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胡散臭い解呪師の不可解な執心について

掲載日:2026/01/07

「ラキア、今度は【感情を激しく揺さぶる解呪法】で如何ですか?」


(まーた始まった)


 ラキアは、今日も今日とて実在するのかわからない解呪法に思わず半眼になった。視線を送る先は、きらきらしい笑みでその提案を語るラキアの同居人――自称解呪師の男、ルーシュ。


「………………効果あるの?それ」

「なんと、天才解呪師が必死に編み出した解呪法を疑われるだなんて……!」

「茶化さず簡潔に概要だけ話して」


 相変わらず釣れませんねぇラキア。と芝居がかった言葉から一転、砕けて呑気に口を尖らせる男を一蹴して、話の続きに発破をかけた。その解呪法を心から信用することは出来ないが、無理のある内容でない限り、試せる解呪法は手当たり次第にやってみるしかない。……いかんせん、ラキアには時間がないのだ。


 無意識に手を結び、開いて、今日はまだ感覚が冴え冴えとしていることを確認してしまう。指先に若干の痺れを感じた昨日よりかは、調子も良かった。


「私が数ヶ月要しても解けないとは、相変わらず厄介な呪いですよねぇ【女神の祝福】(それ)


【女神の祝福】――ラキアはそう名付けられた、名とは真逆の厄介な呪いを負っている。この呪いがある限り、ラキアの命は持って二年なのだそうだ。


「貴女の呪い【女神の祝福】は、周囲にいる人の病気、怪我を問わず、不調を全て癒す効果があることは勿論ラキアも把握していますね?」

「えぇ。それで私が死ぬんだから元も子もないけど」

「まぁまぁ」


 ルーシュは一人がけの椅子に腰掛けたまま、手に持っていた分厚い本の一ページをこちらに見せた。そこには聖女の挿絵と細かい文字がびっしりと並んでいる。かいつまんで幾つかの単語だけ拾ってみると、それは治癒についての話のようだ。


「呪いに治癒が絡むケースはとても稀なので、ラキアの状態にまで適応するかは定かではありませんが、治癒系統の能力は古来より清らかで、安定したものを求める傾向にあります」

「へぇ……能力自体も選り好みするんだ」

「ラキア…………」


 ラキアが思ったことを口に出せば、ルーシュから半眼で見られた。普段のルーシュと反対である。

 

「で、それが【感情を激しく揺さぶる解呪法】にどう繋がるの?感情を乱すことが治癒能力の崩壊に繋がるとかそういう?」

「察しがいいですね。ラキアのいう通り、感情から治癒能力に干渉してどうにかならないかと」

「でもそれ、聖女様のような聖人君子ならともかく、私にそれをやって効果あるのか怪しいんだけど」


 そういうと、ルーシュはやれやれとでもいいたげにため息をついた。ついでにこちらに向けていた本をパタンと勢いよく閉じて膝の上に戻すと、聖書を説く聖職者の如き大層な芝居で語り出す。


「まーったくもって解呪をわかっていらっしゃらない。いいですか?複雑な呪いの解呪には実験がつきものです。たとえこの解呪法で呪いが解けずとも、このアプローチにどんな有用性があるか、その情報でも取れればいずれ解呪に役立つのですよ」


 それに、と少し苦笑しながら細められた楽しげな瞳がラキアを真っ直ぐ見る。


「貴女を聖女と言うつもりは毛頭ありませんが、感情はあまり大きく動かさない方でしょう?充分効果は見込めるかと」

「真っ当なこと言ってるようでなんか楽しんでない?」

「研究に好奇心は切り離せないものです」


 楽しそうに煌めきながらラキアを見つめる瞳と、視線で幾らかの攻防を繰り返したが、結局折れたのはラキアだった。毎度、いいように乗せられている気がしないでもないが、なんやかんや言ってルーシュはちゃんと結果を出してくるのだ。それはそれで癪に障るというか、腹立たしいけれど。


()()()()()頼んだよ」

「伊達に私も二ヶ月間、居候して遊んでた訳ではありません。取らせていただいたデータも上手く使いながら解呪に導いてみせますよ。天才解呪師にどうぞご期待下さい」


 得意げな顔をしてルーシュは笑った。しかし、ラキアは後半の調子のいい言葉にツッコミを返すよりも他の部分に引っかかった様子で、目を丸くして固まっていた。


「……二ヶ月も経ってたんだ」


 あの最悪の出会いから――とは、ラキアは心の中で思えど口には出さなかった。しかし、ルーシュ側も初対面で受けていた印象はさほど変わりないようで、苦く笑いながら言う。


「私もそれほど月日が経ったようには感じませんね。……いかんせん、出会った時の衝撃が衝撃でしたので」

「でもあれは八対二くらいでルーシュが悪いと思う」

「七、三くらいじゃありません?まぁ私が悪いんですけど」


 そんな軽口を叩き合いながら、二人とも脳裏に浮かべるのは同じ光景だったと思う。二ヶ月前、共同生活を始めるのに至った出会いの――吹っ飛ばし事件。


 事を語るにはラキアが呪いを受ける前の生活と、現在の生活に至った経緯を話さなくてはならない。


 周囲に人がいればいるほど癒しの力を消耗し、命を削ってしまう呪いを受けたため、ラキアは街から離れ、半年前から一人暮らしをしていた。しかし養父母が整えてくれた森の中の家で、薬師の仕事の片手間、取り寄せた書物を通じて解呪法を探したが、依然として進捗はないままだった。


 ――そして、二ヶ月前。


『ご機嫌よう、お嬢さん。突然ですが、貴女は解呪を必要とはしていらっしゃいませんか?』

『――――――は?』


 春風と共にやってきた来訪者は、煌びやかな笑顔で言った。


『私、各地を回って解呪のお手伝いをさせていただきながら研究をしている解呪師でして、お嬢さんがお困りならば、何かお力になれたらと声をかけさせていただいた所存です』

『え、え?いや…………私、というかうち、そういうのいいんで』

『…………え?』

『え?』


 男は断られるとは微塵も思って居なかったかのように困惑しながら固まった。なんで……?と心の底から不思議がる様子の男にラキアはツッコミたくて仕方がなかった。


(いや、そりゃあそうでしょう断るよ!!)


 胡散臭いのだ、ものすごく。解呪師、その言葉がまず怪しい。実在するのかもわからない職だし、例えば免許があったとして無免許でやってそうな危うさを感じる。

 

 第二に容姿。色だけ見たら金髪碧眼と、王子様の容姿に使われそうな言葉が並ぶというのに、絶妙に信用ならない。長く編まれた髪のせいなのだろうか?


 ……もうここまできたら胡散臭さのフルコースだ。正直お腹一杯である。


『……という訳ですのでお引き取りを』


 唖然とする自称解呪師を放って、ラキアは扉を閉じようとした。しかし、閉められる戸の隙間に手が捩じ込まれたかと思うと、圧倒的な力でまた外方向へと扉が開かれ出す。開かれる寸前のところでハッと我に返ったラキアは再び扉に体重をかけ、自身の方へ引き寄せる。


『まだ、お話は終わっておりません……!!』

『いや終わりましたよお引き取りください!!』


 木の板越しに眉間に皺を寄せる解呪師と睨み合う。が、膠着状態が続くうちにラキアは解呪師と睨み合う気力もなくなってきた。


(どうにかしないと)


 そんなラキアの思いとは裏腹に、呆気なく決着はついた。ラキアが汗で手を滑らせ、扉の取っ手を離してしまったのだ。


『あ』


 行き場をなくした力の反動で、ラキアは尻もちをついた。しかし、それはまだ軽症側の話である。予想もしていなかった反動を喰らった解呪師もまたバランスを崩した。だが、最悪なことにこちらはすぐ後ろが階段だった。解呪師もよろけて、数歩後ろに下がり――


『なっ、うわ、っ!?』


 ――階段下の垣根に突っ込んだ。それはもう、見事に全身で突っ込んだ。綺麗な男が頭のてっぺんから足先まで、木の葉や蜘蛛の巣でぐちゃぐちゃになっていた。おまけに軽い切り傷までできていた。


『うーわ………………』


 恐る恐る扉を開け、事の惨状を視認すると思わず声が出た。先程まで追いかえそうとしていた相手だったが、結構な有様で流石のラキアも責任を感じないなんてことはなかった。


『…………とりあえず上がります?応急手当のセットとお茶と……拭くもの?くらいはお出ししますけど』


 そう声をかければ、男は不機嫌なんだか怒っているのかすらよくわからない、しかし純粋な笑みではない笑い顔で『ご配慮に感謝します』とだけ言って立ち上がった。


「――で結局あの後、私が手当してたら傷がどんどん癒えてってルーシュが『呪いは本当だったのですね』とか言ったんだったよね」

「実際に目で見るまではやはり信じ難いものでしたので」


 最悪な思い出話だがルーシュは気分を害した様子もなく、穏やかな笑みで懐かしむように言う。その反応にラキアは少し安堵した。


 後から話を聞くところ、ルーシュはもともと街で出会ったラキアの両親からを聞いてラキアを訪ねるに至ったらしい。『娘が呪われている。助けてくれ』そう懇願した両親への親切心も多少はあったのかもしれないが、大方、未知の呪いへの興味がルーシュを突き動かしたのだろう。とはいえ――


「――うちの両親に頼まれたから来たよ、ってだけの話も拗れたよね確か」

「あれこそラキア八割の案件じゃありません?」

「あれは、ルーシュが暗黒微笑で、怪我させた償いの話の後に『貴女のお父上とお母上、とても元気な方ですよね。娘である貴女のことを心から心配しておりましたよ』とか言ったからでしょ」

「タイミングが絶望的に悪かったということで六対四でいかがでしょう?私が六で」


 当時その発言を聞いてすぐは「貴女のご両親は元気ですよ、()()」的な脅しのように聞こえていたのだが……今となっては笑える昔話だ。


「あの時は、胡散臭さにめちゃくちゃ疑心暗鬼になってたのよね。人と相対するのも数ヶ月振りだったし」

「ラキア、私にも心というものがあるのはご存知ですか?」


 しらっと咎めるような目をするルーシュを放って、ラキアはリビングを片し始める。そろそろ閉店時間だ、とでもいうように。そんな様子を見ながら、ルーシュは呆れまじりのため息をついてやれやれと頭を振った。


「でも胡散臭いと言う割には存外、私の好きに実験させてくれますよね」


 一瞬、ラキアの動きが止まった。と言ってもルーシュからは背中しか見えないため、どんな表情をしているのかまではわからないだろう。しかし、ぎりぎりルーシュに伝わってしまうくらいには、露わな動揺だった。


「…………そうね、確かに。……私も今になって存外貴方の動向をいちいち気にするほど警戒してないことに気づいたわ」

「なんです?貴女、急にしおらしくなりましたね?」

「いや、意外と信用してるのかもとからしくない答えに辿り着いて気持ち悪いなと思ってたところ」

「それ信用してるって答えで終わっていいところですよ?」


 軽口で返しながらもふ、と一息ついた男は、きっと笑っているものだとラキアは思った。しかしちらりと一瞥すると数秒前の言葉には似合わない、感情のよくわからない余裕めいた笑みと、鋭い眼光に囚われた。


「……とはいえ、置いてもらっている身で言えることでもありませんが警戒心は捨てすぎるなと警告しておきましょう」

「……どういう意味?」

「別に。ただ未婚のお嬢さんと距離が近すぎたら、私が貴女のご両親に滅多打ちにされてしまうというだけです」


 その言葉の意味をラキアが消化しきる前に、ラキアから同意の言葉を引き出せた解呪師は「では明日、手筈は整えておきます」とだけ言い残し、嬉々として自室へと戻って行った。軽い足音が小気味よくリズムを刻んで遠ざかる。もう夜もいい時間だが、この様子だと恐らく一晩中ルーシュの自室の灯りは消えそうにない。


(よくわからない人だよなあ)


 割と最悪だった出会いからは一転。二ヶ月ほどルーシュは『未知の呪いを研究する』という目的、ラキアは『厄介な呪いを解いてもらう』という利害関係で研究のための共同生活を続けてきた。二ヶ月共に過ごせばそれなりに見えてくる部分もあるが、根本はよくわからない人というのが今のところのラキアの見解である。


 親切なようで打算的。芝居がかったしぐさはするが、感情の起伏は少なめ。初対面の時に感じたような胡散臭さも時折滲ませる。……というか本人がわざとそれっぽくやっている節すらある。


(まぁ……私の呪いを解いてくれるのなら、なんでもいいんだけど)


 あちらも不必要な詮索をしてこないだけ、ラキアが必要以上にルーシュのことを詮索するのも不躾な話だ。余計なことを考えていないで寝よう、とラキアはリビングの明かりを消した。その後は考え事をする間もなくことんと眠れた気持ちのいい睡眠だったと思う。……翌朝、頭上の窓から響く妙なサイレンに叩き起こされるまでは。


* * *


「朝っぱらから何考えてるわけ?」


 まだ眠い目をこすり、とてもじゃないが平時では人に会えないようなネグリジェ姿で、ラキアは窓から身を乗り出した。窓の外には早朝だというのに無駄に麗しい同居人の解呪師が手に小さな箱を持って佇んでいた。


 こちらの麗しくない機嫌を悟った解呪師はそろりと去ろうとするが、生憎ラキアの部屋は一階だ。このまま逃げれば裸足でも追いかけるというこちらの気概を察したのか、数歩後ずさったところでルーシュは両手を上げて言った。


「言ったじゃないですか。『明日、手筈は整えておきます』と」

「……これで感情を激しく揺さぶれるとでも?」

「いやあ、読みが甘かったですね。単純にびっくりさせる=感情を激しく揺さぶる、と考えるだけではダメなようです!」

「……で?」

「ラキアの睡眠を邪魔すると碌なことがないというデータも取れました!今日はすみません、次に活かしますので」


 悪びれる様子のないルーシュにラキアは盛大にため息をついた。この男、普段からこんなテンションだっただろうか……と、拭えない疲労感を感じながらルーシュの顔を再び見る。ふと、先ほどは気が付かなかった目の下の隈と唇の渇きが目に入る。


「なんだか調子が悪そうだけど、結局昨日は何時に寝たの?」

「昨日……今日?あー……そういえば寝てませんね。これらを作るのに夢中になってしまって」

「寝なさい、今すぐに!」


 えー、とぼやきながらもやはり覇気のない解呪師をよそに、ラキアは上着を羽織り、外のルーシュを回収した。ありあわせの食材で作ったスープとパンをルーシュの口に放り込み、自室に叩き込めば、それほど時間もおかずに部屋は静かになった。恐らく、眠りについたのだろう。


(なんか介護してる気分になってきた……)


 ラキアだって眠いのに、それよりぼろぼろなルーシュを見てしまえばどうにも自分一人が二度寝する気は起きなかった。こっちの解呪をしてもらってるはずなのに手のかかる人だなあと思う。でもぼやっとしながらもそもそパンを食べるようすは少し可愛かったので憎めなかった。


(……可愛いってなに、ルーシュに?)


 自分の思考に正気を疑いたくなりながら、ラキアは一通り着替えと身支度だけ済ませてリビングのソファに横になった。睡魔は思考の邪魔をして、ずたずたに引き裂いていく。だからルーシュを可愛いだなんて変な思考が浮かんできたのだろう。


(もういい、寝よう寝よう)


 これ以上考えても碌なことにはならなそうだった。そうしてラキアは怠惰に二度寝を決め込み、目が覚めたのは西日が差す頃になってからだった。


* * *

 

「……っ!?今何時……」

「あぁ、起きました?おはようございます、ラキア」

「!?」


 ぱちっと目を開いた先、真っ先に飛び込んできたのは見目麗しい男の顔だった。肩から垂れた金の髪が、朱色を帯びた陽光を受けて、きらきらと輝いている。美しいという感想はあれど、その美が目の前にあるのはある種の暴力だった。直接の光など、ラキアには当たっていないはずなのに、なんだか、目を灼かれているかのように眩しい。


「なんで、ルーシュがここにいるの?」

「なんでと言われましても、リビングですのでねぇ……」

「あ、そうだった」


 つい自室にルーシュがいるような感覚に陥っていたが、思えばラキアが寝ているのは共用スペースなのだ。ルーシュがいたとて不思議ではないのに。


 (そういえば、朝のドッキリも私の部屋までは入らなかったな……)


 仕掛けるならば、ラキアの自室に入った方がやりやすかったろうに、変なところで律儀な人である。しかし、そんな気遣いをする割に、ちょっと今の距離は近すぎる。当の本人は恐らく無意識でこんな覗き込むような体制なのだろう。だが、ラキアが起き上がれば睫毛まで触れてしまいそうで精神衛生上とてもよろしくない。


「ルーシュ、近い。起き上がれないからどいて」

「……やっぱり貴女、寝起き悪いですよね。あーはいはい、すみません。今どきますよ――」


 いそいそとラキアから離れるルーシュは、しかし何を感じ取ったのか、ぴたりと動きを止めた。ラキアとの物理的距離は少し遠くなったが、普段見たことのない鋭い眼光で、やはりラキアの鼓動は狂う。


「…………なに?そんなに見られるとやりづらいんだけど」


 ラキアの喉からは反射的に、無愛想な言葉が絞り出された。別に、怒っているわけでもないのに、なぜか言葉は刺々しくなってしまったことを少し悔いる。しかし、そんなこと気にもしていない様子のルーシュは、何故だかいつもより楽しげな空気すら滲ませて笑った。


「不躾でしたね。失礼しました」


 くるりと身を翻して去るルーシュを見送り、何拍か遅れてラキアは立ち上がった。まだ、寝不足でおかしいのかな、だなんて充分すぎる二度寝の後には使えない言い訳を浮かべながら。


 ルーシュが見せた意味深な態度の訳もわからないままだったが、ひとまず頭の中から追い出して、ラキアは普段通りに過ごした。


「ラキア、体調が優れないので?」

「別にそういう訳じゃない……」

「そうですか?それならいいのですが。あ、今日は後で風呂いただきます」

「わかったわ」


 と、言ってもルーシュに不思議そうな顔はされたので、なにか様子はおかしかったのだろうが。それでもいつもと同じように、夕食を作り、ルーシュと食卓を囲み、入浴し――


 ――そして事は起こった。


 先に弁明しておくが、別にラキアが望んでそうした訳ではない。ただ、ラキアが一切の躊躇なく、忘れた髪紐を取りに脱衣所を開けてしまったというだけだった。……そう、普段とは違う入浴順を忘れて。


「えっ?ラキア?」

「…………あ」


 勢いよく開けた扉の目の前には、麗しい男の見た目からはあまり想像のつかない、引き締まった男の筋肉が晒された。といってもそれは一瞬のことだった。ルーシュが服を着るその瞬間に居合わせたようで、ほんの少し脇腹が見えた程度のことだった。……それだけのことだったというのに。


「いやぁ、びっくりしました。すみません、鍵も締め忘れていたようで。というか上を着る瞬間で本当に良かったですよ。それより前だったら私が貴女のご両親に沈められて……」

「…………………………」

「ラキア?」


 ラキアはそろりと……いや、いっそふらふらと形容した方がいいほどおぼつかない足取りで数歩後ずさる。そして冷静さを装う、所々上擦った声で言った。


「あ……あの、ごめんなさい。覗くつもりはなかったの。忘れものを取りに来ただけで」


 指を指す先をルーシュが見れば、確かに髪紐があった。しかし、もうそれを取りに動く様子はなく、どちらかというと後退するばかりだ。


「これを取りに来たんでしょう?いいのですか?」

「……いい、また今度で。それより本当にごめんなさい。邪魔をしたわ……」


 ルーシュが髪紐を持って近づこうとすると、ラキアは顔を背け、今度は完全に体の向きを変えてよろよろと歩き始めた。そんなラキアを、ルーシュはすっと細めた目で見送った。


 (…………へぇ、これが有効とは。意外ですね)


 その視線の先が、湯上がりのルーシュよりも赤いラキアの頬を見ていたのか、何を見ていたのか。そしてルーシュが浮かべた笑みにも、ラキアは終ぞ気がつかないままだった。


* * *


 (び……っくりしたぁ……)


 まだドッドッと跳ねる胸を抑えながら、ラキアはリビングまで後退した。そして今日の大半を過ごした相棒のようなソファに身体を預ける。疲労感から目を瞑るが、ふとした瞬間に先程の筋肉が浮かんできて、思わず目を開く。なんだか、いけないものを見てしまった後のどうにもならない気持ちのようで、当面頭は静かになりそうになかった。


 (朝も昼も、今日はなんだかずっと変だ。どうして……)

 

 そんなことを考えていた最中、ちょうど悩みの種であった解呪師がリビングに現れる。


「ラキア、髪紐を持ってきました。貴女はいいだなんて言いましたが、やはりそのためにわざわざきたんですから、あるに越したことはないでしょう?」

「……ありがとう」


 今ばっかりは、放っておいてくれた方がありがたかったかもなぁなんて思いながらも、素直にルーシュの気遣いは受け取りたかった。ルーシュの持つ髪紐を取ろうと、恐る恐る手を伸ばす。しかし、ルーシュはラキアが紐を取る前ににやりと笑って自分の方へと、手を引き戻してしまった。


「ちょっとルーシュ……!」

「そう怒らないでください。髪紐を取りに来たということは髪を束ねるつもりだったのでしょう?折角ですから、私に結わせてくれません?」

「はあ!?」


 素っ頓狂な声をあげるラキアの制止も無視して、ルーシュは気づけばラキアの横に座っていた。夕方よりも近い距離に、ラキアは戸惑う。


「私、自分の髪が長いもので、人の髪をいじるのも好きなんですよね。ねぇ、付き合ってくれるでしょう?」


 別にいいから!と胸の底には言葉が浮かんでいたが、ここまで強引なルーシュには、何を言っても結局のらりくらりと躱されそうで、ラキアは諦めてルーシュの反対側に視線を外した。


「勝手にして……」

「では、お言葉に甘えて」


 見えない視界の中から、男がころころと笑う声がする。そして、何拍かも置かないうちに、男の指先がラキアのうなじを掠め、髪の束を掬い取る。思ってもいなかった感触にひぅと変な声が出そうになりながら、ラキアは口を引き結んだ。


「ラキアの髪色って綺麗ですよね。くすみのあるチェリーブロンドがラキアの雰囲気ともよく似合ってます。それに、これだけの長さがあれば、どんなヘアアレンジでもできますし」

「……薬師の仕事中は、邪魔に思うことの方が多いわ」

「こんなに綺麗なのにもったいない」


 飄々としたルーシュに、ラキアは煮え立つ頭で必死に言葉を返した。そんな余裕のなさを勘付かれているのかいないのか、度々聞こえる微笑の声が憎らしい。時々首筋や肩にルーシュの骨張った手が触れる中で、ラキアはふと改めて思う。


 (…………ルーシュって、男性だったんだな)


 当たり前と言えば当たり前のことだった。しかし、どこか無意識の中で薄れている部分もあったのだ。ルーシュの顔は、美人という言葉がよく似合うように美しい。そして、背丈はあるが、身体の線は細く、どちらかといえば華奢な部類に入る。だから、意外と生活の中では意識することなどなかったのだ。ルーシュとラキアはただの解呪師と顧客。ついでに同居人。ただそれだけで、お互いの性別など関係ないのだから。


「はい、ラキア。出来ましたよ」


 考えごとをしているうちに、髪結いは終わったらしかった。笑うルーシュが、結ったラキアの髪を肩から前に流す。自分の肩口に目線を落とすと、ゆるい三つ編みに結われた髪が目に入った。普段のルーシュと同じ髪型だった。


「まぁ長さが違うので網目の大小も多少は違うわけですが……一応形にはなったでしょう」

「……ん、ありがとう」


 少しずつ男の身体が離れていくことに安堵して、ラキアは疲労感からふっと一息ついた。しかし、気づけばすぐ目の前に、ルーシュの顔があった。思わずのけ反り、ソファの端まで追い詰められる。


「やはりラキア、今日は体調が優れないのでは?朝私に散々あれだけ身体が資本だと説いておきながら、ずっと様子がおかしいですよ」

「別にそんなことないから」

「はいはい、とりあえず脈測りますね。呪いの進行が早まっていたりしたら笑えませんので」


 そう言いながらも、半分真剣で、もう半分は楽しげな男の真意はわからない。しかし、ソファの端で体重を預けてしまったラキアに逃げ場はなく、こちらに詰め寄るルーシュを躱す術などない。結局、ルーシュがラキアに半ば覆い被さるような姿勢になって、ラキアの腕は捕らえられた。


 普段は手袋に覆われた男の親指が、脈を探してラキアの手首をつうぅっとなぞる。少し乾いた大きな指の感覚がもどかしくて、身じろぎするも「大人しくしてください」とルーシュに一蹴された。ようやく脈を探し当てたのか、ルーシュの指が止まってからは余計心穏やかではいられなかった。


 だって、自分で分かってしまうのだ。心臓がずっと荒れ狂って脈を打っていて、全身が一つの鐘になったかのように中心から何かがずっと響いている。それがなぜかはわからない。わからないけれど――


「……やはり、脈は早いですね。しかし呪いが進行した気配はない……顔も赤くて火照ってますし、風邪ですか?」

「……風邪じゃないと思う。わかんないけど」

「――へぇ?」


 原因不明の不調。不調とも呼べないようなそれが、風邪でなく起こっていると、解呪師には知られたくなかった。脈を取られた時点で、ラキアの負けなど確定しているのだが。


「風邪でないのなら、何故こうも脈が早まるのでしょう?」


 いつもより深い笑みに、ルーシュの翡翠のような青みのある目がすっと細まった。それは、笑っているはずなのに、どことなく鋭い眼光を湛えていて、獲物を狙うかのような目立った。


「……なんででしょうね。原因不明、私にもわからないけれど」


 ラキアはぎりぎりな内心を押し隠すように笑って、余裕を気取った。しかし悲しいかな、解呪師の方が何枚も上手だったようだ。ラキアの言葉にふっと小さく笑うと、よりラキア側に体重を預けて詰め寄る。そして、ラキアの顎に手を添えると、頬を撫で、唇を撫でる。まるで何かを確かめるかのように。


「本当は、気づいているのでは?」

「……何に?何か気づくことがあるとでも?」


 強がりを返しながらも、ラキアの脳内は慌ただしかった。


(気づくことなんて……)


 そういいながら、今日一日のふとした瞬間が無数に流れていく。ルーシュを血迷って可愛いと思った瞬間。西日に照らされる金髪や、顔立ちの美しさ。華奢な身体つきから想像出来なかった筋肉。そして、今感じている身体の重みや、どうやったってラキアが敵わない力。


 これは、なんなのだろう。今日のラキアの頭の中は、ルーシュで一杯だった。


 (もしかして、ルーシュのこと――)


 何か、結論がつきそうになった瞬間、ルーシュの言葉が思考の間に割って入る。


「……貴女って、男慣れしてなさすぎて初心ですよねぇ。面白いくらいに」

「……………………は?」

「ふふふ、すみませんからかいすぎました。とはいえ貴女の感情を揺さぶるなら、この方向性が一番有効だというデータも取れましたし、結果的には意義のある――」


 そういいながらルーシュがぱっと手を離したところまでしか、ラキアは聞いていなかった。外の世界に割く意識の余裕など、今はなかった。


 ……そうだった、そうだったのだ。うっかり気の迷いで、私がルーシュに対して特別な感情を抱いているからだなんて錯覚しかけたが、それよりもっと根本的なところだった。


 ラキアは薬師だ。異性の人体そのものにも慣れていなければ、幼い頃から大した興味もなく、自ら望んで勉強漬になり、異性と触れ合わないままこの年まで来てしまった。


 それ故の動揺だったのだ。……きっと、ルーシュ当人に対する何かではなくて。


(こいつ…………!!)


 脱力感と共に疲労が来れば、次に湧き上がってきたのは怒りだった。ラキアの乙女心ゲージを半端なく削ってくれやがった気がする。それに、なんなのだ、この手慣れよう。女子の扱い慣れすぎじゃない?と的外れな怒りも頭の中を巡って止まらない。


「あの、ラキア…………?」


 黙りこくったままのラキアに、いよいよ異変を察知したルーシュは不思議そうな、少し案じた顔でラキアを覗きこむ。しかしラキアは反射的にばっと顔を背けると、目を見ないままぽつりと言った。


「今の、全部実験?」

「……?えぇ。といっても行き当たりばったりで、最初から考えてた訳ではありませんが」

「いつ考えたの」

「えぇっと……夕方、貴女の様子がおかしかったときからですね。体調不良の気もなく、珍しくラキアが動揺してたのでこれは、と」


 その言葉を聞いて、余計怒りは増すばかりだった。実験だからと顔色一つ変えずにあんなことできるのが腹立たしい。こちらばかりが必死になって、動揺させられてばっかりで、あっちには何も響いていなさそうなのが……たまらなく、悔しい。


 しかし、恨み言一つ言ってやろうと思った口は、言葉を紡げないまま、また閉じた。そしてとめどない感情は、別の形となって現れてしまった。運悪く、ラキアの身を案じたルーシュが回り込んでラキアの顔を正面から覗きこんだ。


「ラキア、本当に大丈夫です…………か……」


 そして、案の定言葉を詰まらせた。一瞬驚き、困惑に染まる顔をみて、ざまーみろとも思う。しかし、それよりずっとこんな表情見られたくなかったなという思いの方が勝った。きっと、真っ赤になって今にも泣きそうな自分の顔など。


「……解呪してとは言ったけど、やりすぎ。私だって、驚きもするし、動揺もする」

「それは……本当にすみません。貴女も十九の乙女ですからね、婦女子にみだりに触れるべきではありませんでした」

「………………別に」


 ルーシュの言葉からは、確かな反省の意思が見て取れた。しかし、かえってその言葉に苛立ちと悔しさを募らせてしまう、ラキアの面倒なところはなんなのだろう。頭の中に浮かんできた言葉は、ラキアがいうには正当性のない我儘な言葉だった。だから、短い言葉でそれまでにしようと思ったのに、ルーシュが言葉を重ねた。


「今回のは全面的に悪かったです。今後に遺恨を残さないためにも、不満に思ったことは、余すことなくなんでも聞くので、どうぞ話してください」

「……………………ルーシュは」


 ルーシュなりの誠意だったのだろうその言葉に、ラキアのどうしようもなく我儘な不満は、いとも容易く引きずり出された。ふい、とルーシュの瞳から逃げる様にそっぽを向く。


「ルーシュは、手慣れてたね。……誰にでも、他のご令嬢にも、表情一つ崩さずあんな対応まで出来るなんて、天才解呪師様は職務に忠実なことで」

「えっ………………は?」


 視界の端で、ルーシュが目を見開いているのがわかった。そして、笑う。……笑ったが、その笑みはいつもの様に余裕があったのか、はたまたそうでないのか、ラキアの角度では見て取れなかった。そして、いつもより低い、取り繕わない声で言う。


「……急にどうしたんです、ラキア。それではまるで私が他の人にも同じ対応をすることが不服みたいに聞こえます」


 返事を返さないラキアに、ルーシュは乾いた笑いを溢し、少し早口になりながらまた口を開く。


「……なーんて、ほら、いつもみたいに笑い飛ばしてくださいよ。やっぱり、いつものラキアじゃないと調子が狂います。ねぇ、ラキアそれじゃあ嫉妬してるみたいに聞こえますよ」

「……………………」

「……え、ちょ、ラキア?」


 慌てふためくルーシュを見て、ラキアの怒りはやがてすうっと引いてきた。腹立たしかったことには変わりないが、珍しいものも見れたことだし、このくらいでいいだろうとラキアは声を出して笑った。


「ね?ほら、感情を弄ばれるって生きた心地がしないでしょう」

「…………よーく身に染みました。反省します」

「よろしい」


 そうして正面から向き合い、手を取り合ったところでラキアは、ほっと一息胸を撫で下ろす。どうやらラキアの言ったことは、意趣返しだと受け取ってくれたようだった。ルーシュにも嫉妬のようだなんて言われた想いが、ラキアの本心だなんて受け取られなくてよかったと心から思う。


 別にルーシュを好きなわけでもないのに浮かんできたその感情がなんなのか、ラキア自身検討もつかないのだ。……でも、わからないものは、わからないままでいいのかもしれない。少なくとも、今は。


 (あーもう疲れた。今日こそぐっすり寝よ……)


 日中、盛大な昼寝をしたのにも関わらず、度重なる疲労感で、今日はすぐにでも寝られそうだなとラキアは思った。


* * *


 (あー…………)


 ラキアと別れて数分、自室の扉を閉めるなりルーシュはずるりと扉にもたれかかるようにして座り込む。こちらから仕掛けたことだというのに、酷い疲労感に身体の力が抜けてしまった。目を閉じ、目元を手で覆うと先ほどの怒るラキアがありありと浮かんできた。


 ……本当は、あそこまでやるつもりなんてなかった。


 夕方の反応で、ふとラキアが珍しく動揺していることに気づいた。その後の脱衣所の事故で、男性慣れしていないのだと確信を持った。そして、その時の動揺で僅かに呪いの効力が揺らいでいるかもしれない、とも。しかし、初めは髪を結って様子を見るだけが想定していたルーシュの計画だったのだ。


 その後、過剰に距離を詰めてラキアを追い詰めたのは、ただルーシュが止まれなくなってしまったというだけで。


(なに、やってるんでしょう……)


 まだ、鮮明に焼きついて離れない。赤く染まる首筋や、頬。潤んだ目元。引き結ばれた口。触れれば、小さく震えた細い手首。その全てが、宝珠のようで、毒でもあった。


 その毒に負け、更には男慣れしていない相手に対する謎の優越感にも呑まれて、もっと暴いてしまいたい欲にすら駆られた。普段、顧客相手はトラブル避けるためにも尚更自分を律しているというのに、とんだ失態だった。とはいえ、多少の責任転嫁はルーシュもしたくなる。


(なんなんですか、あの言葉にあの表情(かお)……)


 最後に言った、嫉妬のような言葉も、脳裏に焼きついて離れなかった。わかっている、あれはルーシュに一泡吹かせるための演技であったことくらい。しかし、それであんな顔まで出来るとは、末恐ろしい女優だなと思う。もしかしたら、薬師よりも女優の方が向いているんじゃないだろうか。


 一つ息を吸い、そんな無駄な思考を一つ二つと削ぎ落とすと、ルーシュは段々と冷静さを取り戻した。今日は、熱に浮かされすぎた。愛だの恋だの、情も含めて、ルーシュの持つべきではない感情だ。――ラキアに対しては、特に。


(これは、甘さでもないし優しさでもない。所詮、()()を果たすための利害関係に過ぎないのですから。そのためだけの、関係性づくり……)


 そう、心の中で結論付け、冷めた想いを抱きながらも、気がついたら目で追っている不可解な執心のわけを、ラキアも、ルーシュ自身もまだ知らない。

お読みいただきありがとうございました!甘めな恋愛もの書きた〜い!飄々として手慣れた男がクールだけど変なとこで初心な女の子に動揺してどうにもならなくなるとこ書きた〜い!と前から構想だけはあったものを、ようやくちゃんとお出しできて内心ホッとしてます。また、今後余裕があったらラキアとルーシュの物語をさらに広げてお届け出来れば〜と思っておりますので、またいずれ。改めて、ありがとうございました!また皆様とラキア、ルーシュがお会い出来ますことを祈っております。

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