トウキョウの半年目【前半】
青い巨獣が飛びかかってくる。それを避けて、鈍器の様に刀身を敵の脇腹へ打ち付ける。堅い手応え、少なめに見積もっても、あとしばらく切り合わないと倒れてくれなそうだ。
相手は四本の足で地を踏みしめる。
僕も身構えてにらみ合う、やけに長く感じたけれど、一瞬の出来事だったのだろう。
背後で熱風が吹き荒れる。敵の攻撃か、地面を蹴ってその勢いのまま転がる。
足を踏み出すのがやや遅かった、間に合わない。
舌打ちをした次の瞬間、脇腹を爪がえぐった。派手にやられたらしく、時代劇の様に傷口から血が噴き出す。だくだくと流れ出るそれを片手で押さえて、僕は振り返る。
赤い巨獣が、鎌を束ねたような爪を振りかざしていた。そのままさらに一撃を喰らい、まばたきする間もなく、体力はゼロに。
自分の体が弾き飛ばされ、視界が暗転する。
僕は墓穴からはい上がった。
ここは街の外にある墓地だ。どうせやられると思ったから、生き返り(リスポーン)地点を棺桶の中に変えていた。こういう事はなかなかできないし、記念だ。それにしても、みょうに安い変更料金の意味が体でわかったよ。本格的な土葬をされるとは思わなかった。
手についた砂を払い、爪に挟まった泥を軽くかき出しておく。口の中に入った土を唾液と一緒に吐き出し、呟く。
「これで何度目の死亡かな」
僕を倒したのは、四十五階の主であるコマイヌ。とにかく強くて、何よりその人工知能と行動原理が強い。
このゲーム、一人で強敵に挑むときは、力の差を埋めるように補正が掛かる。だからレベル差がほとんど無いはずだけれど、死ぬときはあっさり即死する。
死因で最も多いのは、敵の人工知能(AI)を甘く見て連続で攻撃を食らい、回復アイテムを使うひまも無く倒される事だ。最近は落下ダメージでの死亡も増えているけれど、やはりそれが一番。
そして人工知能に関してだけ言えば、ボスのコマイヌは五本の指に入る。回復以外が目的だったとしても、薬を取り出しただけで襲って来る戦略は、上位でも中々お目にかかれない殺意の高さだと噂だ。
攻撃力だけで上がって来た、もしくは攻防の釣り合いが取れていない初心者は、あっさりとコマイヌに殺される。すぐ生き返れる仕様もあって不満は無いけれど、時には片手で初心者をあしらう姿に、あだ名が付いた。
通称、先生、別の呼び方では、師匠。
強敵には間違いないけれど、対策が取れないわけでも無い。
さて、その対策たちが居る場所に向かおうか。
街の外周から内周へ歩いて行く。目的地は人がそこそこ多く、それでいて混んでいない場所。
広場に足を踏み入れて、目印の噴水を見つける。その中心では、やりすぎなほど丁寧に作りこまれたローマ神話風の石像が、肩に抱えた水瓶から清らかな水をはき出していた。
ゲーム内に登場する、水の女神を象った物だ。
ここは大きなイベントの時でもほとんど混雑しないから、よく待ち合わせ場所に使われる。水の広場と呼ばれていて、ふちには生産職の屋台がいくつも立ち並ぶ。たこ焼き、クレープ、果実のジュースやお酒を出すお店もあったりして、そこそこ賑やかだ。
ちなみに、像が抱えている物は毎日変化する。昨日は魚で、一昨日は蛇だった。しばらく前は、実物大の猪や象、あと猫。ちゃんと全部が口から水を出すのだから、本当にやりすぎな像。
像の根本が今回の待ち合わせ場所だ。
相手が先に着いていた様なので、街路樹の影に隠れて安いクリーニングアイテムを使う。小さな箒の形をしたそれで鎧や体を撫でると、新品に限りなく近い状態まで、綺麗にしてくれる。
小さな箒は、使い終わったら灰になって宙を舞う。安くて効果も高い事と引き換えに、使い捨ての商品なのだ。
洗った後のように手の平をぶんぶんと振ることで、残っていた灰を完全に消す。
木陰から出て、対策に声をかける。
「遅くなってすみません、ランスさん、魔法使いさん」
今回は、この二人に手伝って貰ってコマイヌを攻略する。
味方に高レベルを入れると補正が解除され、敵も強くなってしまう。それを差し引いても、この人達は安定して強かった。
防御力の高い戦車と万能より魔法使いのコンビで、初心者支援も定期的にやる人達だ。高レベルの敵への対応力もあって、とにかく集団戦になれている。
だから、ひまな休日等にはボスの攻略を手伝って貰えるし、以前も何度か組んだことがある。
振り向くランスさん。特別な合金で作られた槍を背負い、まとった銀色の鎧は、高くて特殊効果もありますよと言うように、ぴかぴかと陽の光が当たって輝く。脇に抱えた兜はごつごつとした見た目だ、品質を優先させたのだろうか。その表面には粘りの在る光沢、質の高い鉱石を使っている証だ。
「今日は宜しく」
片手を上げて照れたように笑う。普段は厳つい防具に覆い隠されて見えないけれど、その顔は近所にいる優しいお兄ちゃんそのもの。とはいっても、二十歳をこえているのはまちがいない、大学生くらいか。
「宜しくね~」
そう言って、えへへと笑うのは魔法使いさん。節くれ立った木の杖を手に持っていて、水銀を引き伸ばして造ったような銀色の蛇が、でこぼこに沿って巻き付いていた。羽織った深緑のローブは手の甲まであり、袖口はレースのように編んであった。それと良く似た似た色合いのとんがり帽子を被っている。
「宜しくお願いします」
僕は静かに頭を下げた。
三人で、雑談をしながら四十五階まで移動する。徒歩で階層ごとにあるワープゲートまで行き、それを乗り継いで行く形になる。
重い防具に重い武器、重い武器に軽い防具、などと装備の関係でお互いのやり方を勘違いする事は無いけれど、少し意見のすり合わせをしておいた方が良い時もある。
今回は、敵が賢い分、回復や蘇生に対して激しく攻撃してくる特性がある。それが問題だ。
後衛が魔法使いさん一人しか居なくて、前にはランスさんと、体力や防御能力の低い僕が出る。回復と蘇生をやりやすいのは当然後ろで、魔法使いさんが狙われる事になる。だから敵を引き付ける大まかな方法は何か、危険になったら引くのかを決めておく。戦闘前にちょっと会話をするだけで、意外と情報が集まり、意思の疎通がしやすくなる。
ランスさんの腕を疑っているわけじゃない、優秀な壁役だ。問題の原因は自分にある。敵が強くて鎧が薄いなら、殺される可能性は十分にあるから。
もし僕が死んだとする。一番足の速い、軽装のウイングブレイド使いが居なくなるわけだ。そして、足を止めて使う技能の多い壁役と魔法使いが残される。
仕様の関係で、死体はしばらく残る。だけれど、ボスを攻略しに来た本人が居るのに見捨てて逃げるのか。死体を担いで逃げるのなら、全力でやらなければ足の遅い二人では追いつかれる。蘇らせて戦うなら、高いアイテムと、時間のかかる魔法のどちらを使えば良いのだろう? 敵が予想より強すぎたら、恥をかきながら助けを求めてでもボスを倒すか。
人間の腕は、二本しかない。全ての選択肢を同時にやるなんて不可能だ。これは仮想空間を使ったオンラインゲームであって、小まめにセーブのきくオフラインゲームとは違う。
「ランスさんは槍と盾を使うのでしたっけ、どんなスキルを持っています?」
「スキルの基本は変わらないな、攻撃力と防御力が、二十パーセントずつ上がるやつだ」
「えー、ランスずるーい、魔法使いも殴りあいたーい」
「お前は魔法攻撃二倍のスキル持ちだろうが、杖なら五割上がるマジカルナックルもあるし」
「何の事かなー、私殴り系魔法使いじゃないよ? 全然殴らないよー」
「嘘つけ、ドラゴンと正面からやりあったくせに……」
「あ、そうだ。あたし手加減のために火球とかつららとか使っておくね―」
「はい、分かりました」
「ヒールもするよー、ばんばん癒やすよ―」
だらだらと雑談をしながら、四十五階を目指して進む。
「そういえば僕、ウイングブレイドはほとんど速さに振り分けてますね」
ランスさんが、意外そうな顔をして振り向いた。
「おや、力や威力には振ってないのか」
「知り合いのウイングブレイド使いは、逆に力と威力にがんがん振ってたよー。大剣だから一撃だって」
魔法使いさんも話に加わって来る。
「いや、最初に速さへ振っちゃうと、変える機会も中々無いですし」
僕がそう言うと、二人とも頷いた。
「そうだなぁ、俺も防御力に片寄ってるし。その割には装備で何とかなるんだよな」
「はいは~い。あたしは攻撃ー」
そう言いながら、おどけたように片手を上げてくる。
「ああ、間違い無いな」
「間違い無いですね」
「二人ともー、何よー」
魔法使いさんは、おかしそうにころころと笑った。