3.先輩は俺の前だと別人です(※女装してないとき)
「……で?」
「で、じゃねぇよ」
放課後の教室。
俺――朝比奈唯斗は、机に突っ伏しながら、目の前の親友を睨んでいた。
「なんで昨日あんなこと言いかけた」
「どのことだよ」
「“唯斗”って言いかけただろ!!」
「あー、あれか」
瀬神美央は、まったく悪びれもせず笑った。
「いや普通に反応見たかっただけ」
「殺すぞ」
「怖」
怖がってないだろ絶対。
「てかさ」
美央が椅子を引いて、俺の机に肘をつく。
距離、近い。
「お前さ、なんでまだ続けてんの」
「……」
言葉に詰まる。
それ、俺が一番聞きたい。
「もう振ったんだろ?」
「……ああ」
「じゃあ終わりじゃん」
「終わってないから困ってんだよ」
「だよなぁ」
ニヤニヤしてる。
こいつ絶対楽しんでる。
「“諦めなきゃいいよね?”だっけ?」
「……やめろ」
思い出させるな。
あの時の空気。
あの時の顔。
……やめろほんとに。
「で?」
「で、じゃねぇって」
「どうすんの」
「知らねぇよ」
「逃げんの?」
「逃げたい」
即答だった。
でも。
「……無理だろうな」
「だろうな」
はあ、と同時にため息。
完全に詰んでる。
「てかさ」
美央が、少しだけ真面目な顔になる。
珍しい。
「お前、どう思ってんの」
「何が」
「凛花先輩のこと」
「……」
やめろその質問。
一番困るやつだ。
「別に」
「嘘くせぇ」
「嘘じゃねぇよ」
「じゃあなんで顔赤いんだよ」
「赤くねぇ!!」
机叩いた。
うるせぇ。
「……わかりやす」
「うるせぇ」
顔に出てる自覚はある。
でも。
どうしようもないだろ。
あんな距離で、あんなこと言われて。
平常心でいられる方がおかしい。
「まあいいや」
美央が立ち上がる。
「とりあえず放課後だろ?」
「……ああ」
今日も会う約束がある。
“唯”として。
「頑張れよ、“唯”」
「その呼び方やめろ」
「バレねぇようにな」
「お前が一番危ないんだよ」
「失礼だな」
絶対わざとだろ。
◇
「朝比奈」
「はい」
呼ばれて顔を上げる。
そこにいたのは――
白瀬凛花先輩。
いつもの制服姿。
いつもの、少し冷たい表情。
「これ、職員室に運ぶの手伝って」
「わかりました」
普通だ。
完全に。
昨日のあの人と同一人物とは思えないくらい。
距離も、空気も、全部。
「……」
横を歩く。
無言。
会話もない。
これが“学校での凛花先輩”だ。
「……重くない?」
「大丈夫です」
「そう」
それだけ。
あっさりしてる。
あの“距離バグ先輩”はどこ行った。
「……」
チラッと見る。
表情は変わらない。
クールで、落ち着いてて。
……やっぱりかっこいいな、この人。
「なに?」
「いえ何も」
バレた。
見すぎたか。
「……変なやつ」
「すみません」
いや今の俺が一番変だろ。
内心めちゃくちゃ焦ってる。
「……朝比奈」
「はい」
名前を呼ばれる。
少しだけ、声が柔らかい。
気のせいか?
「今日、部活ないの?」
「ないですけど」
「そっか」
それだけ。
それ以上は何も聞いてこない。
当然だ。
だってこの人は、“俺”に興味なんてない。
……はずなのに。
「……」
ほんの一瞬だけ。
視線が、少しだけ長く止まった気がした。
「……?」
気のせい、か。
「行くよ」
「はい」
先輩が前を向く。
その背中を見ながら。
俺は、わけのわからない違和感を感じていた。
◇
「凛花先輩」
「美央」
廊下の角。
美央が軽く手を上げる。
「久しぶりっすね」
「そうだね」
会話は自然だ。
普通に仲がいい。
この二人。
「今日ヒマ?」
「用事ある」
即答だった。
「そっすか」
「なに?」
「いや、ちょっと遊びでも誘おうかと」
「また今度」
「了解っす」
あっさり終わる。
ドライだな。
……でも。
「……」
美央が、俺を見る。
ニヤッと笑う。
やめろその顔。
絶対なんか企んでる。
「……じゃあな」
「はい」
去っていく。
その背中を見送って。
「……」
美央がボソッと呟いた。
「……あいつ、わかりやすいな」
「何が」
「お前のこと」
「は?」
意味がわからない。
「別に普通だろ」
「どこがだよ」
「どこって……」
普通にクールな先輩だろ。
さっきだって。
「……ああ、なるほど」
美央が笑う。
「お前、“そっち”しか見てねぇのか」
「は?」
「まあいいや」
話を切られる。
なんなんだよ。
「とりあえずさ」
美央が少しだけ近づいてくる。
「今日も“会う”んだろ?」
「……ああ」
「気をつけろよ」
「何を」
「バレるぞ」
「……」
それが一番怖いんだよ。
「あと」
少しだけ、真面目な顔。
「……あいつ、マジだぞ」
「……知ってる」
昨日、あれだけ見せられた。
知らないわけがない。
「だからこそだよ」
「……?」
「お前が一番ヤバいの」
「……意味わかんねぇ」
「だろうな」
軽く笑う。
「まあいいや」
背を向ける。
「楽しめよ、“二重生活”」
「楽しめるか」
「どうだか」
手をひらひら振って去っていく。
残された俺は。
「……」
ため息をついた。
◇
「唯」
「……っ」
心臓が跳ねる。
振り向く。
そこにいるのは。
昼間とは全然違う顔の、凛花先輩。
「来てくれたんだ」
「……はい」
距離、近い。
近すぎる。
なんでだよ。
昼間と別人か?
「会いたかった」
「……」
その一言で。
全部、持っていかれる。
「今日、少しだけ時間ある?」
「……あります」
断れるわけがない。
こんな顔で言われて。
「よかった」
柔らかく笑う。
さっきまでの“先輩”じゃない。
完全に別人。
「ねえ唯」
「はい」
「手、いい?」
「よくないです」
即答した。
「そっか」
しょんぼりするな。
ほんとやめろ。
「……じゃあ、隣にいるだけでいい」
「それはもうしてます」
「うん」
「うんじゃないです」
会話が同じだ。
昨日と。
でも。
「……」
嫌じゃない。
むしろ。
少しだけ、安心する。
「唯」
「はい」
「今日も、可愛いね」
「……」
思考停止。
無理だろ。
それは。
反則だ。
「……っ」
顔が熱い。
やめろほんとに。
「どうしたの?」
「なんでもないです!!」
誤魔化す。
必死で。
でも。
「……」
この人の前だと。
全部、崩れそうになる。
――そして。
俺はまだ気づいていない。
この“二つの顔”の間で。
俺の気持ちが、少しずつ揺れ始めていることに。




