162.積み上げた階段
「伯母様相変わらずだったね」
レイニスの遥か北。
十年以上前に開拓を終え、町の基盤を作り上げている今、人手が足りず見入りの良い仕事があったのでヒカリと二人で報酬を受け取りレイニスに戻る最中。
「相変わらずって初めて会ったんじゃないの?」
危惧していたテイル家の襲撃は杞憂に終わり、春に入った世界は食糧問題も心配が無い。
あまり頻繁には行えないが、ヒカリ、それにシュバルツ辺りを加えた少人数行動はそれほど問題ではないのかもしれない。
万が一襲撃があった際も少人数の報告に大規模な兵を動かすわけにはいかないだろうし、恐らく向こうの隊長のイルが居ようとも逃げ切るだけならば問題ないはず。そこさえどうにかなってしまえばあとは身軽かつ効率的に動けるし、気を遣う人間と野営をしなくてもよいというのは楽なものだ。
「一度ね、四歳の頃知らないお姉さんが両親の目から隠れて遊びに来たことはあったよ。
まぁそれが伯母様というのは後から流れてきたコウの記憶でようやく理解したのだけれど、まぁ記憶通り相変わらず、だったけど」
日は傾き始め、まだ町はもちろん建物がある場所に着ける様子はないので野営を考えなければいけない時間。
「一日で逃げ出すとは僕も予想外だったけどね。全然そんな気配見せずに皆で喋っていたのに」
一つ、ハウンドの遠吠えがした。
- 積み上げた階段 始まり -
「群れ? 違うか、縄張りに踏み込んだのかしら」
僕の後に続いて索敵魔法を走らせながらヒカリが呟く。
近くて大きい反応は三つ。
この程度の数で遠吠えはあまり聞かない。仲間と連携を取る人数でもなく、襲ってくるのであれば文字通り獣のように飛びついてくるし、臆病だったりこちらの実力を把握できる頭の良い個体であれば同数に近いとすぐに逃げる。
「去る気配もない、でもすぐさま襲う訳でもない。わからない、知らないし想像もつかない」
今度は遠吠えではなく威嚇するようにこちらに吠えながら、二匹のハウンドが、いや町から離れてサイズが大きいからウェストハウンドが姿を見せる。
もう一頭は未だ距離を離したままで、遊撃担当だろうか。距離を離してこちらを睨む二頭のウェストハウンド。距離を詰めるのならばさっさと詰めて、逃げるのであれば逃げればいいものを。
「……さっさと片付けたほうがいいかもね」
ヒカリが殺意を纏いながら剣を抜く。
同感だ。もし初めの遠吠えで増援でも呼んでいる状態ならば、囲まれる前に目の前の敵を蹴散らした方がいい。
《一閃一掃》
腕を突き出し照準を定め、迅速に致死性のある威力まで電を持っていくために詠唱を行う。
「……っ!?」
開いた口が塞がる前に、声にならない声を吐き出しそうで思わず強く結ぶ。
避けられた。
腕を上げる動作に、展開された魔法陣を見て何が起きるのかある程度予想したのか、人間でも能力を有する限られた存在でしか防ぐことの出来ない雷の一撃。展開された魔法陣が収納されるよりも早く唯一相手に着弾する魔法を、そこらの獣風情が避けて見せたのだ。
一瞬硬直した僕に対し、ヒカリは驚愕を押し殺しながら避けるために跳んだハウンドの一体を攻撃。
その一撃も牙で阻まれるが、予め予想していたかの如く素早く抜き取り追撃に入っている。
もう一度、ヒカリと接敵していないハウンドの遠吠え。
手練ている獣の不審な行動、嫌な予感がする。手段は選んでいられないか。反撃を覚悟で縮地にて吠えた方のハウンドに距離を詰める。
跳んでいる最中も、地に着ける瞬間も、確かにこちらを認識していながら犬は距離を空ける為に後方へ跳び、僕も迷わず後を追う。
犬の口腔が牙と共に視界を覆ったかと思えば、避けて反撃しようと態勢を整えると交差するように僕の後ろにそのまま走りぬけ、再び一定の距離を保つ。
「……」
一度ヒカリの方を見る。
同様に時間を掛けて戦っているようだが、相手のウェストハウンドは傷が徐々に増えて動きが鈍り始めている。
本来余程の相手でなければ消耗品は使いたくないが、背中を駆け上がる悪寒が理性に呼びかけてふとももから麻痺毒の投げナイフを取り出す。
すぐには投げず距離を詰め、のしかかるよう上から振り下ろされる爪を転がりながら避けつつ投げナイフを突き立てる。
もう一度、相手から距離を保たれ、五秒程度心の中で数え斜め前にステップ。反応が鈍っていることからしっかりと毒が効いている事を確認、腹部に体重を乗せて破壊魔法を肘で叩き込む。
手応えは、あった。
一度後ろへ跳び距離を離し、未だ四足で立っている獣の様子を眺めるとウォオンと最期にウェストハウンドは一声鳴く。
遠吠えにしてはか細く、断末魔にしては勇ましく。ただ内部をズタボロにされながらも吠え、口から血液をぼたぼた流しながら倒れる姿が、ただただ虚しさを感じさせた。
最期の一声に答えるよう茂みが動く。
ヒカリも既に敵を倒している中、一切最期まで動かなかった近しい魔力の反応。
「あ……」
子犬だった。
子犬と言っても前世の基準で言えば十分大きいそれは、鼻で血の臭いを感じ取り、そして今、両眼にその死を捉えたのだろう。
何が起きているかわからない、わかりたくない。
そんな様子で時間をかけ、今僕達の足元で横たわる二頭のハウンドを見る。
魔法で索敵を行ったが、こちらに近寄る反応は一つも無い。
一声鳴いた。
それは悲鳴だったのだろうか。喉の間を空気が漏れ、甲高く切ない犬特有のそれを外に出す。
――僕達は何をしたのだろうか。
二声目鳴いた。
怒りなのだろうか。二頭、おそらく両親を殺された僕達に対する。
奮起の声だったのだろうか。親ですら敵わなかった僕達に立ち向かうための。
――目的の仕事を終え、ただ帰路に着く途中。
「僕がやる」
踏み出したヒカリを制止し、僕は彼女より前に出て突撃してくる子犬へと向かう。
震えた足が挫けないよう、そして慣れない体の動かし方で外敵を噛み殺そうと僕の体を牙で狙う。
――何度も吠えていたのは自分達の子供に逃げろと諭しているだけで。
簡単に避けられた。
避けようとすれば、だ。
僕は片腕を捧げ、食いちぎられない程度に魔力を止めてそれを受け止める。
「ごめんね……」
親を殺されるつらさを僕は知っている。今血の繋がっている両親には何も感じないが、二度失った両親を思うと今でも胸が痛い。
過去を思い出しても、何度か幼いハウンドを狩った記憶はある。でもそれは成獣と共に襲ってきたり、討伐依頼の対象内だったり、空腹を満たすための食料を必要としていた。
大きな鳥を狩ったあと雛達を殺したこともあったが、あれも親を失ったそれらが生き延びる可能性を見出せなかったからだ。
少なくとも進路上にある障害物を排除する程度の過程でしかない存在はいなかった。親を殺され、悲しむ心を見せた存在はいなかった。
「美味しい?」
僕の腕から流れる血液は子犬の舌に触れているだろう。
それは親殺しの血だ。
復讐を果たすための手順として流れるそれは子犬にその実感を与えているだろうか。
それは親が殺せなかった人間の血だ。
世界は弱肉強食。こと獣においては特にそうだ。そして今こうして僕に噛み付いている子犬は摂理に背いている、目の前で自分より強いと知っていた両親が容易く殺されているのを見たはずだ。
親が何度も叫んでいた鳴き声は、逃げろと言っていたはずだ。
親の声に従わず、また強者である人間に立ち向かうその行為はこの世の摂理に背いている。
背いて背いて、その目的は復讐のためか。今はもう息の無い親のためか、それを思う自身の心に従ってか。
そうして味わった人間の血が、子犬にとって美味しいものなのかは僕にはわからない。恐怖と興奮で味わう余裕はないだろうし、僕は未だに故郷を滅ぼした竜の血液を味わっていない。
「つらいよね、わかってる。それが僕達がやってしまって、もう取り返しのつかないことだってわかってる。でも、ごめんね。
今はこれだけしかできない、僕達は死ぬわけにはいかないし、何をしてももうお前の親が生き返ることはない」
空いている片腕で、親を殺した腕で子犬をそっと抱き寄せる。
そこには誤解しかなかった。
親犬は縄張りに入ってきた侵入者の排除が目的だった、侵入者の目的は無事にその地点を通過することだった。
追い払うだけでよかったのだ、ハウンドにとっては。逃げるだけでよかったのだ、僕達にとっては。
どこにもなかったんだ、両者の死が互いの目的だった事実なんて。
血は流れる、肉は削げる。それでも骨は断たれない、命を奪うなんて夢でしかない。
明らかに手加減をし、自身を抱きとめる人間にハウンドは徐々に気力を失っていく。
胸中に満ちるは勝てない諦観の念か。時間を経て実感する親の死か。あるいはその両方が脳に蔓延し、いつしか牙は抜けていた。もはや敵意を失せた子犬はもう動かない両親に寄り添い、何度かその体を舐めたあと近くで顔を毛に埋めて蹲った。
僕はその無防備な背中に近づき、再び手を伸ばす。優しく、少しでも親を失った痛みが安らげばいいと、両親の血液で染まった手で子犬を撫で続けた。
「どうするの、その子」
日が落ちはじめ、僕達は手早く傷み始める亡骸を地面に埋める。
ヒカリは黙って手伝ってくれた、子犬も無言で埋まっていく両親の体を眺めていた。
完全に埋葬を終え、焚き火を用意しても子犬はその墓から離れようとはしなかった。
「どうしたいのかな、この子は」
犬の心なんてわからない。
親を殺されて悲しい、怒りに身を委ね復讐をしよう、そして敵わなず叶わないと知った。
それからはどうするのだろう。
僕にはわからない、自分が三度目の生を得たときのように何もかもどうでも良くなるのだろうか、それともいつか立ち直って別の群れに仲間として入れてもらえるのだろうか。
蒸かして焼いただけの芋を食べ、食べカスが少し零れたのを見て頭に一つの答えが見える。
僕は自分の食べかけのそれを子犬の前に行き、眼前に差し出した。
顔を上げ、少し興味を示すウェストハウンド。けれどすぐに興味を失ったのか、再びすぐに蹲った。
やっぱりダメかな。お腹空いていると思うんだけど、流石に仇の唾液が付いた食べ物は食べられないか……いや、興味は示したし違うかも。
焚き火の元まで戻り、自分の荷物からまだ焼いていない芋などの食材をいくつか取り出す。猫舌ならぬ犬舌かもしれない、動物は皆熱された食事が苦手と聞くし、焼いたものじゃなければワンチャンスあるのではなかろうか。
そう思い再び目の前に食材を見せると、子犬は僕を見上げる。
視線がなんの意味があるかはわからない、こいつは何をしているんだという疑問か、それとも食べてもいいのか、そのどちらか。後者だといいのだけれど。
「食べて良いよ」
芋を一つ口元へ触れさせ、そして戸惑いながらも子犬はそれに答え食べ始めた。僕はそれに内心喜びながら、黙々と食材を自分の手から食べさせる。
「おいで」
立ち上がり、手と声で招きながら焚き火の元へ呼び寄せる。
それに子犬は少し両親の墓を見てから、とぼとぼと歩み寄ってきた。
流石に火は怖いのか、少し離れた場所だったが十分焚き火の明かりが当たる場所まで。
「ほら」
焚き火を作った時に余っていた大きな木材で、ボウルを作りそこに魔法で水を溜める。喉が渇いていたのか、それとも何か振り切れたのか子犬はすぐにそれを飲み始めた。
僕はそれを見て焚き火の定位置へ戻り、食べかけだった芋を口に運ぶ……冷めてるし、子犬を触ってそのままだったので少し獣臭い。
「ねぇヒカリ」
僕が呼んだ少女は、既に諦めきった表情を浮かべて答える。
「なに?」
だから僕はお願いした。
「飼っていい?」
「うん」
- 積み上げた階段 終わり -




