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切断された頭部が人間とされる理由について

 「問題集を買って来てくれない?」と姉さんに頼まれたのは朝食の席でのことだった。姉さんが朝早に起きてぼくの為に作ってくれたのは臓物のスープである。もっとも食材を提供したのはもちろんぼくであって、つまり早起きしたのは一緒のことであった。腹を割かれながら眠れる訳が無いのである。そしてこれは当然のことだが、臓物のスープというのは臓物が浮いたスープのことを言うのではなく、臓物を出汁に使ったスープということだ。

 「かまわないよ。いったいどんな問題集を買ってくればいい?」と姉さんに尋ねてみたところ、「どんなのでも構わないわ。あなたが選んできてよ。」と姉さんは答えた。「ああでも向かいの本屋さんで買っちゃだめよ、いいこと、向かいの本屋さんで買うのは絶対にだめ。」「分かったよ姉さん。」ぼくは頷いて、「じゃあどこで買えばいい。」と訊いた。「家を出て前に千十五歩右折して二十七歩のところに素晴らしい店があるわ。」との指定だったので、ぼくは「姉さんそれは姉さんの足で歩いた時の話だろう? ぼくと姉さんじゃあ足の長さからして違うじゃないか。」と文句を言わなければならなかった。

 「あたしが短足だと言いたいのそうなのそうなのね。」と姉さんは頬を膨らませたのでぼくは釈明の為に「違うよ姉さん。ぼくと姉さんじゃ体格からして違う。それにもしもぼくの右足と左足の長さが違えばコンパスのように家の前を回り続けることになるし、ぼくの足が足じゃなくて車輪だったならば家の前で永遠に立ち往生をすることになるよ。」と述べた。賢明な姉はその説明を理解したらしく「それもそうね。」と呟いて、それから右手の人差し指の先を派手に噛み切った。

 苦悶の表情で自分の指を見つめ、それからそれをテーブルにこすり付ける。何やら計算式を用いて値を算出しているらしい。式を書くならぼくの血かボールペンを使えば良いだけの話なのだけれど、それは姉としての責任感が許さないのだろう。家からのその本屋の距離を求めることに成功した姉さんは得意げに「ここに買いに言ってちょうだい。」とぼくに言った。そこはぼくにとっても誰にとってもあまり訪れたくない場所であったが、姉さんに血を流させたのだからぼくとしては断るわけにはいかない。「すぐに行くよ。」と言って甘苦い味のスープを飲み干したぼくは食後の運動も程ほどに支度を始めた。

 「行ってらっしゃい。」という声に背中で答えてぼくは二階から一階に移るべく階段を下っていく。踊り場に来ては体を反転させること数十回、既に何段を下ったのか概算することもできないことになった。これだけ長い階段を降りなくては外にいけないのだから、姉さんが買い物にぼくを使うのも頷ける話である。

 外に出た頃にはぼくはたっぷり汗をかいていた。噴出した汗はなるべく口に入れるようにしていたが、しかしそれでもつらいものがある。今朝の食事が液体だけというのはそれはそれだけで辛い話だ。せめて髪の毛のパスタか爪のかきあげでも食べていれば話は違ったかもしれないと思い、こんなことを考えては姉さんに失礼だと自分を律する。ここでぼくがぼくでないか問題集を頼まれていなければその辺の幼女か子犬でも捕まえて解体して血肉を啜っていたところであるが、ぼくがぼくである上に問題集を頼まれているからにはそういう訳にはいかない。いっそのことその辺の誰かにお願いして少しの間だけぼくを代わってもらえたら良いのだけれど、絶対に断られるのは目に見えている。誰だって自分が大切だし、それはそうであるべきことだ。

 姉さんに言われたとおりの道を言われたとおりに進んでいると、ぼくは女の子に声をかけられた。女の子と言ってもそれは母親に手を引かれているのが似合うような年齢ではなく、それはすなわち彼女がぼくにとって非常に危うくそしてとるにたらない存在だったという意味である。なので、ぼくは下を向いて身震いしながら女の子の話に耳を傾けた。

 「あなた車になってみるつもりはない?」女の子はぼくにそう問うた。なるほどぼくがどこかに向っていることを察してのその台詞らしかった。なかなかに聡明であると言える。 そうとも、ぼくは今自らに速さを必要としている。なるべく早く姉さんに問題集を届けたいからだ。そして車になれるのであればそれは確かに叶えられるだろう。だがぼくは身を切るような思いでそれを断った。姉さんはぼくに問題集を買ってくるように願ったのだ。車に問題集を買ってきて欲しい訳では無い。

 「それは残念ね。」女の子はそれは残念そうに呟いて、それから「あなたは車輪を持っていないかしら?」とぼくに訊いてきた。ぼくは「その辺に停めてある車から失敬すれば良いじゃないか。」と勧めたが「物取りにはなりたくないわ。」などと女の子は随分なことを言った。なのでぼくは脇にあった一台の車から車輪を七つばかり失敬すると、女の子に差し出した。「ありがとう。」女の子は礼を言って、それからドラム缶が大量に転がった道路へと嬉しげに駆けて行く。危ないところだった。女の子がぼくに車になるように頼むような言い方をしていれば、ぼくは或いは何もかもを失ったかもしれない。それを考えると窃盗犯に成り下がってしまうことくらいどうってことなかった。

 「おい兄ちゃん。俺の車に何をする?」ぼくが車輪を盗んだ車には男が乗っていた。男と言ってもそれは体を少しも減らさないままぼくと同じくらいの大きさの分身を四つは作っていそうな年の頃であり、ぼくにとってはいわゆる目上の者であった。失礼のないようにぼくはまず頭を深々と下げ「車輪を失敬させていただきました。」と正直に答えた。「怪しからん。もうこれでタイヤは四つしか残っていないではないか。」と男は憤慨する。「でしたら、その車を棄ててご自分が車になれば良いのです。」ぼくは女の子を手でさしてそう勧めた。男は感心したように頷いて、ぼくに礼を言ってから手のさす方へ向かって行った。

 ぼくは男を見送ってから、今までよりもさらに急いで本屋へ走った。今のやりとりで時間を使ってしまった。早く姉さんに問題集を届けなければならない。幸いにして本屋はもう近くまで来ていたものだから、ぼくはすぐにそれを発見することができた。

 なるほど姉さんが進めるのも頷けよう。良い店だ。ぼくは思った。なぜならその本屋の外側の壁にはその本屋で売られている書物の名前と値段がびっしりと書き綴られているからである。一度壁を完全に塗りつくしてしまえば別の色のマーカーで新たに書き足すという店主の工夫にも感服せざるを得ない。これだけの作業を怠らないだけの信念を店主は持っている。ぼくは少し背筋に冷たいものを感じて、財布の中身を確認する。どうやらここに書かれているどの本でも買えるだけの金銭を所有していることが分かると、ぼくは胸を撫で下ろした。中に入って本が買えないとなると、最悪殺されないとも限らないと思ったのだ。

 店に入るなり目に飛び込んで来たのは無数の自動窓口機だ。なるほど道理だと思いながらぼくは店主に声をかけた。「問題集はどこに置いてありますか?」「どういうものをお探しで」「いいえ。どういうものであっても質が良ければ買いましょう」「それは高貴だ」店主は上品な紳士であった。店のやや奥の方の棚を紹介される。素晴らしい品揃えだと言えた。ぼくはずらりと並んだ問題集の一つを手にとって、一ページずつの問題を頭の中で解いていった。一冊目が終わると次の一冊。なかなか骨の折れる作業だが姉さんの為なら仕方がない。時間もかかるがそれは形容するしかないだろう。ぼくのエゴよりも姉さんの注文の方を優先するのは当然のことなのである。

 その時、何か硬質なものが砕けるような爆音が鳴り響き、ぼくの耳朶を強烈に打ち鳴らした。あわててそっちを見ると、本屋の壁が無残に破壊され、そこから幾重にもならんだドラム缶が顔を出している。縦にしたドラム缶をつなぎ合わせてまるで卵のパックのような形にしたそれの下にはいくつかの車輪が引っ付いていて、なるほどこれで走って本屋に突っ込んだのかのかとぼくは納得した。

 「なんでいこの本屋はぁ! 壁が壊れるなんて聞いてねえぞ!」と客の男が大きな声で店主に抗議をした。店主は途端に小さくなって「申し訳ありません私の慢心でありました。」と丁寧で心の全てを男に捧げるような切実な謝罪をする。なるほどぼくが入って来た自動ドアは自動ドアというだけで、どこにも入り口とは書かれていなかったし、壁の方にもここから進入してはなりませんと書かれていなかった。これは店主のミスでしかない。

 男に怒鳴られ続ける店主にぼくは同情した。だがこんなことで時間を使ってはならないと自分を律し、問題集に目を向ける。おお、これは! ぼくがこれからの一生を費やして世界中の問題集を漁ったとしても、これほどのものが見付かるとはとても思いがたい見事なる逸品であった。間違いなくこれは世界一の問題集であろう。これを見付けてしまって尚他のものに目を向けるというのは何よりも愚かなる行いであるとしか言いようが無い。まったく時間の無駄だ。ぼくはその問題集に向かって二度三度頷いてから、さぁレジを通してこれを姉さんに届けてやろうと後ろを向いた。

 しかしこれはいったいどうしたことか。店主の姿がどこにも見付からないのである。なんと言う不幸なのだろう。ぼくはこの本を手にしていながらにここで立ち往生するしかない。

 「店の人なら出て行ったお客を追いかけて行ったわよ。」とぼくに言ったのは覚えのある声だった。なるほどそう言えばあの乱暴なお客がいなくなっているではないか。さては何も買わずに逃げたな、とぼくはその男のことを憂い、それから女の子を向いた。

 ドラム缶の隙間から這い出して来たらしいその女の子は、はたして先ほどぼくに車になることを勧めた女の子とは似て非なる外見をしていた。何が違うのかと言えばそれは髪の毛の長さ、それから服装である。着替えやらかつらやらの可能性を考慮しない限りは別人だと判ずるのが適当である。

 「きみはどうしてこんなことを?」ぼくが尋ねると、女の子はややうんざりした表情で「妹に付き合わされたのよ。」と答えた。女の子がドラム缶の塊に向かって「洋子ぉ。」と呼びかけると、隙間からのそのそやって来たのはあの時の女の子であった。

 「また会ったわね。さっきは車輪をどうも。お陰でこんな立派な車が作れたわ。」と先ほどの女の子は再会を喜んでくれる。「この妹が車を作るって駄々を捏ねてね。まあ監督してあげた訳」初対面の女の子が尊大な態度で言った。「きみ達、双子の姉妹なの?」ぼくが尋ねると女の子は二人ともが首を振る。「では三つ子?」これも違うらしい。「五つ子の次女と四女よ。」

 「それはなかなか、生きがたい境遇をしている。」ぼくは同情した。彼女らは五人で合わせて五つ子なのだ。ぼくにも姉がいるし、よってぼくは弟であるのだが、そんな程度の居心地の悪さなど、彼女らの抱えている軽さに比べれば、まるでとるにたらないことではないか。しかし二人は首を振って「そうではないのよ。何一つ生きがたいことなんてない。」次女の方がそう言った。

 「どういうことだい?」ぼくが首をかしげると、次女の方は四女が車と称するものの一部分となった錆びたドラム缶のうちのひとつを抱きかかえるように持って、それを力任せに引き剥がした。暴力的な音波がぼくの耳朶を虐げる。「雪姉何すんの?」どこかぞんざいな口調で四女が文句を言った。次女が足で蹴っ飛ばすと、横倒しになったドラム缶はまるで意思を持ったようにごろごろと本屋の廊下を進み始める。「これはどういうことだい?」ぼくが訊くと、突然静止したドラム缶の蓋が勝手に剥がれ落ちた。

 「よう。」ぼくが車輪を捥ぎ取った車に乗っていた男だった。「おまえに言われたとおり、車になってみた。」ということらしい。ぼくはなるほどと頷いて、姉妹の方を向く。「きみ達は良い姉妹だね。」ぼくが言うと、次女は肩を竦め、四女ははてと首を傾げた。

 「他の三人は乗っていないのかい?」ぼくが訊くと次女が「長女がエンジンの役割を果たしてくれてる。彼女が車を蹴っ飛ばせば、こんな薄い壁を突き破るくらいの速度が出る」

 「楓姉、ひきこもりの癖に力はあるのよね。それに人に頼まれたら断れないから。」四女が嘲るように言った。「ふうん。そのお姉さんはエンジンで、言わば車の一部な訳だ。じゃ、このロープはそのお姉さんと繋がっていたり?」ぼくは最後尾のドラム缶から伸びた紐を手でさす。「ええ。伸びきっているところを見ると、かわいそうに引き攣られていることでしょうね。」四女はおかしそうに笑った。なるほどそれは道理だと思う。車の一部分である限り、車と繋がっている必要があるのには違いない。

 「そのお姉さんとはいつか会ってみたいね」そう言って、ぼくは問題集を四女に押し付けた。「何よ?」首を傾げられ、ぼくは「今、君はそれをこの店から盗んだ。だからこれは君のものだ。」「はえ?」「そしてぼくはそれを君から買おう。いくらだい?」財布を取り出し、四女の顔を窺う。四女は「どういうことでせうか?」と首を傾げるばかり。「お金をあげるよ。五千円。」手元にある全額である。「本当!」四女は花が咲くように笑って、次女は怪訝そうにした。

 四女から問題集を受け取って、五千円を支払う。そして次女の視線から逃げるように、ぼくは店を飛び出した。紳士として、本来ならば事情を説明してやりたいところだが、何せ今は急ぎである。後は野となれを決め込むより他はない。今度謝罪に向かわなければならないなと思いつつ、ぼくは全力で道路を走りぬけた。

 家に帰り着くと、姉さんが一階に降りてぼくのことを待っていてくれた。はて何があったのかなと思いつつ「ただいま。」の挨拶をする。「おかえりなさい。」姉さんは綺麗に笑って、ぼくから問題集を取り上げた。「これは良いものじゃない。」言われ、ぼくは誇らしくなった。

 「姉さん。」少しばかり緊張していたので、その声は上ずっていたかもしれない。姉さんは問題集の一ページをはがして、パズルを作るようにばらばらに引き裂きながら「何かしら?」と期待するような声を出した。

 「今のお昼はふつうのものを作ってくれないかな?」ぼくが言うと、姉さんは嬉しそうに「まかせなさい。」と言った。

 読了ありがとうございます。

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