182.忘我
「カレットです、よろしくおねがいします」
昼過ぎに欠伸を噛み殺して二人でヒカリの私室へと向かい、カレットがそう義務的に頭を下げて貴族の一人娘とそれに付き従う従者へ挨拶をしたら、二人は心の底から良かった、そう微笑んで彼女を受け入れた。
「こら、改めまして、そう付ける様に言ったでしょ」
「あらためまして」
「……」
今じゃない。
というか挨拶をするように伝えた際、それが必要なことなの? と僕相手に小首を傾げていたのは寝起きの頭が見せた幻じゃなかったのだろう。
かろうじて知っている言葉を使い喋れるようになったのは良かったが、コミュニケーションのテンポや価値観の違いで思わずズルリと肩が下がりそうになる。まぁこの辺はおいおいで。
「そうね、知ってはいると思うけれど私達も改めて挨拶をしましょうか。この家の一人娘で、アメの友人のヒカリよ」
「いろいろすごい人、アメのかみさま」
そんなことは言っていないが、彼女なりに得た情報を解釈した結果そんな神様という漠然とした言葉に落ち着いたのだろう。
ただ指は指すなと無言で僕はその手を腰に押し付けた。
「シュバルツだ。役割は、まぁアメと似たものだな」
「顔がこわい人、でもけっこう世話好き」
「……おい、カレットに何を吹き込んだんだ」
「紹介に思い出話とか? 特に意図して情報を偏らせたつもりはないし、シュバルツ自身カレットに色々してあげていたじゃない」
自由に動きずらい僕に代わり食事を運んだり、生活用品を仕入れたり。それ以外でもシュバルツが他の人に色々としている日々の生活は隣で見続けていたのだから、そう評価されるのは間違いではない。
シュバルツ自身目付きも、言葉も、手段を選ばない姿勢も悪いが、僕と同様善人とは呼べないが悪人と断言するほど根が腐っている人間ではない。
「ねぇカレット。色々な事を口にしてとは言ったけどさ、自分がこの人をどう思っているか。そういうのは基本的に隠しておくものだよ」
僕の教えにカレットは今までよりも深く首を傾げ、処理できなかった疑問を口にする。
「基本的に? じゃあどういう時には口に出していいの?」
「……そりゃ、覚悟決めた大事な時とか」
真っ先に浮かんだのは恋愛的な告白であり、頬を掻きながらそう呟いたらヒカリとシュバルツも同様の発想に至ったのか居心地の悪い僕を見てニヤニヤと笑う。カレットだけは何故そのような雰囲気になっているか理解できず、まだ自分の成長が足りないからだ、そう判断し言葉だけは覚えているようにしたようだ。
「まぁそんなわけで、カレットの状態が少しマシになったところでカレット自身に可及的速やかにやってもらわなければ困ることがある」
「うん」
「……働いてっ!」
両手を合わせて頭を下げた。
何を隠そう二ヶ月ほどほぼ収入が無かった。
カレットの身の回りを整えるのにまとまった金額を使ったし、僕とカレットの生活費は払わないといけないし、カレットを身請けした代金もリーン家に月々返済しているし、屋敷の人々から善意として餌代がちょくちょく犬小屋に入ってはいるがソシレの食費、レイノアへの魂鋼探しの資金援助。もはや長い間積み上げてきた貯蓄の底は見え、ヒカリに泣き付いて借金をする覚悟もしていたがカレットが動けるというのならば別だ。
「アメ、急にそんなこと……」
「うん、いいよ」
ヒカリがカレット自身を心配し口を開いたが、その当人はあっさりと予想通り頷いてくれた。
「焦らず無理しなくていいんだぞ? そこまで切羽詰り、主に頼り切る姿勢を恐れるのならば俺が支援してやってもいいし」
「大丈夫、やってみたいの。ここに居る人はみんな楽しそうだから」
知りたいのだ。
カレットは心というもの、世界というものを知りたい。子供ながらの好奇心の塊で、今まで我慢してきた分様々な知識を吸収したい。
「まぁそこまで言うのなら……手始めにと言うならば使用人が一番手頃かしらね。アメの部下として付けるのならより安心できるし……」
色々と思案し、僕とカレットの事を思い呟くヒカリの声を遮る。
「え、やだよ?」
- 忘我 始まり -
「というわけで新しい部下だ。クローディア、シャルラハローテ両名とも励むように」
シュバルツが冷酷にも言ってのけた現実にクロは呆れた表情を隠さない。
「……ほんと、まともな部下が来ないわね」
「それについては謝罪をしたいところだが、私も主もアメの我が侭には困り果てているのだ。
上司という立場を利用し、我々の分も主謀者へ好きに当り散らしてくれ」
「パワハラの扇動反対」
僕の抗議の声はあっさりと無視し、シュバルツはこの場に少女四名を置いて背中を向ける。
自身の生活費ぐらいは後々稼げるようになって欲しい願いもそうだが、仕事という立場で時間を拘束され、屋敷内で僕が傍に居なくとも居場所を確保してくれればこちらはその分外で危険な仕事を行い資金を調達することができる。カレットを部下として持つのは望ましくなく、これまたクロとシロに面倒を押し付ける覚悟を決めたのだ。
「まぁいいわ。アメの時も酷かったけれどなんとかなったわけだしね。
何より少しでも喋れるようになったことは良かったじゃない、これからよろしくねカレット」
「よろしく、ね。長かったらシャルって呼んで」
意外にも先輩二人はあっさりと受け入れてそう挨拶を交わす。
レイニスの外へ出て見識を広めることができたのか、単純に日々の生活で成長しているのか、はたまた僕という存在が余程うざかったのか……最後では無いと考えよう。過去の話とはいえ虚しくなる。
「うん、よろしく」
「こら、敬語」
「いいわよ、アメ。今こうして喋れていることすら奇跡みたいなものなのだから。そうした常識や、最低限の仕事をできる体力はこれからで」
微笑むクロに僕は母性力の違いを見せ付けられて思わず俯いた。
「さて、今日の仕事を終わらせましょうか。
カレットは無理せず基本的に見学して何をしているのか知ること、無茶はダメよ。疲れたら邪魔にならないよう隅っこに座ってなさい」
「わかった」
先導し歩き始めるクロに、着いていくカレット。
我が子を取られたような喪失感に、母性力の違いを思い知らされ硬直する僕を、シロが何かニヤニヤしながら手を引っ張るのが堪らなく惨めだった。
「カレットの様子はどう?」
何時ものヒカリの私室で行うお茶会。
その中に一人増えたメンバーには直接問いかけず、少しだけ早くなった口を動かす速度で自由に菓子を食べ失ったカロリーを補充する様子を横目で見ながらヒカリは僕へと尋ねる。
「誰かさんと違って上司とのわだかまりも無くスムーズ、ほんとっ良かったですね!」
カレットが使用人として働き始めて一週間ほど。
危惧していた体力も効率良く体を動かす術を僕を見て身につけていたのか、喋りはしないものの屋敷に居ついていたこともありコミュニケーションも一部を除いて問題は無し。
特に近くに居るようにとも、離れるようにとも言っていないがココロやヨゾラと違い暇な時間は僕の近くに、僕が居なければヒカリやシュバルツと一緒に居るよう心掛けているようでこうしてこの部屋でのんびりとするメンバーに混ざりこんでいた。
使用人という立場はあくまで一時的なもので、今後別の仕事を行いたいのであれば屋敷や僕に捕らわれず好きに生きてほしい。
「後はこれからどう進むか、だな」
カレットに構い遅れた、これからも遅れる分を踏まえ……と暗にシュバルツは告げてくる。
どうにかまだ取り返せる範疇で、カレットという存在を機に僕は一つ増えた手札を披露することにした。
「お金のために仕事は当分頑張らないといけないと思うけど、竜に関する手札は一つ増えた」
「ほう」
シュバルツが漏らしたのは感嘆の声。ヒカリも何が出てくるのかと期待して黙って注視してくる。
僕達が手札と呼称するのはそれほど特別な物だ。防御の程度を知る竜の甲殻だったり、それを貫くための魔砲剣だったり、素材になる魂鋼だったり。
「魔法の一種なんだけどね、格好良く言えば"無我の境地"かな」
実際のところそこまで大層な物では無いが、他に適切な呼び名があるわけでもない。
原理は簡単だ。詠唱を伴う魔法の行使で一旦感情を抑え、定めた目的に向かって最適化された行動を行う。人というものは、僕というものは尚更感情に振り回され余分な動作を取ることが多く、実際に行ってみた際思っていた以上の効果を示した。
「実際に試してみるね?」
想像する、理想の自分を。
あとは魔法陣を構築するロジックに、そのプログラムを起動する僅かな恐怖に抗う勇気のみ。
《自壊論理"積み上げ"》
心が、壊れる。
広げた財布、一枚テーブルに置く、もう一枚その上に歪みの少ない硬貨を重ねる。
重ね、修正。積み上げた硬貨の塔、重心を見定め補修するため意図し偏らせ。
……二十枚近く積み重ねたところで、僕自身に限界が来て魔法が解かれる。ふと零れた吐息で、積み上げられた硬貨はバラバラと崩れ慌てて被害を少なくするために手を広げる。
「なるほど。行動の最適化、本来慎重に行う行為を躊躇い無く迅速に、それも正確に計算し体を動かせる、と」
「認識の拡張もありそうですね。本来意識の外側に位置する情報を、アメという心が存在してしまえば無視してしまうような情報を一時的に我を忘れることで拾うことができる」
良かった。室内で、それも精神的な作用が大きいため他者には効果が伝わりずらいと思っていたがどうやらヒカリとシュバルツは理解してくれたようだ。
「まぁ条件が幾つかあるんだけどね」
前提として詠唱が必要なこと。魔力が言葉に答え、魔法陣を展開してしまうのは避けられなかった。そこまで複雑な魔法でないのだが、どちらかというと安全装置として魔法陣を使いたかったためこれは必須になった。
次に持続時間。魔力を膨大に使うわけではなく、単に自分の心を押し殺すという行為に相当なストレスが掛かる。恐らく普段は行わない処理も脳がしているせいで物理的な限界も存在し、長くても二分程度しか目的に向かって動くことができない。
目的を定めるというのも問題で結構融通が効かないものだ。速く走る、長距離を走る、この両立を目指して魔法を行使すればどちらかしか対象にできず、また複数の目的がある場合妥協という文字が見えずに選んだ一つの対象に動き続けることしかできない。これは最悪、無傷で敵を倒す、そうした漠然とした詠唱を行えば、味方を肉壁にして目的を遂行する可能性がある。
雷魔法、縮地、破壊魔法、それに続く忘我魔法。むやみやたらに使える得意技というわけではなく、必要な条件下でのみ有効に扱える手札が増えただけだ。
「それでも凄いものじゃない? カレットの存在で思いついたの?」
ワクワクとした表情を隠すつもりも無くヒカリはそう尋ねてくる、あわよくば自身も何かきっかけを得られるようにと。
「まぁそれもあるけど、あくまできっかけに過ぎないかな」
初めてこれを思いつきそうだったのはシャルラハローテが無意識に魔法を扱っていたこと。
しぶとい汚れを落とせると信じ雑巾を動かしたシャルに、この汚れは落とせないと信じ模倣できていなかったクローディア。
常識は魔法で覆せるのが世の常だ、科学的な範疇に収まるのであれば。そしてその時、僕は常識そのものを、自身が生み出す境界を魔法で壊せないのかと考えた。
次に前世の知識にあった欲求のピラミッド。五段階に分けた提唱者が、六段階目があると例外に定めたのが無我だ。
最後にカレットの存在。心についてはこの子と接することで改めて考えさせられ、またメイドの仕事を行う際に目的遂行に躊躇いの無いカレットの様子……着替える直前だからと暖炉に潜り込み、全身を炭で汚しながらも本人はそれを意に介さず、一切の躊躇を魅せずに行ったことが決め手となった。
「なるほどね、そういう物の見方もあるのか」
「まだまだ手札は必要そうだけど」
少なくともヒカリの魂鋼に、僕が竜の甲殻を貫ける手段。ただ望むのであればそれ以上に欲しいものは平気で出てくる。
先は長そうだと、けれど一歩進めたと。僅かにだが微笑みながら話を聞いていたカレットを見て一つ息が零れた。
- 忘我 終わり -




