トウキョウの最終日
さて、トウキョウの最終日。とは言ってもゲームが終わるわけじゃない。
僕の時間が足りなくなったんだ。
僕は、変な時間、特に早朝や深夜に入る事が多かった。それは自覚していたのだけれど、最近忙しい。作業や勉強が増えて、時間が取れない。どうしても。だから、このゲームからしばらく離れると決めた。
行きたい場所が一つだけあったから、必死にレベルを上げて、アイテムや回復道具も買い揃えた。お世話になった人への挨拶も考えたのだけれど、止めておいた。離れるっていうのはそういう事じゃないし、大掃除の半ばで昔の写真アルバムを見るぐらいには、決めた作業をじゃまする。
今、僕の目の前には扉がある、真っ白な両開きの物だ。これは最上階にある扉。そう、現時点での最高点、このトウキョウダンジョン百階にある、最後の攻略するべき場所。
ヨーロッパ王城のそれに近いデザインで、上はもやが掛かっているから見えない。天を突くように、どこまでも伸びている。控えめに言っても、巨人やドラゴンが頭をぶつけずに通れるだろう。
自分ではまだ通った事が無いけれど、人によって敵の内容が変わるらしい。それまでの他人への対応は反映されるし、異種族や街のNPC、商店の店主もそれに含まれている。さらにスキル構成、戦闘スタイル、能力値、仮想空間にいた時間等など、全ての数値という数値を合計して決まる。
それは例えば雷をまとった神々しい神であったり、大鎌やギロチンを構えた死神であったり、人なつっこい柴犬や小鳥の場合もあるみたいだ。小鳥は、鳴き声を聞かせながらたっぷりと周囲を飛んだ後、突然消えたらしい。
全ての数値か。このダンジョンでは、色んな人に会ったねぇ。記憶を掘り起こし、思い出す。
鎧を着た騎士のランスさんと、その相方の箒に乗った魔法使いさんとは一日目にすれ違っていたみたいだし、コマイヌの攻略を手伝って貰った。ムシヒメさんにはレベル上げを手伝って貰ったし、その装備を見て驚いていた生産職の中には、ソフトクリームの屋台をやっている人や、ウイングブレイドを作れる鍛冶屋さん、美味しいサンドイッチを作るパン屋さんが居た。
人工知能だとガーゴイルさんや女王様も居たね、時間が無くて合うことが減ったけど、今でも元気に飛んでいるかな。そうそう、あの闘技大会の優勝者は、以前僕の隣でオオカミ相手に剣を降っていたみたいだね。二十を越えるダメージを叩きだして、次の階に進んだのは印象深い。
最後の戦いが終われば、この世界とのお別れだ。僕は扉に手をかける。
なぜか取っ手が凄く重いけれど、気のせいかな? これ横開きじゃないよね、ちょっとずつしか動かないけれど、自動で開くタイプなの? 横に動かして……嫌な音がしたから素直に引こう、地面に両足を踏ん張る。
途中からは手応えも軽くなり、無事に扉は開いた。良かった良かった。
足を踏み入れる。念には念を入れて、目視の警戒をしながら、ポーチに利き手を入れて回復アイテムをつかむ。自分のレベルを十分に上げ切っていないから、僕の体力や防御力は必要最低限だ。手の中にある高価な回復アイテムで、能力をごまかすしかない。
そこに広がっていたのは、古代のローマ神殿を思わせる、太くて丸い石の柱が立ち並ぶ光景。僕が歩く場所の左右に、街路樹よろしく存在している。
物の大きさがおかしくて、時間の感覚まで狂ってくる。とにかく、少し中を歩いた頃、その声が聞こえた。
「良くぞ参った、歓迎しよう」
老人と若い女性が、同時に喋っているような響き。これが僕に用意された敵か。
「お前の望むものを与えよう。さあ、答えをのべよ」
声は言う。一つだけ、何かをくれるという事らしい。こういう時は、返答さえ間違えなければ、戦わなくてすむはずだ。
自分の口元が笑みの形に歪む。そういう事なら、もう決まっている。この世界で、好きな様に毎日を過ごしていたのだから。世界から、しばらく去るのだから。
「僕は、何も求めない」
一瞬の沈黙。
「了解した」
答えを口にすると、再びその声が響いた。まぶしい光が視界を純白に染め上げる、光がおさまると、目の前には大きな大理石の塊があった。
ただし、剣が刺さっている。ウイングブレイドだ。昔使っていた物に良く似ているけれど、あれよりは綺麗な刀身をしている。
何も求めないと言ったのに、この世界は妙に押し付けがましい。
ポーチから手を離して、ウイングブレイドの柄を握る。そして僕は、白い光に包まれた。
じわじわと世界に色が付き、風が吹いて音が聞こえる。食べ物の匂いもする。
空が、珍しく晴れていた。トウキョウの、灰色の空が。
景色に見覚えがある。どうやら、外にある町へ転送されたらしい。この世界に初めてきた時と、さほど変わらない場所に立っているみたいだ、こんな時だけ親切にならなくてもいいのに。
台座から持ち上げたら敵が湧く、何て事も考えていたけれど、今回は、そこまで不幸じゃあ無かったらしい。
手の中には、先程貰ったウイングブレイドがある。詳細な数値を確かめながら、じっと見つめる。数字と手の中の重みで、このゲームをクリアしたのだと、実感する。数値の表示を消して、メニュー画面へと手を伸ばした。
さて、僕がやるべき事は、後一つだけ。
何だかんだ言っていたけれど、面白かったよ。機会があれば、もう一度来たいな。事あるごとに死亡するゲームバランスも、たまには良いかも。そんな事を考えながら、この世界から退出するボタンを押す。
仮想空間から僕という存在が薄れてゆき、やがて透明になって消えた。
「楽しかったよ、またね」