雑貨店の小さな秘密
通りに面した窓から淡く陽射しが差し込む店内には複数の棚が並んで、ただでさえ狭い空間が更に狭く感じる。けれどそれほど暗いと思わないのは、その棚に色とりどりの雑貨が詰め込まれているからだ。
花の模様をあしらったポシェットにきめ細やかなレースが可愛らしいハンカチ、糸を編んで作った腕輪、シンプルな帽子……などなど、手縫い小物を主とした品々が店内に所狭しと置かれている。
そんな雑貨店の奥で、せっせと針を動かす影がある。この店の店主であり、針子でもあるエアルだ。
時折長い髪を耳にかけながら、針の運びを間違えないように細かい作業に没頭している。外の喧騒が遠くに聞こえるが、彼女の耳には届かない。まるで世界にたった一人しかいないかのように、ただひたすら、手許の作業に集中する。
その静かな空間を、入り口の扉の上部に取り付けられた鈴の音が水面に落ちた水滴のように揺らした。
エアルが顔を上げると、桃色のワンピースを着た一人の少女が駆け寄ってくるのが見えた。
「お姉ちゃん、こんにちは!」
「こんにちは」
元気よく挨拶をした彼女は、ティクシという。近所に住んでおり、よく遊びにきては時折気に入ったものを買っていってくれる常連客だ。
ティクシはそっと手に持った人形を差し出すと、困ったように肩を竦めた。
「遊んでて、解れちゃったの。直せる?」
人形は以前この店で彼女が買ったもので、確かに花柄のドレスの裾のレースが取れかかっている。
エアルはそれを受け取ると、にこりと微笑んだ。
「大丈夫。任せて」
そう言って、ドレスの修繕に取り掛かる。針に糸を通し、レースとドレスを縫い合わせていく。
こういった修繕や希望に沿った商品の作製もエアルの仕事だ。
その間、静かだなと思ってティクシの顔を見遣ると、彼女の表情があまり晴れていないことに気がついた。いつもなら、エアルの作業を目を輝かせて見つめながら魔法みたいだと言ってくれるのに、今はどこか上の空でぼんやりしている。
「……どうかしたの?」
訊いて良いものか少し迷ったが、少しでも力になれたらと、そっと尋ねてみる。
すると、ティクシは仄かに笑ってからポツポツと話してくれた。
昨日、ティクシは母親と一緒にクッキーを作ったのだという。生地を練って、形を整えて、窯に入れていつ焼き上がるかと待っているまでは、とても楽しかった。
しかし、いざ窯から出してみると、クッキーは黒焦げになっていた。火加減を間違えたらしく、母親もティクシに謝ったそうだが、落ち込んだ気分は晴れることがなかった。
「お母さんが悪いわけじゃないの。でも、美味しいクッキーができるって思ってたから……」
しゅんとするティクシは、彼女には申し訳ないが少し可愛いと思ってしまった。
作ろうとしていたものを黒焦げにしてしまったというのは、エアルにも覚えがある。それも一度ではないし、ティクシほど落ち込みもしなかった。だから、彼女の純粋な気持ちが可愛らしいと感じてしまったのだ。
エアルは最後の一針から糸を切って、人形をティクシに差し出す。
「きっと、次は上手くいくよ」
「……うん!」
ティクシは嬉しそうにそれを受け取ると、代わりに修繕費を置いて店を出ていった。
使った針を針山に戻し、裁縫箱を覗き込む。
「そろそろ縫い糸を補充しないと」
エアルの独り言は、誰に聞かれるでもなく店の空間に散って消えた。
*
日が暮れる頃に、店仕舞いを始める。とはいえ、売り上げを数えて戸締まりをするくらいだ。
入り口の鍵をかける前に、念の為店の外の様子を窺うと、向かいの店先で店主が洋灯に火を入れているのが見えた。
歌のような声が聞こえたかと思うと、ぽっと洋灯に火がつく。ゆらゆらと照らす店の様子は、昼間の食堂と違って酒場らしい大人の雰囲気に変わった。
この世界には、魔法がある。
しかし誰もが扱えるわけではなく、生まれつきの素質によって魔力の有無や威力、使える魔法の種類が決まってしまう。そこには家柄も血筋も関係なく、神の気紛れのようなものだと皆は言った。
エアルは向かいの主人と軽く挨拶を交わしてから、扉の鍵を内側から閉めた。店の奥に続く短い廊下を抜けると居住空間があり、そこに入ると少しだけほっとする。
いつもと同じように簡単な夕食を済ませ、ベッドに入る前に店から持ってきた裁縫箱を置いたテーブルの前に立つ。
そして目を瞑り、意識を集中させながら両腕を広げた。
歌うように、丁寧に、その言葉を紡ぐと、淡い光を放った線が空中に生まれる。幼い頃に見た音楽団の指揮のように動かす手に合わせて、それ等が寄り集まり、纏まって、最後には幾つかの巻き糸になった。
ふっと小さく息を吐くのと同時に、瞼を押し上げる。その細い指先で巻き糸を取り、裁縫箱の中に収めた。
魔法の才というものは、エアルにもあった。
しかし、その力は小さく繊細で、万能とは程遠いところにある。
エアルが魔法でできることは、ただ一つ。
魔法を縒って作った糸を使って作製した雑貨を手にした人間の願いに対して、ほんの少しだけ助けになれること。
大きな願いには効かない。小さな願いごとにだけ、それを叶える後押しになれる。
それも、雑貨一つにつき一度きり。一度力が使われてしまうと、効力は消えてしまうのだ。
そんな小さな力だから、エアルの魔法のことはほとんど家族しか知らなかった。
単純に小さ過ぎて恥ずかしいというものあるし、昔別の町にいた頃に同い年の子に馬鹿にされたトラウマもある。
あの頃は、こんな力に使い道などないと思っていた。
けれど今は、そっと背中を押すくらいの力しかないが、誰かの願いの力になれたら嬉しいと思う。
エアルは静かに裁縫箱の蓋を閉じ、窓越しの夜空を見上げた。
*
数日後。エアルは店番をしながら、商品のハンカチに刺繡を施していた。
一針一針を丁寧に、少しずつ花を形作っていく。
そこに響いた鈴の音と共にティクシが入店し、エアルの傍にやってきた。
そして、手にしていた包みをはにかみながら差し出す。
「開けてみて」
言われるがままそれを受け取って広げてみると、不格好なクッキーが現れた。
「昨日ね、またクッキーを作ってみたの」
「今度は上手くいったのね」
「うん! ね、食べてみて」
とびきりの笑顔で頷くティクシに急かされて、一つを摘まんで口に運ぶ。
「ん、とっても美味しい」
「えへへ。でしょう」
(ああ、これだ――)
彼女の表情につられて自然と瞳が細まり、ふわっと胸が温かくなった。
これが――この時が、エアルにとって幸せな時間だった。
客に向けたはずの魔法が鏡のように跳ね返って、自身の気持ちをも明るく照らしてくれる。
――これだから、この仕事はやめられない。
クッキー作りの話から派生して色々なことを話し始めたティクシの声を聴きながら、エアルは口元を綻ばせた。




