139.唇に指を当て
「アメって、あの? アメ? あのアメアメ??」
エターナーが落ち着いた頃、空気を読んでか、僕達のやり取りがどういうものかを推理していたのか、黙っていたユズがゲシュタルト崩壊を起こしたように僕の名前を連呼した。
「あのか、これ、かは知りませんが、とりあえずアメです、僕は、はい」
一人称か、口調か、それともヒカリと僕の立ち位置から何かを察したのか。
何にせよユズが納得した様子を見せたところで僕は人差し指を自分の唇に当てる。
生まれ変わりなんてものはあまり大々的に行いたくない。あくまで匂わし、それを感じ取った人が察する程度に済ましたく、効率よくことを進めるために旧友と顔を合わせるなんて僕達の、僕の倫理から外れた行為の自分で仕方ないと思える程度の妥協点がそこだった。
「ならみんなで飲むしかないね、アレを」
唇に当てた人差し指の意味をユズとエターナーが理解したところで、宿の店員はそう言って裏から白い液体の入ったコップを器用にも四つ同時に持ってきて、カウンター席ではなくテーブル席に僕達を誘導した。
「美味しい。それに懐かしい」
ティールを最後に飲んだのはこの体で初めて人を殺めた後だったか。
嬉しいことがあっても悲しいことがあってもティールの甘さで。
ユズの言葉が思い出す。そしてそれを教えてくれた人が今目の前に居る。
「……ヒカリは、どう?」
「うん、懐かしくて、とても嬉しい……」
そう感じることを酷く安心したように受け止め、ようやくハッキリとした瞳を宿したヒカリから目を逸らす。
「アメは、アメアメでしょ? そっちのヒカリって子は? 普通の子?」
「いえ、そうでもないです……その、半分ぐらいあの男の子。それ以上は……」
僕は再び指を唇へ持っていくと、ユズとエターナーは何が面白いのか僅かに笑みを零し、視線を注がれているヒカリを見たら僕と同じように指を立てていた。
振り向くとエターナーも真似をして、ユズなんて軽くウインクを付けて唇に当てていた指を離す。
「それで実際何があったのですか?」
「多分皆さんが思っている通りだと思うのですが……」
そう言って両者の認識を擦り合わせる。
ヒカリが予想していたようにエターナーは全ての真相に至り、こうして宿"雛鳥の巣"に過去を懐かしむように入り浸ることになっていたようだ。
「ごめんね。あの時唯一顔を合わせられた私が止めることができていたら、何か少しでも変えられたかも知れないのに」
そう憂いを見せた様子でユズが語るのはルゥが死んだ後コウと二人鉢合わせてしまったことだろうか。
「いえ、仕方の無かったことです。子供二人は自業自得で、街中で誰かと会うことすら奇跡みたいなもので。そこから全てを察してどうにかできるなど思ってもいません。
それどころか申し訳無いと思うのは子供達の方です。考えもなしに動いて、感傷的に自暴自棄になって。今思い返しても恥ずかし……いと生きていたら思っていたんじゃないですかね?」
取ってつけたような他人の感情を代弁する言葉に皆はクスクスと笑う。
「そうして分析できるようなら、もう私から言うことは何もないかな。ただ傷ついたみんなの頭を撫でたり、抱きしめるぐらいはしてあげたかった。何も結果が変わらなくても、ね」
そう言って手を伸ばしてくるユズ。
頭には身を乗り出さなければ決して届かないそれを、僕は対等な立場を示すためにも握り締めた。
指と指が絡み合い、僅かな時間そうした後に優しい空間を作りながら離れていく二本の腕。僕達にはそれだけで十分、十分過ぎるほどだった。
「ユズさんはどうしていたんですか?」
「どうしていた、ね。ベルガさんから宿を譲ってもらってさ、今この宿の主は私、ぐらいかな?」
「……? ベルガさんが宿を?」
僕が知る限りベルガとユズの関係は宿の主とその店員。それに限られていた。
建物一つ、それも歴史が刻まれた宿となれば価値は高く、現役を退くにしても手に渡るのは普通に考えると親族の人間だろう。
「ん、知らなかった? ベルガさん夫と息子が居たんだけどさ、ずっと、そうずっと前に冒険者として亡くなっていてね、特に近しい親族も居なかったから長く雇っていた私に宿を譲ってくれたの」
「そう、だったんだ」
ずっとずっと。
それが指す時間は僕達がここで過ごしていた時間よりもきっと前の話。
冒険者向けの宿、それも女性や子供客、文字が読めない人間相手に覚えやすいようシンプルな雛鳥の居る鳥の巣を書いた看板を掲げて今はもう帰ってこない夫と子供を待っていたのか。いや、帰ってこなかったからこそ、こうして帰ってくることのできる場所を作り上げたのかもしれない。
「ベルガさん今もまだ元気にしてるけどさ、少し呆けてるところがあったりお喋りな所があるから顔を合わせないようにしたほうがいいかもね」
「はい」
今度はユズから唇に指を当てられ、僕は微笑みながらその助言を聞き遂げた。
「私はこんぐらいかなー。ベルガさんがしっかり基礎を作ってくれていたり、ずっとここで働いているから問題もないしね。あの人の想いもしっかり引き継げていると想うし」
そう言ってユズは店内を見渡す。雛鳥の巣、その特有の温かい感覚は今もまだ残っていた。
女性や子供の冒険者が過ごしやすいような第二の家といった感覚、それに僕が積み上げていた希少な本も丁寧に保管されている。
ラインナップが以前と違っているだろう事を見るに、僕が居なくなってもエターナーが定期的に交換でもしていたのだろう。
「何もないわけじゃないでしょう。そろそろ良いパートナーを見つけたらどうですか? 昔から恋人を作っては別れ、その後の自棄酒に付き合っていた日々を私は忘れていませんよ?」
話題をユズから移す、そのような流れになった途端すかさずエターナーは話題を強引に捻じ込んだ。それも不発弾のような酷いものを。
「それは! あの男共が悪いのよ!」
「え、どういった問題があったのですか?」
「いや、付き合うじゃない? 性格がいい、容姿がいい、こういった部分が得意で素敵。でもさ、一緒に宿を支えられるか、子供を育てられるか。そう考えたら急に冷めちゃうんだよね、あぁこの人は違うんだなって」
あまりにも真剣に、乙女チックな発言をするいい年をした女性に僕とヒカリは息を堪えられずクフッと吹き出す。
初対面の時は大体十六歳。そこから僕が死ぬまで二年、胎児の時大体一年。それから生まれて十年となると二十九?
見た感じ二十代前半の美しさに若々しさをまだまだ秘めているが、実年齢を考えるとその発言はあまりにも酷すぎて……実年齢? 僕の年齢は? よし考えるのをやめよう!
「一緒に宿を経営できる。そんな男の人をユズが絶対的に判断できたとしても、確率的に出会える可能性は低いんじゃないかな? 普通に付き合えるなら妥協って言ったら悪いけど、そういった人達で落ち着いても良かったと思う」
ヒカリが僕にだけ見せる所謂"コウ言葉"でユズに助言する。
信頼されるためにわざと意識しているのか、それとも旧友に接することを考えたら自然に出てきたものか。
……何にせよそのような様子に僕は酷く安心感を覚えた。
「居たよ居たんだよ!? ほら、コウ君とかジェイドは確かに将来を見据えてもよろしくやれるかなーって思ったんだけど、コウ君はアメちゃんがツバ付けてたし、ジェイドは妹以外見えていなかったし……」
付けてない付けてない。
ただコウやジェイド相手にそういった家庭的な安心感を覚えるのは心から同意する。
僕の知っている男性でも他にそのような感覚を抱ける相手は少ないのだ。ユリアンやアレンは既に家庭を持った過去があるためにイメージが難しく、一番肉体年齢が近く親しいシュバルツはそのような安心感があまりない。
「まぁもうユズさんはいいです」
「なに!? いいって!? 扱い酷すぎない!?」
このままでは誰も幸せになれない話題を打ち切り視線をエターナーに移す。
心なしか僕とヒカリの間にスペースが空いた気がするし。
「エターナーさんは……」
「はい」
「……何歳なんですか?」
エターナーの生活など容易に想像できる。今までどおり案内所に通って、本に溺れるような生活を続け、たまにこうしてここに訪れたり。というかそれ以上に、まるで変わっていない姿がやばい。
初対面から別れるまで二年間。僕が死んで十一年。二年間は結構傍にいたので変化には気づかなくても仕方ないと思っていたが、流石に計十三年ともなれば隣に並んでいるユズと比べ尚更変化していなければどうかしているレベル。
「んー」
僕の言葉にエターナーは返答の言葉を考える素振りを見せながら、ユズ含め気になっている年齢が口から出るのを心待ちにしている僕達を見渡し……あ、あの視線知ってる。人の反応見て楽しんでるやつだ。
「女性の年齢は秘密です」
そう言ってエターナーはユズと比べ少し下手なウインクをして唇に人差し指を当てた。
あれをされてしまえば僕達は何も言えなくなる。少なくとも現状そうして甘えている今は。
「でもエターナーさん結構変わったじゃないですか。ここで誰かに本を使って文字を教えていたり、案内所で危なそうな人に注意したりしていますよね」
「へぇ」
それには思わず素直にヒカリと共に溜息を漏らした。
エターナーといえば無愛想な印象。決して自分から他者へと関わろうとせず……まぁ僕達といった例外こそあるものの、なんというか人を寄せ付けないオーラに、自分から誰かに寄らないイメージがあった。
それを自分から破っているとなれば、単純に成長と呼べるものではないのだろうか? ただその成長が、僕達のような過ち、喪失を繰り返したくないというものからであれば、個人的には酷く複雑な感情を抱かざるを得ないのだが。
「……まぁ少し、ですよ。それに声をかけても半分の人はもう二度と見えなくなりますし」
どこか照れた様子にぽつりと漏らす。
人柄を知らない人から見れば怒っているようにも見えるが、ヒカリを見るとどこか微笑ましそうに彼女を見ている辺り多分彼女にも同じように見えているのだろう。
にしても半分、か。
生存率五割。そう考えると中々に絶望的な現状だが、楽観的に見て本来死ぬはずだった人間の半分がその機会だけでも生還を果たせたと考えたらそれは何にも代え難い偉業だと僕は思う。
文字を教えるというのもそう。共に明確な数字や、結果が出ることは少ないだろうが、そうした地道な触れ合いが識字率や生存率を向上させているのだとしたらエターナーが行うようになった行為は賞賛すべきである。
「それよりもお二方はどうして今頃顔を見せるようになったのですか? 何か事情があるように見えますが」
改まった視線を受けて、僕は一度コップを傾けて口を潤わせる。
馴染み深い人間と再会を果たすのならもう少し早い段階でそれを行うことができただろう。
この世界を二度目ならば尚更。八歳もあれば十分自活でき自由に動け、同じ町に居るのであれば親の目を盗んで六歳程度でもここへ来れただろう。
そんなことは皆が知っている。だからこの問いは、僕達がここへ来ることを決めた本質を問われているのと同じだ。
「もう一度試みることにしたんです。竜の討伐を」
怒られるかと思った。その覚悟で口を開いた。
一度死んだにもかかわらずまだ怒りに身を委ね挑むことを諦めないのかと、あれは人が敵うものではないと知ったにもかかわらず。
けれどエターナーもユズも、僕の声を聞いて何も言わなかった。
ただ黙して思考に没頭しているのはわかるが、あまりにも静か過ぎて本当に僕は声を発することができたのかと錯覚してしまうほどだった。こう言おう、そう決めたものを実際に発したものと誤認し、未だ二人は僕が何を言おうとしているのか黙って待っているだけで。
「本気、なのですね」
その沈黙を木製のコップが、木のテーブルとカコンと合わせて破りエターナーは尋ねてくる。
「はい。正気かは自分達でもわかっていませんが」
「少なくともその身が成長する間、お二人はどうするか悩んで、どうすれば具体的に倒せるのかを考えたのですよね」
それに答えたのはコウではなくヒカリだった。
「えぇ。まだすぐに倒せる段階には至っていない。何年も下準備を重ね、様々な人々に助力を乞い、逃げることを視野に入れながらも幾度と交戦し、どちらかが欠けてしまえば遺志を継ぐ誰かがあの西に住まう竜を倒せれば構わない。私達はそう考え、決めたの」
想いを告げるのに最小限の言葉。
きっと聡明なエターナーであれば言葉一つ一つの奥にある真意を汲み取り、正しく理解することができるはずだ。あとは、共感。
「何をすれば良いですか?」
だから、すんなりとエターナーからその言葉が出てきたことに内心踊りそうだった。
悪い反応ではない。けれど期待してはいけない、自分にそう言い聞かせて感情を抑える。
「エターナーさんには情報を」
「情報は期待できませんよ。あれからずっと探し続けて居ますが目ぼしい竜の資料はもう国が管理しているもの以外手が届きそうにありません」
「いえ」
そう僕は彼女を否定する。
「国との連絡係、及び現状手元にある竜に関連する書籍の提供。あとは共に戦闘時の段取りを僕達が想定する場に居合わせて、理論的に可能であるのかを見届ける。これが僕達の望む、エターナーさんに求める全てです」
僕達は真っ先に捨てたのだ。これ以上竜に関連するような情報を手に入れられる可能性を。
炎竜に対する決定的な情報なんて甘えは切り捨てて、もう既に必要な情報は僕達の頭に刻まれていると確信したからこそ、討伐することを可能だと思い話を進めることにした。
「なる、ほど」
そこでエターナーは一度目を閉じて息を大きく吸う。
「私はあなた達を再評価しなければならないようです。多少無茶な道程でも、情熱さえ残っているのであれば私自身竜には思うところがあるので心中も辞さないと決めましたが、そこまで具体的かつ現実的に考えているのであれば……」
目が、開かれた。
とても、優しい視線だった。
「成長、したのですね。どうか私にも手伝わせてください。英雄になんてなるつもりはない、ただの私怨による我が侭を私にも」
「ぴちぴちの十歳ですけどね」
正面から向けられる賞賛を、頬に両手を添えてそうおどけて見せた。
エターナーは乾いた笑いを零してくれたが、ふざけた奥にも揺らがぬものを僕達の間では確かに築けた実感を抱いた。
「私は何をすればいいの?」
「え?」
「え?」
ユズの言葉に思わず疑問で返す。
「ユズさんはそのー。流れ、というか?」
そこでユズは僕を見て、エターナーとヒカリを交互に見て何かを悟る。悟って、しまう。
「もしかして私、エターナーさんがここに居なかったらアメちゃん達と会えてなかった? 同じ町に居るのに無視されて過ごすことになっていた!?」
「えへへ」
流石にそこまでとは思っていないが、現状ここにユズが居るのは正直想定外だ。
こうして面と向かって協力を乞うのは本当に限られた人数だけで、一つの宿の主にできることは何も考えていなかった。
「ユズは、ね」
「うんっ!」
ヒカリの甘い言葉にユズは少女のような声を上げる。
見た目から察する立場が真逆な気がするがあまり気にならないのは僕達だけだろうか。
「こうしてみんなが帰ってきたくなるような宿を守って?」
「うん! ……とでも素直に言うと思ったかこのユズさんが!! 何か頂戴よー、私にでも手伝えること何か一つでもいいから頂戴よ~」
もはや駄々をこねる子供だ。
親にお使いをねだり、それを果たせたら褒められて喜ぶような子供。
少なくとも宿を任せられるような立派な女性には今だけでも見えない。
「まぁせっかくだし何か考えておきます……」
「……思いつくまで絶対に張り付いてやるからな?」
渋々告げたような社交辞令に、ユズは冷ややかな目で確かな決意を見せつつ僕達を見た。
これ、あれだ。宿が暇な時張り付いてくるやつだ。
何も言わなければよかった、もしくは断腸の思いでしっかりと断るべきだった。
- 唇に指を当て 終わり -




