第8話【壮一、激昂】
幸田壮一、35歳━━ついに壮一は念願の弁護士となり、35歳の若さでそこそこの実績を積むことができていた。
仕事のほうは軌道に乗りはじめていたのだが、ついにこの頃、壮一は文恵に対して怒りを爆発させてしまう事件が起きることとなった。
30歳を過ぎてから壮一を産んだ文恵は、すでに70歳近い高齢。しかし、平均寿命を考えれば、まだまだ本格的に死を意識する段階ではない。
の、はずなのだが━━壮一は文恵の死を本格的に心配せざるをえない事態に追い込まれるのであった。
文恵は最近血圧が高いといって、あししげく病院に通っては薬をもらって飲み続けている。さらに血圧を測る測定機までも購入し、毎日真剣な表情で血圧をチェックし続けていた。
しかし、高血圧など気に留める必要はまったくないことを、壮一は田丸から教わって知っていた。
「おい、おばちゃん、高血圧っていうのは老化現象であって病気じゃないんだぞ」壮一は文恵に説明する。「年をとると血管が硬くなる。年をとると細胞の数が減るから、硬化することで血管を守ろうとするんだ。硬くなった血管で全身に血液を送るには、今まで以上の圧が必要になる。それが高血圧という現象なんだ」
文恵は血圧測定機で血圧を測りながら漠然と聞き続ける。
「たしかに高血圧だと脳溢血になりやすくなる。だから医者は降圧剤を処方する。それで確実に血圧は下がる。しかし、それで健康になれるわけではないんだ」壮一はいった。「全身に血液を送るために血圧を上げていたのにそれを下げてしまえば、全身に血液が充分に行き渡らなくなる。その結果どうなるか?血のめぐりが悪くなるんだから、内臓の調子が悪くなる。特に脳へのダメージは深刻で、アルツハイマーや認知症の主な原因は、この降圧剤だと考えられているんだ!」
そんな壮一に文恵はうざったそうにいった。
「もう、うるさいわね。今、血圧測ってるんだから静かにしてちょうだい」
「血圧なんか測る必要はないんだ。おばちゃんは今のままで充分健康なんだから!」
「高血圧で糖尿病で下痢もひどくて、このどこが健康なのよ」
そういう文恵に壮一は改まっていった。
「おばちゃんは今、営利目的の詐欺の医者たちにだまされているんだ。現在治療を受けている人の9割が、本来治療を受ける必要のない健康な人なんだよ。9割のうち7割が老化現象に名前をつけられて患者にされていて、残りの2割が健康診断でメタボやらときめつけられて治療を余儀なくされている中高年なんだ。治療を必要とする患者は1割しかいないんだよ」彼は続ける。「そもそも病人っていうのは、激しい痛みで日常生活が困難な人のことをいうそうなんだ。要するに多少支障があろうと、日常生活がおくれる状態は健康なんだよ!」
しかし、である。壮一がどれだけ説明しても、そもそも頭の悪い文恵に理解などできるはずもなく、血圧を測り終えた文恵は先日処方された薬の袋を開け、大きく口を開けて飲もうとした。その文恵の両手を壮一はぱしっと弾く。
「ああ!なにするんだい!」
文恵が飲もうとしていた薬の粉が、おかっての床にババッと散った。
「おばちゃんは健康なんだから、薬なんか飲む必要はないといってるんだぁぁぁ!」
「ああ、もったいないもったいない!薬が!薬が!」
拳を握りしめて怒りを爆発させる壮一など眼中にいな様子で、文恵は四つん這いになって床に散らばった薬を手で集め出した。
そんな文恵の姿から壮一は視線をはがし、肩で息をしながら外に出ていった。