2.青年期の少女
均衡は崩されなければならない、秩序は個を埋没させ、全を基本とする。
認めてなるものか、そんなつまらないものを。
崩すものを求めた。
無数の星から、異色で輝く星を集める。
その過程で燃え尽きようとしていた通常色の星が、一瞬だけ歪な光を放ったのを見た。
――衝動的に掴み、光が消える前に引きずり込んだ。
気まぐれだった、天啓だった、勘だった、博打だった。そして、信じた。
きっとこの星ならば、見せてくれるはずだ。
今まで集めたそれとは平凡で、つまらない人生を。
けれど、一瞬だけならば、何かが起きたその時ならば、劇薬にも似た最高の興奮をもたらしてくれるだろうと。
さあ、理不尽な生をはじめよう。
- 青年期の少女 始まり -
生まれ変わったのだと理解するのに二日必要だった。
女の子になっていたと理解するのに十日必要だった。
言葉を理解するのに一年必要だった。
剣を持ち、狼のようで二回りも大きい何かを狩って来た父親を見てタイムスリップでもしたのかなと認識した。
その誤解が解けたのは、空に竜が飛んでいるのを見てからだった。
異世界だ、これ。
そして五歳。
僕は今アイデンティティの確立に勤しんでいる。
……そう"僕"だ。
男から女に変わり、一人称が俺から私にすぐ変えれるかというとそうはいかない、なにせ十八年俺だったのだから。
その状況で一人称を会話に使う場面に遭遇し、咄嗟に出た言葉が僕だった。それからは惰性で僕で生きている。
朝日で目が覚め、何度繰り返したかわからない思考を終えて体を起こす。
まだ日が浅い、四時かよくてまだ五時程度だろうか。この村に時計なんてないのでそれを知る余地も無いのだが。
この村の朝は早い。電気が無いため夜は薪か、ランプに油を使う。
それらを節約するためには日が落ちたらなるべく早く寝て、日が昇ると同時に目を覚ます必要があるからだ。
五年も経ち、ようやく慣れてはきたものの、現代日本と比較にならないほど劣っている生活に慣れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
着替えるために寝巻きを脱ぎ、そこで少し硬直してしまう。
体を見下ろすと目に止まるのは胸……ではなくお腹だ。
幼児期特有の腹筋が無く、内臓によりぽっちゃりとした腹。
それを太っているのかとか、衝撃に弱そうとか、不安げに撫でると今度は腕が目に付く。
青年期男性のそれと比べると明らかに短く、丸い。
手を伸ばしても届かなかったり、持てそうな物が重くて持てなかったりと不便極まりない。
手のひらも小さく、指はソーセージでも付いているのではないかと思うほどだ。
これらが成長しても以前のような体には戻らないと思うと少し悲しくなる、性別の壁は大きい。
性別の壁、となると胸も気になる。
第二次性徴にはまだ時間があり、男の子とは劇的な差はまだ無いものの、確かに無視できない差は存在している。
その差がいずれ大きさとなって現れてくると、また戸惑いやら不便やら出てくるのだろう。
もう一つ大きな問題がある。
そっと質素な下着に手を伸ばし、股を掴む。
……やっぱり無いよな。
現時点でもはっきりとしている劇的な事実。
今はいい。今はまだ、いい。
実際差が出るとしたらトイレぐらいなものだ、座るか立つか、それだけ。
でもこれが成長したら……。
そこで思考を切る。
今は大丈夫なんだ、困った時に悩もう。
そう何度目かわからない後回しを決め、普段着に着替える。
二階の自室からリビングに降りるとメイル……父親がすでにテーブルについていた。
父親は熊のような人間だ、もしくは人間のような熊かもしれない。
体は非常に大きく、幼児である僕から見れば二メートルに到達しているのではないかというほどだ。
非常に毛深く、また筋肉の塊でもある。
表情はいつも硬く、感情表現は少ない。言葉を発すれば簡素で、短い。
こんなのが道を歩いていたら、前世なら来た道をまっすぐ戻っていただろう。
だけど僕は知っている。
僕が赤ん坊の頃、母親が家事をしている時に父親はよくいろいろな事を話してくれた。
村のこと、世界のこと、母親のこと。
嬉しそうに、時には悲しく、ただでさえ無口で少ないボキャブラリーの中から、赤子の自分にわかりやすくいつも以上に言葉足らずに話すのだ。
四苦八苦しながら言葉を伝え、たまに僕が反応すると満足そうに顔をくしゃっと崩し笑い、もっともっと話してくれた。
前世の父親はどうだったのだろうか。
幼少時の記憶は完全に無く、仕事で疲れた中年の顔しか思い出せない。
でもきっと、前の父親もまた同じように接してきてくれたのだろう。
「おはようございます、お父さん」
「あぁ」
ぶっきらぼうにそう答え、飲んでいたコップを少し揺らしながら踊るミルクを眺める父親。
彼がこういう様子を見せるときは、だいたい何を話したらいいか、もしくは話したいことは決まっているけどどう話せばいいか考えている、そのどちらかだ。
「おはようございます、お母さん」
「おはよう、アメ。メイルもそう考え込まずに気軽に話しなさいな」
アネモネ……母親はそう言いながらテーブルに朝ごはんを並べていく。
薄く切られた肉に、サラダ。ちょっと固いパンに、味の薄いスープ。
美味しいとは言い難いがそこまで不味いわけでもなく、まぁ悪くないといったところ。
母親は二十代前半といったところか。父親同様日本人らしい黒い髪で、三十前後で結婚する事が主流な考えになってきた現代日本を考えるとまるで子持ちだとは思えない。
肌は健康的に焼け、身長もそれなりにありスタイルはいいほうだろう。
僕も成長したらこんな女性になるのか、と考えると複雑な感情がこみ上げてくる。
両親遺伝の黒い髪を弄り苦悩しつつ、自分の席に座る。
「今日はどうするんだ、アメ」
内心を母親に指摘され、少し赤い頬を指で掻きながら父親は尋ねる。
「いつも通り適当にします……うん、畑でも手伝ってこようかな」
「そうか、いいことだが、あーなんだ……」
言葉を切り再びコップを揺らす父親。
加減を間違ったのか少し中身が零れ、それを見た母親が頭を軽く小突きながら布巾を渡す。
「あんまり頑張り過ぎないでね、まだまだ遊んでいていい年頃なんだから」
上手く考えを口にできない父親に代わり母親が言葉を続ける。
「大丈夫です、しっかり遊んでもいるし」
前世はいくら時間があっても足りなかった。
学校に行き、部活をして、帰りに友人と付き合い、家に帰ると食事などを済ませ、一人の時間を楽しむと日付が変わる。
けれどこの世界は違う。
村に学校なんてないし、生きるために必要な仕事も午前中で十分。
同年代の子供もほとんどおらず、碌な娯楽も無く日が落ちたらすぐに寝る時間だ。
「このお肉いつものですか?」
フォークを取り、母親に尋ねる。
「うん、頑張って食べてね」
「……はい」
素晴らしい笑顔で返され、零れそうだった文句も引っ込む。
この肉は通称犬肉。この辺りに生息しているウェストハウンドという生き物の肉だ。
ドッグという名前にもかかわらず、見た目は狼を二回り大きくしたようなものでどこが犬なのかと問いただしたい。
凶暴でよく人や家畜を襲う、なので頻繁に狩られる。そしてその毛皮はこの村の特産品として村を支え、肉は胃袋を支える。
問題は味だ。辺境の村では調味料は貴重で、たまに取れる香草を使っても消えないほど独特の臭みが強い。
できれば食べたくないのだが、家畜には限りがあるし、その家畜を狙うウェストハウンドを食べるというのは実に効率的だ、残念なことに。
剣に魔法、変な生物に植物。文化や環境は変わり、十八年で植えつけられた常識を根源から剥がしにかかってくる。
その暴力的ともいえる干渉が、完全に別の世界に居るのだと実感させる。そしてそれが自分にどう影響するのかと。
「そろそろ行ってくる、アメ」
父親の一言が、答えのない自問を終わらせ現実に引きずり戻す。
食事を終え一息もつき終わり、父親と共に家の裏にある小屋に行く。
ドアを開けるとむっとした臭いが流れてくる、血と死の臭いだ。
獣を狩る武器や防具の倉庫となっているここは、ある程度清潔にしていてもどうしても染み付くものは染み付く。
「剣」
動きやすさを重視した簡素な防具をつけ、一言で頼んできた剣を渡す。
ずっしりと重いこれは、まだ幼い少女の自分には荷が重い。
持つことも、振り回すことも、肉に刃を沈め命を奪い、死体をバラバラにすることも。
「ありがとう、行ってくる」
「気をつけてください」
父親のように狩人になることは、今はまだ想像すら出来ない。
「僕もそろそろ行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
しばらく家で時間を潰し、僕も仕事に向かう。
働かざるもの食うべからず、はこの世界では特に顕著だ。
村人が百にも満たない村では一人の労働力は相対的に大きく、怠けている余裕などどこにも無い。
けれど五歳児がその労働力に含まれるかというとそうではない、まだまだ遊んでいていい時期だ。
ではなぜ働くのか? 簡単だ、何がしたいのか、何ができるのか、仕事で、いや生きる上でそれらが大切なことは前世で嫌と言うほど学んだ。
それをこの世界でも実践しているだけだ、何もかもが異なる、この世界で。
家を出て北へ向かう。
村は森の中にぽつんと作ったように木々に囲まれ存在しており、自宅はその南西の端に存在している。
獣避けの柵に囲まれ、その中に家や畑、家畜を入れている。
限られた空間にそれらを詰め込むと密度が凄いのでは無いかと思うが、実際はそうでもない。
北に歩いてしばらくは倉庫や廃家になった家がぽつぽつと並んでいるが、十分視界は開けている。
おそらく使わなくなった建物を解体した後なのだろう、本来何倍も収容することを想定していた村は百にも満たない人々が住むには広すぎる。
大人達は僕達が最後の世代だろうといった。
滅ぶ村でこれからどうするのかと尋ねると皆が口を揃えて同じことを言う、移住するか故郷で果てるか。
その時になったら考えるそうだ、でも今はまだその時ではないとも。いつもお前達も考えときなよと笑いながら話をそう締める。
村と共に死ぬ、その選択肢が存在していることがまず驚きだった。
そしてまだ余力が存在しているという認識もだ、現代日本の常識ではこの人数はもはや手遅れだ。
選択する時期はとうの昔に過ぎた、後はもう共に滅びを受け入れるだけだ。
けど、きっとまだ大丈夫。大人達が言うこの世界の常識に縋り、僕は何ができるのかを探し続ける。
漠然とした希望、漫然とした目的を掲げながら道を歩いていると一人の少年が駆け寄ってくる。おそらく僕の家に向かっていたのだろう。
「おはよう、アメ」
「うん、おはよう、コウ」
両親譲りのブロンドの髪に、碧い瞳。
人懐っこくも頼りなさそうな顔が特徴的な彼は、僕ともう一人の村の子供だ。
性格は控えめで、言葉が少ない。感情表現が乏しいかといえばそうではなく、よく笑いよく泣き、よく泣く。
二度重ねるほど泣き虫だ、喜怒哀楽が喜哀哀楽にでもなっているのだろう。
コウの両親はウォルフにコロネ。
僕、アメの両親はメイルにアネモネ。
互いに一文字ずつ取っただけの安直なネーミングだ、もっとも意味もしっかりあるらしいが。
「今日は何するの?」
「畑仕事」
「一緒に行く」
「無理しなくてもいいよ」
ふるふると首を振るコウ。
「そっか、終わったら遊ぼう」
「……うん」
少し嬉しそうだ。
コウも本当はずっと遊んでいたいのだろう。だが他に子供が居らず、唯一年齢が近い僕はいろんな仕事を手伝ってばかり。
つまり彼は僕に付き合うほか無い、申し訳なく思うが僕にも譲れない目的がある。
「やぁ、二人とも。手伝いに来たのかい」
「はい、いいですか?」
「喜んで、いつも助かるよ」
慣れた挨拶を畑の主であるケンと交わす。
唯一の肉親である母親が結構歳で、それに見かねて二人でやっていた畑仕事を一人でやるようにしているらしい。
生前の僕とそう変わらない歳なのに偉いことだ。社会が違うからと言い訳できるが、毎日をぼんやりと過ごしていた自分に彼と同じようなことができるとは思えない。
仕事を始める。
畑はとにかく広い、他の畑と比べると小さめではあるのだが、少なくとも一人で管理するには広い。
なので畑仕事を手伝うなら優先的にこちらを手伝うようにしているのだが、僕とコウの子供二人じゃギリギリだ。
早く嫁でも貰って楽しろ、そう言いたいがこの青年はあまりにも草食的、というか異性などどうでもいいように飄々としていて捉えどころが無い。
三人居る時はケンが特に力仕事が必要なことを主にやる。
広大な範囲を耕したり、多くの荷物を運んだり。立場的にも肉体的にも当然だろう。
コウはケンのサポートをするように動く。
狭い範囲を耕したり、比較的軽い荷物を運んだり。
どうみても五歳児の働きではないのだが、魔法か何かで無意識に筋力を強くしているのか、それとも先天的に力が強いのか。
無口で筋肉、ウチの熊パパを思い出した。僕の幼馴染も熊なのだろうか。
二人が頑張るので僕ができる仕事は限られる。
雑草や虫、ダメになっている作物を処理したり、逆に収穫できるものは収穫する。
これはこれで大変なのだが、豪快に鍬を振り回している二人を見ると少し申し訳なく思う。
特にコウに対しては顕著だ。彼は僕が手伝うから仕方なく手伝っているだけだし、年齢も心もまだ未熟だ、僕とは違う。
なので一度力仕事をやらせてもらったが、まるで役に立たなかった。体と心の性別の壁が大きい。
皮の水筒から水を飲む。温くて不味いが疲れが少し消える。
力仕事を魔法で手伝ったり、そもそも畑を耕すことを魔法でやることもできる、らしい。
ただこの村には魔法を使える人がほとんど居ない、というか一人しか使えない。
その一人も偶然に人を癒す力が使えるようになっただけで他の魔法は使えないし、もちろんどうすれば魔法が使えるかもわからないので他人に魔法を教えることもできない。
生活の中で魔法が使えるとかなり楽になると思うのだが、村の人達は昔から魔法が使えないのが当たり前らしいのでたいして気にもしていないらしい。
機械もないこの世界でなんて慎ましいことか。その慎ましさが恋愛する貪欲さを欠けさせ、村の存続を危ぶませているのだとしたら村の破滅は必然だろう。
「おーい、アメ」
ケンに呼ばれ太陽を見る、少し真上を過ぎたあたりだ。もうそんな時間か。
この村の就労時間はだいたい朝九時から三時間だ、ニホンジンビックリ。
もちろん収穫期にはたくさん働くし、獣が夜に出れば時間外労働も当たり前。ただ意外にも日々生きるために必要な働く時間はそう多くはいらない、もちろん生活はその分質素なものとなるが。
「はい、今日の分」
いくつか手渡される野菜たち、これで二、三日は困らないだろう。
「いつもありがとうございます」
「こちらこそありがとう、またよければ来てね」
まるで太陽のような笑顔で僕たちの頭をそっと撫でるケン。
胸に膨らむ充足感を忘れないよう僕たちは帰路についた。
「お帰り、二人とも」
「ただいま戻りました」
「……ただいま」
当然のように隣に居るコウ、まぁいつものことだ。
「はい、これ」
「ありがとう、今日のも美味しそうね。そろそろご飯できるから、汗拭いてらっしゃい」
コウの分の野菜は途中で家に寄って置いてきた。
そのまま二階の自室に上がり、手早く服を脱ぐ。汗で張り付き、手間取っているコウの服もさっさと脱がせる。
「ほら、背中拭いてあげる」
僕よりは逞しいもののまだまだ子供だ。
こんな体のどこにあんな力があるのだろう、不思議でたまらない。
そう思いながら綺麗に拭き終わる。
タオルを受け取り、無言で背後に回り背中を拭いてくるコウ。
丁寧で好感が持てるが、たまに一部拭き忘れる。そういう年相応なところを見るとなぜか安心する。
「お腹空いた」
「うん、行こうか」
コウは二着ほど僕の部屋においてある服に着替え、僕はワンピースに着替えた。
はじめはスカートに慣れなかった。風はよく通るし、ひらひらしているし。ただ慣れると悪くない、窮屈さがなくリラックスできる。
リラックスしすぎると下着が見えてしまうので気をつける必要があるが、その辺は歳を重ねるごとに上手くやれるようになるのだろう。
「いただきます」
テーブルに三人で着き食事を始める。
父親はいない、今もどこかで頑張っているだろう。
「ごめんね、コウ。いつもアメにつき合わせちゃって」
「ううん。楽しいから、いい」
仕事が楽しいのか、変わった奴だ。僕が言うのもなんだけれど。
「そっか、アメのことこれからもよろしくね」
「うん」
……ん? 今何か違和感を覚えた。コウを見る、少し頬が赤い。
あぁそうか、楽しいから、は僕と一緒にいて、なのか。
友情か愛情かは知らないがまぁ慕われるというのは悪くない、後者だと将来少し困るけど。
まだ女としての恋愛は考えられない、考えたくない。
「アメもコウのこと大切にするんだよ」
「はい」
わかっている、わかってはいる。ただ男と女と、と考えると想像しにくい。
まぁ最低でもよき友人として付き合っていこう、きっと長い付き合いになる。
ボリュームのある食事を食べ終わる。
この世界の食事は昼が一番豪華で、夜は朝よりも少ないかそもそも食事がないかだ。
昼間以降活動は穏やかで、食料の調達も限られる現実ではこんなものだ。
「片付け手伝う」
そう言ったのはコウだ。
僕は言ってない、家事はなぜか苦手だ。
「大丈夫、ほら遊んできていいよ」
「うん」
遊び、という単語に釣られてかあっさり引き下がるコウ。
そしてそのまま僕の手を掴み、二階に上がっていく。こんな時だけは強引だ。
「何して遊ぶ?」
僕のセリフだ、お前が遊びたがっているんだろう。
「何しようか」
そう言いながら考える。
この村には娯楽が少ない。おもちゃも少ないどころか、本に至っては存在しない。
じゃあアウトドアでもするかとなれば人数が少ない。
なので結局いつも積み木やごっこ遊び等に落ち着くのだが流石に飽きる。コウは飽きないらしいが僕は飽きる、というか精神年齢が高いせいでかなり厳しい。
まぁ本人が楽しいのならそれぐらい付き合ってあげてもいいだろう。
この年頃まだまだ遊び歩くものだ、それが僕に付き合い一生懸命働いている。
「じゃあ」
口を開いてすぐに閉じる。
コウは目を擦りながら、体を揺らしていた。
「じゃあ、お昼寝してから考えようか」
「……うん」
一つしかないベッドに潜り込み、コウはすぐに寝息を立て始めた。
可愛いやつだ。一生懸命働いて、一生懸命遊んで。でも途中で力尽きて寝てしまって。
大切にしよう。そう思い、僕も隣に入り目を閉じる。
五歳の少女に肉体労働は流石にきつい、睡魔はすぐやってきた。
楽しそうな声が聞こえて目を開ける。
窓からは夕日が差し込んでいた、結構寝ていたらしい。
「コウ、起きて。みんな来てるみたいだよ」
「……うん、わかった」
みんな、という単語に反応し起き上がり下に向かうコウ。
ふらふらしている、というか目が開いていない。慌てて駆け寄り手を掴んで一緒に階段を降りていく。
「ようコウ! ははっ、なんだまだ目が開いてないじゃないか」
そう笑いながらコウを抱きかかえるウォルフ。コウの父親で、うちの父親と共に狩人をしている。
熊な父親ほどではないがしっかりとした体格をしており、凛々しい顔立ちも相まっていい男らしさが素晴らしい。
口を開けば狭い村ながらも次々と話題を繰り出し、一見軽率に見える言動も相手を不快にさせない絶妙なラインを超えずコミュニケーション力も高い。
「ありがとう、アメ。あの子も結構しっかりしているほうだけど、ところどころ危なっかしいから」
「いえ、僕もよく助けられているので」
「子供が謙遜なんてしなくていいのよ、素直に喜びなさい」
そっと頭を撫でてくれるコウの母親、コロネ。
うちの母親は性別を感じさせないような快活さを、コロネの母親は寄り添い支えるような思慮深さを持っている。
活発なアネモネとウォルフ、大人しいメイルにコロネ。
凹凸を埋めあうように相手を選んだのは、間違いなく成功だったのだなと二組の夫婦を見て思う。
満足するまで撫でられた後抱き上げられ、ここでようやく父親と目が合う。
「おかえりなさい、お父さん」
「あぁ」
「今日はどうでしたか?」
「一匹倒して、二匹追い払った」
どこか自慢げにいう父親。
大丈夫か、というニュアンスで尋ねたのだが違う答えが返ってきた。いつものことだが。
まぁ彼にそんなことを問う必要は無いのだろう、熊がそこらへんの狼にやられるとは思えない。
「おいおいメイル! アメはそんなつもりで言ったんじゃないぞ、娘の心配に気づかないとはなんて父親だ」
芝居がかった口調でそう言い、父親の肩を抱くウォルフ。
それに対し父親は照れながら、
「う、うむ。俺は大丈夫だ」
一度ウォルフに視線を移して、
「それにこいつもいるしな」
そう言った。
「ほう、俺も立てるとはやればできるじゃないか」
「はい、お待たせ。ウォルフ、ウチの人をあまりからかわないであげて」
そう笑いながら料理を運び終わるアネモネ。
会話のツマミ程度のものだが、今日のはいつもより多少豪華だ。一匹獲物を狩った事で余裕が出たのだろう。
「あぁわかってるさ。ほらコウ、目は覚めたか?」
あれはまず間違いなくわかっていない、今日はあと何度父親はからかわれるのだろう。
そう確信しながらコウが下ろしてもらうのを見て、抱えられたままの僕もコロネに下ろしてもらう。
それから自分の椅子に座り、全員の準備が整ったところで夕食が始まる。
もともと仲のよかった二家族ではあるが、最近僕がいろいろな仕事を手伝うことでそれに付き合うコウの帰りが遅くなることが多くなり、自然とこの家で食事を取ることが多くなってきた。
はじめは明るいを通り越し騒々しいとも感じていたし、何より生前の生活ではこんな日々はありえなかった。
ただ人とは慣れるもので、今ではこういった時間がないと物足りなさを感じる。
「遊ぼ?」
食事が終わり、ゆったりと雑談が続いていた頃コウが僕の腕を引く。
おそらく大人達の会話に退屈していたのだろう。
こちらに気づいた母親に視線で会話しつつ、二階に向かう。
すっかり日は落ちて暗くなっており、ランプに火を灯す。
暗くてほとんど見えなかった室内を温かい明かりが照らす、本来なら人はこれに安心感を覚えるのだろう。
けれど僕は違った、何しろ一度これが原因で死んだのだから。
到底忘れられるものではない、体を燃やす痛み、呼吸できない苦しみ、何もかも奪われていく恐怖。
「アメ」
呼吸が荒く、視野が狭い。
異変を感じ取ったのだろう、コウが僕の手を取り名前を呼ぶ。
「……うん」
少し、少しだけ冷静になり、そこで初めてランプの火から目を放した。
いつものことだ、火に怯えるのも、誰かに落ち着かせてもらうのも。
五年繰り返してきた。最近は少しマシになってきたのだが。
「おままごとしようか」
呟くような声でそう言う。きっと声は震えていなかったはずだ、きっと。
「うん」
そう頷き棚から人形やぬいぐるみ、積み木を引っ張り出すコウ。
物凄く手慣れているけど、ここ僕の部屋だからな?
「今日のお話は?」
「夫婦の話にしよう、俺お母さん」
またか、そう思った。夫婦のほうじゃない、お母さんのほうだ。
何故かコウはこうして役割を選ぶとき、お母さん役をやることが多い。
積み木を並び終え、こちらに目線で促してくる。
先に始めろということらしい、ほとんど何も決まっていないのになんて無茶振りだ。
「かえったぞー飯はまだか?」
お父さん役を押し付けられ意識的にクマのぬいぐるみを取った。
僕にとって父親は熊だ。
「まって」
「なに?」
「お父さんは優しい、そんな言葉遣いじゃない」
「……わかった」
「やりなおし」
父親もウォルフも言葉だけ聞けばそこまで優しくないように見える。
そしてこの演じている父親も似たようなものをイメージしたがそれはダメらしい、つまりまったく別の父親を演じる必要があるようだ。
「かえったぞーご飯できた?」
少し言葉を優しくしてみる。
徐々に設定を変えて妥協点を探るのつもりだったが、当然すぐにストップがかかる。
「まって」
「今度はなに」
「お父さん、優しい」
「言葉遣い丁寧にしたじゃん」
「違う、ご飯作るの手伝う」
確かにそれは優しいだろう。
「……わかった」
「ただいま、お母さん今日のご飯はなにかな? 作るの手伝うよ」
セリフが不自然に長いが、コウの要望を取り入れるとこんなものだろう。
完璧だ、これでようやく先に進める。驚いたことに未だセリフは一つ目なのだ。
「まって」
「……なに?」
いったいなんだというのだ。これ以上どうしろと。
「よくできた、アメはいいお父さんになる」
泣くまでくすぐった。
「おやすみ。また、明日ね」
「うん、おやすみ」
眠そうなコウに手を振る。それぞれ挨拶を終えてドアを閉めた。
片付けは喋りながらも進めていたらしく、手伝うことはあまりなさそうだ。
「今日は何か見つかったか?」
洗顔を終え、もう寝ようかと思っていると父親がそう尋ねてくるので黙って首を振る。
「焦らなくていいんだからね、あなたはまだ五歳なのだから」
「はい、わかっています。おやすみなさい」
二人にそう告げ自室に入る。
パジャマに着替え、ランプを消し、ベッドに潜りこんだ。
見つけたいものがある。
何がやりたいか、何ができるか。そういったものだ。
学校があればそこで様々なことを学んだり、知ることで道筋が見えるだろう。
この世界なら家業を継ぐことから考えればいいはずだが、その家業は安穏とした世界で生きていた僕には適性が無いらしい、おまけに村は滅びる寸前と来た。
見つけなければならない。
何をしたいのか、何ができるのか。
この村の現状で取れる選択肢を、剣と魔法の世界で、少女の自分が。
いくつもの可能性が頭に閃いては弾けて消える。
魔法。もし使えたら、でもどうやって学べばいいのか。
村。ここから出たら何か変わるのか、でもどうやって出る?
生前の知識。何かに役立てられるだろうか?
焦らなくていい。
そうかもしれない、まだ知らないことばかりで生まれたばかりなんだ。
もう少し、そうだな、この村での生活が飽きた頃、その頃に焦り始めても遅くは無いのではないか。
意識が、薄れる。
生まれて五年?
違うだろ、この村に来て、五年だ。
ルールや常識の違う場所に来てしまっただけで、精神年齢はもう二十歳超えているんだ。
焦って当然だろう。
幸いなことに、この独白は起きた時には忘れていた。
- 青年期の少女 終わり -