10.燃えたシボウ
「アメ、大丈夫か?」
「……はい、起きれます。少しだけでも休んでいてください」
父親に起こされ、応答する。
気づけば早朝だった。
いざという時に動けるようにという緊張、明かりや話し声、冷たい気温。
そういったもので熟睡はできないと踏んでいたが、どうも途中から完全に意識が落ちていたようだ。
人間って逞しい、既に隣にいないルゥを見てそう思う。彼女がいつ離れたのかすらわからない。
「頼むぞ」
父親と交代し、既に出口側に座っているルゥの隣に並ぶ。
「おはよう」
「……うん、おはよ」
一瞬言葉が遅れたのは言葉の変化についていけなかったからかもしれない。
案外昨日のやりとりは覚えていないかも。
「ルゥは八年前のことって覚えてる?」
「十歳にそれを聞くかな」
彼女は笑い、そして答えた。
「覚えているよ、その前も、ね。ずっと」
「そっか、僕は覚えていないんだ。もうほとんど、大切なものだったはずなのに、零れ落ちてしまった」
「わたしも本当はそうかもしれない。忘れてるのに、覚えているつもり」
でも、と彼女は断言する。
「大切なものは零れない。本当に大切なものは、いつまでも残り続ける」
思い出そうとする。
昔の家族の顔や、友人の顔、少しの間だけ恋人だった人の顔。
思い出せる。
一緒に笑って、叱ってくれた親の顔。
楽しいから集まり、時にはすれ違いから離れたりした友人の顔。
好きだと思った女の子の顔、別れようと告げられた理由まで。
「そうだね、大丈夫だ」
嬉しいことも、悲しいことも、忘れちゃいけないことは思い出せる。
彼女の言うとおり思い出せていないかもしれない。でも、必要な時にはきっと思い出す。
「まぁ今は忘れててもいいよ、過去には戻れないんだ。それを懐かしむのは老いてからでいい」
十歳の少女が笑う、大切な時間は今も過ごしているんだと。
単純な精神年齢は二十六、前の世界で生きていたならそろそろ結婚とか老後を意識していたころかもしれない。
でも、今は八歳なんだ。
過去の思い出に縋るのは少しの間忘れ、今ある日々を大切に生きよう。
- 燃えたシボウ 始まり -
「よく寝れたか?」
「はい、お父さん」
夜に結局異常はなかった。
動物達も夜は普通寝たいだろう、異常があるほうが珍しい。
ただその万が一に備えず、見張りを用意しないのは愚かでしかない。命を天秤に掛けているのだから。
「全員体調に異常はないな?」
軽く朝食をとりながらウォルフの言葉に頷く一同。
ウサギは昨日で食べきってしまったから、固いパンと犬の干し肉がメインだ。味の薄いスープでなんとかほぐしながら飲み込む。
「今日からアメ達が何かと遭遇した地点を重点に探索し、獲物を見つけたら狩る。
数が多い相手に挑んだり、余力を削ってまで探索を続けるつもりはない。
安全第一に動いて、最悪手応えが無ければさっさと村に帰る」
飢えを凌ぐ為に命を賭ける。
ただリスクは一定のラインを超えてはならない。
「行くぞ」
支度を終え立ち上がる。
今も寒いが洞窟の外はもっと寒い、張り切っていこう。
「この辺りだよ」
一時間ほどかけ、昨日何かと遭遇した地点に辿り着く。
ルゥはそう言うが、正直僕には同じ場所かはよくわからない。雪の降ってる森の中、そうとしか認識できない。町の中でも迷子になることがあるのだから許して欲しい。
「どこにいた?」
「あっち」
指差すほうを見るがこれもまた覚えていない。というか振り返って見える景色も同じにしか見えない。
……これは本格的にどうにかしなければならないな、一人じゃ森を歩けない。
「探知は?」
「今のところは何もないです」
こうして会話している間も定期的に調べてはいるのだが特には何も無い。
「よし、進もう。各自警戒は怠るなよ、もう既に縄張りに入っているのかもしれないからな」
「警戒! 大きい反応、二つ。昨日と同じものだと思われます!」
それから三十分ほど進み、ついに探知に反応が出る。
「位置!」
「左前、三百ほど先です!」
父親から叱責が飛ぶ。
魔力の大きさに気押され、肝心な情報を怠ってしまった。
「落ち着いて、みんないる。探知そのまま続けて」
「うん、わかった」
ルゥが囁くように告げ、それに答える。
大丈夫、みんないるんだ。まだ余裕のあるこの状況で一人のミスが致命的になるのなら、グループそのものに欠陥がある。
「二匹なら片付けるか」
父親が背中から大剣を外し、構える。
「そうしよう。ただどこで戦う? ここはそれなりに視界が開けているが、奥はどうだったかな」
「しばらくは木々が並んでいたはずだ、戦うならここがいい」
父親の答えに、ふむ、と弓を構えていない片手であごを撫でながらウォルフは考える。
「じゃあ相手の動きを待つか? ただこちらは五人いる、二匹で来る可能性は……」
「緊急! 二匹とも近寄ってきます!」
相談の声を遮り叫ぶ。
かなりの速度で迫るそれら、体が震えそうになるがなんとか堪える。みんないるんだ。
「お前達は見ておけ! メイル、一匹ずつやるぞ!」
「あぁ」
事前の取り決めの一つだった。
可能であれば子供達は直接戦わず、探索や戦いを見て経験を積むだけと。
父親の短い応答が終わる間もなく、二匹の獣が木々の間から飛び出してくる。
生きているそれは初めて見た。
ウェストハウンド。小熊のほどの大きさの狼。
人の生活圏から離れ、他にたいした天敵も居ない獣は大きく育ち、独特の生態を手に入れた。
爪は長く、牙は鋭く。強靭な筋肉で獲物を一方的に狩るのに特化したそれは化け物と呼ぶに相応しい。
最前列にいた大人二人は真っ先に狙われる。
ウォルフはそれを弓で射るが、避けられ距離を詰められる。
その攻撃を彼は避けながら抜刀し、応戦し始めた。
重い攻撃は回避に専念し、軽い攻撃は受け止めつつロングソードで徐々に傷を増やす。
理想的なリソースの削り合いだ。
はじめの矢の一撃で、相手としては速度を稼ぐために距離を開けることも難しい。
魔力を攻撃に重点的に消費した攻撃は、最低限の魔力で強化した肉体で最低限の動作で回避し、牽制の軽い攻撃は防ぎながら重い攻撃で返す。
ウォルフ自身の観察眼を生かした戦い方は、まさに狩人そのものだった。
「ふんっ!!」
対してメイルは技のウォルフと違い、力でごり押していた。
初撃の体当たりをそのまま受け止め、喉元を食いちぎらんとする爪と牙を左腕一本で抑えている。
……うちの父親は獣か。相手が熊のような狼なら、父親は熊のような人間だ。
最高三百の距離を加速に使い、体重を十分に乗せた体当たりは車と衝突するのと何ら変わらないだろう。
それを吹き飛ばされること無く、後ずさりするだけで受け止める。
精神力も異常だ。
魔力で十分に強化しているだろう左腕でも、同様に魔力で強化している牙は防ぎきれず、噛み千切られはしないものの刺さり血が滲み出ている。
その痛みをまったく意に介さず、父親は右手で大剣を切り上げる。
極至近距離で振られたそれは浅くしか傷を負わせられなかったが、致命的な一撃が入るのは時間の問題だろう。
というかあれ片手で振れる物なんだ……。
父親が狼より先に倒れるとは思えない。
ウォルフもまたリソースの削りあい……魔力の効率的な消費は目に見えて差が出ている。
ウェストハウンドの一撃は時が経つにつれて軽くなり、ウォルフの剣は深く傷をつけれるようになっている。
魅入られていた。
魔法を行使し、獣と渡り合える二人に。
だから、見落とした。
「後ろ、二匹! コウ、アメの前に出て!!」
ルゥの声が響く。
その意味は、奇襲だ。
2:5ならば勝ち目は薄い、なら何故あちらから襲ってきたのか。
簡単だ、4:5で子供が三人もいれば十分互角だからだ。
探知を怠った上、奇襲に対し反応も遅れた僕をコウが後ろに引きずり倒しながら自身は前に出る。
そのコウが、視界から消えた。
慌てて立ち上がると、横から突っ込んで来たであろう狼に体当たりされ、地面に押し倒されそうな所を受身を取り避けたようだ。
盾で上手いこと防いだのか、コウは目立った傷も無く交戦をし始めている。
ルゥのほうを見る。
彼女もまた残りの一匹と交戦しているが、その動きは防御に専念している。
受け止める盾も、強靭な肉体も無い少女は、上手く相手を翻弄しひきつけ僕達から離れるように誘導している。
一度深呼吸し、落ち着く。
四人全員が命の削り合いをしている中、呼吸を整え思考する。
短時間で失敗を重ねすぎた。
位置を伝え忘れ、警戒を怠り、奇襲に対応できなかった。
未熟である事実を受け止め、今自分に何ができるか、何をするのが最善かを模索する。
呼吸を整え終え、再び探知。
他には何も無いのを確認する、見えているもの以外にはなにもない。
なら……大人達を見る。優勢だ、すぐに戦い終えるだろう。
ルゥを見る、致命傷を与えることの無い彼女は、致命傷を与えられることも無い。
そのように動いている、そう考え実践できているのは余力がある証拠だ。
なら、加勢すべきはコウだろう。
交戦する彼の動きを見ながら、雪を溶かし水球を作り上げる。
糸を紡ぐ様に魔力で水滴をまとめ、更に練り上げる。
水の柔軟さを保ちながら、岩のような固さと重さを保ったそれを二つ作り上げる。
狼と距離が開いた瞬間を見計らい、一つを当てやすい胴体に更に固くしながらぶつける。
一瞬怯んだものの、脅威ではなかったのか再びコウに襲い掛かる狼。
……足りなかったか、それなりに魔力をつぎ込んだつもりなんだけど。それこそ木を一本容易く倒せる程度には。それでも足りないか。
水では無理か。余った一つを適当に顔目がけて放つ、魔力で独特の粘着性を保ったそれはしばらく顔面に張り付いたものの、勢いをつけて振り払われる。
呼吸と視界を一瞬奪い、その隙にコウが深く斬りつけるが、まだまだ余裕はあるらしい。
一瞬狼と目があう。命の危険を感じるが、直接的な脅威であるコウが優先と思ったのかこちらには来なかった。
コウを見る。まだまだ余力はあるものの、どこか危なげなく戦う彼は気を抜くと一瞬で死んでしまいそうだ。
殺傷力が必要か。今すぐ終わらせるために、少しでも彼がリスクをかけてぶつかり合う回数を減らすために。
《母なる大地よ、その力を貸せ》
両手を地面につけ詠唱を始める、手のひらを中心に魔方陣が現れ、直径一メートルほどのそれが体を覆い展開される。
《外敵を排除するため、揺ぎ無き力を更に強固に》
魔力を土に張り巡らせ、準備を整える。
土と土の繋がりを強め、金属の様に固く、鋭く。
イメージはランスだ。円錐状に造られた、突き刺すための武器。
《意思を持って貫け!》
狼の足元から鋭い石柱が飛び出す。
勢いよく飛び出したそれは、獣の巨体を貫き血飛沫を上げながら獲物を掲げて……いない!
避けられた、魔力を込めすぎたのだ。
石柱自体に魔力が多く察知されたのか、魔方陣を見て警戒したのか、超自然的な本能と反応速度で避けられたのか。
再び目が合う、瞳が語る。お前が先だな、と。
獣が避けた動作に合わせ、コウが力強く斬りつけるがそれも避けられる。
全て避けきった狼は、隙を見せているコウの魔力を大きく削るチャンスを放棄し、彼に体当たりをし吹き飛ばしてから僕のほうに駆け出した。
前衛と後衛のバランスが崩れる。
均衡を崩したのは相手?違う、僕だ。怒りを買い過ぎた、ヘイトコントロールに失敗したのだ。
妨害するのならほどほどに、仕留めるなら確実に。その定石を無視して、コウの安全を優先した結果がこれだ。
生きて帰れるかな、どこか冷静な頭でそう考えながら短剣を抜く。
突進を十分に引きつけ、横に飛ぶ。獣はそれに追いつく。
当然だ、僕はこの中で一番脆弱な肉体だ、八歳の少女が他の人並みに上手く避けられるわけがない。
地面に押し倒され、左肩を押さえつけ牙で喉元を食いちぎろうとする。
それを短剣を持った右腕を盾に凌ぐ。辛うじて自由だった右腕に、ありったけの魔力をつぎ込むが、それでも牙は肉体を貫く。
痛い、激しく痛い。アドレナリンがどばどば出ているのがわかるが、それでも痛い。わかってるんだよ、このままじゃマズイってのは。
痛みを抑えることに魔力を回すことも考えたがすぐに却下。
防御に使う魔力が少しでも減ったことで、辛うじて保っているこの状況が崩れてはいけない。
右腕が噛み千切られたら、左腕が使えない今、もう重要な部位を防ぐ部分はないのだ。
防ぎながら考える。この状況をどう覆すかを。
誰かに助けてもらえるか?
コウは吹き飛ばされた後どうなったのか、上手く受身を取れていたらそろそろ助けに来てもいい頃じゃないか?
希望を捨てる、彼は打ち所でも悪かったのだろう。期待できない。
ルゥは?彼女も無理だろう。
ひきつけるのが精一杯で、早々に片付けるのは厳しいはずだ。
大人達は?彼らが一番現実的かもしれない。
今僕が陥っているこの状況を把握しており、ハイリスクハイリターンを選んで敵を制圧できたのであれば。
ただ、彼らが来るまで、持つか?
今もなお消費される魔力と右腕そのものを見て思う。
賭けよう、自分で何とかできることに。
援軍を期待して防御に専念し、そのまま死ぬなんて悔やんでも悔やみきれない。どうせ死ぬなら自分で抵抗して死にたい。抵抗できずに死んだ前世を思い出しながらそう思った。
水はダメだ。この相手には殺傷力にかける、妨害に使うとしてもこの位置関係だと僕の顔にも水がかかる可能性が高い。溺れた上に噛み千切られて死ぬのは勘弁してほしい。
風もダメだ。一番主流な使い方であるかまいたちは剣を振ったりして、それで生じる空気の裂け目に魔力を乗せ、距離で速度を増やしつつ小さな無空状態を大きくする必要がある。
距離も無く、きっかけも作れないこの状況は、多くの魔力を使わなければ扱えないだろう。
土もダメだ。効率的に土を扱うには先ほどのように地面から直接攻撃したほうがいい。
ただ視界は獣の顔しか映っておらず、どんな体勢で噛み付いてきているのか想像しずらい。
体が重なっておらず、なおかつ狼の体が存在する場所を見ないで予測するのは難しい。最悪自分を貫くので却下だ。
炎しかない。
無意識に思考を最後に回していたその選択肢を考える。
炎を扱うのは怖い、一度燃えて死んだのだから。
……でも、このまま噛みつかれて死ぬのも怖いと思う。少なくとも現状で十分怖い。
"燃え尽きて死んでしまえ"
ふと思った、噛み殺されるぐらいなら燃え尽きて死んでしまえと。
炎でどうにかしよう。決めた。
燃やすものは? 丁度いいのがあるじゃないか、右腕から見えている脂肪があるじゃないか。
《燃え尽きて死んでしまえ》
油を燃やし、火をつける。
懐かしい体が焦げる痛みと、臭い。
噛み付いている右腕が燃え始めたことに狼は一瞬怯んだものの、そのまま引きちぎろうとすることに決めたようだ。更に噛む力が強くなる。
いいよ、我慢比べといこう。
燃える痛みに堪え噛み殺すか、堪えきれずに距離を離しアドバンテージを失うか。
覚悟を決めた時、ヒュっと風を切る音が聞こえ、噛む力が少し緩む。
そしてもう一度、今度は肉を裂く音がはっきり聞こえる。
「アメを、離せ」
コウの声が聞こえる。
その声に答えるように、腕に食いついていた牙が離れる。
……今だ、今しかない。
まだ動くことが不思議な右手、その右手がずっと掴んでいた短剣を狼の顔面に突き刺す。
ぐちゃっと何かを潰す感触がして悲鳴が響く、構わず剣を深く進み続ける。
届いちゃいけない場所に届いた、そう思った。
そう思ったとき、狼は力尽き、僕にのしかかる。
自身の何倍もの体重が僕を潰そうとする、魔力が残っていなければ死んだ狼に潰されて僕も死んでいただろう。
「アメ、ごめん! 守れなくてごめん!!」
泣きながらウェストハウンドの亡骸をどかし、近寄ってくるコウ。
「なんでコウが泣いてるんだよ、ばか」
痛みも一瞬忘れ、思わず笑ってしまった。
周りを見る。
ウォルフは自身が戦っていた狼を追い払い、メイルと共に一匹を追い詰め、父親の大剣による一撃が獣の首を飛ばした。
それを見たルゥの相手をしていた狼も逃亡、彼女も追わずに逃げる背中を見ていた。
よく見るとそのルゥが持っている短剣が一本無く、僕の隣で倒れている狼の左腹に突き刺さっている。
噛む力が一瞬緩んだのはこれか。浅い刺さり方をしているものの、十メートルほど先から少女が投げた短剣と考えると十分だろう。
右の腹部にはコウのロングソード、左の眼孔には僕の短剣が深く刺さっている。眼球は潰れ、きっと脳にまで届いているのだろう。致命傷は間違いなく僕の攻撃だ。
僕は生き物を殺した。僕が殺した。
虫やトカゲなどの小さな生き物じゃない、大きな哺乳類をだ。
罪悪感は……生まれなかった。
殺らなきゃ、殺られていた。食べなきゃ、餓えて死ぬ。
解体を何度か見たのもあるのだろう、この世界に来てからいつの間にか僕は死に慣れていたんだ。
右腕を見る。白いものが大きく見えていた、ずいぶん抉られたのか。
骨が見えているまわりの肉も焦げ付き、酷い有様だ。前世ならまず間違いなく右腕は終わっていただろう。
治癒の魔法を使い、右腕を癒す。コウも手を添えて、魔力の消費を肩代わりしてくれた。
少しずつ再生していく。全身のカロリーを消費し、魔力を使い。
焼け爛れた肉を剥がし、新しい肉が生えてくる。肉が沸騰しているとでも言うのか、ごぽごぽと形容するのに相応しい挙動で肉が肉を上書きし傷が治る。
脱力感が全身を襲う、栄養素も魔力もほとんど尽きてしまった、今日はもう戦えないな。
「意外、もっと泣き叫ぶと思ってた」
ルゥが呆けた顔で呟く。
自分でもそう思う、血を見ることなんてない前世を生きて、この世界でも今まで戦いを避けてきたのだ。
大きな傷など負った記憶が無い。
だけど、覚えている。
一度目の生の終わり、全身の肉が焼ける苦しみをまだ忘れてはいない。
それが理由かは知らないが、骨が見え、肉が焦げるほどの傷の痛みも堪え切れる程度でしかない。アドレナリンに魔力が追加され、相当痛みが減っていたのかもしれないが。
それに、目の前に横たわる死体。
もう動くことはないそれ、僕自身が殺した命。
無数の傷に、三本の剣が刺さった無残な姿。
この獣に比べたら、痛みなんて些細なものだ。
「立てるか?」
父親にそう聞かれ、自分が未だに地べたに座っていたことに気づく。
誰の手も借りず、両足で立つ。多少ふらつくが、なんとかなるだろう。
「いつもこんな戦いをしていたんですか?」
「……ん? そうだな、これ以上に厳しいことも多いが、まぁこんなものだ」
ウォルフが笑う。
メイルが命と命を削りあうような戦いも、僕が死にかけるほど追い込まれるのも日常だと。
そして、これ以上に壮絶な戦いも珍しくないと。
持たないと思った。
こんなリスクを冒し続けていたら、いつか賭けに負けて可能性に殺される。
違う、今まで父親達が殺されていないのが不思議なほどだ。
偶然か、たまたま賭けに続けているのか。
必然か、まだ僕が見えていないリソースがあり、それが削れない限り勝負に勝てるのか。
わからない。わからない、けど、やり続けるしかない。
数を減らし続けなければウェストハウンドという種は数を増し、より強固になるだろう。
そうなれば人や家畜は今以上に襲われ、狼自体の肉を食べられなくて村は餓えや獣により滅びる。
最後に村で人が亡くなったのは二年前。行方不明だ。実は生きているのかもしれないけれど。
その前が五年前。メイルとウォルフ、その間にあと一人いた狩人の人が戦いで死んだ。
五年に二人。
村人が百にも満たない村で、狩人の親達が死ぬ確率は非常に高い。
時期的にもそろそろ誰かが亡くなってもおかしくはないのだ、その中には当然僕も含まれる。
何ができるだろうか、その候補の中で。
何がしたいだろうか、死ぬまえに。
僕は……。
ゆっくりと雪が降り続ける空を見上げる。
雲の隙間から太陽が差し込んでいた、数日振り続けた雪もそろそろ終わりかもしれない。
それを見て思った。生き残ったんだ、今はそれを喜ぼうと。
洞窟に置いてあった成果を取りに行き、今日中に村に帰ることになった。
一番大きい二つの成果は大人が一つずつ運ぶことになり、ルゥを前列にコウを後列に配置し、その間を三人で歩く。
適度に休憩しながら、記憶していた場所に自生していた野菜や果物を取りつつ進む。
二時間ほど経ち、村まであともう半分、といったところでルゥが立ち止まる。
「敵?」
正直勘弁して欲しい。僕にもう戦う体力はない。
魔力はそこそこ回復していたものの、消耗した状態で歩き続けもはや気力はない。
戦力差に問題がなさそうだったら僕は木の上か、藪の中に隠れておこう。
「違うと思う。ちょっと待って、探知も使わないで」
彼女は魔法を使わず辺りを見渡し、地面に落ちていた土の塊のような何かを触り、立ち上がる。
それからも黙って手がかりを見つけようとしたり、何かを嗅ぎ取り、目を瞑って音を聴いたりしていた。
「すぐに戻る」
ルゥはそう言い、短剣を一本だけ抜刀し木々の中を音も無く駆けて行った。
なにあれ?と大人達を見るが、彼らもまたなんのことやらと首を傾げる。
彼女が調べていた土のような塊に近づいてみる。
……臭かった、動物のフンだこれ。ルゥ、指突っ込んでたんだけど。
五分ほどか。
各自適当に休んでいると、去って行った時とは違いルゥはがさがさと音を立てて帰ってきた。
未だに口から新鮮な血液が流れている鹿の死体を抱えて。
「近くに居て助かった、運がよかったよ」
フンに指を突っ込んだのは固さを正確に知りたかったからか。
そこから魔力で探知されたことを察知し、逃げられることを恐れ、探知の魔法を使わず痕跡を調べて追跡を開始。
着衣の乱れや傷が無いのは奇襲しそのまま殺したのだろうか。
冒険者と自己紹介していたのがなんだか可笑しい、暗殺者のほうが似合っているんじゃないか。
本人の適正と希望が必ずしも一致するとは限らない。その辺は彼女も理解し、割り切っているだろう。
素直に喜ぼう、肉がまた増えたと。
しかも犬肉じゃない、鹿肉だ。適切に処理したら臭いなんてほとんどない、適切に処理しても臭いが残る犬とは大違いだ。素晴らしい。
村のみんなで分けたとしても、それなりの量が僕のところに回ってくるかもしれない。
というか右腕が随分酷い目にあったんだ、駄々こねてでも優先的に食べさせてもらおう。
村には日が沈み始める前に帰ってこれた。午後三時頃だろうか。
「よぉ、帰ったのか。早かったな、しかもこりゃまた多いな」
雪が止んだのを見計らって仕事をしていたのか、木材を運ぶガイレフが出迎えてくれる。
愛嬌のある顔がどこか懐かしい、そこまで日にちは経っていない筈なのだけれど。
「子供達が頑張ってくれた」
「そうか、こいつらも一人前か。まぁ何年も前から頼れるやつらだしな!」
父親とガイレフが笑いあう。
働きを正当に評価し、認めてくれる。なんだかそれがとても嬉しい。
ただ少し恥ずかしい、同じ感想を覚えたのかコウと目線があい、微笑みあう。
「期待していてくれ、お前のところにも十分回る数があるはずだ」
ウォルフがそう告げる。
ガイレフや他の皆は普段から助けてくれる、新しいテーブルを作ってくれたのも彼だ。
取れた肉は村のみんなで分け合う、普段から助け合っているので当たり前のことだった。
「あぁ、楽しみにしておくよ。それよりお前らさっさと家に帰るんだな、酷い格好だぜ」
大きな口を開けて、笑いながら去って行くガイレフ。
改めて自分達の格好を見ると確かに酷い。
服は血に塗れ、そこら中破けてしまっている。
ルゥやウォルフはまだいい。僕は右袖が、父親は左袖がほとんど無く、肌が露出し寒い。
「さっさと帰ろう……重いし」
ルゥが先頭を切って早々と歩き出し、全員で後を追う。
僕とコウはまだ荷物が軽いが、三人はかなり重そうなものを背負っている。
雪は止んだといえまだ寒い、外に長居する理由などなかった。
三つの獲物は地下に氷と一緒に入れておいた。
本来なら早めに加工しておくが、今は冬だし、魔法で氷が作れるので痛むには時間がかかるだろう。
「ねぇ、髪に血、ついてない?」
「大丈夫だよ」
「右腕、傷とか残ってない?」
「大丈夫だって、何かあったら教えてあげるから」
自室でルゥと二人、身を綺麗にする。
最近コウは肌を見せたり、同じベッドで寝ることが無くなってきた。性別を意識し始める頃なんだろう。
ちなみにこの家、というか村には風呂といったものはない。
文化が無いのか、技術が無いのかは知らないが無いものはしょうがない。
魔法が使えるようになったおかげでお湯の確保が簡単になったのだから、浴槽ぐらい作ってもいいんじゃないかとこっそり考えている。日本人だもの、お風呂には入りたい。
最低限の汚れを落とし、服を着る。
この時のポイントは垢を落としすぎないことだ。
初めは僕も汚いと思っていたが、衛生的や美容的な面はお湯で体を洗えば問題なく、冬場は垢が体温を保持してくれる。
切実な現実を痛感すると精神的な清潔さなど大して気にならなくなる、もし万が一病気にかかってもある程度なら魔法が気づかない間に治しているんだ、どうでもいい。
「寒いでしょ、その格好」
「まぁね、でも寒いの好きだから」
ルゥが着替えたのはいつもの服だった。
上着は長袖だからいいものの、脚はかなり肌が露出しどうみても冷えている。
「じゃあ体温取らないでよ」
「温かいのも好きだから」
無言で伸ばしてきた手を無言で叩き落とす、もう何度繰り返したかわからないやり取りだ。
馬鹿やってないで、さっさと降りよう。
薄暗くて点けておいたランプを消そうとして固まる。
「大丈夫?」
ルゥが肩を抱いてくる。
「うん、大丈夫なんだ」
炎を見るとパニックに、最低でも不安感は覚えていた。それが、無くなっていた。
火に対する恐怖を克服していたのだ、いつのまに……?
「知らないから怖いんだよ。どうしてそうなるのか、どうやって扱えばいいのか」
言われて思い出す、自らの右腕を燃やしたことを。
身をもって知った、炎の扱い方を、本当の意味を。
「ほら、さっさと降りよう。ここは寒い」
「……うん」
ランプの火を消す。
消える瞬間の明かりが、瞳に焼きつく。
恐怖感は確かに消えた。
だけど。
だけど――嫌悪感は消えない。
家族や自分が死んだきっかけだ。忘れない、その悲しみは。炎に対する憎しみは。
一階から声が聞こえる。
今の家族の声だ。釣られるように若干駆け足で降りる。
暗い感情は、気がついたら忘れていた。
- 燃えたシボウ 終わり -




