11.煌く光は少女には眩しい
冬が終わり、春が来た。
雪解け水が大地を潤し、植物達は雨の中、暖かい季節に身を躍らせながら芽吹く喜びをその身で表していた。
そんな中、僕とコウはひたすら体作りに励んでいた。
早朝に筋トレと、走りこみ。
朝ご飯を食べ、狩りや村の仕事の手伝いをし、昼からは魔法関連を重点的にトレーニング。
小さい時に筋肉をつけると身長が伸びない?
魔法で肉体強化できるから筋トレはいらない?
身長より命が大切だ。
基礎筋力が増え、肉体強化に使う魔力が減れば他に魔力を回せ余裕が生まれる。
初めて狼と渡り合った時に痛感した。
体当たりを無理なく避けれたら、体勢を崩した後抵抗できる力があれば、あれほど命を危険に曝す必要は無かったかもしれない。
流石に早朝からコウには付き合わせるつもりは無かったのだが、気づいたら一緒にやっていることが当たり前になっていた。まぁいつものことだ。
ルゥは基本的にベッドでまだ寝ているが、たまに木陰でぼんやり様子を見ている。
一応参加しないのかと聞いてみたが、わたしには必要ないとのことだった。
現状で十分だから努力する必要が無い、そういう発言かと思ったがそうでもないらしい。
出会って半年ほど経ったが彼女の体は未だに貧相だ、多少少食気味とはいえ同じ食生活でしっかり運動しているにも関わらず、筋肉どころか脂肪すらほとんど増えていない辺りそういう体質なんだろう。
そんなルゥがある日、ランニングしている僕達に言った。
「魔法の練習はしないの?」
午後にやっているじゃないか、思わずそう言いそうになり考える。
彼女は時折過程を端折り会話をする、僕とコウが行う過程を互いに把握している前提で話している会話とは違う。
"考えろ"意図的に減らした言葉でそう伝えてくる。
上から見下ろされているようで腹が立つが、彼女がこのようなやり取りをするのは僕が十分に考えてこなかった末の発言だ、なんとか怒りを抑えて思考する。
魔法の練習、午後によくやっている。それをもっと重点的に、気合を入れてやれ的な意味だろうか。
いや、話しかけてきたタイミングも考えるべきだ。
日常や筋トレをしている時じゃなく、あえてランニングしている時に問いかけたその意味。
やはり体力作っている暇があれば魔法を鍛えろということなのか?
いや、違う気がする。ルゥなら魔法を教えている時に理論的にそれを告げるはずだ、こんな感情的な伝え方はしないと思う。
……考えが何か不味い場所に嵌まって、ぐるぐると回っている気がする。
コウを見る。
俺が答えてもいいの?と首を傾げてくる。
黙って頷く、僕じゃまともに答えられないだろう。
「走りながら、魔法を使う練習を……ってことだよね?」
「うん」
あっさり頷く。その表情にはいつもの厭らしい"嗤い"は浮かんでいない。
初めの問いを思い出す、その時の表情も嗤ってはおらず、むしろ呆けていたように思える。
……邪推しすぎたか。単純に疑問だったのだろう、彼女は。
「いつでも立ち止まって魔法使えるわけじゃないし」
もっともだ。
肉体を強化しながら、複数の魔法を使う。それができれば戦闘における選択肢はかなり増える。生存できる確率が増える。
「基礎的なことはいくらでも教えてあげるけど、応用的なことはなるべく自分達で考えるんだよ」
そうじゃなきゃ、わたしが居なくなったとき前に進めなくなるよ。
彼女は寂しそうに笑った、人は容易く死ぬんだと。
想像できない、ルゥが僕より先に死ぬことなど。先に死ぬなら未熟な僕からだろう。
早速走ってみる。
そこから肉体強化。胸から溢れる想いの力が、胴体から手足の指先まで行き渡る。
魔力が神経を過敏にし、筋肉を強化、脂肪を硬化させる。慣れたものだ、能動的に扱う事を無意識に行えるなど。
ここからだ、ここから難しくなってくる。
周辺に魔力を張り巡らし、その糸を束ね手元に引き寄せるような動作。
三本目の腕を使い、水分と水分じゃないものを分け、選んだものだけを水球という形で漂わせる。
漂わせるだけでも手を伸ばし水を持ち続ける程度の感覚が必要だ、そこから増やす。
水球を、それを持つ腕を四本目、五本目と増やす。
六本目、腕を伸ばした時点でそれらが決壊する。集めた水球達が地面に吸い込まれなくなってしまう。
無理だ。
全身の動きに意識を配りながら、四本の腕を増やし水で遊ぶなど。
でも、やらなくちゃいけない。
殺し合いという環境の中で相手の動きを観察し、適切な魔法を選び取りそれを行使する。
欠けてはならないのだ、訓練の中で四本の腕を。
欠けてしまうから、本番で誰かの命が。
守りたいと思ったコウを見る。
隣で並走する彼は水球を四つ維持しながら、炎を一つ燃やして操っていた。
……才能の差に落ち込んでいる場合など無い。
守られるだけではならないのだ、部分的であったとしても守れるようにならなければ。
もう、あんな思いはしたくない。
- 煌く光は少女には眩しい 始まり -
「暑い」
夏。
この辺りはまだまだ涼しいとはいえ、さすがに体を動かしていると汗が止まらない。
ランニングを中断し、ルゥが涼んでいる木陰に倒れこむ。
「水浴びでもする?」
まともにクールダウンすらしない僕を見てルゥが笑う。
「もったいない」
井戸の水とか、魔力とか。
「近くに川あるよ」
初耳だ。
八年、そろそろ九年近く生きてて初めて聞いた。
「片道どれぐらい!?」
「一時間ぐらいかなー」
「行こう、すぐ行こう、今行こう」
家族に外出する旨を伝え、村から出て東側へ向かう。
狩りに慣れてきたこともあり、最近は子供三人だけで外に出ることも多い。
町に向かう辛うじて道だとわかるそれを辿りつつ、途中で道をそれ北の森に入る。しばらくすると水の流れる音が聞こえてきた。
「わぁー」
初めて川というものを見たコウが好奇心を押さえきれず駆け寄り、流れる水面を眺めている。
およそ一時間の道のりを三十分で目的地に着いた、急いだぶん汗をかいた辺り本末転倒な感じが凄いが無視する。
久しぶりに見た川というものは視覚的にも聴覚的にも清涼感を与えてくれ、暑さを忘れるほどだった。
五メートルほどの幅だろうか、そこまで大きくない川に近寄り、コウと共に水面を覗く。
深いところでも腹辺りまでに見える、そんな限られた中でも水の中では生き物達が活き活きと生活していた。
コウはそれをとても楽しそうに、キラキラとした眺めている。
少年にとって未知は喜びそのものだ。
新しいものを見ては笑い、その出会いを楽しむ。
羨ましいと思った。
知っているものが多い僕にとって、未知は恐怖でしかない。僕も子供の頃は、こんな顔で笑っていたのだろうか。
「水には入らないの?」
ルゥも隣に追いつき、そう聞いてくる。
水浴びということは、裸、もしくはそれに近い格好になるのだろう。
未だに水の中を見て目を輝かせているコウを見て思う、まだ性の違いを知識ではなく感覚でしか理解できていない彼には毒な光景かもしれない。
「……足だけでいいかな」
幼い時に味わった異性に対するどきどきと、それに対して何もできないもどかしさを思い出してそう言った。
まだ彼には性の知識はないだろうし、男として目覚めるには多少早い。
辺りを見渡すが、日陰で水に面している場所が少ない。
涼むのに適している場所を探すため、僕達は上流に向かって歩く。もう少し見せてと言うコウを強引に引っ張って。
あとで好きなだけ見せてあげるから少し我慢しろ。
「こことかいいかも」
数分歩き、呟く。
木陰に川が隣しており、水の深さや流れの速さも控えめ。涼むには丁度いいだろう。
「いい?もう行っていい?」
「いいよ、溺れないように気をつけてね」
ルゥがそう言い、僕は掴んでいた手を離す。
コウはやっと解放されたことを喜びながら、水を腰までつけて遊び始めた。
川を見るなんて初めてだろうから、当然泳げるわけが無い。まぁ魔法も使えるし、大事にはならないだろう。
子供の頃、母親との買い物が非常につまらなかったのを思い出す。
そして最後には駄々をこね、それを手を焼いた母親が好きなお菓子を買ってあげると言い、今までの様子が嘘のように僕はお菓子コーナーに走っていく。今のコウはまさに昔の僕そのものだ。
懐かしい。
もうあの頃には戻れず、その時間を共に過ごした家族も男だった自分も死んでしまった。
そのことに悲しむべきか、今新しい生を再び授かり、もう一度駄々をこねていた子供時代を過ごせることを喜ぶべきか複雑な気持ちになる。
涼みに来たんだ、感傷に浸っていてもしょうがない。靴と靴下を脱ぎ、足を水につける。
蒸れた足を水が冷やし、指と指の間を水流が流れくすぐる。
なんと心地の良い事か、エアコンなんていらなかったんだ。
……いや、夏場がんがんに冷えた部屋の中毛布に包まったり、冬にコタツでアイスを食べるのは非常に冒涜的で心地がよかった。できるのならあの感覚はもう一度味わいたい。
「水はいい」
「うん」
どこか川ではない、遠いところを眺めているルゥが呟き、それに同意する。
彼女が何を考えてその言葉を発したのかはわからないが、こんな心地よさを与えてくれる水は恵みそのものだ。
「川の中にさ、大きな岩が落ちたらどうなると思う?」
「どう、って。岩の大きさにもよるけど、水をせき止めたり、川の流れが少し変わったりとか。
あとは、うん。時間が経てば岩は水流で削られ、水底に転がっている石ころ達と同じ大きさになるんじゃないかな」
「まぁそうだよね、完璧な答えだよ。初めて川を見た少女にしては完璧すぎるほどに」
視線が交わ……らない。
彼女は僕と見つめ合っている筈なのに、瞳ではなく更にその奥を見ている気がした。イレギュラーな存在、一度死んだ男を見ている。
閉口する。ここまで核心を突くような発言は今までなかった。
核心をぎりぎりのところで逸らして、それで遊ぶようなやり取りは数え切れないほどあったけれど、今回は何かが違う。
意図が読めない、それがわからない限り下手には動けない。
黙る僕を見ながら彼女は続ける。
「それはいいんだ、別に。岩がどうやって産まれたかなんて、わたしが知りたいのは岩が川に入った理由」
岩は、僕か?
「……岩に意図なんてないよ。偶然川に落ちてしまっただけ、もしくは誰かに投げ入れられたか」
事実だ。
僕は死んで、生まれるまでの間、何も覚えていない。何かあったとしても少なくとも記憶は抜け落ちている。
「そっか。でも不思議だね、岩は何もしない。本当は水を塞き止めるほどの大きさだってあるのに、川の隅っこで流れの邪魔にならないように佇んでいる」
ルゥは手ごろな位置にあった石ころを手に取り、水面に投げ入れた。
石は僕と違い動けない、水の中に消えて見えなくなった。
八年、この世界で八年生きてきた。
生前の知識を使い、村での生活を豊かにすることはできただろう。
やろうと思えば村を出て町に行き、それこそ歴史に残るような何かを生み出し、富や名誉を手に入れることだってできたはずだ。
だけど、やらなかった。
何故か? その自問自答でふと思い出したのは絵本に描かれていた昔話。
行き過ぎた文明が争いをもたらし、世界を滅ぼそうとする御伽噺。
御伽噺は、僕自身だ。僕の、あったはずの可能性だ。
「怖いんだよ、川の中心で水に体を削られることが」
怖い、ただそれだけだった。
家族や村のみんなに、異質な存在として怯えられることが。
歳相応の無知さを演じ、それでも隠しきれなかった部分を賢い子だと褒められる。
……運がよかっただけだ。人の流れが無い閉鎖的な村で、ルゥのような外からの人間を受け入れられる寛容力のある人々が集まっていたからだ。
"普通じゃないね"一歩間違えばこう言われていただろう。
それが肯定的であれ、否定的な意味であれ、僕はそう言われるのが怖かった。
生前で十分思い知っている。優れた部分は妬みの的になり、劣っていたり異質であれば遊びのおもちゃにされ。
そんなのは嫌だった。だから僕は中立を保って生きてきた。
的に向かって石を投げる人々の間に立ちながら石を投げるフリをして、遊ばれるおもちゃを見てみぬフリをし、傷ついたおもちゃを誰も見ていない間に直し罪悪感を和らげていた。
間違っている、そうは言えなかった。だってその人達は大勢で、間違っていてもそれはきっと正しいことなのだから。
的やおもちゃになるのは嫌だった。痛いのは嫌だから、間違っている正しさを主張するのに利用されるのは気に食わなかったから。
少しの間恋人だった、少女の言葉を思い出す。
「君って中途半端なんだよ、今が苦しいってわかっているのに結局どっちつかず。死んでもなおらないかもね」
別れ際、彼女はそう言っていた。
彼女はとても真っ直ぐで、強い人だった。
間違っていることは間違っているといえる勇気があり、それを認めさせる強さを持っていた。
だから好きになった、いつか彼女のようになりたいなと。
彼女はとても真っ直ぐで、強い人だった。そして完璧主義者でもあった。
一向に自分の隣に並ぶ勇気も強さも手に入れれない男を見て、呆れて去って行った。男には彼女を引き止める言葉もなかった。
「怖い、か。まぁそれもいいよね」
ルゥは続ける。
「わたしはもし自分が岩だったら、水のふりをするね」
「その水が濁っていたとしても?」
「うん」
彼女は迷わず頷いた。
「どれだけ汚くても、あるがままに流れるそれらはわたしは全部好き。
綺麗な水も、汚い水も、そのどちらにもなれない中途半端な水も」
流れるって、生きるってそういうことだと思うから。
そして思い思いの方法で流れる水を見るのは非常に素敵なこと、らしい。
「でも」
笑っていた彼女の顔が止まる。
静かな怒りが瞳に宿る。
「水を塞き止める存在だけは許せない。
本来あるはずだった流れを、根本的に歪めるそれだけは許容できない」
「もし、岩が水を塞き止めていたり、これから塞き止めようと動いたら?」
「殺す」
断言した、無機物である岩を殺すと。
「何が何でも、どんな手段を使ってでも……どんな相手でも、必ず、殺す」
岩が言う。水のふりをしないどころか、その水を、世界のあり方を大きく変えてしまう岩が存在するなら、それが長年寄り添った岩であったとしても殺すと。
水である演技を捨て、自身が水の流れを多少でも変えてしまっていることも忘れ、どんな手段を使ってでも。
「どうして、そこまで」
「見てごらん、この世界を」
木陰から手を伸ばし、彼女はそれらを示す。
日向にあるそれら。
川を中心に木々は並び、空は青く、水は太陽で煌き。
その中で一人の少年が、水と戯れ遊んでいた。
美しい、世界はこんなにも美しい。
この中に車が走っていたり、飛行機が飛んでいたり、自動販売機が並んでいたら。
きっとそれは間違いだ、この世界にとって相応しくない。
「ね?」
「……うん」
微笑む彼女に同意する。
けれど。
「でも、技術が発展して、自然に世界が変わっていくのだとしたら?」
「それは当然の流れだよ、特異点が与えた結果じゃない。その時が来たらこう言おう」
「なんて?」
「昔はよかったな。ってさ」
「おばあちゃんか!」
二人で笑いあう。
富や名誉よりも大切なものが、世界にはあるかもしれない。
きっとそれは尊く、一度紛い物が混ざってしまえば二度と同じ輝きを取り戻せない宝石達のようなものだ。
穢したくない、けれど、本当に必要な時は。岩同士で殺しあうことすら躊躇わず……。
「アメ、凄いよこれ! 来て来て!!」
コウが太陽のもと手を振って僕を呼ぶ。
素足のまま立ち上がり、慌てて駆け寄ろうとして振り向く。
「ルゥは来ないの?」
僕の上半身は日に照らされ、下半身は木陰に隠れ。
「わたしは、いいよ。歳よりはここでのんびり昼寝をしておくよ」
「……そっか」
フードを目深く被り光を避け、本当に寝ようとしている彼女を日陰から引っ張り出す言葉を僕は持たなかった。
「早く早く!!」
「すぐ行くから!」
もう一度だけ木陰で休む彼女を振り返って見て、僕は太陽の下、コウの場所まで走り出した。影に少女を置き去りにして。
- 煌く光は少女には眩しい 終わり -




