125.馬に蹴られて生まれ変わる?
「新人使用人のアメです。これからよろしくお願いします」
僕は例の強気なメイドと、それに従っていた気の弱そうなメイドに深く頭を下げてそう挨拶をした。
必要な時間視線を下げ、再び上げた視界に入ってきたのは非常に機嫌の悪そうな表情だけ。
……ふむ。これは何もしないほうが、不満が少なく済んだのではないだろうか。
「――いったい、どういうっ」
「二人共、名前を」
先輩に位置するシュバルツの手前、抑えようとはしたのだろうがそれでも溢れ出たそれを、彼はその一言で制止する。
「……クローディア」
「シャ、シャルラハローテ、です」
長い。
クロとシロで良いだろう。
「今日より時間の空いているときだけではあるが、このアメが使用人の一人としてこの屋敷で働くことになった。
客人という立場が消えたわけではないが、使用人である時間はクローディア、シャルラハローテ両名の部下として就けることになった。
特殊な立場ゆえ扱いにくく、思うところもあるだろうが二人にはそろそろ誰かに仕事を教える責任を自覚してもらいたい。
事情を考慮し二名で教育することになるが、されど誰かに物を教える行為の大切さをよく理解してもらいたいのが私や、リーン家の思いだ。以上」
話すことは全て伝えたと、僕に一度だけ視線を向けたシュバルツに瞳を動かすことだけで答え、彼の姿が見えなくなるまで離れた段階でようやくクロは口を開く。
「……なんでそんな格好なのよ」
指しているのは僕の露出の多いメイド服だろう。
膝にスカートはかからないほど短く切り揃え、肩や大きく露出し袖は脇を見せながらも辛うじて外れない様に固定している。
対してクロとシロ二人の服は普通にロングスカートで、当然肩や脇に穴など空いているわけもない。
「こちらのほうが動きやすいので」
色々と複雑な感情を抱き、ようやく口に出たのが目に映るわかりやすいものな辺り子供らしいと思ったが、それを口にすれば更に反感を買うのはわかっていたので、僕は今部下と上司という立場をしっかりと自覚して最低限の返答を返す。
「あんな事言われた後に、こうしてあたし達と同じメイドの真似をするなんて当て付けのつもり?」
僕はこういう時なんと答えればいいのだろう。
違うと正しく否定しても、それは嫌味にしか聞こえず。
そうだと彼女が思った意見に賛同するよう働きかけても、当の本人がそのような反応をしても火に油を注ぐだけで。
無言など論外だ。慣れ親しんだ間柄なら物を言わずとも伝わるものもあるが、今こうした関係で言葉を伝えるという行為は、相手に何らかの反応を求めてのことだ。それが正か負の感情かはさて置いて。
「それは僕が決めることではないので」
手を腰の前で重ね、視線を僅かに下げて自身の立場を主張しても、僕の視界の端に映るのは物言わぬ少女の拳が強く握られていることだけで。
「全く上も上よ。人に物を教える責任? それが大切だと思うのなら、あたし達が初めて仕事を教える人間にこんな相手を寄越さないで欲しいわ」
「うん、そう思う……」
ようやく口を開いたシロの言葉を聞きながら、僕は独り言のように呟かれたそれを黙って聞き受けた。
- 馬に蹴られて生まれ変わる? 始まり -
「お疲れ、アメ」
「うん」
午前に仕事が終わり昼食を終えて、僕はいつもの服装に着替えてヒカリの自室へ向かう。
おそらく僕が使用人の仕事をしている間、ヒカリも貴族という立場の仕事を終わらせていたのだろう。
珍しく執事モードのシュバルツが、資料を睨まずヒカリの後ろに控えている今をなんか珍しいなと思った。
「どうだった? 仕事」
「普通。掃除とか洗濯とかして、少しだけやり方や勝手がわからないことがあって会話らしい会話はそれきり。
本人達も言っていたけど立場とか、僕が最低限をできることを考えたら、人の上に立つ責任を感じさせるためには別の誰かを与えた方が良さそう」
「……うん、その意見は凄く参考になるんだけどさ、関係改善を目的の一つに掲げていたよね。そっちの方はどうだったのかなって」
僕はヒカリの言葉に今日一日を振り返り、クッションに身を任せるまでの時間だけ何を伝えるべきかをまとめる。
「全然? 頑張って気に障らないようには気をつけたけど、多分何もしなかったほうが不満は少なかったかなって思うほど二人がこっちを見る目が酷かった。
何かハプニングでもあって、僕が活躍して一気に評価を改められるのなら少しは何か違うのだけれど」
「それは無理だろう」
シュバルツの意見に僕は頷いて同意する。
何かハプニングがあるということはあの二人や、別の使用人のミスを僕が拭うことが前提。
誰かの失敗を望み、挙句それを補助するのが新入りである気に入らない僕であるのならそれは望まれない流れだ。
もしくは別の方向。
たとえば屋敷が襲撃されるとか、僕の武力を求められる際は今度は私兵の警備不足が問題に上がる。
何にせよ都合のいい全てを解決する魔法杖のようなハプニングは期待しない方が健全だ。
どちらにせよ初日。時間は僅かで、その間何かが起きる可能性なんて皆無に等しい。
「うん。だからこれからも地道に仕事をしていって、それでもまるで改善される余地無くどうしても無理って言うのなら、さっさとメイドなんて辞めて逃げ出した方がお互いのためだと僕は思っている」
「ふーん……アメ、本当に変わったね。いろいろ考えて動いているし、意固地になって非効率的な手段を感情に任せて取ることもないし」
感心したように息を漏らすヒカリに僕は口を開く。
「アメらしくない、裏切られた、そう思う?」
「ううん、これもアメなんだなぁって」
「僕もだよ。今のところヒカリがコウとは違うことに幻滅なんてしていないから」
コウとヒカリは違う存在。
わかっている、わかっているつもり、なのだろうか。
胸に抱くのは彼と同じ記憶を、僕と共有できる思い出を持った存在。決してコウ自身ではない。
そう思っているのに僕の胸に長い間空いてた隙間が、しっかり隙間無く埋まっているような感覚がするのは錯覚か、それともコウに対しての裏切りか。似たような存在であれば、僕の悲しみや寂しさを埋めてくれる。コウじゃなくても良い、そんな疑念。
どこまでが正しく僕の感情で、どこまでが人として真っ当なものなのか。多分これも、今与えられている時間で解決するべき問題の一つなのだろう。
「家事は普段からやっていたのか?」
シュバルツの問いが、僕の能力の起因を指していることを知り適切な返答を返す。
「奴隷時代に他の子供たちと一緒に習ったり、あとは必要かもしれなかったからアレンさんから教わったり。
髪が黒かった頃はヒカリから聞いていると思うけどコウにほとんど任せてた」
「前世は?」
繋げる言葉に僕は一瞬言葉を選び、慎重に発言をする。
「……最低限はできていたけど、基本的には親に頼りっきりだったかな。たまに手伝うぐらい」
「十八まで生きていたんだっけ。想像のつかない世界だね」
この世界で十八ともなれば立派な大人だ。成人である十五を過ぎ、自活をした上で親として子を育てることも珍しくない。
ヒカリの何気ないかもしれない相槌に、僕は一旦しっかりと口を閉ざし言うべきことを言うことにした。
「ごめん、これ以上詳しいことは言いたくない」
僕の言葉に二人は自責するように、優しくこちらを見て頷いた。
僕はこの世界に馴染みたい。
他の人とは決して相容れることのできぬ存在だけれど、別の世界の知識や記憶を僕の身の回りならまだしも世界に刻むような動きをしてほしくない。
本来そうであるもののままに、僕という存在が綺麗なものを穢してしまわないように。
転生という事実すら僕はこの世界にとって醜いものだと認識している。
故に僕は、僕とヒカリはそれを最低限の人々にしか話すことはない。
信頼の置ける人物と立場であるヒカリ、ユリアン、カナリアに、どうしても生活していく上で避けようのないシュバルツ。
皆が皆、僕達の意思を汲み取り二度目の生である事実を伏せ、能動的に利用悪用することを避けてくれている。
その中でも僕が三度目、それも別の世界からやってきたことはタブー中のタブー。これはユリアンやカナリアすら知らない事実。
日常で何気なく使ってしまう知識はまだしも、自然科学歴史、そういった情報をばら撒いてしまえば真っ先に耳へ入れてしまうだろうヒカリは貴族という立場からこの国、延いては世界に影響を及ぼしかねない。
生きていく上で自然に表へ出してしまうもの、成すべきことのために必要なものすら避けるつもりはないが、こうして避けられる情報の露呈は避けたいというのが僕の思いだった。
「生前は男だったんだよな?」
「……うん」
慎重に言葉を選び、ギリギリのラインを尋ねてくるシュバルツの発言に僕も慎重に対応する。
まだ同じような会話を継続する意図も読めなければ、親しみやすいとは思うもののヒカリがやたら肩入れするこの人物に僕が無条件で信頼を置いているかというのも否だ。
「性差はどう感じた? やはり戸惑うものなのか?」
「あ、それ私も気になる。問題ない場所だけでいいから、アメが感じたこと教えてくれたら嬉しいな」
好奇心のみを宿した瞳のシュバルツに、同様に慎重さを取り払い似た視線で尋ねてくるヒカリに僕は肩の力を抜く。
「どうもこうも、ヒカリと同じだよ?」
これも聞いている内に入っている筈だと僕は軽く溜息をつきながら言葉を吐き出す。
「私のは少し違うからね。あくまで女の子のヒカリに、男の子だったコウの記憶が後から流れてきただけだから。アメは三つの生、意識が連続して続いているんでしょう?」
「ん……」
まぁ言われてみればそうだった。
一度目の死から二度目の生にはその後と比べて若干の断絶した空間が存在するが、決して僕以外の人間の人生は割り込んでいない。
ぶっちゃけ母親と認識するまでは他人の女性から授乳していた複雑な心境や、男と女であるものとないもの、それを比較してしまう生活面の下世話な感想しか浮かんで……あぁ、そうか。二人の瞳に浮かんでいるのはそういった下世話な感情だ。戸惑う現実や、感情を知りたい。言ってしまえば知的かつ性的好奇心を満たす対象として、希少な存在である僕を舐め回したいだけなのだ。
「えっちな二人に僕から話すことは何もありません――っ!!」
「えー、酷いよアメ。ちょっと自意識過剰なんじゃない?」
僕が目の前で手をクロスさせ、否定の意を示すと即座にヒカリが反論してくる。
その頬は少し空気を含ませわざと膨らませており、男性から見たぱっと見の印象は可愛らしく映るのだろうと実感する。
僕としては殴りたい。
「下心などないぞ。あるのは純粋で些末な疑問だけだ」
腕を組みあくまでそう宣言するのはシュバルツ。
意識としてあったのか、あるいは無意識下にあったそれを指摘され否定したかったのか、真実と共に自分を覆い隠し身を守ろうと腕を組んでいる様子を見る。
殴りたい。主と共に顔面に拳をめり込ませたい。
「これ以上この話題を続けるようなら、午後の時間を僕は別の場所で過ごそうと思う」
そう宣言した想いが確かなものだと確認したヒカリは、シュバルツと視線を合わせ肩を少し竦めて見せると仕方ないから、といった具合で別の話題に切り替えることにしたようだ。
- 馬に蹴られて生まれ変わる? 終わり -




