脊柱管狭窄症
Kは4年前の春に、ぎっくり腰をして1週間ほど寝込んだことがある。しかしそれも何とか治り、趣味の山登りも、その夏は「百名山」の中でも余り歩かなくても済む山を2つばかり登った。その翌年は忙しくて山にいけなかったが、2年前には御嶽山や奥穂高岳に登った。それが昨年の5月辺りから腰が、そして足が痛くなり、歩けなくなってしまった。
数十歩も歩くと右足のふくらはぎ辺りが傷むのである。病院へ行くとMRI検査の後、「腰部脊柱管狭窄症」と宣告された。写真でくっきりとKの脊柱管が見え、確かに腰の辺りに1箇所くびれたように狭くなっている所がある。痛いと思っていた原因がこんなにも分かり易いということにKは驚いた。痛い症状は右足のふくらはぎであり、必ずしも腰が痛いわけではないが、医者のMは「脊柱管の中を通る神経の束が圧迫を受けて足の方に症状が出る」とKに言う。歩行と休息を繰り返す間欠跛行がこの病気の典型であり、Kはまさにその症状であり、診断を受け入れた。
くびれの原因は多様であり、Mは自然治癒は難しいと言う。しかし、暫く薬を飲んで様子を見ようということになった。プロレナールという血液の流れを良くする薬や、末梢神経の症状改善のメチコバールと、痛みを抑える漢方薬を飲みだした。急には良くならないとMに言われつつも、一時は朝痛くて朝風呂にでも入らなければならなかったKの足の痛みは改善した。しかし、痛み無しで歩ける距離は30メートル前後であり、休み無しで歩ける距離は中々伸びなかった。毎週というわけではなかったがKは水泳にも通ったりしているうちに年も開け、じわじわと快方に向かいだしたようであった。春の終わり頃には30分程度もゆっくりではあったが、歩き続けられるようになった。再びMRIの検査をした所、くびれも少し改善しているようだとMは言う。
Kは思い切って近くの小山に登ってみたりした。そこに2度ほど登って準備したつもりで、百名山の一つの「大台ケ原」に行って見た。駐車場から「日出ヶ岳」山頂まで標高差120m、距離2kmであり、ゆっくり歩いて1時間弱で行け、Kは少し欲張って「正木ヶ原」迄行き、日も翳ってきて遅くなるのではと、焦って中道を通って帰った。
この帰りの間道がKにとってどうも良くなかった。平坦ではあるが全くでこぼこの道で、歩きながらこんなにこぶし大の石がランダムに敷き詰まった道でも足はそれぞれに対応して歩けるものだとKは感心しながらせっせと歩いた。結果的に1万歩以上も歩き、何とか帰れたのは良かったが、山登りの疲れからかKの左足全体が痛みだした。暫くすると治ると思いきや、中々痛みは治まらない。
痛みは以前の右足のふくらはぎではなく、左足の甲やくるぶしである。Kはインターネットでこの症状を調べると、疲労骨折の疑いがあるということで、病院へ行きレントゲン等で調べてもらった。Mは、疲労骨折ではなく、急に無理をして歩いたからだという。今迄の飲み薬は止め、Kに処方されたのは、鎮痛・抗炎症のロキソニンという湿布剤で、それを張り替えているうちに痛みも治まってきた。
一週間もしないうちに、再び山に登りたくなり、Kは足がまだ痛いのに、四国の「剣山」に出かけた。ケーブルカーとリフトでかなり頂上近くまで行け、そこから標高差は250m、距離は1200mで山頂へ行けるとインターネットに記してあった。歩くのは小1時間であり、足を庇いながらゆっくりと登り、そしてゆっくりと降りてきた。本当に足を庇って登山した積りであったが、Kの左足の甲とくるぶしの辺りが矢張り痛み出した。十分に痛みが治まっていないのに、無理をして山に登ったためであるようだ。
Kは毎日湿布剤を張り替えているが治りは遅い。もう3週間になるというのに痛みが残っている。Kは狭窄症が原因の右足のふくらはぎの痛みはほとんど無いということに感動していた。かっては、本当に少ししか歩けなかった足が、何時間も連続して歩けるようになったわけである。右足はほぼ完治したようであったが、今度は左足が痛くはなった。Kは無理さえしなければ、脊柱管狭窄症を患っても、百名山と名のつく山も何とか登れるようになると、本当に有り難く思った。
今Kの頭の中は「次に登る山はどこにしよう?」という考えで一杯だ。いつまた脊柱管が曲がりだすかは、神のみぞ知る範疇なのだろうか?Kは山登りをセーブすべきであろうか?