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愛と大樹とグロテスク ー異世界で幼児無双ー  作者: D・マルディーニ
第1章 大樹の国のポルッカポッカ
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1章1話 幸福と不幸と転生


 不思議なことに、痛みを感じなくなった。


 何度か心臓が止まっているのは自分でもよくわかる。

 急に胸が締めつけられて、心臓を吐いてしまいそうになるほど苦しくなるのだ。

 たぶん、苦しいのだと思う。

 でも心臓が止まっている間は生きることに必死で、何かを感じるような暇なんてどこにもなかった。ただただ全身を硬直させて、胸の圧迫感に耐えて、口から心臓が出ないようにと仰け反るくらいだった。


 でもそれが、今は嘘のように何も感じない。


 やがて自分は悟る。

 これが、最期の平穏というやつなのだろう。


 ちらりと周囲を見渡すと、両親の顔が見えた。

 恐怖に駆られたような、心配そうな、それでいて慈しみに溢れた顔。

 その傍らには親族もいる。

 医師や看護師も、ベッドに横たわる自分を見つめている。

 医師のほうは何かにつけて腕時計を確認した。

 看取りの準備に入っているのだ。


 真っ白な病室に、温かな風が入り込んできた。

 ふわりとカーテンが舞って、桜の花びらが枕元までやってくる。


 痛みを感じていない内に、これだけは伝えておこうと思った。

 命を振り絞って、喉を締めつけて、からからな声で言う。


「お父さん。お母さん。僕を生んでくれてありがとう。この十五年間、幸せでした」


 母の顔が歪んだ。

 口元に手を当てて嗚咽を漏らし始める。

 父の目にも光るものがあった。


 こんなはずじゃなかったのになあ、と思う。

 こんなはずじゃなかったのに、自分までもらい泣きをしてしまった。


 父と母の愛情は言葉にできないほど注いでもらった。

 ものすごく愛されていたのだとこの期に及んではっきりとわかる。

 それには感謝の言葉しか出てこない。ありがとう。


 ただ――


 ただ、本当のこと言わせてもらえるのであれば、


 ――僕はあまり幸せじゃなかったよ。お父さん。お母さん。本当に、ごめんね。


 生まれつき病弱な自分には、あまり自由というものがなかった。

 べつにそれで構わなかった。

 子供の頃から自由がなかったし、それが当たり前だと思っていた。

 他の子も自分と同じように自由がないものだと思い込んでいた。

 でも違ったのだ。

 自分は特別だったのだ。自分だけが自由を得られなかったのだ。

 他の子は外を自由に走り回れるのに、自分が走ると息切れして病院に運ばれてしまうのだ。


 きっと何も知らなければ、こんな感情を抱かなかったのだろう。


 盲目な人間は盲目ゆえに不自由を感じない。

 だけど一度世界の美しさを目にしてしまったら、盲目であることを恨むに違いない。

 もう一度あの美しい風景を目にしたいと思うに違いない。

 少なくとも自分はそうだった。


 自分は、だから、謝りつづける。


 お父さん。お母さん。ごめん。

 僕は知らなきゃいいことを知りすぎた。

 羨ましいという感情など持つべきではなかった。

 いっぱい愛情を注いでくれてありがとう。

 僕はすごく幸せだったんだと思う。

 でもそれと同時に、不幸せだったんだとも思う。


 お父さんとお母さんには、だから、「ありがとう」と「ごめん」。


 でもこれだけは言える。

 心の底から言える。


 僕も、お父さんとお母さんのことが、大好きだよ。



「――13時50分。ご臨終です」




     ◇




 唐突に浮遊感を覚えた。


 何かに包まれるような感覚があって、次にゆさゆさと揺られるような感覚がある。

 周囲を確認したいのだが、目蓋が重くて目を開けられない。

 それもそうか、と思う。

 自分は死んでしまったのだ。

 死んでしまったのだから力が入るはずがない。


 じゃあこの浮遊感は一体なんなんだ?


 次第に耳が鮮明になってきて、人の声のようなものが聞こえた。

 そればかりか手足の末端にまで感覚が行き届いて、死んでいるはずなのに指を動かすことができた。


 これなら――


 ゆっくりと目を開ける。

 最初は視界がぼやけていたが、目が光に慣れるとくっきりと映像が浮かんでくる。


 白髪のお婆さんだった。

 白髪のお婆さんが覗きこんでいた。

 目と目がかっちりと合う。

 どうリアクションを取っていいかわからず固まってしまう。

 お婆さんは構わずに抱き上げ、ゆさゆさと揺らしながら歩いていく。


 え?

 抱き上げて? 揺らしながら? 歩く?


 視線をさらに巡らせる。


 どうやら木造建築の室内らしいが、電気が弱いのか少々暗い。

 鼻の奥には、森林のカブトムシのようなにおいが届いた。

 ずいぶん前に車椅子に乗って森林浴をしたことを思い出した。

 そのときと同じにおいで懐かしく感じる。


 さらに視線を動かして、お婆さんの腕や自分の体を確認する。

 お婆さんの体の大きさ自体にはなんら異常はない。

 問題なのは、自分の手足の大きさだった。

 信じられないほど小さく、短い。


『ジーナ。可愛い男の子だよ』

『よかった……』


 もう一人いる?


 声のしたほうに目を向けると、寝台に横たわる女性がいた。

 黒蜜の髪の毛が汗で頬に貼りついており、疲れ気味な様子でこちらを眺めてくる。

 女性の瞳には親愛の色があった。

 寝台からゆっくりと手を伸ばして頬を撫でてこようとする。


「ちょっと待って」


 声に出してみた。

 予想通りの甲高い声だった。


 女性の伸ばした手が即座に止まり、抱き抱えるお婆さんの体がぴくりと跳ねた。

 二人とも驚きの表情でしばし見つめ合い、沈黙をつづけたあと再度こちらを見つめてきた。


 なるほど。


 大体の事情は察した。

 つまり自分は、生まれ変わったのだと思う。


 寝台に寝ているのが、たぶん母親。

 そしてこの老婆は助産師かなにかだろう。


 この人たちの言葉は馴染みがないので、少なくともここは日本ではない。

 室内の設備からして先進国という可能性も少ない。

 というか、設備と呼べるかも疑問だった。

 湯を張ったタライくらいしか準備していないし、木造の部屋が分娩室というのはさすがに不衛生かもしれない。


 あまりにもお婆さんが見つめてくるので、にへっと変な笑いを浮かべた。


『ひ、ひええええええええ!?』


 ぽいっ。


「うえっ!?」


 嘘でしょ!?


 思いきりぶん投げられた。

 まるで時限爆弾を手渡されたかのような反応だった。


 肝の底がさっと冷え込む。


 中空に放り出されて視界がぐるりと一回転し、そのあとはずっと手足をばたつかせてバランスを取ろうとしたが無理な話だった。

 赤子の重心はどうしても頭部にいく。

 どれだけバランスを取ろうとしても床に衝突するのは頭だ。


 寝台から母親の悲鳴が聞こえる。


 覚悟を決めた。


 腕で頭を抱えて庇い、衝突に備える。


 ――ゴツ。


 心の底から思う。


 痛いよおおっ!

 なんなんだよおおっ!

 おうちに帰してよおおっ!


「ほわああああああああっ!」


 床をのた打ち回って、打ちつけた骨盤の痛みをなんとか誤魔化そうとする。


『母上! どうして投げ飛ばしちゃったんですか!』

『ジーナよく聞いておくれ。こいつは鬼子だ。鬼の子だ。悪魔の笑みを浮かべていた』

『いいえ違います。私の目には可愛らしい赤ん坊の笑みに見えました!』

『何を寝ぼけたことを。先ほど悪魔の言葉を聞いただろう?』

『あれは言葉ではありません。産声です!』

『いいや。あれは間違いなく言語だった。意味のある言葉を発していたよ』

『違います。あれは産声です!』

「ほわああああああああっ!」


 母と助産師が何やら言い合いをしているがそれどころではない。

 というか言い合いをする暇があったら、まず赤子の様子を確認していただきたい。


 額を床に擦りつけてぷるぷると震えながら痛みが去るのを待つ。

 大きく息をつく。

 痛みが過ぎ去ったのち、立ち上がって、膝の汚れをぱんぱんとはたいた。


『ジーナ、見るんだ。赤子が生まれてすぐに立ち上がるかい。生まれたばかりの赤子が膝をぱんぱんとはたくかい。目も見えないはずだよ。首も据わっていないはずだ。なのにこれはなんだい。これを見てもまだ、この子が鬼子じゃないと言うのかい』

『……母上。この子は天才かもしれません』

『あんぽんたんっ!』


 生まれたままの姿でとことこと歩いて、助産師の衣服をちょいと引っ張る。


「ねえ、僕落ちたんだけど。無視しないでよ」


 助産師が目を見開いた。


『ぴぎいいいいいいいいっ!? 鬼子じゃああああああああっ!?』


 何を言っているのかは全然わからないが、「ぴぎー」と言っているのだけはわかった。

 ……なんだよ、ぴぎーって。


 そのとき寝台にいた母親がいきなり抱き締めてきた。

 床に女の子座りになった母は、息が苦しくなるほど強く抱き寄せる。

 軽装の奥から母の汗のにおいがした。

 母の心臓の音を聞いた。

 母の温かさを感じた。

 自分はこの感じをよく知っている。

 生きている頃に精一杯注いでくれた両親の愛情と同じ類のものだ。


『この子は鬼子なんかじゃありません! 私の子供です!』


 そうか。

 この人も母親なのだ。

 子を愛する母親なのだ。


 正直言って、自分はこの女性のことを、母親として愛せるのかまだわからない。

 前世の両親に対する想いが強すぎるのだ。

 死ぬことに対して折り合いがつくくらい両親は愛してくれたのだ。

 それは絶対的なものだった。

 無償の愛だった。

 だから自分はある程度満足して逝けた。

 そのことに引っ張られすぎている自分がいるのだ。


 もしこの女性を母として愛してしまったら、

 前世の両親に対する裏切りになるのではないだろうか――?


『この子は私の! 大切な子供なんです!』


 わかるよ。

 なんとなくわかる。

 この人は僕を庇ってくれている。


 何か悪いことをしたつもりはないが、きっと自分はいけないことをしたのだと思う。


 たしかに赤ん坊がいきなり立ち上がったり話しかけたりするのは驚く。

 今にして思えば、実に気味の悪い赤ん坊だと思う。

 助産師が思わず放り投げた理由も今ならよくわかる。

 というかなぜ自分は赤子の振りをしなかったのだろう。


 そう。

 気味の悪い赤ちゃんなのだ。


 この土地の風習で悪魔の伝承があれば、悪魔の子だと勘違いするかもしれない。

 だから助産師は声を張り上げて、今すぐにでもこの子を山に捨てろとでも言っているのだろう。


 もっともなことだ。

 反論の余地はない。

 自分は一番最初に失敗したのだから、このような運命になっても仕方がない。

 だからこそ余計に母親の行動が胸に沁みる。


 またこれだ。


「ありがとう」と「ごめんなさい」。


 生まれ変わっても結局のところ自分は自分なのだ。


『ちゃんと育てますから。育てますから、この子を殺さないでください』


 背後で、助産師の息を吐く音が聞こえた。


『……わかったよ。ただし、ちゃんとしつけることだ、いいね。一歳になるまでは人前で歩かせちゃいけないよ。無闇やたらにしゃべらせるのも駄目だ。死んでも隠し通すんだ。隠し通せなきゃどの道、この子の命はないよ。わかったね』

『……はい』

『エミリオには伝えておきな。父親にまで隠しておくことはない』

『わかりました』

『――で。どうするんだい?』

『何をです?』


 母が顔を上げた。


『この子の名前だよ。もう決めてあるんだろう?』


 ゆっくりと息を吸った。


『――ニコラです。幸せの子と書いてニコラです』

『そうかい。いい名だ』

『はい』


 それから母親はこちらを覗きこんで、人差し指でほっぺたをつつきながら、


『キミの名前はニコラでちゅよー。よかったでちゅねー』


 と言った。


 悪いけど何を言っているのか全然わからなかった。

 なんとなく馬鹿にされた感じがした。


 でもまあいい。


 ひとつだけわかっていることがある。

 生まれ変わっても自分は自分。


 でも、だけど、ここは、


 病院の外の世界なのだ。



 ニコラ・ボネッティ=アメンドラ:転生者。主人公。

 ジーナ・ボネッティ=アメンドラ:ニコラの母親。

 エミリオ・ボネッティ=アメンドラ:ニコラの父親。

 イゾルデ・ボネッティ=アメンドラ:ニコラの祖母。エミリオの母。

                  ニコラは助産師だと勘違いしている。



 10万文字前後で一区切りがつくように頑張ります。


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