16.疑問の二日目
昨日の晩は何も食べておらず、今朝もいつにもまして質素。
よく考えたら昨日の昼も保存食なわけで、丸一日まともな食事を取っていないことになる。
空腹に堪え、今もなおゆっくりと降り続けている雪の寒さに堪え、無言で一歩一歩歩みを進めていく。
全員口は開かない。
何か喋るとしたら、必ず村のことに触れるだろうから。
そうしたら嫌でも気づいてしまう。
もう帰る場所はないのだと、もう愛する人達はいないのだと。
「ねぇ、ルゥ」
でも僕は口を開いてしまう。
喋らないと考えてしまうから、考えちゃいけないことを考え、潰れてしまいそうだったから。
だからなんとか村のことに触れないだろう話題を考え、それを口にする。
「ん?」
「ルゥの名前の由来ってなに?」
今朝見た夢の延長線だが、きっと無言のままよりは良いだろう。
「……ある、らしい」
「らしい?」
彼女らしくない言いように首を傾げる。
「育ての親、というかお姉ちゃんが居たんだけど、拾ったわたしに名前をつけてくれたんだ」
「お姉ちゃん?」
そういえば彼女の生まれを初めて聞く。
どうも孤児のようだが、そこにはあえて触れずもう一つ気になるほうを聞いてみる。
「正確には年齢不詳なんだけど、下手なこと言うと怒るからお姉ちゃん」
おばちゃんが永遠の十七歳を自称しているところを想像し、慌ててかき消す。
失礼、というか僕まで怒られそうで怖かった。
「まぁそのお姉ちゃんが名前付けてくれたんだけど、意味はあるけど教えないって言うんだ。どうしても知りたかったら自分で答えを見つけてって」
「イジワル、というかお茶目な人だったんだ」
手品を見せて、種を教えないようなものだ。
推理小説で事件を起こして、解決する場面を見せないとも言う。
「いや、そうじゃないよ。名前に縛られて欲しくないんだって、名前を送ったのはあくまで自分の勝手で、それありきの人生を歩んで欲しくないって言ってた」
哀愁に喜べばいいのか、泣けばいいのかわからないような表情で笑う彼女を見て僕は硬直する。
縛られて欲しくない。
母親達はそんなことを考えないで発言したのだろうか、それとも縛ろうとしたのか。
「それで、答えは見つかったの?」
体は動きながらも、表情が固まった僕を見てコウはそう尋ねる。
そう言えば最初の質問にまだ答えてもらっていない。
「いくつか候補はあるんだけどね、もう答え合わせできないから」
彼女の表情は決して悲観的なものではなかったが、その言葉の意味は正しく受け取れたと思う。
きっともう、そのお姉ちゃんは二度と会えないどこか遠くへ行ってしまったのだろう。
「アメとコウは名前の由来って教えてもらった?」
丁度いい話題だと思ったのだろう。
僕が振った話題なら、きっと誰も辛い思いをしなくて済むと。
今朝見た夢を思い出す、僕はまだ口を開くことができない。
代わりにコウが説明する。
雨が種に水をやり、光で共に育むのだと。
「そっか、いい意味だね。わたしの名前もそんな意味あるのかな、でもあの人結構抜けてるからなぁ」
コウが説明した意味を聞き、あははと笑うルゥ。
自然に場を明るくしようとしている彼女に僕は尋ねてしまった。
「……でも、みんななくなってしまったよ」
僕の言葉に彼女は一瞬きょとんと呆け、それから目を細めて微笑んだ。
「みんなの笑顔、思い出せる?」
「うん」
昨日までは見ていた光景だ、思い出せないわけが無い。
「それは大切だと思う?」
「……うん」
少し迷ったがそう答えた、思い出すのは、幸せな記憶を想うことは辛いことだったけど、大切なものには変わりないと思ったから。
「ならそれでいいんじゃない? アメとコウが居る場所には確かに笑顔が咲いていた」
「なくなってしまっても?」
「人はいつか死ぬ」
彼女は断言する。
今まで死とかはっきりとした言葉を使わず、曖昧なやり取りをしていたのに。
「はじめから無くなるとはわかっていたんだ、それでも水をあげ照らし続けた。
その行為を思い、その死んだ種を思い、悔やむ必要はどこにもないと思う。確かに綺麗な花は咲いていたのだから」
「そっか」
頭では彼女が何を言っているかわかる。
でも、心が追いつかない。そこまで割り切れるものじゃない。
「そろそろ休憩にしよう」
降り止まない雪を出し続ける空を見てそう告げる。
僕とコウはまだ動けるが、ルゥはそろそろ限界だろう。
一度休憩し、彼女に焚き火を起こさせながら僕たちは周辺の探索をする。
動物こそいなかったが、いくつかの木の実とキノコを見つけ取ってきた。
流石にどのキノコが食べられるかはわからないが、ルゥに聞けばわかるかもしれない。
「これは食べられる。これはダメ、ヒメヅルダケって言って強い神経毒がある」
「……魔法でも耐えられない?」
「魔法があって辛うじて内臓の動きが止まらないぐらい強い」
死の瀬戸際を彷徨って空腹を満たしたら本末転倒だ。
火にくべ気化した成分を吸うことを恐れ遠くに投げ捨てる。
「これは、大丈夫。大量に摂取したら体調不良になるけど、三人で分けたら大丈夫。たぶん」
残された一つのキノコを見てルゥはそう言った。最後に不穏な言葉さえなければよかったのだが。
まぁ体調のために魔力を削り、空腹を満たせるのならマシだろう。
コウが見つけてきた食料を合わせ、いくつかの食べ物をカバンにしまい、代わりに昨日取っていた木の実で腹を満たす。
一日中動いている三人のエネルギーを満たすには程遠いが、どうにか堪えられる程度には空腹はまぎれた。
肉が食べたい。
けれど現状動物を見ていない今、干し肉を消費するわけにはいかない。
もしこのまま獲物が見つからないのであれば、長くは持たないだろう。
餓死。
不穏かつ、現実的な言葉が頭を過ぎる。
このまま竜に怯えた獣達は出てこず、少しずつ降り続ける雪は食物を枯らし、世界を白く彩り僅かに残ったそれらの発見も難しくする。
結果僕達は餓えるか、満足に動けなくなった時点で寒さや獣に襲われ死ぬ。
残酷に。炎が肌を焦がし、呼吸を阻害する苦痛より時間をかけて。
現実的に。ここまで何もない現状と、凍える世界で三人が生きるには厳しすぎる。
死はきっと想像しているよりも遥かに、手を伸ばせば届く場所まで迫っているのかもしれない。
三人、か。三人じゃなければ大丈夫なのかもしれない。四か、五いれば、きっと何か見つかるはずだし。
――もしくは二人以下。
最低限の食料しか見つからないことが保障される場合、それは宇宙船で無酸素空間を進んでいることとほぼ同義だ。
冷たい方程式、だっけ。集団のうち誰か一人を切り捨てたら他のみんなが助かる、そういった極限状態を表現した小説か何かがあったはずだ。
僕達は今その状況に置かれているのかもしれない。もしそのような選択を迫られたら、進んで名乗り出よう。
一度死んで死に慣れている、のもあるけれど、楽に死ねるならそのほうがいいかもしれないとも思う。
このまま寒さと餓えに堪え、終わりの見えない行進を続けるぐらいなら、二人のために死んだほうが楽だしきっと気持ちがいいものだ。
ルゥはどうだかわからないが、コウはきっと悲しむだろう。少なくない好意を抱いている相手が、自分達のために死んでしまうのだ。
その悲しみを僕はわかる、村の人達を失った直後だから尚更わかる。だから、僕はその悲しみをもう味わいたくはないんだ。
なんて身勝手で吐き気のする思考だろうか、けれど意味はあるはずだ。もし誰かが死ななければならないとして、その誰かが死ぬことに意味は。
意味。
死に、意味はあったのだろうか。
前世の家族と、自分が焼け死んだことに、意味はあったのか。
放火なら、犯人の欲望を満たすに足りた結果かもしれない。火の始末を怠ったのなら、事件を知る人々に火の扱いはちゃんとしなければと再認識するに足りえたかもしれない。
……その程度で、その程度で人が死んでいいものか。
ふざけるな、命を散らす、その重さにまるで釣り合っていない。
村は、村はどうだ。
今まで無視していた存在を、急に竜が滅ぼした。その大勢の死に意味はあったのだろうか。
捕食された様子はない、村の周辺ごと魔法か何かの爆発で吹き飛ばしただけだ。
その無造作な行為に何の意味があって、理由があったのだというのか。
「ねぇ」
声が震えた。
怒りか、悲しみかわからないけれど、言葉にできない感情で声が震えた。
歩き続け、腫れた足を摩っていたコウが顔を上げる。
体温を維持し、少しでも魔力を回復させようと体を丸めていたルゥもこちらを見る。
「どうして、竜が村を襲ったのかな」
「……今は、わからない。情報が少なすぎて、判断のしようがない」
ルゥの言葉は、丁寧にいくつかある中から選ばれたような言葉だった。
「じゃあ、みんなが死んだことに、意味はなかったの? それとも、竜が襲った理由がわかればその死に意味はあるのかな?」
「アメ」
コウが僕の名前を呼ぶ。
「落ち着いて、今は考えないで。考えてもわからないことを、俺たちは今考える余裕はない」
ルゥを見る。膝に顔をうずめ、沈黙を守っていた。
その仕草、コウの声音、選ばれた言葉の数々。全てが一本の線で繋がる。
――僕は、哀れまれている。
怒りに駆られ竜に挑んだ僕を、口を開けばネガティブな言葉しか出ない僕を。
「……余裕?」
それに気づいてしまったら、溢れてはいけないものが胸から出てきて、口から零れた。
「余裕はないだろうね、食べ物は無くて雪は止まない。その状況でいつくるかわからない脅威に怯えながら、あと何十日あるけば町に着くのかな?」
「アメ、落ち着いて。きっと獣達はすぐに戻ってきて、雪も強くなっていないからしばらくしたら止むよ」
「落ち着いているよ、落ち着いているから冷静にわかる。獣達は戻らない、竜はどんな動きをするかわからない、雪は強くなる可能性もある」
「アメ」
何度も名前を呼ぶな。僕を縛るな。
「……死に、意味はあるかだっけ。はじめの質問は」
ルゥと目が合う。
その赤い瞳は、明確な意思を持って僕を見つめる。
だから黙って頷いた。みんなの死に意味があるとしたら、僕は納得できるだろうから。
納得して、冷たい方程式を完成させるための数字になる覚悟ができるだろうから。
「死に意味は、無かったよ」
無慈悲な言葉に、体の芯が冷え切る。そして、心は熱く煮えたぎる。
魔力が体から溢れ、自然に周囲の状況を把握できた。
渦巻く魔力の中、コウは俯き、ルゥは僕を見据えている。
どうにかなりそう、もしくはどうにかしてしまいたい。
残酷な言葉を告げた彼女を、二年間でも同じ屋根の下で暮らした家族達の死を無意味だと断言する存在を。
「でも、意味はあった」
「は?」
言っている意味がわからない、何をお前は言っているのだ。
「死に意味は無かった、でも意味が、あったから死んだんだ。
竜が上空を日常的に飛ぶ環境に棲むと決めた昔の人達と、ゆっくりと衰退しつつある村を手放さず添い遂げようとした人々の気持ちが」
その人々の気持ちが、自分達を殺すに足りえるとでも?
村を愛する気持ちが村人を殺す、その理屈は人々の気持ちを蔑ろにしている。
渦巻く魔力が手に集まる、何をしようとしているかはわからない、考えようとはしない。
"その時が来るまでに、お前達もどうするか考えておきなよ"
魔力がなんらかの形になる前に、誰かの言っていた言葉を思い出す。
大人達は皆、村人の少なくなった村でどうするか考えていたのだろう。
その中には、僕には到底考えもしないような決意と、心構えもあったに違いない。
蔑ろにしていたのは、僕だ。
皆の気持ちを勝手に決めて、それを武器に仲間を責め立てて。
理不尽な死を受け入れていた人はほとんどいないだろう。けれど、その可能性を否定して、今生きている仲間と口論する理由には成り得ない。
納得こそできないものの、自己矛盾に気づき少し冷静になれる。
「休憩は終わりにしようか。雪が少ない間に距離を稼ごう」
霧散した魔力を確認し、ルゥが再び歩き続けることを宣言する。
疲れが取れきっていない様子だが、冷静さを失っていたことを自覚した僕には言葉もなく従うほかなかった。
二日目夜。
コウとルゥが体を寄せ合いながら、浅い睡眠をなんとか取っているのを見ながら僕は一人焚き火の管理をする。
今日もまともな食料は取れず、空腹が寒空のもと体に異常を伝える。
体も精神も磨り減り、劣悪な環境下で体調維持に魔力を割いているのか、心が折れかかっているのかはわからないが時間を得て回復する魔力も次第に減ってきている。
遠からず水分を摂取するための魔力や、索敵魔法の行使も回数を減らさなければならないだろう。
前者はともかく、後者はまずい。
現状獣に襲われる可能性がかなり低いため安全面にリソースを割かないのは構わないのだが、もし万が一狩れる範囲に獲物が居た際それに気づけないのはカロリー不足の今もっとも恐れるべきことだ。
木を裂き、水分を飛ばし、焚き火にくべる。
その身を燃やし僕たちに光と温もりを与えるそれは、唯一取れる妥当な策を示しているようでもあった。
二人を見る。
熟睡はできなくとも、なんとか体力を回復させようとしている二人。
彼らはまだ十歳と十二歳だ。
そんな子供がこれほど過酷で辛い目に合い、死と渡り合う世界の理不尽さに怒りを覚える。
愛おしい二人を守れるのなら。
今年で二十八か。少し早い気もするが、それも悪くはないのかもしれない。
遠からず決断する時が来るだろう。
その時にどうか迷わないよう、僕はまだまだ長い夜の中独り、独白を続けるのだった。
- 疑問の二日目 終わり -




