100.自由/無秩序
ここ数日子供達の様子がおかしい。
あの活気のある少年を中心に僕の同居人が共鳴してか、何やら子供達全員にまでその不穏な空気が満ち溢れている。
大人達は気づいている様子がないし、アレンさんは上から押し付けられる仕事が増える時期らしく急がし過ぎて顔を見せることすら難しい日々だ。
「アメさん、起きてください」
「……何?」
もはや確信に近いそれを抱きつつも深夜、同居人に起こされるフリをしながらそう尋ねる。
声をかけられる前から僕は既に意識を浮上させていた。もっともこんな夜中にごそごそやられたら意識せずとも覚醒していただろうが。
「今日アレンさんはここに居ません、玄関の警備も手薄になる時間が確かに存在しています」
「だから、なに」
「――一緒に、ここから逃げましょう」
そうでなければよかったのにと、深く溜息をつきたい気持ちだった。
ここで少女一人を説き伏せても意味がない。同居人一人を拘束しても子供達は今夜脱走を決行するだろうし、大人達へ密告しても再度機会を伺うに違いない。
「……うん、わかった」
ならば僕は今できる最善の行動を選ぼう、僕のための幸福に。
そう思い告げた答えに、同居人は酷く安心したような笑顔を浮かべる。その綺麗な微笑を、滅茶苦茶に壊してしまいたい衝動を抑えるのが大変だった。
「おいっ……! なんでコイツがいるんだよ、コイツはアレンの……!」
脱走決行前の集合地点である食堂に子供全員で集まる。
まぁ同居人の反応から半ば想像していたが、子供達の中では僕だけ置いて行動を起こすつもりだったのだろう。
威勢の良い少年以外の視線も、僕を疎ましく感じているのは日頃の行いというやつか。
「アメさんだって本当は今のままで良いなんて思っていない、私達と同じ気持ちなんだよ」
「――っ! 邪魔だけはするなよ!?」
数ヶ月殴られ続ける日々にも今まで威勢を失わなかった少年のその言葉に、僕は心の底から無言で頷く。
現状維持でいいなんて思っちゃいなかった、それは本当だ。たとえどれだけ今の時間が心地よくとも人は歩みを止めてはいけない。
「よしっ……ここまでは順調だな、あとは西から町を出て北を目指す。ローレンにさえ辿り着ければ組織の手なんて届かないはずだ」
僕はその言葉を聞きながら玄関の扉を後ろ手で静かに閉めた。
不審な動きをしないかと同居人以外から確認されながら、本当に杜撰だった警備に呆れを覚える。今までここまで大規模に発生しなかった故の脱走に対しての意識の低さ。僕達が寝室に居ない事が発覚するのですら何時になることやら。
久しく感じる深夜の空気を歓楽街の喧騒と共に吸い込みながら、近くで魔法の反応が無い事、それを確かめた際子供達がこちらに気づいた様子が無いのを確認し魔力を僅かに使用する。
歓楽街を目立たないように僕も含め総勢六名で走るが、立場を弁えさせるため乞食のようなぼろい服で子供達がこんな時間にここに居れば周りが気づかない理由が無く、怪訝な視線を向けられながらも自由に向かって走り出す行為に酔いしれてか最後尾を走る僕以外それに気づく様子はない。
なんとか裏道を駆使し、運も良かったのか誰にも見咎められることなく町の西へと向かい歓楽街を抜けようとした頃。
丁度酔いつぶれ、家路を辿っていたのか酒の回りきった男性三人組に鉢合わせる。
歓楽街と貧民街の間、それに酔いも回りきり気分の良い複数人ともなれば気も大きくなるというもので。
「よう! 子供達、こんなところでどうしたんだい! もう夜も遅いし、町はすっかり大人達の時間だぜ」
先行し無言で通り過ぎようとした少年が肩を掴まれる。
「放せよ! 今急いでいるんだって!!」
「ほう、一体何を急いでいるんだが。さぁお兄さん達に話してごらん」
ただ話し相手が欲しいのか、それともからかって遊んでいるだけか。
力では勝てないリーダー格の少年が絡まれる様を、他の子供達は怯えたように見ているだけで。
「お前達に話すことなんて何もないやい! どけよおっさん!」
当然話題として僕達の境遇を話すわけにもいかない。
相手が組織の息がかかっていない人間という確証はないし、そもそも奴隷が逃げ出したとなれば持ち主の存在に怯えるか、媚を売るために動くのが道理というもの。
何にせよ得せずして絡んで来た大人達を、僕は都合の良いものだと一歩下がった距離で見ていた。
「おっさんだってよお前。まだ子供も居ないのにそんな歳を取って良いのか」
そう笑顔で煽る仲間に、真っ先に声をかけてきた男性は半ば本気の怒りを見せている。
「るせぇよ……! お前だって女と別れたばかりのくせに何を言っているんだ」
「あ? 今それを引き合いに出すのは少しばかり情というものが足りていないんじゃないか?」
なんか仲間内で喧嘩が勝手に始まりそう、酔っ払いおもしろい。
「まぁまぁ。ほらよく見たら女の子もいるじゃないか、今そんな話題をするのはよろしくないんじゃないか?」
酒が回っていても比較的冷静、いや一歩下がった距離で事を楽しんでいる三人目の男は、同居人ともう一人いる女の子、それに僕を見てからそう言った。
薄暗く着飾ってもいないが、僕はまだしも同居人は月光でも十分映えるか。煽っているのか宥めようとしているのか意図のわからない男の言葉を皮切りに少しだけ場の雰囲気が変わる。
「おぉ! よく見たら可愛い子が居るじゃないか、お前も近くで見てみろよ」
散々煽られていたにも関わらず男性は、煽ってきた仲間を呼んで同居人に近づいていく。
そのビクリと怯え身を竦める様子に、これ以上はよくない流れと判断。
同居人が僕を子供達から唯一無条件で庇ってくれている事実にあわせ、数ヶ月同じ部屋で暮らした日々で少しでも情が無いと言えば嘘になる。
この程度の恩を返しておいても罰は当たらないかと、同居人の肩を引き寄せようとしたその男性の手を僕が掴む。
「あ? なんだお前?」
当然だが自らの行動が意図しない方向へ向かうことを人は善しとしない。
剣呑かつ不穏な空気が更に濃くなった気がするが、流れに呑まれたままで居るつもりなどない。
「先に行ってて、すぐに追いつくから」
僕は同居人ではなく少年にそう告げると、もう一人近づいて来ていた男性の足を軽く払い敵意を見せる。
「何するんだてめぇ!」
転ばされた男性もそうだが、比較的冷静だった男もこれには怒りを覚えたようで、酒で上手く動かない体を反射的にこちらへと伸ばしてくる。
「アメさんっ!」
僕を心配する同居人が、少年に手を引かれこの場から離れるのを確認しつつ男三人の手に掴まらないように立ち回り、子供達の姿が見えなくなった時点で僕は真っ向から対峙する。
「ごめんだけど、こっちには余裕が無いんだよね。普段ならもう少し穏便に済ませるところだけど、今日はそんな暇も無いから――」
- 自由/無秩序 始まり -
――間に合った。やっと追いついたのは西の郊外。
予想通り子供達は獣が寄って来ない畑などがある地帯ギリギリを進んでいたのだろう、そこで男性二人と対峙し膠着状態を作っていた。
「これで最後か」
僕が到着したのを確認した子供達の間に、男性のの言葉で動揺が走る。
目の前に立ち塞がるのはアレンさんとザザ。彼らから逃げるために僕達は夜の町を走り、そして郊外へと出られたはずだ。
けれど明らかに僕達を待っていたように、二人はその場で佇みそう言い放つ言葉に僕は少しだけ頭を下げた。
「知られていないとでも思ったのか?」
何をするまでもない。動かずただ声を発しただけで皆に恐怖が込み上げるのがわかる。
それは長い時間を使って染み付かされた本能と言っても過言ではない。
逆らえば殴られる、気に入らないことをすれば迫害する。そうして教育が行き渡ったところで初めて技術を学ばされ、人格を誤った形に整えられ奴隷という存在へと作り変えられる。
「学校の連中は気づいてなかったのに、どうして……!?」
「さぁ、な。まぁ何にせよ運が悪かったお前達にはまた再教育だ」
少年の言葉にアレンさんは冷静に、そして冷酷に告げる。
普段でさえ血を見るほど殴られるのだ。こうして決定的な一線を超えた今日、僕達はこれからどんな日々を過ごすのかを考えるとそれだけで嫌気が出る。
「はぁ~できれば冗談だとよかったんだけどな。お前達のせいで俺達は上からお説教で、お前らも必要以上教育される。気持ちはわかるんだがね、もう少し頭を使って欲しいもんだよ。ったく、情報の出所を考えてもいい気分じゃねえ」
「黙れザザ。余計なことは言わず、拘束を手伝え」
アレンさんの言葉にザザは返事すらしなかった。やることが当たり前の行為に、確認に言葉など要らないのだろう。
ただその前の言葉は余計だった。ザザの言葉を聞き、ゆっくりと二人が歩み寄ってくる子供達はその二人の存在以外に対し動揺を見せる。
アレンさんはどうして脱走を気づけたのか、そしてその情報の出所はどこだったのか、それについては一切触れなかった。逆にザザは限界まで明言しない程度には口にしていなかった。
誰が裏切り者だ。
ようはそう言う事だ。他の人間は気づけた様子は無く、教師連中には脱走そのものを許すメリットは無く、そしてトップ二人だけが急な対応をして動けた理由。
一番ありえるのは内通者。もとより疑心の種を抱えた人間関係、急ごしらえのチープな計画。それにザザの言葉が火種に子供達はもう誰が裏切っていたのかを見つけるために、あるいはその目的に向かう行為そのものを目的に自分達の抑圧された不満、恐怖を吐き出すためだけに疑心暗鬼を見せ始めていた。その様子はもう一番怪しい人間だけを疑うことすら忘れているようで。
これは、よくない。たとえ教育され、卒業したとしても同様の悲痛な立場の人間を信じることはできたはずだ。でもこのままじゃ誰も信じられなくなる、仲間を仲間と見られなり今後の人生全てを歩むことになる。
「僕だよ、アレンさんに伝えたのは」
一歩下がって居た僕に、驚愕の視線がこちらに向けられる。それはアレンとザザの瞳も例外ではなかった。
こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃなかったさ。
脱走は想定内、こうしてアレンさんが待ち構えるのも想定内、けれど仲間の間で不信感が渦巻くのは想定していなかった。
僕は学校を出る時に残していた。魔法で脱走の事実と目標地点だけを。時間が無い状態で僅かに残せた魔法の痕跡、アレンさんと僕しか知らないそのメッセージを読み解き、なんとか帰宅した直後ザザだけを連れてここまでこれたのか。
見つかってしまえばあとは成り行きに身を任せるだけ。脱走をアレンさんが止め、僕は皆と同様に教育されるつもりだった。
でもこれじゃいけない、人として大切なモノをこのままじゃ失ってしまう。
「お前か、やっぱりお前かアメ。そんなにアレンに気に入られたいか! 俺達を踏み台にしてまで擦り寄りたいのか!!」
子供たちの中から威勢の良い少年が一人こちらへ歩み寄る。
僕はそれを認め、アレンさんを目で制止し少年がこちらへ来るのを待った。
「そうだよ、僕にはアレンさんが必要なんだ。僕は君達とは違う、特別なんだ。特別な人間が、特別じゃない同類だと勘違いしている人間を踏み台にするのが悪いことなのかな」
強調しなければならない。僕はお前達とは違うのだと。
仲間割れが発生したのではない、元々居た例外が、仲間の中にひっそりと混じっていたと認識させなければならない。
最低限でしかない処置。本当ならば子供達の間に仲間を疑うという疑惑の種を発生させずにことを終わらせたかったが、ザザの発言というイレギュラーでその予定も狂ってしまった。
別に彼を恨んでいるわけじゃない。元々彼がこの場に来てしまうかどうかは半々といったところだった、そして彼が居なくともこうして疑心暗鬼になる可能性は十分あった。
脱走を止められない、脱走がばれない、ザザがこの場に来てしまう、不用意な発言をしてしまう、仲間割れが発生する。
僕はその全ての賭けに負けたんだ。その可能性を十分に認知したうえ、またその代償を払う覚悟もあった。
「お前さえ居なければ!!」
頬を打たれる。
全身全霊で、怒りと憎しみを全て込めた拳。
多分少年の年齢や、能力の限界を超えた一撃だったのだろう。そして多分痛かった、でももっと別の場所が痛かったから気にならなかったけれど。
アレンに再び視線をやる。
無防備に殴られた僕を助けようとしてか、ザザが前に出ようとしたのをアレンが手で止めたのを確認し、再び目の前の少年に視線やる。
子供達の中に、僕の同情の視線をやる人間はいなかった。敵意敵意敵意、それでいい。悪者は僕だ、皆の中にはいないんだ――唯一人の例外を除いては。
「お前がいなければ、俺達は自由になってもうつらい思いをしなくてよかったのに!!」
もう一度打たれる。
ずっとこのまま、彼が満足するまでこうしていようと思った。
それなのに心が燻る、長い間静かだった心に炎が舞い始める。
殴られたからじゃない、軽蔑されたからでもない。
言葉が気になった、ただそれだけだ。
「ねぇ」
「何だよ!?」
「どうやって自由になるつもりだったの?」
極度の興奮状態。感情が高ぶり、血の気が上がり息を荒く肩を上下させ、また涙もうっすらと浮かんでいる。
少年の視界はまともなものじゃないだろう、意識も辛うじて保てているだけだと見える。登りきった血の気に今すぐ卒倒してもおかしくはない。
そんな彼に、まともに会話が成立するとは思っていないのに、僕は尋ねる。
「どうやってって、町から逃げれば後はどうとでもなるだろう!?」
「そうだね、町から逃げたら組織の人間は追ってこなかったかもね。でもローレンまででも二週間以上かかる、道中人が多いとはいえ子供を助ける酔狂な人間はいないだろうし、獣は襲ってきたと思うよ」
「お前を除いても俺達は五名も居る。皆が力を合わせればなんとかなったさ! 逃げられればな!!」
「キミ達も同意見?」
興奮状態ながらも一応筋道を通し、会話のできた彼の意見が全員の共通認識だったのか、ただこちらを見ている子供達にも僕は問いかける。
反論は無かった、ただ僕に向ける敵意の視線だけがあった。おそらく同意見なのだろう、そういうことにしよう。
「キミ、僕の二度殴ったよね」
「あぁ、そうされて当然のことをしたからな!」
僕もそう思う。
裏切りは許せない、それがたとえ仲間だと誤認していた人間だったとしても。
だから僕は僕を嫌悪する、殴られて当然のことだとその痛みを受け入れる。
――でも、言葉は許せなかった。
ローレンに行けば自由になれる? 主要都市が三つしかないこの狭い国で? 荒唐無稽な計画を頼りに?
ふざけるな。
「その二度とも、ハウンドの急所に当てても一匹すら殺せないよ」
無造作に、拳を横に振るった。
助走は必要なかった。急所を狙わず足をゆっくりと開き、地面に触れると同時に腰に力を入れて最低限の魔力で少年を殴った。
拳に感覚が伝わる、不意打ちだったのもあってか横に飛んでいく少年の肩の骨を砕く嫌な感触。
「……ぎゃあああっ!!」
少し悲鳴に間があったのは何が起きたのかを理解する時間だったのか、それとも吹き飛んで地面に落ちるまでの時間だったのか。
粉砕された左肩を庇いながら、地面をのた打ち回り、そしてその衝撃に痛みを感じる姿は、とても無様だ。
「……お前、その手に付いている血はなんだ? 今付いたものじゃないよな?」
ザザの声が聞こえるが無視。
少し癖の悪かった酔いどれ共を手早く捌くには、この手に限るという話だけだった。
一応拭ったつもりではあったが、追いつくために急いでいたせいか僅かに残っていたらしい。
「これでも、まだ足りない。当然だよね、子供一人殺せないほどに手加減をしているんだから」
僕が語りかけているはずの子供の耳にはおそらく届いていないだろう。
教師でもここまでの痛みを負わせるなどまずしない、稀に味わう痛みに堪えようとすることで精一杯のはずだ。
そんな少年に僕はゆっくりと歩みながら言葉を発する。彼が聞ける状態ではないのはわかっている、だからこれは会話じゃない、独り言のようなものだ。
「じゃあどうすれば獣を殺せるか、わかるよね? 何度も、何度も何度も! 殴って蹴って、斬り殺すの。キミにはできるかな、何度も肉薄して獣と戦うことって。傷つけるってことは、傷つけられる覚悟が必要。
生きるってことはそういうことなの! 殺されないためには、殺す必要も出てくる。でもキミ達は何をした!? 夢物語で大人達の庇護から逃げ出して、力も持たず自由だけを求めて!」
人並みの自由を求めたのだろう。子供ながら精一杯やったのだろう。
それでも足りない、この不条理に満ち溢れる世界で生き延びるにはまるで足りない。
「どれだけっ! どれだけ、志が高くとも! 力が無ければ、覚悟が無ければ全部全部無意味なんだ!」
自分の言葉が自身を抉る。
過去歩んできた道程を、そして未だ歩いている道程を経験者である僕が語っているだけだ。何も克服なんてできちゃいない、人に説く権利などどこにもない。でも。
「僕が試してあげるよ、キミが獣を殺してもなお生き延びれられるかどうかを」
何度も堪えなければならないのだ。
それこそ肉を抉られ骨をおられる痛みに、未熟な人間は獣一匹を殺すために。
それすらできないのなら、ここで果てて死んでしまえばいい。
「――足、折るね?」
そして僕は少年の下へたどり着く。
痛みに悶える少年の足を固定し、あとは自分の足を下ろすだけだ。
「もうやめてください! これ以上酷いことしないで!」
同居人が間に入り、僕を彼から引き離す。
勇敢だ、そう思った。少なくとも他者からして見れば、僕は何の理由も無く暴力を振るう存在だろう。
そんな存在に、仲間を守るためだけに間へ入るのはとても勇敢だ。現に彼女は震えている、怒りじゃなく恐怖で。彼に振るわれた暴力が、庇った自分に向かうのではないかと怯えている。
「庇うってことは、キミが彼の代わりに足を折られる覚悟があるの?」
僕の言葉に少女は一瞬竦み、それでも後ろで痛みに嘆いている声が耳に入ったからか言葉を返してくる。
「そんなの、あるかなんてわからないっ。でも、こんなのは間違っていることはわかります!」
こんなの、が何を指すかは僕にはわからない。
理不尽に暴力を振るわれることか、庇った人間がその痛みを引き受けないことか、現状自分以外に動いている存在がいないことか。
「そっか。キミは勇敢で、そして仲間を無条件に庇える慈悲深さを持っている。だから猶予を与えるよ、わかる? 猶予。時間制限付きで、正しく答えられたらもう僕は何かをするのはやめるよ」
え?っと言葉を零す少女の腕を掴む。
一々説明する必要はない、体に教えたほうがわかりやすい。
「答えて。どうやって六人でローレンまでたどり着けるのかを……腕が潰れる前にね」
徐々に握力を強くしていく、少女の握っている腕を文字通り潰すために。
一度その掴まれている部分を見て、自分じゃ逃げられないと悟ったのか倒れている少年を見て、少女は不条理の中考える。
聡明な子だ、勇敢で、優しくて。もしかしたらこの子なら、考える時間を与えられたら何か答えられるかもしれない。
「力を合わせるだけじゃダメで、他に何か必要で……ねぇ待ってっ、痛い、痛いんです。そんなに焦らされたら考えることもまともにできなくなってしまう!」
「もっともだね。そんなには待てないけど、答える間までは力を強くするのはやめてあげる」
僕の言葉が真実だと確認し、他者、アレンさん達を含めた他の誰も未だ動けないのを確認し、一息分だけ深呼吸したあと少女は思考に集中する。
そんなに時間は必要なかった。
「通りすがりの人に助けてもらいます。商人でも冒険者でも誰でもいい、街道を通っていればそんな人と会えるだろうし、頑張って雑用をこなせばすぐに守られることに対する払うべき対価がそんなに多くないことはわかるはず」
悪くない答えだ、答えるまでの時間が短かったのも評価に値する。
その対価とやらの計算がかなりアバウトな点以外発想もいい、自分達の立場や力量も知っている。そしてしっかりと結論に至るまで行程を組めていることも高評価だ。
でも。
「悪くないね……じゃあその声をかけた人が悪い人間だったらどうするの?」
「えっ」
「野盗とかアレンさん達のような組織の人とか、僕のような悪い人間が相手だったときは」
「そんなこと……」
「無い可能性はないよね、むしろそうなる確率のほうが高い。組織は高い金で買ったキミ達を逃がさないだろうし、声をかけた相手が純粋に悪い人間の可能性もある。
今まで悪い人達のせいでキミ達の人生は滅茶苦茶、そうして奴隷なんて場所まで落ちてきている。だから、人の善意なんて信じられない、そんな状況でキミは、どうするの?」
僕の追い詰めるほど畳み掛けた再三の問いかけに少女は再び思考に耽る。
諦めず、諦めず、何度も可能性を辿り、その枝が終末へ向かっていること確認し、無限の可能性の中、僅かな自分達が自由になれる道を探す。
「わから、ないっ……」
そして、諦めた。
涙を零し、その結論に至ってしまった。
おそらく少女は何度かは至れたのだろう、誰かが犠牲になったり、人の善意を信じないことで生き延びられる可能性を。
それでも彼女はそれを切り捨てた、誰もが幸福になれる結末を探し、そんなものがこの世界には存在しないと、存在しないからこそ自分達が今この様な状況に陥っていることを理解し、諦めたのだ。
「そっか」
僕が同じ立場なら、泣きじゃくる善意の塊を慰めてあげたかった。
抱きしめて、頑張ったよって囁いてあげたかった。
「――ならこれは罰だね、考えることを諦めたキミへの」
でも僕は違うのだ、彼女達とは立場が違うのだと見せ付けなければいけない。
力の込められた手を認識し、彼女は一瞬目を見開いた後でじきに訪れるだろう苦痛に備えた。
「……っ!」
零れた悲鳴は最小限。
少年が上げた悲鳴で自分達がどのような恐怖を抱いたのか理解していたのだろう、そしてそれを二度目仲間である子供たちへ与えてはいけないと理解して、彼女は叫びたかった声を自身の内に留めた。
素直に賞賛する。心がけも、能力も良い、そしてそれを実践できる力を持っている。一人の少女を思い出す、それが誰かを具体的に思い出す前に思考を散らせる。
まだあと三名、残っているのだ。無傷で無垢で――何よりも愚かな子供達が。
「もうやめろ!」
ザザが僕の肩を掴む。
隣でうずくまりこちらを見上げている少女と、未だに痛みに苦しんでいる少年。
そして次の標的になりたくないと身を引く三人の子供と、僕の行動をただ静観しているアレンさん。
「それはお前の役目じゃねぇ。アレンさんとどんな取り決めがあったのか、もしくはこうして暴れているのはお前の独断か俺にはわからん。でもこうしてやりすぎるのは間違っている!」
役目、ねぇ。
「その役目を果たせなかったのは誰ですか?」
「……」
「そもそもあなた達がしっかりと教育できていなかったから、逃げ出さないように見張っていなかったからこうなったんじゃないですか?」
少女の腕を砕いた右手は使えない。
握力だけで骨を砕くのは幼い少女の、人の理を超えている。
それを魔法で成し遂げた、骨を砕くための力を脳や筋肉の限界を魔法で壊して引き出した。
当然右手は使い物にならない、魔法で自壊したそれを今魔法で急速に治している最中だ。
だから左手で、僕を掴んでいるザザの右手首を捻り下におろす。抵抗する動きは無かった、人は内側に力を込めやすいように体を作られている。
それを間接部を押さえられ、僕だけが優位に立てる位置を一瞬でも作る瞬間を与えたのが間違いだ。ここから強引に動くとすれば肩が外れるか、力づくじゃない何らかの方法が必要だろう。
「人の人生を金で買うというふざけた職に就きながら、その職務で怠慢を働くなどどういう了見ですか」
「このっ」
腰につけてある短剣に手を伸ばすザザ。
「あなたの立場は僕と対等じゃない、責務を果たせなかったあなたは」
体を押さえても視線は僕よりも上だ。
それを、崩す。
「ほら、跪いてください」
手は使えなくても足は使える、片足でザザの左足を強打する。
片足だけで良い、骨を折る必要もない。
体を支えられない程度に痛みを与えるだけで。
「くっ」
予想外の痛みに呻きながら短剣に伸ばした手を止めてしまうザザ。
「ほらっ」
今度は腹部を蹴る。
鋭く、強く。足を内臓にめり込ませるように。
堪えきれず蹲るザザ。
先に痛みを受けていた足は彼を支えることは許さず、無様に膝をつく。
「次は、誰? 僕に納得のいく答えを教えてくれる人は、いるのかな」
ザザの短剣を奪い、三人の子供へ近寄る。
近寄った分の半分だけ、遅れて逃げようとする子供達。
僕は、知りたいだけだ。
脱走し、自由なんて馬鹿げたものへ走りきれる根拠を、しっかりと備えて行動していたのかを。
「もうやめろ」
「アレンさん」
立ちふさがるのはアレンさん。
抜き身の短剣を持つ僕に対し、彼は無防備に子供たちを守るように立ちふさがる。一番相応しくない立場の人間が、僕の行く手をそこで阻む。
なんという皮肉だろうか、害するはずだった人間が、一時や錯覚だったとしてもその立場にいることは。
「もう、いいんだ」
優しく、僕の肩に手を置き彼はそう言った。
殴るわけでも、叱るわけでも、対抗するわけでも、屈するわけでもない。ただ、それだけ。
そこで僕はようやく冷静になる、なんてことをしたのだろうと。
肩を砕いた少年を見る。彼は動かないことが一番苦痛を避けられると悟ったのかただ沈黙を守り痛みが過ぎ去るのを待っている。
腕を潰した少女を見る。彼女は視線が交わっても僕から目を逸らさない、ただ自身を恥ずるように唇を噛む。
子供たちを見る、まだ僕の手にかかっていない彼らは、先の二人のように酷いことをされないかとまた一歩後ろへ下がった。
ザザを見る、役割を果たせず、簡単に僕に屈したことに顔を下ろしている。
どこにもなかった。
僕が何かをする理由は、もうこの場には存在していなかった。
心を燃やす必要は、ないんだ。
「ごめん、なさい。ごめんなさい……」
- 自由/無秩序 終わり -




