14.あの日
「何も居ないね」
「そんな日もあるさ。アメ、どうする?」
十歳の冬。
食事が寂しいのに堪え切れず、子供三人だけで狩りに出た。
夜になる前には帰る予定だったが、まさかこれほど何もないとは。
「どうしようかな……」
はじめはいつものように魔法で探知し獲物を探していた。
けれどどんな反応があってもすぐに逃げ出してしまい、視認することすら困難だった。
なので昼に休憩を取り、方針を変える事にした。
体から出る魔力を極力押さえ、獣の痕跡を辿り獲物を見つけることに。
足跡の深さから新しいものを見つけ、柔らかいフンを辿り、獣道を掻き分け進み、食事の跡から動物を推測し最適な追跡を試みた。
それでもなお、効率は変わらなかった。
「無理せず帰って食事を我慢するか、無理して狩って寒くてもたくさん食べられるか、無理して何も得られず寒さと餓えに苦しむか」
最後の可能性が現実的にありえる辺り、無理するリスクがリターンに釣り合っていない。帰るのが無難かな。
空を見上げる、曇り空が今にも雪を降らせそうだ。現状で十分寒いのに、これ以上は勘弁して欲しい。
「……あ」
思わず、声が漏れた。
「竜だ……」
コウも呟く。
竜自体見慣れたはずだが、思わず驚くのも無理はない。
今までは遥か彼方に飛んでいる、辛うじて竜とわかる影が見えるだけだった。
でも、今は影ではなく、それが赤い鱗を持った生き物だとわかる程度には近い。
その姿も、すぐに上空を過ぎ去り見えなくなってしまったが。
「あんな姿しているんだ、もっと見てみたい」
「珍しいね、あんな近くを飛んでるって。次はあるかな」
少年の夢が叶うことはあるのだろうか。
十年生きて一度だけ、十年後ぐらいにはあるのかな。
「……」
「どうしたの、黙って」
ルゥの様子がおかしい。
珍しいものが好きな彼女のことだ、竜自体に興味はなくとも近くで見られた希少な経験に何を感じたのか語ってもいいはずだ。
そんなルゥは眉間にしわを寄せ黙り込んでいる。まるで頭痛に耐えるように。
「……二人とも、走って」
- あの日 始まり -
急に抜刀し、両手に短剣を持ちながら姿勢を低くしルゥは走り出す。
慌ててコウとともに置いていかれないよう追走する。
「何か居たの!?」
「竜が居たでしょ」
「あっ……!」
僕の問いかけにルゥは答え、コウが何かに気づく。
僕には理解できない、彼女が何を考え、彼がそれに追いついたのか。
「おかしいとは思っていた」
「だから、何の話!?」
「何故急に動物達が捕まらなくなったのか」
ほとんど全速で走り続ける。
コウや僕はともかく、体力作りをせず使える魔力の少ないルゥにとってこの速度の維持は長くは持たない。
「怯えていたんだよ」
「だから何に!?」
「狩られることに」
普段から狩っているじゃないか。
それが急に、前触れも無く?
……いや、僕達じゃないのか。人間より、もっと恐ろしいもの。
「何故怯えていたのか、何故あんな低空を飛んでいたのか、何故あの方角に向かったのか」
獣が、怯えていた。竜が、飛んでいた。村の方向に、向かっていった。
「だから走って、少しでも可能性を信じるのなら」
竜の標的がそれでないことを。
標的だったとしても間に合うことを。
子供三人が加勢してなんとかなることを。
全力で走った。
二キロほどを、五十メートル走る気持ちで。
毎日早朝に走ってつけた体力と、魔力をありったけ酷使して。
「……伏せて!!」
ルゥが叫ぶ。
何故伏せなければいけないのかを考える前に体が経験を活かし動く、何が起きているか理解できていない時、仲間の声に従う訓練を僕達はしていた。
右手で首を、左手で頭部を、ありったけの魔力で強化し、更に魔力そのものを緩衝材に使う。
ここまで全力を出す理由があった。伏せる直前一瞬だけ見えたから、前方にある木々が次々と薙ぎ倒され吹き飛ぶことを。
一息つく間もなく、身を襲う衝撃。そして一拍置いてやってきた轟音。
僅かな時間でそれは過ぎ去り、現状を確認しようと立ち上がり、そして転んだ。
耳が聞こえなかった。
完全に壊れてはいないものの鼓膜が酷く損傷し、三半規管が狂っているのだろう。
その襲ってくる何かは暴風だと思っていた、けどどうやら爆風らしい。だから音に対する防御はしていなかった、反省しつつも重点的に耳を治す。
目蓋は土で汚れているものの、地面に接していたため眼球は無傷だ。
耳を治しつつ、低い姿勢で辺りを見渡すとルゥとコウも倒れつつ、起き上がろうと試みていた。
……驚いた。ルゥすら想定できなかった事態に、コウが既にほぼ立ち上がれるほどに回復している事実に。背の高い木はほとんど折れて吹き飛び、その中でほぼ無傷な僕達に。
魔法の有無が、ここまで影響するのか……。
「立てる?」
「うん……」
聴覚が回復し、コウに支えられなんとか立ち上がる。
「行く?」
ルゥも近づいてきて、尋ねる。
行ける、ではない。行くのか、だ。
ここでさえこれほどの爆風だったのに、その元であるだろう場所に向かうのか。
「……うん」
でも、そう答えた。
たとえ何があろうとも、たとえ何があったとしても。
折れた木々の中を走る。
火災が発生していた。
燃えている森の中を走る。
既に燃え尽きた木々達がそこにはあった。
木だったものの間を走る。
溶けていた。起伏ある地形は変わり、唯一残っているのは変形した岩だけ。
融解した大地を走る。
村に着いた、着いた、はずだった。
なにもなかった。
なにも、なかった。
けれど、ただ一つだけ存在していた。
"竜"
村の広場だっただろうそこに、それは居た。
体高二メートルほど、頭部と尻尾の先端まで五メートルほどだろうか。
思っていたよりは小さい、けれどトカゲと呼ぶにはあまりにも大きすぎる。
人の胴体よりも太い尻尾に、トカゲにはない翼。全身が甲殻と鱗に包まれ、赤い鉱物のような印象を受ける。
けれどその鉱物はあまりにも傷つきすぎていた。
何か大きなもので引き裂かれたような裂傷に、抉られたような跡。
特に間接部の傷は不可解で、内から外に何かが飛び出したようなよくわからない傷が無数にある。
血液が流れていないのも不思議だ、傷は確かにあるのに最低限は既に塞がれ出血を防いでいる。
竜は既にこちらを認識している。
いや、視認できる前から竜はこちらに気づいていた。
気づいていながら、迎撃の準備をせず、今もこうして黙りこちらを見つめている。
自身の力に対する圧倒的自信。
何があろうと、負ける気はないという意思。
――気に入らない。
「……村、ここだよね」
「うん」
コウの疑問にルゥが答える。
竜が立つ場所にはクレーターが存在し、その周辺には何もない地面が存在するだけだ。
あぁ、殺したんだ、コイツが。村ごと、村人を。
不器用で、頼もしくも優しかった父親を。
気さくで、気兼ねせず接することのできた母親を。
軽薄そうに見えるが、誰よりも人の心を理解していたウォルフを。
その夫を一歩後ろから支え続けたコロネを。
何を考えているかわからない不思議な男の表情を思い出す。
話すことが好きでたまらなく、人の心に敏感だった女性を思い出す。
愛嬌のある顔で笑い、誰とも上手く接することのできた男を思い出す。
愛する人を失ってなお、笑うことのできた人を思い出す。
――腹が立つ。
《お前さえ》
「やめて、アメ」
ルゥが何かを言っている。
竜が威嚇するように吼え、翼を広げる。
土の槍を作り上げる。
全身からこみ上げる何かをそこに注ぎ込み、あの大きな鳥を殺したものより何倍も鋭利で強固なものを。
《いなければ!》
槍が飛び、竜に当たる。
無防備なその姿に傷は一つも、つかない。
《もっと》
竜がもう一度吼える。
《もっともっともっと!!》
怒りを魔力に。
憎しみを魔力に。
悲しみを魔力に。
そうじゃないと、あいつをころせない。
槍を展開すると同時に、竜が大きく開けた口内に炎の渦が溜まる。
炎には、水だ。
消さないと、炎は。
冬の乾いた空気から、更に乾いた空気から大地から、ありったけの水分を集め水球を作る。
そして火が吐き出される前に、口めがけ撃つ。
少し遅れ竜の口から火球が吐き出される。
普段扱うそれとは二回りも大きさと圧力が違う水球は、放たれた火球を飲み込み、そして、内から食われた。
確かに一度火はほぼ消えかかった、にもかかわらず元のサイズと変わらないそれは水球を霧散させ、僕の方へ向かってくる。
反応できなかった、水が勝つと確信していたから。
でも見えてはいた、コウが盾になるよう僕の前に出たことを。
そして火球が彼に触れる前に、二人を押し倒すように飛び込んできたルゥを。
三人が地面に着く前に、火球がその場を通り過ぎる。
「逃げるよ。もう十分でしょ、どうやっても無理」
「……十分?みんなみんな死んで?もっと頑張ればきっとできるよ?三人でやれば必ずできるよ?」
まだ僕は全力じゃない、体に溢れる怒りが魔力を無尽蔵に生み出してくれる。
それはコウやルゥだって同じなはずだ、二人ともまだ加勢していない。
三人でやれば必ず勝てる、傷ついて、それでなお油断し今も攻撃して来ない竜に絶対勝てる。
「そう」
衝撃が走る。
ルゥの肘が胸にめり込んでいた。
仰向けに押し倒されたまま、胸が地面と触れ合うんじゃないかと錯覚するほどに強く。
視界が揺らぐ。気管か肺が潰れたのか、痛みで意識が飛ぶのか、血液が流れていなくて心臓が潰れたのか。
「コウは殴る必要ある?」
力の入らない僕を抱えながら、ルゥが問う。
「……走るぐらいはできるよ」
「竜の反対に向かってね、それならいいよ」
「うん、わかってる」
二人が走り出す。
僕には抵抗できなかった。
ただ意識を保つのと、村を消した竜を目に焼き付けるので精一杯で。
竜は逃げる僕達に追撃する様子はなく、翼も閉じただ走る様子を眺めていた。
- あの日 終わり -




