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鬼物  作者: 卯月 朔
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羅刹の目


 それがしには子どもがひとりございまして――と、男は言う。


 壮年の男である。

 脇街道のさびれた茶屋のまえに座る姿はいかにも旅暮らしの浪人といった風情で、面窶れしながらも背筋の伸びた居住まいだけが、かたわらに携える刀が飾り物ではないことを物語っていた。見る者が見ればその腕前はおのずから知れる。もっとも、うらぶれた田舎の道にいま姿があるといえば、浪人のほかには相席になっている茶屋の客ほどだ。

 こちらは若い男である。

 見ているだけで鼻が利かなくなりそうな襤褸を着て、杖を抱くように丸めた背を浪人へ向け、色褪せた毛氈のかかる長椅子の端に座っていた。廂の影にはいっていても破れ笠を目深にしたまま、頭を動かさず、探るように手を伸ばしてわきに置いた皿から団子の串を取りあげる仕草を見れば、盲人であろうと察せられる。いくらさびれているとはいえ、その乞食然とした風貌は昼の日中から茶屋にいるにはいささか場違いと思われたが、咎める者はいなかった。

 茶屋の主人の老夫婦は、店の奥の暗がりから表情もなくおもての様子を窺っている。

 浪人は振り向かず、出された茶にも手をつけないまま、道の向こうに広がる青い稲田や山並みを眺めているようだった。

「長いことかかってできた一粒種の倅でありましたが、これが、生来からだの弱いたちでしてな。とてものこと武芸者として立身を望めそうもないと落胆いたした。しかれど、利発な子であって、読み書きや算術などには長けておったのです」

「そらァ、ようございやすなあ」

 ひとり言のような浪人の言葉に、盲目の男はそつなく相槌を入れる。

「なんごとでも取り柄があれば、やりようで、いくらでも身を立てられやしょうぜ」

「左様。これより先、この乱世にも遠からず決着がつく、その後には、それがしがごとき粗忽者より、あるいは倅のように頭の切れる者のほうが栄達できるのではないか、と……親の欲目でありましょう。そのように思いもしたもので」

「お侍さまはよい父御でいらっしゃる」

「否、そのような――」

 立派な者ではござらん、と、浪人は苦笑した。

「処世に通じず、長らくの浪々。それ以前にも、主家の御為、戦、戦と、そればかりで。いまさら帰ってみたところで、だれも、それがしの顔など憶えておらぬやもしれぬ」

「お辛うございやすなあ」

「もはや会わせる顔もないというのに、旅の空でふと、妻子が恋しくなりましてな。お恥ずかしいことで。――そこもとは」

 どちらへ行かれる、と浪人。

 盲目の男は軽く笑う。

「どこってェこともございやせんや。ご覧のとおりの身上で。ただ……やつがれにも妹がひとりおりやして」

「はなれて暮らしておいでか」

「生き別れってンですか。風のうわさに達者にしていると聞いていたのが、近頃とんと消息を聞かなくなっちまった。ガキの時分にかどわかされて、それぎりで、今さら兄貴面ァするのもこそばゆいってモンだが……生きてるか、死んでるか、探して見つからねえかって、思いはじめるとどうにも」

 恥ずかしい、恥ずかしい、と冗談めかし、盲目の男は団子をこそぎ落とした串をくわえて肩を揺らした。

 浪人もかすかに頬を和ませる。

「妹御が、無事、見つかるとよろしいな」

「なにしに来たってェ首っ玉搔ッ切られるかもしれやせんがね」

 盲目の男の軽口を聞きながら、浪人は右手でふところを漁ると鐚銭を幾枚か掴みだし、すっかり冷めた茶のそばに置いた。その左手が、刀の鞘にかかる。

「では、それがしは――」

 これにて。

 背筋も揺らさず立ち上がろうとした浪人に、盲目の男が声をかける。

「お侍さま」

 襤褸を着た背は丸まったまま、顔も上げず、振り向きもせず、杖を抱いてくわえた串の先を揺らしながら。

「そんなはした金じゃあ、ちぃと――払いが足りねェでしょう?」

 鯉口を切る音は、微か。

 浪人は振り向きざま、丸まった襤褸の背を腰から肩へ、長椅子越しに逆袈裟に斬りつけた。尋常ではない剣速で走る刃が陽射しを弾いて閃かせる。茶屋のなかで息をひそめる老夫婦には何事が起ったのか、おそらくは理解できなかっただろう、一瞬に。

 盲目の男は斬撃を躱していた。

 めしいと思われぬ素早い身ごなしに、しかし破れ笠の端だけが逃げ遅れ、切っ先にかかって跳ね上がる。盲目の男は宙を飛んで転がり落ちた笠を蹴るように軸足を決め、身をひるがえした。その背はもはや丸まっておらず、すると襤褸を纏った痩躯は意外にも上背があり丈高いのだと知れる。笠を失くしてさらけ出た頭は、廂の影のなかでもなお鈍く光るような短く刈った金色の髪で覆われていた。

 浪人と向き合う男の両目は乾いて濁り、瞳はなお青白く、ぎこちなく見開いている。

 瞼がないのだ。

 切れて落ちたか、腐れたか。両のこめかみから目がしらをつないで真一文字に刻まれた古い傷痕が、垢じみた男の肌にくっきりと浮かび上がっている。彫の深い、目鼻の通った顔立ちであるぶん、その容貌は白昼にいっそうおどろおどろしく映えた。

 異形である。

 鬼だ。

「……そこもとが、羅刹天の渡来(わたらい)か」

 初手の斬撃から次の手に続けることなく間合いをとって構えた浪人に、盲目の男はくわえた串を吐き捨てて口角を上げる。その手のなかにある杖が仕込み刀であることはもはや明白だ。男は隠そうともせず右手を柄に添えている。

「そんな大仰な名乗りを上げた覚えはねえが、そう呼ばれてンなァたしかだ。久婁木(くるぎ)正兵衛(せいべえ)さまよ。やつがれを知ってるてェことは、なにがために来たのかも、わかってらっしゃいやしょう」

 ツケを払っていただきますぜ。

 盲目の男、渡来の言葉に、浪人、久婁木正兵衛は構えを解かないまま、落ちくぼんだ目をわずかだけ細めた。

「退かれよ。……否、しばし待たれよ」

「しばしってェのは」

「我が本懐を遂げるまで」

 待たれよ、繰り返す正兵衛に、渡来は鼻を鳴らす。

「そいつァ虫がよすぎやしょうぜ。頭のいかれたご主君に女房殿を辱められ、ご嫡子を殺められたのァ、一体いつの話でえ? あんさまほどの腕前なら、その日その場で仇ァ討っちまえばよかったんだ。それを、あんさまァ怖気づいて逃げたんじゃねェか。武士の忠義だなんだって、そんな事ァやつがれにはサパッリだが。正兵衛さまよ。どんな故あることにせよ、あんたァいっぺん逃げたンだ。――それだけじゃねェや」

 渡会は伝法に唾を吐いた。

「さすらう旅の道すがら、かかわりのねえガキん子を幾人斬ったのか。憶えちゃいるかい。可愛い盛りのガキどもを目の前でなますにされる心中を、老いてようよう授かったわが子を真っ二つにして返された恨みを、知らんとは言わせやせんぜ。それが今さら正気付いて、てめェ一人が本懐なって仇討たァ、笑わせるない」

「そこもとに何がわかる」

 正兵衛言う。

「口惜しくなるのだ。何故、わが妻が、わが倅が、あのような無体を受け、無残に死なねばならなかったのか、と……口惜しゅうて、口惜しゅうて、どうしようもなくなるのだ」

「だから斬ったのかい」

「そうだ」

「だから仇を討ちたいのかい」

「そうだ」

「わが子を獲られて口惜しいのが、恨めしいのが、妬ましいのがあんさまだけだと、まさかお思いじゃあるめェな」

「――無論」

 首肯する正兵衛に、渡会は口角を吊り上げた。

「ならば今一度、これぎりの催促だ。やつがれがあんさまに成り代わり買ってきたわが子の恨み、しめて十と三人分――そのツケを、ここできっちと払っていただきやしょう。鐚一文まけられねェ。あんさまの仇はやつがれが討たせやせんぜ」

 仕込み杖の柄に手をかけ、白昼に異形を晒し、瞼もなく、干乾び、濁りきった目玉で。地獄の底に遊ぶが如く。

 渡会は、亡者を苛む鬼のように。

「そンかわり――」

 慈悲深く嗤う。


「あんさまの恨みも、やつがれが買っていきやしょう」




   * * *




「――で、銭にならない仇討ちのために武士の屋敷なんざに乗り込んで、大立ち回りの挙句にその有り様かよ。馬鹿か。死んで治るならぶっ殺してやるのに」

「そう言ってくれるない、風天(ふうてん)の。だって可哀相じゃねえかよ。無念なのはあんまりってもンだぜ。だから俺にもやさしくしてくれ」

「甘えてンじゃねェよ。ちったァ痛くしとかねえと、あんたまたすぐやらかすに決まってンだ。余計な仕事ばっかり。頭目(おかしら)に愛想尽かされても知らねえぞ!」

「あいつァ俺がなにしようと笑うだけだ。――ああ、痛た、痛ェよ」

 渡会の泣き言にかまわず、風天は血止めの布のうえから腕の傷を平手で叩き、手当てを終えると舟の端にかけていた櫂をとって立ち上がった。適当に拝借した川舟は、年季のわりに水が浸みることもなく、葦の叢のそばを滑るように進んでいく。

 舳は流れにまかせ、ときおり櫂で川底を突いて調子を整えながらなお小言を言い続ける風天に、渡会は布の巻かれた腕をさすりつつ、申し訳なさそうに眉尻を落とした。

「いつもすまねェな」

「わかりゃいいのさ、わかりゃァな」

「俺の目がかたっぽでも見えるモンなら、おめェもちったァ報われるってのに」

「――はッ!?」

 今そんな話だったかよ、驚いて振り向く風天に、仕込み杖を抱えて座る渡会は丸めた背中を揺らして笑った。顔を上げれば破れ傘の陰から目玉が覗く。

「伊舎那と焔魔がよう、こないだやっとこ教えてくれたんだが。おめェ、俺ンとこ来る時ァ、えらい別嬪にしてるらしいじゃねェか」

「なっ、やっ、ちがっ、」

「今ァどんな格好だい。元から見えなかったンじゃねェからよ、色だの柄だの、教えてくれりゃァわかるんだぜ」

「えっ、わっ、えっ、」

「髪も梳いてンなら撫でてやろうか?」

「だっ、だっ、だっ――だからっ! ちがうって! 言ってンだろ! 馬鹿!」

 晴天の隅々にまで響き渡る風天のひっくり返った声に、渡会はくっくと喉を詰めて笑った。風天が地団太を踏み、舟は右に左に大きく揺れる。

「偶々! 偶々だよ! 俺は伊達の洒落者だからなっ、元々! あんたらみたいな野暮といっしょにすンじゃねえや! 冗談じゃねえ!」

「ははっ。そうかい、そうかい。悪ぃな。堪忍だぜ」

「う……お、おう」

 いやでもまあちっとはさ、ちっとだけさ……と、尻すぼみにもごもご呟く風天の頭からはお小言の虫がすっかり居所を失くして逃げたようで、渡会はこっそり胸を撫でおろした。若輩の風天に懐かれるのは可愛いものだが、しかしこう口喧しいと、それこそ朋輩たちの言うことではなく女房をもらったようで良し悪しだ。

 けれど結局そこも可愛いと思うからこそ、ついからかってしまうのであって、自分もいよいよガキの面倒が好きだと渡会は苦笑する。

「あれにゃ今日も会えなかったがなァ」

 眼裏に浮かぶ妹は、渡会の干乾びた目が最後に見た時のまま、いつまでも幼いままだ。獲物を根こそぎにする無頼の女山賊(おんなやまだち)。そうと聞いても、やはり、思い出すのは泣き叫びながらかどわかされていった、あの時の幼い姿。

「生きてンだか、死んでンだか」

「あんたは本当に物好きだなァ。ほどがあるぜ」

 風天は呆れたように鼻を鳴らす。

「あんなおっかねェ鬼女の身を案じるのなんざ、六十余州を探しても、あんたの他にいねえだろうよ」

「言ってくれるな。俺のひとりぎりの妹だ、可愛いンだぜ」

「じゃあ、もし、会えたら――」

 どうするんだい、と、風天が問う。

 それまでの威勢をなくして、そっと、腫れ物に触れるようなその声音に、渡会は微かに口角を上げた。ほんの、かすかに。

「さて――とりあえず今日ンとこは、おめェの頭ァどうやって撫でてやるかの思案が先だな」

「おいっ、だからっ、」

「恥ずかしがるない、別嬪さん。ちょっとこっちぃ来てみろい」

 手招くと櫂で水面を叩いて慌てふためく風天に、渡会は屈託なく笑った。

 眼裏の幼い妹に、たとえ今日会えなくとも、明日会えるだろう。

 明日また会えないのだとして――逝きつく先がおなじなら、きっと、かならず、目見えるのだ。


 いずれ、その日に。






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