168.自覚者果てに揺らいでどこまでも
「名前はフェルノ、歳はココロより二つ年上の十六。
本来は使用人の求人に入ってきたのだけれど、試験雇用していた際に親衛隊の方が向いているのではないかと思い今こうしている」
場所は中庭、隣には説明するヒカリと、僕と共にそれを聞いているココロ。
何時もならば三人隣で訓練しているようなものを、今日に限ってはフェルノと呼ばれた人物が一人筋トレやストレッチ、走りこんでいる場所を指示を近くに居る親衛隊に任せて様子を遠目に見ている。
成人しているのでそれなりに体格は良いが、最低限の筋肉が付いているだけで背も高いシィルより細く、また身長も低いだろうか。
「何があったの?」
「お皿を落とした」
「え」
それだけ? それだけで本来希望した枠ではなく、戦うための能力も命を賭する覚悟も必要な雇用枠に送られたの?
「落とした際の対処が異常だった。顔つきが一瞬変わり、床へ落ちきる前に皿を素早く、危な気も無く確保。
その様子を見てから改めて今までの言動を思い返してみれば、ミスは人より多くするものの、失敗してしまった自覚を持つまでに移行する時間が早く、またその対処も器用に自分でこなす節がある」
ここから見る分には穏やかで可愛らしい表情をしているが、目つきだけ獣のように鋭くなるのだろうか。
「磨けば光る原石、というわけですか……え、その様子だと使用人の方が適正ありそうですが」
思わせぶりに相槌を打ったかと思えば、ノリツッコミのような勢いでココロは疑問を口にする。
よく僕の代わりに指摘してくれた。ミスは学ぶことで慣れるのであれば、人の機微を上手く読み取ることに長けている人間は使用人のほうが適性あるだろう。
「使用人は受け入れる幅が広いけれど兵はそうもいかない。最近の動きを鑑みれば第一線に送り込めるまで期間が空いたとしても、増やすことのできる機会があるのならば今の内に補充しておきたい」
いつか欠員が続くかもしれないから。その言葉の意味を僕達は読み取る。
現状離職者などはほぼ居ないがテイル家や竜信仰者との戦闘が激化した際、今リーン家に属する兵の半分以上が消し飛ぶ可能性だってある。
戦いは数だ。国が抱える並みの騎士団員以上の戦闘能力を持つ親衛隊といえどそれは変わらない。同次元の兵を有するテイル家との抗争は、如何に頭数を揃えるかによって予め死者を減らすことができる。
「それに、あのような子が戦えるようになるとなれば、その様相を想像しただけで震えそうになる」
これだから戦闘民族は、とココロと共に呆れた表情を浮かべる。
ようは芽に赤い水をやり、どんな木が、どこまで育つのかを自分で確かめたい、そういうわけだ。
「ほら、最後の訓練が始まるわよ」
視線を向けると弓のような武器を構えているのがわかる。
ような、と呼称したのはあからさまな変形機構に、弓なりに張る線が刃のように鋭く見えたからだ。ちなみに弦も無い。
親衛隊の男性が人間の頭部ほどの氷の塊を浮かび上がらせ、フェルノはそれを魔道具であろう武器で矢を生成、すっと目を細めたかと思えば弦も無いのに矢を発射して氷の塊を射抜いた。
威力は本来の弓矢と同等か、少し上だろうか。矢が青白かったことから魔力そのものを射出する魔砲剣と同じ原理で動いているものかと思ったが、控えめの威力や距離減衰があまり見られないため根本から造りは違うようだ。
どうにか型通りに構えられているような様子に、たどたどしい魔力の扱い。氷の塊は散らされ、八個に分かれたそれを時間は掛かりながらも丁寧に一つずつ射抜いていく。
フェルノが使用人としても、親衛隊で鍛えられている様子も僕は見たことが無い。ここ最近はレイノアから頼まれた護衛の任務や、以前やらかしてしまった心象を自ら補填するため、リーン家から補助要因として借り出される警備兵として働いていたこともありあまり屋敷には居なかった。
逆に、だ。使用人として働きたかった、そういった経緯からそこまで戦闘に関する能力を有していた可能性は少ない。一ヶ月近く、その短期間でここまでの最低限な技能を得たのであれば優れた素質を持つ部類なのだろう。
「へぇ、凄いですね」
散らされた氷は再び集められ、今度は無数に不規則に素早く動き続ける破片になる。フェルノは小さいが故に攻撃魔法よりも早く動くそれらを、失敗することも無く一つ、また一つと矢を突き立て破壊していく。
あの速度に連続して反応するか。僕が同じことをやれと言われたら難しいように感じ、ココロも同様の感想を抱いたのか素直な感嘆の溜息を漏らしていた。
「ヒカリ、様。どうでしたでしょうか……?」
訓練を終え、近寄ってきたフェルノは鈴の鳴るような声で仕えるだろう主に声をかける。
武器を扱う訓練の直前までは体を激しく動かしていたせいもあり、頬は上気し、通気性の良い膝にかかるスカートから僅かに見えるソックスに覆われていない箇所ですら汗ばんで色っぽく見える。
「十分よ、短期間の訓練では驚くべき成果。将来性も期待できるわね。
名前は慣れないなら好きに呼んで構わないわ、外の人間が居る際は気をつけて欲しいけれど」
「は、はいっ!」
初々しく、言ってしまえば何でも了承してしまいそうな人の良さ、自己というものの危うい脆さを感じて僕は思わず口を挟む。
「ヒカリ、この子を無理を言って兵士にしようとしてない?」
「いえっ、大丈夫です! 本来は使用人を勤めさせて頂ければとこちらへ伺いましたが、自分に求められる役割が戦うことであるのならば一度やってみようかなと。
一晩よく考えたり、色々な人に相談してしっかりと考えましたっ」
肩にかかるほど綺麗に切り揃え伸ばされた頭髪を揺らしながらフェルノは語る。
一日追い詰められたように考えてしまえば自然と答えは決まっているように思えるが、しっかりと自分の頭で考えたというのであればそれだけで好感が持てる。
「それならそれで良いんですけど、まぁ無茶はしないでくださいね」
そうして気遣い僕から発せられた言葉に、フェルノは一瞬首を傾げそうになった様子を慌てて隠す。
……あぁそっか、自己紹介も無くヒカリにはタメ口で、リーン家に雇用される側の人間には敬語を扱えば訝しまれるのも仕方が無いか。
「各々自己紹介を」
「アメです。立場上はリーン家の親衛隊、それと使用人に属して居ます。ヒカリとは、その、友人としてよくしてもらっているので」
なんやこいつ疑惑を晴らすためにも、ヒカリから与えられた紹介の場で肩書きを説明するとフェルノはぱっと表情を明るくしてこちらを見る。
「ああっ! あの多才で、ヒカリ様と共に竜に挑む勇ましいと噂されている方ですか!
住まう立場は同じなれど、中身は比較するまでもなく劣る自分ですが、たまにで良ければお話してくれると嬉しいですっ、いろいろ直接聞いてみたかったんです」
待て待て待て。
概要だけ知っていて想像が膨らんでいるのか、根も葉もない噂が広がっているのか、僕を知っている誰かが適当に言ってのけているのか知らないがなんか物凄くヒカリと同レベルの人間を見るような視線を向けられている。
僕はそんな凄い人間じゃないし、誰かに羨望されるような人格者でもない。先日逮捕されたばかりだぞ。
「次」
慌てて認識を正そうと口を開いたら、この場で最も権力を持っているヒカリが話を次の段階に進めた。
お前今僕が言葉を発しそうになるタイミングを見てから口を開いただろ。僕にだけ見える角度で嫌らしく嗤うのはやめろ。
「あ、はい、ココロです。親衛隊の一員で、アメさんに色々と良くしてもらってます」
厳密には過去形だ、特に今は何もしていない。たまに食事したり雑談したり、一緒に仕事したり。今はもう訓練などは親衛隊の人々やアレンが主軸だ。
「はい、よろしくお願いします」
「このココロが今日からあなた直属の上司になるわ」
基本的には親衛隊で上下の関係はないが、一部の人達ではそうした上司と部下の関係を持っていたり、力量から師弟のような間柄が生まれることもある。
ほう、ココロも部下を持つことになったかと見るとその当人は呆然とした表情で。
「……いやいや今初めて聞きましたけど!?」
「初めて言ったもの」
「何故私ここに居るんだろうとか思ってたらそういうことだったんですね!? まだ私一年半程度しかここにいない若輩者なんですが!」
「優れた能力と人格を持つ人間は、優れた部下を持つべきよ。きっと互いのためになるから」
「私! 未成年! フェルノさん! 成人している年上!!」
「それが?」
ここまで動揺しているココロもおもしろい。突くなら今の内だろう。
「ところで、聞いても良いことなのかわかりませんが無礼を承知で尋ねさせてもらいます。
フェルノさんは何故女性物の服を着ているのでしょうか?」
「はい!?」
「えっ……」
テンションがおかしなココロは過剰な反応を見せ、フェルノは動揺したように声を漏らす……あぁ、これやはり触れちゃいけない場所だったか。
思春期を迎え、体が出来上がっているにもかかわらずフェルノの身体的特徴は凄く女性らしい。ただ細かな振る舞いや、根本の骨格までは揺るぐことのできないものだ。
肉体的には男性、おそらく精神的にも男性。ただ声は高く姿は可愛らしく、胸や尻に脂肪は無いものの女性用のスカートを穿いても違和感は無い。ココロの反応を見るに普通気づかないものなのだろう。
「やっぱアメは気づくか……。
フェルノ、この二人は大丈夫、決してあなたの事情を笑ったりはしない。初対面で苦しいとは思うのだけれど、今後協力してもらうためにも女性のように振舞う理由を話してもらえはしないかしら」
「……っ」
ヒカリの言葉に彼は隠しきれない動揺を見せる。
けれど呑み込み、意を決して口を開く頃には少なくとも我を忘れるほどの危うさは見せてはいなかった。
「自分、こんな声や見た目で、成長してもずっと変わらなくて。
家族や周りの人に事ある毎笑われるんです"女の子みたいだね"って」
それが住み込みで働けるリーン家の門を叩いた理由の一つか。
「物は試しにって姉の服を着せられて、その状態で"可愛い"そうからかい半分に言われても、男性服を着て同じ言葉を言われる時は全然自分の中での受け取り方が違っていて。
……おかしい、もうほんと自分変態なんですけど、女装したまま外を歩いてみても普段浴びせられる視線とは違うように思えて。
あぁ、周りや、なんか世界が自分を女性として求めている。そう考えてしまったら気が楽になって」
男なのに男として見られない違和感、女の格好をして女として見られる事実。
厳密には何も変わっていない、事情を知る人間からしてみれば余計におもしろい現実。
でも、本人にとっては違うのだろう。先天的に与えられたものを否定される、与えられた女の子らしいレッテルの中で滑稽に求められるがまま踊るという逃げる選択肢。
言い訳できるのだ、女性らしいと言われてもそう思ったから女装していると。男の癖にといわれても女装だからと、変態だからと。滑稽だと笑われても、そう踊ることに決めたのだと。
「……多分、自己評価が低いんだと思うんです。自分に自信が無い、男として生まれたのに男らしい特徴が無くて、些細な失敗を重ねるうちに自分に価値は無いんだって。
だから周りからどう見られているかが気になるし、望まれたら望まれるがままに行動してしまう。あ、いや、誤解が無いように言うと、ヒカリ様から親衛隊のお誘いがあって、自分にも出来るのであれば答えてみたい、そう思ったのは自分の意思です。
流されているかもしれない。でもそれでもいい、それがいい。自分でそう決めたことなので後悔なんて無いです、もちろん、表面的なものだけかもしれませんが」
そこまで告げて、今まで誰も言葉を挟んでいなかったことに気づいてか後悔したように口を噤む。
僕達はただ真剣に話を聞いていただけなのに、彼からしてみれば我を忘れて行う自分語りを白い目で見ている、そう歪んで認識しているのかもしれない。
「ごめんなさい、ほんとごめんなさい……っ」
思わず感情が高ぶり涙でも溢れそうだったのだろう。口元を覆ったかと思えば、今度は両手で瞳を覆おう。本来ならば片手で上でも向いてそうする様子を、フェルノは女の子らしい仕草でそう見せてしまう。
あまりにも悲痛な立場、先天的で変えようの無い事実が全てをそう導く。
理解が足りなかった家族もそうであれば、性別に悩み、アイデンティティを確立できていない自身の自己分析も行えている。あまりにも僕が歩いてきた道に類似し、思わず手を伸ばしそうになったが。
「大丈夫、大丈夫ですよ」
それはココロの役目だ。
両の手を優しく包み込み、顔を覆い隠した手をそっと引き寄せ、僅かに雫を散らせた瞳がココロと交わる。
彼女の頬は少し紅い。きっと今触れ合っている相手が異性だと、あるいは境遇に共感し込み上げるものがあってか。きっと体温も高いのだろう、そして繋いだ手のひらからはそれが確かに伝わり。
「あぁ……」
零れたフェルノの声は安堵に満ち溢れていて。
「あなたは、あなたです。誰が決めるものでも、性別が関与するものでもない。
一緒に、探しましょう? あなたが、フェルノさんが自分でこれでいい、そう思える答えを」
「――はいっ」
頷くフェルノの表情に憂いは少ない。
これだけでここまで影響できるのか、ココロはこれだけで人を救うことができてしまうのか。
「ということでココロはフェルノ直属の上司ということで。
フェルノも基本的にココロの命令は全て聞きなさい、本当に嫌だと思ったことは本人に告げるか周りに、このアメ辺りに相談。
戦うという現実を痛感して逃げ出したい時は、リーン家から離れたく無い場合は使用人に戻って欲しい。ココロも、年上で、異性で、新人の自分が、まだ人の上に立つのは早いと感じたら相談するなり辞退の言葉を持ってくること」
二歳上、男性、新米。
そんな言葉をうわ言のように呟きながら、まだ繋いでいた手を慌てて話してココロは叫ぶ。
「わかりましたよ! やればいいんでしょ、やらせてください!」
「よろしい。上司なのだからフェルノに対しては敬語を止める事」
「酷い!」
まるで漫才のようなやり取りを行う二人の上司をクスクスと笑って見るフェルノと、完全に置いていかれた僕の視線が合う。
「素敵な二人でしょ」
「えぇ、とても」
友人を自慢するように笑った僕に、そんな人々を上司に出来るとフェルノも笑う。
「何かあったら、僕でよければ相談に乗りますよ」
「はい、その時があったらよろしくお願いします」
握手したフェルノの手は温かく、大きかった。
……いや、僕の手が小さ過ぎるだけなんだけど。
- 自覚者果てに揺らいでどこまでも 終わり -




