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愛と大樹とグロテスク ー異世界で幼児無双ー  作者: D・マルディーニ
第1章 大樹の国のポルッカポッカ
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  5話 明るく楽しい異世界生活


 全身にチューブを繋げられて酸素やら鎮痛剤やらを投与されてなんとか苦痛に耐えている悪夢をもがくように味わってのち、ニコラはとうとう夢から覚めた。


 荒い呼吸であたりを見渡す。


 現実世界に戻ったのかと思った。

 闘病の激痛から逃れるために、異世界に転生するという馬鹿みたいな幻想を自ら生み出したのかと思った。

 しかし違った。

 いまニコラが目に見えている光景は、いつもと変わらぬ木でできた子供部屋だった。

 大樹の中を掘り進んで削ってドーム型にこしらえた大きな空間。

 いま横たわっているのは木床でできた赤ん坊用のベッドだし、傍では添い寝をしている若母の眠り顔がある。


 自分は気を失っていたのだとそこで初めて自覚した。


 ニコラは寝込んだまま左腕を上げる。

 まじまじと見つめてみても、あのクソミミズに齧られた痕などどこにも見当たらない。

 どこからが本当でどこからが嘘なのか――それともミトアグリアはあれほどの牙を有していながら、傷跡を皆無に人を食らうことができるのだろうか。


 状況を判断するために、ニコラは美しい母の小鼻をつついて起こすことにする。


「起きて母上。ブタみたいな鼻になってるよ」


 がばっと起きた。

 それからはもうキスの嵐である。

 うさぎみたいに瞳を赤くしたジーナが涙目でニコラを見つめ、傍から見れば笑いを堪えるような痙攣とともにおろおろと嗚咽を漏らし始める。

 ニコラの頭部を抱き寄せて、「んっんっ」と頬から額から唇から怒涛の接吻を浴びせてきた。


「もう目を覚まさないのかと思いました……」

「大げさだよ」

「そんなことありません。あれから何日が経ったと思っているのですか」

「三日?」

「三十四日ですけど」

「……へえ。ぜ、ぜんぜん大丈夫だし」


 一年が三六〇日強のこの世界では、地球の感覚を物差しにすることができる。

 一日の時間も二十四時間だ。


 ニコラの反応に、ジーナは整った眉をむっと寄せた。


「そんなことありません。ミトアグリアは、過去に何人もの子供を死なせてきたんです」

「へあっ!?」


 おいおいマジかよ、とニコラは思う。

 父上様はなんて肝の据わった奴なんだ。


「でも無事でよかった……」


 またもやキスの嵐である。


 いい母親なのだろう。


 生前にもいい母といい父を持っていたが、そのときの自分は本当に無力で両親に何も恩返しすることができなかった。

 この世界では立派な息子として親孝行しようと思う。

 生前にできなかった親孝行を。

 しかしエミリオ許すまじ!


「もうキスはいいよ。顔がべたべただよ」

「では最後にもう一度だけ」


 ニコラの右頬に、んま、と熱い口づけをする。


「どうせなら左もしとくかい?」

「しておきます」


 親バカである。


 左頬を差し出すニコラにもう一度だけ口づけをすると、羽織衣装をはためかせたジーナは、子供部屋を出てエミリオを呼びに行った。






「よお。遅かったじゃねえか」


 草煙草を吹かしながらエミリオが言った。

 エミリオは黒い髪に黄色い瞳をしていて、ジーナが頻りに「ニコラは父親似だ」と言うので、自分も黒い髪に黄色い瞳を持っているのだろうと察する。


「これでも早起きしたつもりだけどね僕は」

「身体の調子はどうだ。だいぶ肉体が改造されてるみたいだが」

「ん? 変わりないけど」

「変わりないって、お前、そんなわけないだろう」

「なにが?」


「幼少でミトアグリアに食われて三十日も寝てたんだ。成長著しいお前は、睡眠中に神経という神経を強固に張り巡らせてあるはずだ。初めてミトアグリアから神経負荷をかけられたんだから、再生するときはそれだけ太く強くなってなきゃどうしようもないだろ」


「と言われても……」

「大丈夫。お前はもう立派に魔術師の身体になってるよ。その証拠にほら」


 エミリオの指さす先、己の身体にニコラは目を向ける。

 よくわからない。


「何か変わってるのかい僕」


「……まだ見えるまでには至ってないのか。仕方ない、説明してやる。今お前の皮膚という皮膚から、青白く靄がかった魔力がこれでもかってくらいに漏れ出てやがる。無駄に垂れ流してるのはお前の点穴が緩んでるからなんだが、その制御の仕方はおばばにでも教えてもらえ」


「僕は強くなれるの?」

「ああ。零歳でミトアグリアに食われるなんざ前代未聞だからなあ」


 お前が言うな。

 ニコラは眉を吊り上げる。


「お前は初めて会ったときから化け物じみてたし、まあ死にはしないだろうとは踏んでたんだが……なあジーナ、俺の言う通りだっただろう?」

「あなたのことなんて嫌いです」


 頬を膨らませる母上。


「そう怒るなって」

「べつに怒ってません」

「これでニコラは、他の連中よりも早く魔術の才能を磨けるんだ。いいことじゃねえか」

「悪いとは言ってません」


「この世界は、腕っ節の強い者に対して有利にできているんだ。金、権力、魔術、武術、知恵、何でもいい。とにかく自分の武器を磨かなきゃ始まらない。ニコラはその取っ掛かりを見つけたってことで大目に見てくれよ」

「あなたのことなんて嫌いです」


 頬を膨らませる母上。


「おいおい……俺はこいつのために」

「あなたのことなんて嫌いです」


 頬を膨らませる母上。

 正直、むくれる母は大変可愛らしい。


「今度ほしいもの買ってやるから」


 エミリオが言った。


「ジーナは物では動きません」

「ほしいものはないのか? この前肩こりに効く魔具がほしいって言ってなかったか?」

「それならもう買いました」

「おい嘘だろ。じゃあどうすればいいんだ?」


 そこでエミリオは、まるで自分は天才なんじゃないかという顔でジーナに向き直った。


「娘、ほしくないか?」

「…………ほしいです」


 余所でやれ余所で。




     ◇




 その日からミトアグリアの捕食が日課になった。


 朝起きてすぐに捕食させるのは、神経を犯されたニコラが、胃の中のものを全部ぶちまけるからだった。

 体が出来あがってきたせいもあって失神することはなくなったが、それでもあの神経を糸ノコギリで削られるような電気的苦痛はまったく慣れるものじゃない。


 朝目覚めるのが怖くなった。

 だから眠れない。

 辛い。

 死にたい。

 不眠症のような症状を患って日々を過ごす。


 エミリオは言った。

「世界は甘くない」

 その言葉だけは信じたくなかった。


 病院の外の世界は死のにおいが蔓延っていなくて、白く輝く自由な世界に決まっていた。


 でもエミリオは、世界が甘くないと言う。

 甘くないから、ニコラを生かすためにボロボロになるまで鍛えると言う。

 ボネッティ=アメンドラはそういう家系なのだから諦めろ、と。


 本当に本当にふざけないでほしい。

 世界は絶対に素晴らしい。

 ニコラは病院の外の世界を欲している――。




     ◇




「ほらほら美味しいかい僕の腕は。ちゅっぱちゅっぱしましょうね~」



 いつかの乳母の真似をしながらミトアグリアに食事をさせる。


 ニコラは三歳になった。


 かつては地獄の人食行為だったが、今ではニコラの身体が出来あがって、ある程度の耐性を備えたので平気だ。

 もちろん滅茶苦茶激痛が走るけど、嘔吐するほどではない。

 過去にエミリオの軽い思いつきで、二匹同時に捕食されたことがあったが、それはさすがに失神してしまったので、もう二度とあんなことはしない。

 あれを二匹とか正気ではない。


 身体が成長したというのは語弊があるかもしれない。

 正しくは、無理やり成長させた――だ。


 ミトアグリアの神経癒着からの電気的刺激に耐えるために、ニコラの体は半ば強制的に神経の進化を選択した。選択せざるを得なかった。


 神経が太くなればなるほど、それだけニコラの魔力回路も強くなる。


 零歳という成長期から毎日ミトアグリアの食事をつづけてきたニコラは、その身に爆発的な魔力を宿していた。


 おそらく、平均的な成人魔術師は遥かに越えている。

 今の段階で、一級の魔術師を笑い飛ばせるくらいの魔力量。


 ニコラの点穴から噴出する魔力は、もはや周囲の物に影響を与えるほどだった。

 しかしニコラももう三歳。

 点穴の制御はもはや完全に習得しており、普段は閉じ切っているので漏れることはないし、意図的に放出させることもできる。


「よし、食事終了かな。そろそろ僕も食卓に行こう」


 ぬぷっとミトアグリアを引き抜いてガラス箱に放り投げる。

 腹をぱんぱんに膨らませた血色ミミズがびたんびたんと小躍りした。


 赤と黄の着流しを纏ったニコラは自室を出た。

 この国の服装というものが段々とわかってきた。

 普段の私服は思ったより自由な組み合わせがあるらしい。


 中華系をベースに重ね着をしたり裾を縛るようなズボンがあったりするがニコラもその例に漏れない。

 絢爛な刺繍を縫い込んだ赤と黄色の着流しは半袖で、腰には分厚い帯が巻かれて、ズボンはぶかぶかの絞りパンツ。足先の裾はすっぽりと樹皮の編み込みブーツの中に入れ込んである。


 屋敷は大樹の中にあるので一年中半袖でいられた。

 それにカジノギルドの一家が居住しているのは、地の中の根っこである。


 大樹ポルッカポッカの地下一階層がカジノギルドで、地下二階層がカジノで、地下三階層以下の根っこがギルドファミリーの居住区。

 一般的な国民の居住区は地上五階から七階にあり、ギルドファミリーと対比して一般的に地上町と呼ばれている。


 屋敷の廊下は大樹の中だからもちろん真っ暗で心許ない。


 部屋の明かりは魔晄結晶を使った照明でスイッチのオン・オフがあるが、廊下の明かりはオン・オフの必要がなく、常に最低限の明るさが欲しいため、ヒカリダケという種類のキノコを、廊下の木壁から無数に生やしている。


 ちょっとした珍景である。


 そのヒカリダケの傘首に木札のお守りを括りつけるのがこの国の習わしらしく、部屋に最も近いキノコにはいくつかの種類のお守りがかけられていた。

 とりわけニコラの部屋の前には幸運札が多数ある。

 命を狙われやすいからだろう。


 夏祭りの灯篭みたいに明かりの続く廊下をずんずん歩く。


 らんらんらん。


 すごいといつも思う。


 右も左も、上も下も、すべて木だ。

 大樹の中をモグラが掘り進んだかのような廊下。

 屋敷の外も大体こんな感じだ。

 ただ単に、廊下ほどの空間から球技で遊べるほどの空間に成り変わるだけである。


 一際大きな木扉を右手で押して食堂に入る。


 馬鹿みたいに長いテーブルにはもうジーナが座っていて、右手にナイフ、左手にフォークをがっつり掴んで、瞳をきらきらと輝かせていた。昔から食い意地の張った母上だ。


 エミリオの姿は数日前から見当たらない。

 仕事で遠征しているかもしれない。


 椅子の前に立つと、何も言わずに侍女のグレタが椅子を引いてくれる。

 ジーナの傍にはジーナ専用のリタが備えている。

 リタは、垂れ目で色っぽくて背が高い。

 座りながらニコラは、ニコラ専用のグレタに微笑んだ。


「おはようグレタ。今日も美しいね」

「おはようございます坊っちゃま。今日も寝癖がついてますよ」


 いつもの〝小言のグレタ〟である。


 目の前にずいと置かれた料理は、ポル食と呼ばれるこの国の一般的な朝食だった。


 神の祈りとかはない。

 向かいの席のジーナが目配せしてきて、フォークとナイフの底をとんと台で鳴らす。


「いただきましょう。いただきましょうニコラ。いただきましょう」

「そうだね」


 可愛い母を横目にクワガタのソテーにナイフを入れる。


 これは地上町で養殖されたガイアオオクワガタの幼虫を、強火で焼き目をつけたあとに、じっくりと中まで火を通した料理だ。

 和食でいう白身魚の立ち位置で、幼虫のくせに40センチほどの大きさがあって、比較的ポピュラーな食材だと言える。

 味も魚と同様に淡白で癖がない。

 表面の緑色と赤色は乾燥させた香草を砕いたもので、これがまた味をぴりっと引き締めて別格なのだ。


 小さく切り分けた白いブロックを口に含む。


 動物性の油と香辛料の風味が口いっぱいに広がって、大変美味である。

 面白いのは食感で、エビのぷりぷりとナタデココのこりこりを足して割ったような――こぷこぷという感触。


 噛むたびに肉汁がじゅわあっと溢れて旨みが膨らむ。


 大きく切り分けるとお年寄りが喉を詰まらせて死ぬ――という問題があるが、昆虫という拒絶感を消し去るほどにニコラの大好物である。


 お吸い物はニジイロキノコのスープ。

 出汁がよく出ているのか、スープの表面には油膜のように虹色が浮かんでいる。

 キノコとオニオンの層に紛れて、トウモロコシムカデの切り身がぽつぽつと垣間見え、思わず涎が噴出した。お椀に口をつけて飲むことは別にマナー違反ではないらしいので、さっそくむしゃぶりつく。

 うん、キノコとコンソメの味だ。

 塩辛い風味が鼻を抜けて、舌には最後にオニオンの甘みが残る。


 くうぅ――とニコラは感嘆の息を漏らした。


 主食は、樹蜜をお好みでつける麦パン。

 ミトアグリアにエネルギーを吸い取られただけあって食が進む。

 幼児の手でパンを掴み取り,はむっとかぶりつく。

 そこでようやく、こちらの様子を窺ってニコニコ笑っているジーナに気がついた。


 とりあえず笑い返して、ニコニコニコラに変身しておいた。

 えへへっ。


「美味しいですか?」

「美味しいよ母上。えへへ」


 あざとい。

 あざとい乙女、ニコラ。


 なぜかグレタの視線が痛いのは、普段は子供らしくない行動をしているせいだろう。


「そうそうニコ坊っちゃま。今日、旦那さまがご帰宅なさるそうですよ」

「……あお」






 リタ:ジーナの付き侍女。

 グレタ:ニコラの付き侍女。

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