているような気分を抱けて心地が良かったので道中割と座っていた。

 レイノアに文句は言われなかったが、きっと馬車を引く二頭の馬は不満まみれだっただろう。十歳前後の少女二人の体重だ、許して欲しい。


 そろそろ、と言って二十分ほど経ってからだろうか。今立っている場所はある程度高台らしく、町の全容が見えてきた。

 背の低い申し訳程度に囲んだ石の壁で町を包み、町の中心には露店か何かで賑わっている。

 おそらく商業区と思われる中心から北西に居住区が存在し、その南、町の南西には居住区と似ている、けれどどこか違う町並みがあった。


「北西は居住区だよね? 南西は?」


「冒険者向けの施設かな。酒場とか、宿とかあとは娯楽系だね」


 喋りながらも町には近づく。

 既に町と呼べる範囲には入っており、周りにはぽつぽつと小屋や建造中の家、畑や家畜を飼っているスペースがある。

 その様子に規則性はなく、思いついた順に造ったらこんなことになっちゃいました、的な感じが凄い。


「南東は政府関連。役所とか、警備隊の詰め所とか」


 冒険者達が溜まっている区画に政府関連が隣接するのは抑止力のためだろうか。

 もしそうなら僕たちが想像していたよりも遥かに冒険者と言うのはならず者の集まりのようだ。


「北東は上流階級向けの居住区、商人とか貴族とかお金持っている人が家を構えているね」


 他の町に近い東に良い身分の連中が住んでいるのはまぁそういうことなのだろう。


「貴族って具体的になに?」


「……具体的って言われると困るけど、まぁお金をいっぱい持っている人のことかな。

家柄や金回りが良くて、経済を動かしたり国に金を渡す代わりに自分達に都合のいいよう働きかけてもらったり」


 この国はダメかもしれない。というかこの世界は、か。

 まぁ二百年前に文明が滅んで、ここまで体制を整えられていることを喜ぶべきか。

 低い石壁をくぐりながら思う、この壁が低い理由も資源が足りないこともあるが、なにより争う人間がいないからだろう。

 獣相手ならこの程度で十分だし、竜相手だとどれだけ堅固にしても意味がない。狼の鼻息で飛ぶような豚の小屋となんら変わらない上、そもそも相手は空を飛べる。


 この世界は竜のものだ、人間ではない。

 人間は二百年前、辛うじて絶滅しない事を許された種の一つでしかないのだ。

 ……でもそれが、多くの人々を理不尽に死に至らせる理由として納得できるものではない。

 前の世界でも他の動物達は人間に、このような感情を抱いていたのだろうか。


「ほら、当分はこれで大丈夫だろう」


 レイノアに皮袋を渡され、その中を確認する。

 千と書かれた貨幣が八枚、金貨が二枚、銀貨が五枚、あとは銅貨が二十ほど。

 銅が一リル、銀が十リル、金が百リル、貨幣は書かれている数字がその金額なので約8500リル程度、三人で満足な生活を送っても十日近くは遊んで暮らせる。


「いつでもいいから必ず返せよ」


 そう言いながら彼は背中を見せ手を振り、馬車とシンを連れ町中に消えていこうとする。


「ちょっ……ちょっと、もう行くんですか?」


「あぁ、俺もしばらくは歩き回って新しい仕事を見つけないといけない。コイツとの契約も話し合う必要があるしな」


 シンを横目で見て、彼はそう言う。

 道中が危険な村に行く必要が無くなってしまったのなら、護衛を雇う必要も無いのかもしれない。

 そんな彼に僕たちの面倒を見てもらうとはとても言えないし、僕たちが力になり賃金を貰う必要性も薄いだろう。


「そいつもいるし、お前達なら大丈夫だろう」


 視線を向けられたルゥは黙って頷き、微笑み返す。


「うん、ありがとう。レイノア、助かったよ」


「……ありがとうございました!」


 友人を見送るように気楽に言うコウに対し、僕は人目を気にせず深く頭を下げた。

 彼の存在が無ければ村はもっと低い水準の生活を強いられていただろう、彼が居なければ町に着く前にルゥは倒れ、僕もおそらく後を追っていた可能性が高い。


「んなたいしたことはしてねえよ。じゃ、また機会があれば会えるさ、またな」


 彼が町の中に消えるまで僕はその場を動かなかった。

 自覚しないような些細な善意が、僕たちをどれほど救っていたかを示すにはそれしか思いつかなかったから。



「悲しんだり、怒ったり、感謝したり、アメも大変だね」


「……別にいいでしょ」


「うん」


 そう断言するルゥの表情は笑っていた。

 嫌な笑みではなく、子を見守る母のようなその様子に、いつものように嗤ってくれたほうが楽だなとか考えてしまう。


「これからどうするの?」


 コウが僕に尋ねる、僕に言われても困る。

 はじめて来た町でどうすればいいのかこっちが聞きたい。


「お金どうする? ルゥのとまとめる?」


 ふと村が滅んだ後に荷物を確認した際、ルゥもいくつかお金を持っていたことを思い出す。

 貨幣や金色に輝くものも混じっていた辺り、レイノアから借りる必要は無かったのかもしれない。


「いや、わたしのも好きに使っていいからアメがまとめて持ちなよ」


「なんで僕が」


「……? リーダーアメでしょ?」


 そんなものいつ決めたのだろう。少なくとも僕は初耳だ。

 コウのほうを見ると彼もきょとんとしていた、呆ける僕を見てきょとんとしていた。

 彼の中でもリーダーは僕だったらしい。


「別に持てっていうなら持つけど、ルゥのも使っていいの?」


「別にいいよ。特に使い道もないし、今って一応緊急事態だしね」


 親が亡くなり、故郷を失い、異邦の地で子供三人生きろと言われているのだ。確かに緊急事態だ。

 でもあの満身創痍で町に向かって進んでいた日々と比べると、この状況などどうとでもなる。

 頼るはずの大人達にもう会えないのは、寂しいけれど。


「取られないように気をつけて管理してね」


「え? スリとか居るの?」


「多くはないけどね」


 辺りを見渡す。町の入り口、僅かに居る人々は僕たちに少なくない好奇の視線を向けていた。

 好奇心を押さえきれず辺りを見渡しているコウに、実用性を重視した格好の僕とコウ。

 田舎者丸出しだ、しかも子供だけときた。格好の獲物ではないか。


「……三人で分けて持とう」


 僕の提案にコウはどこか不思議そうながらもお金を受け取る。

 彼も盗むという概念を知ってはいるものの、今まで村の中に居たから今一実感していないようだ。その辺りの世界の常識は僕も学びながら、彼と共有していかないといけないようだ。


 それぞれお金はしまった。

 念のため何箇所かに分けて入れたものの、一箇所でも取られたら今の僕たちには多大な損害だ。気をつけなければならない。


「で、改めてどうする?」


 ルゥが尋ねる、決定権は常に僕が持っているらしい。


「できればすぐに休みたいけど……」


 コウを見る。

 町という好奇心の固まりそのものの中に入り、その衝動を抑えられずに挙動が不審だ。


「おすすめの宿とか知ってる?」


「うん」


 空を見上げる。

 まだ日は落ちていない、村と違い町には十分活動できる時間が残されているだろう。


「じゃあ一通り町を見てから、それから宿に行こう……こら! 待て!」


 僕が言い終わる前に歩き出したコウの手を掴む。

 迷子になっても困るし、しばらくはこのままでいよう。



 町に入ってから気付いてはいたが、人々の様子がかなりおかしい。

 おかしいというのは異変があるとかそういうのではなく、根本的に何かがずれているような感覚を覚える。

 一言で言ってしまえば容姿が変だ。

 町並みは昔の西洋辺りを想像させる、石や木を中心に建てられた建物なのに、そこに存在する人々は物語の登場人物のようだ。

 ルゥの白い髪に驚いたのは、村の人々の髪色が僕のような黒やコウのような金、もしくは茶だったからだ。

 おそらくその血しか流れていなかったからそのような統一感が実現していたのだろう、白い髪の毛も艶こそ無いものの老いたら前の世界でも実現できたものだ。

 けれど人々の髪色は違う、青系統や緑、赤なんでもありだ。瞳の色も視界に入るだけで文字通り十人十色。

 赤い瞳は色素が無ければありえることだろうけれど、青い髪の毛は説明がつかない。生物学的にありえないはずだからだ。

 文字通り別世界、おそらく原子の作りから前の世界ではありえないことが起きているのだろう。

 そもそも魔法と言うものが存在している時点で今までの常識は捨てなければならない、この世界で生きている以上想像もつかないことにいくつも遭遇するだろう。


 おかしいのは色だけではない、服装もだ。

 多くの人々は村に居た頃の僕たちのように質素な格好をしている、四人に二人はそうだ。

 けれど四人に一人は僕とコウのように実用性を求めた格好をしている、おそらく冒険者か何かなのだろう。

 そして残り一人はルゥのような、初めて会った時道化師と言う印象を受けるような奇抜な格好をしている。

 その格好は他の人々に注視されるわけでもなく、それこそ道化師などの特殊な職であるわけでもなく、町並みに馴染んでいた。

 二百年前、文明が滅んだ時よほど混乱したのだろうか。それこそ様々な人種や文明が一箇所に集まるほどに。

 もしくは想像もできないような、それが当たり前な混沌とした文明が築かれていた、このどちらかだ。

 それが今も受け継がれ、人々の生活に張り付いてはなれない。


「はー、人がいっぱいだねー」


 そうのんきに零すコウの手を強く握る。

 町の中心に近づくにつれ人々は急激に増え始め、ちらほら露店が並び始めている。

 おそらく開拓地である西側の入り口には人が少なく、逆に町の中心には商人たちと、それが売るものを求める人々が集まり混雑しているのだろう。

 丁度お昼時なのもあるだろうが、町の中心に至れていない今の段階で人の隙間を探さないといけない辺りはぐれてしまうと道を知らない僕たちは大変な目に合うだろう。

 しっかりと隣を歩くルゥは大丈夫だろうが、町に着いた初日の時間を合流するためには使いたくない。


 視界が悪いと言うのも問題だ、僕の肉体年齢はまだ十でしかない。

 前世の身長が伸びきった男を中心に考えてはいけない、大人達の作る人の流れは先の見えない壁でしかない。


「あれ、美味しそうだよ」


 ついにコウの興味が限界に達し、一つの屋台に惹き付けられる。湯気が出ている辺り何かの料理を作っているお店なのだろう。

 でもちょっと待って欲しい、我慢の限界に達した彼によって僕は今引きずられている。

 まるで抵抗できていない辺り早くも性別の差が出てきたのか、力の使い方が上手いのか、残っていた体力の差か、好奇心の力か。

 何にせよまずい、まじで転ぶ。


「この食べ物なに?」


 なんとか転ぶ前に目的に着く、間髪を入れず店の人に焼いておいてある何かの串刺しを指差し尋ねる。

 そこにははじめて来た町での恐怖など無く、ただ純粋で盲目な子供が居た。

 純粋なのはいいが、盲目なのはいただけない。隣で体勢を必死に整えている幼馴染の少女が居るのだ、気付いてほしい。


「お二人さん仲良いね、ほらサービスだ」


 仲良くない、仲良かったら人を引きずりはしない。


「ありがとう……おいしい」


 躊躇わず受け取り、口に運ぶコウ。

 店に入ったらただでさえ何かを買わなければと思ってしまう日本人気質の僕だ、一本サービスしてもらって引き下がれるわけがない。


「二つ……いや、三つください」


「ほい、20リル」


 コウがもう一本食べるかと思い、三つにした。

 銀貨を二つ渡し、支払いを済ませる。


 店を離れ、通行の邪魔にならないよう建物に寄りかかりながら料理を口に運ぶ。

 その串刺しは表面がかりっとしていたものの、噛んでしまえばぷちっと中身が出てきて甘さと表面の香ばしさが丁度良い。


「で、足元見られたの?」


 三本で割り切れない値段はおかしい。


「いや、これ一個7か8リルぐらいだからはじめのとあわせてかなりサービスしてもらった」


 まぁ当然か。はじめにサービスしてくれるような相手だ、善意に満ち溢れているものなのかもしれない。


「にしても美味しい、これ」


 全て食べ終え、少し名残惜しさを残しながら串をどうするか悩む。

 ゴミ箱は辺りに無く、地面には当たり前にゴミが落ちている辺りポイ捨てするのが当然なのだろうが、前世での常識でうかつには捨てたくない。

 ルゥが言うには商人たちから回収した税でゴミ回収の仕事があるらしいので捨ててもいいらしいが、ゴミ箱も一応あるようなので四本の串を僕がまとめて持つ、見かけたら捨てておこう。


「何の肉だと思う?」


 隠し切れない嫌な笑みを口に浮かべながら、ルゥが尋ねてくる。

 物凄く嫌な予感がするが、尋ねないわけにはいかない。


「……なに?」


「虫」


 せめて爬虫類辺りでとどまっていて欲しかった。


「まぁ食用に育てられているから綺麗だと思うよ」


 少し湧いた吐き気を理性で押し留める。

 虫だろうがなんだろうが餓えて死ぬよりはマシだ。

 実際美味しかったし、少し前までは空腹が頭がどうにかなりそうだったのだ、気にすることはないだろう。


「へぇ、虫って美味しいんだね」


「食べられるものと食べられないものがはっきりしているから、なんでも食べたらダメだよ」


 ルゥが虫を食べたことに抵抗感を示さないコウにそう教える。

 この世界ではきっと彼のような反応が正しいのだろう。

 虫を食べることが当たり前じゃない、そんな前の世界、住んでいた地域の常識がある僕が異常なだけだ。


 それからも町を見て回る。

 中心に向かうにつれ、ゴミ箱を見るようになりそこに串は捨てた。

 串程度なら燃やして灰にしてから、その辺に捨ててもあまり迷惑にならないのではないかと捨てた後に気づいたがまぁこれでいいのだろう。

 ゴミ箱が増えるということは、人口密度も増えるということだ。

 人の壁は寄り厚く、客寄せの声や雑談で耳鳴りがするほどで、ふらふらしている中コウに引きずられ、人の波が急に割けたと思えば馬車が通りルゥに引き寄せられなかったら危なかったり、とにかく大変だった。



 夕方一歩手前、といったところか。

 人が少しずつ散り始めたところでコウの好奇心も満たされたようで、宿に向かうことに。


「疲れた……」


「ごめんアメ、つい楽しくて」


 冷静になった今、やっと僕を引きずりまわしていたことに気づいたのか、コウが謝ってくる。

 きっと二度目はないと信じよう。それに引きずられた結果、はぐれることはなかったのだ、その点は喜ぶべきだろう。


 僕自身も楽しかった、見たことのないものを見て。

 けれどそれ以上に疲労が表に出る、新し物が何かを把握し、それを記憶。

 道自体は複雑ではないものの、どこでどんな物を売りに出しているかとか、この脇道に入ると遠回りになるが人ごみを避けて結果的に到着が早くなるとか、そういったものを覚えることで大変だった。


「まだかかりそう?」


「いや、もうすぐだよ」


 ルゥにあとどれぐらいで目的地に着くのか尋ねる。

 疲労もあったが、明かりが心配だった。

 大きな道にはランプがところどころ設置されているものの、人通りが少ない場所にはそんな気の利いたものは無く、暗い冬空の下いまだ把握できていない町の夜を歩くのは避けたかった。

 僕の目の届く範囲ではスリや暴力などの物騒なことはまだなかったが、時間や場所によって大きく変わる可能性がある。

 未成熟ながらも女である自分は、なるべく危険から避けて生きるべきだ。死の次に最悪の事態がなんであるかは想像もしたくない。

 自意識過剰、というか臆病すぎる気もするが、この町は未知そのものだ。勝手を知るまではそれぐらいが丁度いいだろう。


「ここ」


 空が夕焼けに染まりつつある中、ようやく目的地である宿に着く。

 看板には文字が書かれておらず、雛鳥が鳥の巣でこちらを見ている姿が描かれているのみだった。

 いつか殺したふざけた大きさの雛鳥を思い出す、イラストとは違い可愛げも何もないサイズだった。あと鶏肉は美味しい、犬よりははるかに。


「おひさしぶり、おばちゃん」


「おー! あんたは……えっと、なんて名前だっけ、ここまで出掛かっているんだけどね」


 宿の主はよくコロコロと転がりそうな丸い中年の女性だった。

 深みのある赤い髪の毛や、体型こそ違うものの故郷に居たディーアを思い出す。彼女の舌もよく回っていた。


「ルゥだよ」


「あぁ、そんな名前だった。生きていたんだね、ルゥ。最近町ですら見ないから心配だったんだよ」


 たくさんの人と出会う職業だ、名前を忘れていてもしょうがないと思っていたが、それ以前にルゥは二年ほど村で過ごしていた。

 最後にこの宿に居たのは遥か昔だろう、それを考えるとこの女性はよく顔だけでも覚えていたものだ。


「ちょっと居心地の良い辺境の村で過ごしていてね、この子達もそこで拾ってきたんだ」


「あら、可愛らしい二人だこと。仲も良いみたいね」


 そうはやし立てられ、未だに繋いだままの手に気づく。

 指摘されて放すのもあれだったが、もうはぐれる心配がないのにもかかわらず繋いだままというのも変な話だ、そっと手を放す。


「それで、泊まっていくのかい?」


「うん、部屋が空いているなら。とりあえず二、三日ほど」


「数は?」


 数?

 何の数だろうと思い、彼女の視線がコウに向けられていることに気づく。

 あぁ、男女別で部屋を取るかどうかということか。


「どうする? 俺はどっちでもいいけど」


 どっちでもいいなら節約するにこしたことはない。

 僕も今は彼が同じ部屋で寝泊りすることに不満などないのだから。


「一つで」


「じゃあ三日分で三百リル」


 金貨は二枚しかなかったので貨幣を渡してお釣りを貰う。


「確かに。余ったり必要ならあとでリルは返すから気楽にいいなよ。

トイレは裏、食事代は別。ある程度の料理ならここで出せるから必要ならその時にいいな。

あとないとは思うけど夜は静かにね、ある程度は音を防げるけど、完全には防げないから、隣人から蹴り出されたくなければ注意しなよ。わたしゃ別に気にはしないんだけどね」


 大きなお世話だ。

 僕たちは今のところ早寝早起きが染み付いている、町のリズムとは違いそれこそ健全に睡眠を取っているだろう。


「まぁここを利用する連中は皆、穏やかなものさ。あまり心配しなくていいよ」


「晩御飯どうする? こうして話をするのも悪くはないと思うよ」


 ルゥが聞いてくる。立ち話もなんだし、食べながら初日は彼女と交流を深めてはどうだろうと。

 お腹はそれほど空いていない、というかもとより夜は食べないものだ。

 町ではそうでもないかもしれないが、今の僕たちには食事は慎ましく取りましょうという感情や感覚が根付いている。餓えて死ぬ直前だったからな。


「食べよっか」


「うん」


 僕の言葉にコウが頷く。

 夜は食べないもの、とは言っても昼はあの虫の串焼き一個で他には何も食べていない。ここで拒否する理由は何もなかった。


「何がいいかい? 文字が読めないっていうなら、一つ一つ教えてあげるけど」


 カウンターの席に這い上がり、メニューを受け取る。

 何が書いてあるかは理解できた。


「いえ、読めるので大丈夫です」


「ほー、辺境の村にいたって言うからまず読めないと思ったんだけど、ルゥから習いでもしたのかね。

まぁ何にせよ賢い子達だ、他の連中に爪の垢でも飲ませてやりたいね」


「……読めない人が多いんですか?」


「そりゃ宿を利用する奴なんか、その日の暮らしにも困るような連中さ。

よほど頭のネジが飛んでいるに違いない、中にはルゥみたいな変わり者もいるけど、どちらにせよ私から言わせれば頭のネジは飛んでるよ」


 言葉だけ聞けば宿を利用する客をボロクソに言っているのだが、その表情はしょうもない息子を愛でる母親のような笑顔で、実際ネジが飛んでいると言われたルゥも嫌そうな顔はしていない。


「これと、これで」


 僕とコウの分を指差し、ルゥはもとから決めていた料理を注文する。

 三人分で120リルを支払い、受け取った彼女は厨房に声をかける。


「ほらユズ、仕事だよ!」


「はいはーい、聞いてますよ。すぐに三つ作りますねー」


 元気そうな少女の声が答え、すぐに調理を始める良い香りが漂ってくる。娘だろうか。


「あらやだ、そういえばまだ名乗ってなかったね。私"雛鳥の巣"の主ベルガって言うの。よろしくね」


「どうも、アメです」


「コウ」


 一言だけ告げたコウにベルガと名乗った彼女は嫌な顔をしなかったが、彼には挨拶の仕方を教える必要があるかもしれない。覚えておこう。


「雛鳥の巣って宿の名前ですか?」


「うん、そうだよ。看板があったでしょ、鳥の絵が描かれた」


「はい、可愛らしい感じの」


 文字は一切書かれていなかったが。


「あれわざと絵だけにしてあるのよ。文字で書いてもわからない客が多いからね、文字を書くぐらいならそのスペースを使って絵を大きくしようと思って」


 まぁなんとなくそんな理由だとは彼女の話を聞く中で思っていた。


「ところであんた達が暮らしていた村はどんな村だったんだい? なんでまた町に来ようと?」


 質問は一つずつにしてほしい、一度にたくさん言われてもちょっと困る。

 彼女の言葉に胸のどこかに針を刺されたような痛みを感じながらも告げる。


「どんな村だったのかははじめて他の町に来たばかりなのでよくわからないです。ただ僕にとってはとても心地の良い村でした」


「……その様子じゃ、大変なことになったようだね」


 ずっと笑っていた彼女の表情が何かを悟り、神妙に落ち着く。

 その人の心の機微に敏感な様子は、今はなくなってしまった一人の女性を思い出す。


「はい……なくなりました、丸ごと」


 だから告げた。

 長い付き合いになるのなら、隠し続けられることじゃないと思ったから。


「よかったら詳しく聞かせておくれよ」



 料理が出来るまでの間、僕たちは村がどんな場所だったこと、竜に襲われて消えてしまったこと、それから町に着くまで大変な目に合ったことを伝えた。


「そう、大変だったんだね」


 ベルガはそこで言葉を切り、言葉から伝わった悲しみを自分のもののように飲み下し口を開く。


「雛鳥の巣ってね、目もまともに開かなくて文字も読めないような子供達が、安心して帰ってこれるようにってつけたのよ。

短い付き合いかもしれないけど、その間だけでもあんた達が安心できるような場所になれるよう願うわ」


「……はい、ありがとうございます」


 彼女の表情を見ることはできなかった。

 きっと抑え切れなくて、いろいろなものが零れてしまうと思ったから。


「はーい! できましたできましたよー!」


 そんな悲しみを吹き飛ばすような声が響き渡り、厨房からオレンジ色の三つ編みをした少女が危なっかしげに三つの料理とコップを持って出てきた。


「あらあら、声から私より小さい子かと思っていたけど想像以上に可愛らしい子達だわ。

はい、これサービスね。大変な思いしてきたみたいだから、飲んで少しでも幸せになってね!」


 頼んでいないコップを勢いで受け取ると、中身はティールだった。

 あの白くて甘い、初めて飲んだときは宴のときレイノアから貰ったんだっけ。


「あ、ありがとうございます」


「あらユズ、気が利くじゃない。ティールを三つもだなんて、あなたの財布はそんなに余裕があったかしら」


 笑顔のまま少女が固まる。

 十五歳ほどか、快活そうな表情が彫刻のように静止するとそれなりに絵になるものだ。


「まってまってまって!ベルガさんそれはないですよ!?

こんな心優しい乙女の懐をいじめるだなんて、そこは宿が払ってくれるんじゃないですか!?」


 一瞬彫像と化し、時が止まっていたユズの時間が再び動き出す。

 言葉の頭を繰り返す癖があるようだが、焦ると三度繰り返すのか。


「そうねーちゃんと仕事をしていたのならそれも考えてあげるのだけれど、あんたこの子達の話を盗み聞きするために度々調理する腕止まっていたでしょ。それはちょっと、ねぇ?」


「はい! ユズは洗い物がまだ残っているので厨房にもどらさせていただきます!!」


 洗い物といっても調理に使った器具があるだけだろうに。


「おもしろい子だね、最近雇ったの?」


「いいや、あんたが出て行ったあとぐらいだね。前に居た子は嫁いで行っちゃったから」


 娘ではないらしい。


「……これ、飲んでもいいの?」


 コウが尋ねる。

 年頃の少女の財布を傷つけるとなれば、その甘味な液体を飲むことを躊躇ってしまう。

 もう商品として出した以上どうすることもできないとは思うが。


「いいよいいよ、あの子お調子者だけど仕事はきっちりするからね。それは私達からの奢りさ」


 食事に手をつける前に、先にティールを飲む。

 その液体は甘くて、懐かしくて。それこそ涙がでそうなほどに。



「いい人でしょ」


「うん」


 食事も終え、他の利用者が少しずつ帰ってきたのを見て僕達は借りた部屋に上がった。

 豪華ではないものの部屋は清潔で、管理が行き届いているように思える。値段分の価値があるのかないかはわからないが、この部屋なら居心地が良さそうだ。

 一つ問題があるとしたらベッドが二つしかないことか、まぁこれはいつも通りルゥと一緒に寝ればいいだろう。


「あんな人だからこの宿も優しい人達が集まりやすい。女性客や大人しい男性の人とかね。余裕が出てきたら仲良くなって、一緒に仕事をすることも考えてみればいいよ」


 ルゥのアドバイスを聞きながら、コウと交代で部屋を使い体を拭く。


「まぁしばらくはゆっくり過ごしてもいいさ。わたしも少し疲れた、二、三日はのんびりしていてもいいんじゃないかな」


 お金も多少余裕がある。

 旅で疲れた体と、そして心を休める期間を作ってもいいのかもしれない。


 無言でランプの火を消し、少し早いが就寝することにした。

 ベッドがとても柔らかく感じる。何日ぶりに地面以外で寝るのだろう。

 二十にも満たない日々を振り返る途中で、気づいたら僕の意識は薄れていった。



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