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愛と大樹とグロテスク ー異世界で幼児無双ー  作者: D・マルディーニ
第1章 大樹の国のポルッカポッカ
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  4話 かくも愛しきミトアグリアⅡ


「――は?」


 ニコラの口から間の抜けた声が漏れた。

 ミトアグリアとかいう訳のわからぬ生物に、僕が食べられる?

 勘弁してくれとニコラは思う。

 肌を這いずり回るミトアグリアを想像して、あまりのおぞましさに身の毛がよだった。


 ニコラが恐怖を感じているのを知ってか、エミリオは急に目を輝かし始める。

 ガラスの箱からミトアグリアを鷲づかみにして、ニコラの眼前へと近づけた。

 梅干のような酸っぱいにおいがした。


 ナメクジというよりはミミズだった。


 筒状の口がむちゅりと開いて夥しいほどの牙を露わにする。

 その牙が、決して牙と言えるような生易しいものではなかった。

 裁縫針である。裁縫針の連なりである。


 ニコラは泣きそうになった。


「こいつの口が見えるか。歯が見えるだろ。それでまず腕を噛んでもらう」

「――は?」


 またもや間の抜けた声が漏れた。

 いや、だって、歯じゃないよあんな代物。

 円形に、無数の注射針を突き刺されるようなものだ。


 エミリオは生き生きして説明をつづける。


「こいつの歯が人体の神経と繋がる。そこから人間の電気的な刺激を食って食って食いまくる。めちゃくちゃ痛いけどお前なら大丈夫だろ。こいつに神経を齧ってもらえれば、それだけお前の神経は発達して魔力回路がよりいっそう強固になる」


「…………」


「魔力を増強させる一要素だと言われているのが、精神的苦痛だ。まあこれはおまけ程度だが、生後八ヵ月の恐怖とやらを俺はうまく活用してえんだ。わかるだろ?」


「…………」


「主題はミトアグリアを使って魔力回路を太くすることにある。魔術師を目指す奴は幼少期からこの訓練を受けてるんだ。諦めろ。なに、お前は他の奴らより五年ほど経験が早いだけに過ぎんさ」


 ニコラは生唾を呑み込んだ。

 五年早いと言っても生後八ヵ月にすることでは決してない。


「た、愉しくなってきたじゃないか」


 強がる声が震えた。

 気になることを一応聞いておく。


「……死にはしないんだよね?」

「んー?」


 血色のミトアグリアがうねうねとのた打ち回ったので、エミリオがぎゅうと握り締めた。

 筒状の唇からぎいぎいと悲鳴があがって、ニコラの質問は有耶無耶のまま、霧のように掻き消される。


「やっぱり男は強くあるべきだと俺は思う。とりあえずやってみろ」

「ちょ、ちょっと待って。明日にしない?」


 頬を引きつらせたニコラをエミリオは無視する。


「ジーナ押さえろ」


 眉を下げたジーナは拳を握って動かない。


「ジーナ」


 冷たい響きだったが、それでもジーナは動かない。


 ジーナとてニコラにはまだ早いと思っているのだ。


 幼いニコラには与り知らぬことだが、屈強な魔術師に育てようと早期にミトアグリアを利用した家庭の子共たちは、軒並み泡を吹いて死亡している。早くて五歳が限度だという通説を破る者は、今の時代では久しい。


「もういい。俺がやる」


 エミリオが鼻頭に皺を寄せて言い捨てた。

 父上が右腕を振るうと何もない空間に魔法陣が浮かび上がる。


 青く輝く幾何学模様の連なり。


 ニコラは今なにが起きようとしているのかもわからず、煌めきの奔流に目がやられてしまわぬように腕で顔を覆い隠した。瞬時に世界が暗転して、周囲の状況がわからなくなる。



 有機現系魔術・樹木属性第五位相当〈ツリー・テンタクル〉。



 目を塞いでいたニコラの腕が無理やり引き剥がされて、その引き剥がされた腕に纏わりつく樹木の触手を見た瞬間に、ニコラは悲鳴を漏らした。

 樹木が意志を持つかのように動き回っている。

 子供部屋の木壁からまた新たな芽が萌えて急速に成長し、柔軟な太い蔓となって力強くニコラの右脚に飛びついた。


 ――拘束される。


 今度は二本同時に蔓が生えた。

 身動きの取れないニコラは為す術もなく、残りの腕と脚を植物の義手によって絡め取られてしまう。ニコラが生まれて初めて感じる魔術は、奇しくもSMの味がした。


 歯をぎりりと噛みしめるニコラの元へ、父上が見るもおぞましい生物を片手に近づいてくる。

 逃げなければならない。

 しかし両の手は万歳の形で吊り上げられ、両脚は股が裂けそうなほど引っ張られている。磔にされた聖職者の如く、ニコラはひとつも身動きが取れない。


 父上はまるで自分の手のように植物を操ってみせた。



 これが、魔術。



 前世人類が夢見たエネルギーの等価交換の果てに行き着く一種の奇跡。

 化学反応なんかではない。

 いわば電気から黄金を生み出すようなものだ。

 物理法則を無視した嘘のような現象は、確かにニコラの身体に実感を以って感じられる。


 ――植物の脈動。


 父上はもう目と鼻の先にいた。

 ジーナは目を背けている。

 エミリオの掲げた片手からぎいぎいという鳴き声を聞いたとき、ニコラは心底から降参した。


「……わかったよ」


 吊り上げられているせいで両手を上げる手間もない。


 もう逃れられないことも、ミトアグリアを拒否できないことも、頭では理解しているのだ。

 勝負はもうエミリオが魔術を発動させた瞬間に決していた。

 拘束されている今の身ではエミリオの言うことこそが絶対で、エミリオが決めればそれがすでに決定事項なのだ。


「僕が自分でするよ。拷問には慣れてる」


 ほう、とエミリオは感嘆の息を漏らした。


 考えようによっては、これは別に大したことではないのかもしれない。

 なにせこの世界の子供たちは六歳でこのミミズに食われているのだ。

 それは言い換えれば、六歳の子供が耐えうる苦痛に過ぎない。

 自分も全身に病魔が巣食って「痛い痛い」と苦しみながら生き抜いてきた。

 それを最高位だと計算しても、一ランクか二ランクは下の苦痛なのだろう。


 右腕の蔓が締まりを解いた。


「落とさないように気をつけろ」


 エミリオからミトアグリアを受け取る。

 ぬちゃっとした感触が手のひら全体に広がって、気色悪い。

 しかもニコラの腕より太いので、この小さな手ではなかなか掴むことができない。


 うねうね蠢くミトアグリアをなんとか手のひらの上に乗せている状態で、ニコラは半泣きの笑いを浮かべている。


「左腕を食べさせればいいのかい?」

「ああそうだ」


 ニコラは手のひらのミミズをまじまじと見つめる。

 その裁縫針みたいな牙をまじまじと見つめる。

 ああマジかよベイビーと思う。


「お前は俺よりも強くなる。その最初の試練がこれだ。できるよな?」

「黙って見てろ父上様。僕はやるよ」


 ……やれないよ。


 本当に六歳の子供がこんなものに食われているのだろうか。

 もしかして自分は父上におちょくられていやしないだろうか。


 そもそも八ヵ月の子共なんて自ら歩きだそうとする最も可愛らしい時期で、最も目を離してはいけない危ない時期でもある。

 そんな赤子に裁縫針をぶっ刺そうとする親がこの世にいるだろうか。

 でもここは前世の常識などひとつも通用しない未知の世界なのだった。


 ニコラは右手を掲げて左腕に近づける。

 ミトアグリアがぎいぎいと鳴く。

 それは喜びの雄叫びなのかいどうなんだい?


 右手を、左の二の腕の位置でぴとりと停止させた。

 ここから横へ移動して、このミミズに自分を食わせてやればいい。

 それだけだ。

 たったのそれだけ。

 行け。

 行け。

 行ったか?

 行ってない。


 ニコラは心臓の音を高々と聞いた。


 想像の中では手にひらが横移動して完全にミミズが自分の肉を貪っているのに、現実の自分の右手は一ミリたりともその場から動いてなかった。


 もうやめたい。

 心の底からやめたい。

 でも何度拒否しようとしても、エミリオは話をはぐらかしてやらせるつもりだ。


 エミリオは自分のことを次期頭領候補だと言っていた。

 それなりに成功してきている人間は、自分の考えを正しいと思ってなかなか変えようとしない。だからいくらニコラがやめたいと願ってもやめることなど許されない。


 黙って見ていろと告げてあるのでエミリオは何も言わない。


 目蓋を閉じて深呼吸をする。

 この世に来て初の激痛である。

 如何に準備しようとも、したりないに決まっている。


 そもそも神経の電気信号を食われる痛みとはなんなのだ。


 神経の痛みはよく知っている。

 座骨神経痛、幻覚痛、どれも耐えられる。

 歯痛。これは神経痛の中でもかなりやばいと思う。

 だが耐えられないことはない。


 シミュレートしてみる。

 左腕の皮膚すべてが虫歯の神経の剥き出し状態で、微風が吹いただけでも跳び上がるような痛みが走る。

 よし。

 その痛みを想定して、無数の裁縫針で突き刺される感触はどうだ。


 わかるかそんなもの。


 零歳の細腕が鋭敏な感覚を持っていることも忘れてはいけない。

 人は成長していく過程で皮膚を分厚くして神経の感覚も鈍っていくものだ。

 年寄りが熱い物を持っても平気なからくりはそこにある。


 目を開けた。


 再挑戦。


 もう一度右手に力を入れて今度こそ横にずらす。

 ずらしてみせる。


「見てろよ父上母上。僕は出来る子だ」


 唸るような声で宣言する。

 ふーッ、ふーッ。

 獣じみた荒い呼吸が、雪の降りそうなほど静かな木部屋にこもった。

 ミトアグリアを乗せる右手のひらは馬鹿みたいに震え、頭だけが異様にでかい幼児体型に信じられないほどの汗の玉が貼りつく。瞳と小鼻の隙間を通って、噛み閉めた上唇までするりと汗が垂れ落ちた。


 行け。


 行け。


 今度こそ行け。


 横にずらせ。


 ミミズが口を開けて待ってるぞ。


 行くんだ。


 がぶりと行け。


 父も見てるぞ。


 母も見てるぞ。


 男を見せろ。


 この世界で生きるんだろ。


 明るく楽しく生きるんだろ。


 歯を食いしばれ。


 強くなるためだ。


 行け。


 もう死んでもいい。


 死ね。


 死ね。


 死んでしまえ。


 ミミズに食われて死んでしまえ。



 右手が、横に、ずれた。



 にちゃりと唾液の糸を引く裁縫針が、骨を砕かんばかりに噛みついた。

 肉と肉に挟まれたときの圧迫感がある。


 なんだ全然痛くな――













「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんっ!」



 ニコラは一発で意識を飛ばした。



 そこにいるのはもうニコラではない。

 涎を撒き散らし、白目を剝いて、電撃でも浴びたかのように小刻みに痙攣する赤子である。慌ててジーナがミトアグリアを引き抜こうとするが、裁縫針の牙がニコラの神経と繋がって引き剥がせない。力一杯引っ張っても、ミトアグリアだけでなくニコラまで引き摺ってしまう。


 ジーナに残された選択肢は二つ。

 このままミトアグリアの食事が終えるのを待つか。

 死を回避するためにニコラの腕を切断するか。



 ジーナはその場に崩れ落ちて前者を選択した。




三人称一元視点から三人称神視点へと、視点のブレがあります。

意図的にやっているつもりですが、読みづらいのであればご指摘ください。

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