第6話「影守りへようこそ」
【前回までのあらすじ】
深淵の王の巨大な金色の眼球が、悠真を捉えた。
魂に何かを刻まれたような感覚を覚える。
シオリと共にビルから脱出し、影守りへの協力を決意。
平穏なコンビニ店員生活は終わり、二重生活が始まった。
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【12月3日(火) 朝8時半 霞が関】
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数時間後。
完全に日が昇りきった朝の八時半。
俺は、皇居のほど近く、霞が関の官庁街に立っていた。
銀杏並木は黄金色に染まり、散り始めた葉が朝のアスファルトを彩っている。冬の透き通った空気の中、行き交うのはパリッとしたスーツを着たエリート官僚たちや、眠そうな顔をした公務員たち。
その波に逆らうように、俺はヨレヨレのスウェット上下に薄汚れたスニーカーという出で立ちで立ち尽くしていた。しかも煤だらけで、あちこちに擦り傷まである。
「……なぁ、これ公開処刑か何かですか?」
俺はジロジロと見てくる通行人の視線に耐えかねて、恨めしげに隣を見た。
そこには、新しいパンツスーツに身を包み、髪もメイクも完璧に直した副隊長が涼しい顔で立っている。数時間前までビルの崩壊に巻き込まれていたとは思えない、キャリアウーマンぶりだ。
「何が?」
「何が、じゃないですよ! なんでアンタだけ着替えてるんですか! 俺には?」
「私は本庁に仮眠室と専用ロッカーがあるもの。シャワーも浴びてきたわ」
副隊長は悪びれもせずサラリと言った。艶やかな黒髪からは、ほのかにシャンプーのいい匂いがする。
「鑑定士君の着替え? そんなもの用意してる時間なかったわよ。ほら、胸を張りなさい。あなたは今日からここの職員よ」
「こんな格好で胸張れるわけないだろ……完全に不審者だよ……」
通り過ぎる女性公務員が、明らかに俺を避けて歩いていく。中には警備員を呼ぼうとしている人までいる。
俺はがっくりと肩を落としながら、副隊長の後をついていく。彼女が入っていったのは、何の変哲もない灰色のビルだった。
看板には『内閣府統計局・第4分室』とある。
「ここが『影守り』の本部? なんというか……地味ですね」
「表向きはただの統計局よ。目立たないことが重要なの。……ついてきて」
◆ ◆ ◆
受付を素通りし、奥のエレベーターホールへ。
副隊長が貨物用エレベーターの横にある鍵穴を操作すると、パネルに隠されていた『B5』のランプが点灯した。地下5階——普通の政府施設にそんな深い階層があるはずがない。
箱は地下深くへと沈み始めた。
空気が変わる。
肌にピリピリと刺さるような、濃密な魔素の気配。
扉が開くと、そこには地上とは別世界の広大な地下空間が広がっていた。
天井は吹き抜けで、人工の太陽光が降り注いでいる。白衣の研究者たちがタブレットを片手に議論を交わし、重武装の隊員たちが廊下を行き交う。壁面には日本各地のダンジョン・ゲートの状況を映す巨大なモニターが並び、どこかで警報音が鳴り響いている。
「……すげぇ」
俺は思わず声を漏らした。
裏社会の存在は知っていた。スカベンジャーとして素材を扱ってきたから、そういう世界があることくらいは理解していた。
だが、ここまで大規模で、組織的で、本格的な施設だとは想像もしていなかった。
「ここが影守り本部よ。国内最大の対ゲート・対異能犯罪の拠点」
副隊長は歩きながら説明する。
「所属エージェントは約三千名。全国のダンジョン管理、異能者の登録・監視、裏社会の秩序維持。あらゆることを担っているわ」
「三千人も……」
「それでも人手不足なの。ゲートは年々増え続けているし、異能犯罪も後を絶たない。だからあなたみたいな人材は貴重なのよ」
廊下を抜け、最奥にある重厚な扉の前へとたどり着いた。
『特務作戦局長室』。
「入るわよ」
副隊長がノックし、入室する。
◆ ◆ ◆
壁一面がモニターで埋め尽くされた司令室のような部屋。
その中央、執務机に座っていたのは、眼帯をした白髪の初老の男だった。
一見すると柔和な好々爺だが、その纏っている空気は張り詰めている。歴戦の戦士特有の、隙のない佇まい。
俺は反射的に『鑑定』を発動させていた。
【氏名:天城 ゲン(あまぎ げん)】
【役職:特務作戦局長】
【等級:元Sランク(引退済)】
【スキル:剣聖(Sword Master)/ 威圧】
【状態:右目欠損 / 古傷(多数)】
【備考:10年前の「最初のゲート事故」における生存者】
……うわぁ。
元Sランクだって。しかも10年前のゲート事故の生存者。この人も化け物かよ。
「戻ったか、如月。……そして、そいつが例の?」
局長の声は穏やかだが、視線には値踏みするような鋭さがあった。
「はい。本日付で採用しました、橘悠真です」
副隊長が敬礼する。俺も慌てて頭を下げた。
「橘です。よ、よろしくお願いします」
天城局長は、俺をじろじろと見つめた後、ふっと笑った。
「楽にしてくれ。私は天城だ。……報告書は読んだぞ。未登録の鑑定士にして、Sランク案件の功労者。おまけにあの『氷の魔女』こと如月シオリを手懐けたとなれば、期待しないわけにはいかん」
「手懐けてません! 拉致されたんです!」
俺の抗議に、天城局長は豪快に笑った。
「はっはっは! まあそう言うな。我が組織は慢性的な人手不足でな。君のような『目』を持った人材は喉から手が出るほど欲しい」
局長は真顔に戻り、机の上で指を組んだ。
「それに……君を保護したのは、君自身のためでもある」
「どういう意味ですか?」
「鑑定士というのは、裏社会では非常に価値がある。闇オークション、非合法ギルド、犯罪組織……君のスキルを狙う連中は山ほどいる。野放しにしておけば、いずれ拉致されて『道具』にされるだろう」
俺の背筋に冷たいものが走った。
「それだけではない」
局長の表情が、一瞬だけ曇った。
まるで、遠い過去の記憶を呼び起こしているかのような——。
「如月から報告を受けた。今回の事件で、空間の裂け目から『何か』が覗いていたそうだな」
「……はい」
あの金色の瞳を思い出し、俺の体が無意識に強張る。
「その『何か』の気配……私には、覚えがある」
「えっ?」
俺は驚いて局長を見た。
「10年前、最初のゲート事故が起きた時だ。新宿大深度地下迷宮——あの時、私は最深部付近まで到達した。そこで感じた気配と、報告書に記された存在の気配が……酷似している」
局長の残った片目が、遠い場所を見つめていた。
「私はあの時、右目と多くの仲間を失った。何が起きたのか、今でも完全には把握できていない。だが、あの底知れない恐怖だけは——今でも魂に刻まれている」
◆ ◆ ◆
室内に重い沈黙が流れた。
「今回、君がその存在と『対面』したことは、決して偶然ではないかもしれん。奴が……いや、憶測で話すべきではないな」
局長は首を振り、話題を変えた。
「ともかく、君の体に何か異変が起きていないか、今後の経過観察が必要だ。定期的な検査を受けてもらう。もし異常が発見された場合は、即座に対処する」
「異常って……」
「あれほどの存在に『見られた』のだ。何も影響がないとは考えにくい。呪いの類か、追跡のための印か——今の段階では何も断言できんがな」
俺は思わず自分の胸に手を当てた。
あの時——深淵の王に見つめられた瞬間、確かに何かを感じた。魂に焼き印を押されたような、あの不気味な感覚。
あれは、気のせいじゃなかったのか?
「……了解です」
俺は素直に頷いた。正直、怖かった。
◆ ◆ ◆
「さて、暗い話はここまでだ。本題に入ろう」
局長は表情を和らげ、一枚の黒いカードを取り出した。正規職員証だ。
「影守り所属、D級鑑定士——橘悠真。これが君の正式な肩書きだ」
「D級……」
「最初は全員D級からスタートする。実績を積めば昇格もあるぞ」
「このIDカードには特殊な術式が組み込まれている。危険を感じて強く握り込めば、即座に本部へ『緊急救難信号』が送信される。到着まで平均3分だ」
「3分……カップ麺が出来上がるまで耐えれば、助かるってわけですね」
「そういうことだ。……それと、護衛もつける。如月、雪兎を貸し出せ」
副隊長が頷くと、彼女の肩から小さな「何か」がピョンと跳ねた。
パキン、と可愛い音がして、副隊長の掌の上に雪でできた小さなウサギが現れる。
「私の式神、『雪兎』よ。私がそばにいられない時は、この子があなたの影の中に潜んで護衛するわ」
雪兎がつぶらな氷の瞳で俺を見上げた。サイズは掌に乗るくらい。耳がピコピコ動いている。
か、可愛い……。
「可愛い顔してるけど、戦闘力は高いわよ。下級の魔物くらいなら、この子が噛み殺してくれるわ」
雪兎がシャキーンと氷の牙を見せた。
全然可愛くなかった。猛獣だった。
「君を組織で保護し、育成する。……拒否権はないぞ」
俺は震える手でIDカードを受け取った。
「……はぁ。腹くくりますよ。その代わり、給料は弾んでくださいね。副隊長、5倍って言ってましたけど」
「5倍? はっはっは! 安い安い!」
天城局長は机をバンと叩いた。
「これだけの希少スキル持ちだ。コンビニバイトの20倍は出そう」
「に、20倍!?」
俺は素で叫んでしまった。
時給1,200円の20倍……時給2万4,000円!? 年収にしたら数千万円コースだ。
「金払いはいい組織なんだ。……どうだ、やる気が出たか?」
「……あ、局長。一つだけ条件があります」
俺は札束の幻影を振り払い、意を決して顔を上げた。
「なんだね? まだ金が足りんか?」
「金じゃないんです。……コンビニのバイト、続けさせてください」
◆ ◆ ◆
俺の言葉に、天城局長は目を丸くし、副隊長は素っ頓狂な声を上げた。
「はあ? 何を言ってるの鑑定士君。給料20倍よ? 一生遊んで暮らせる額なのよ? そんな危険な場所で働く必要なんて……」
「必要あるんです!」
俺は副隊長の言葉を遮って訴えた。
「俺は公務員になりたかったわけじゃない。平和に生きたかっただけなんです。……あのコンビニは、俺にとって唯一残された『日常』なんです。それを捨ててここだけに染まったら、俺は俺じゃなくなっちまう気がする」
深夜の廃棄弁当。常連客との適当な会話。単調なレジ打ち。
それらは退屈だったが、確かに俺の精神安定剤だったのだ。
俺の必死な訴えに、天城局長はしばらく黙り込み——やがて、口の端をニヤリと吊り上げた。
「面白い。裏社会に足を踏み入れておきながら、表の日常にしがみつくか。……精神の均衡を保つためにも、悪くない提案だ」
「きょ、局長!?」
「許可しよう。ただし、本業に支障が出ない範囲でな」
局長の言葉に、俺は職員証をポケットにねじ込み、キッパリと言い返した。
「勘違いしないでくださいよ、局長」
「ん?」
「俺の本業はコンビニ店員です。こっちが副業です」
その減らず口に、局長は目を瞬かせ、そして腹を抱えて笑い出した。
「くっ、はははは! 聞いたか如月! こいつは大物だぞ!」
副隊長はこめかみを押さえて、大きなため息をついた。
「はぁ……。分かったわよ。好きにしなさい」
雪兎が俺の足元にぴょんと飛び降り、するりと影の中に潜り込んだ。これからこいつが、俺の護衛役というわけか。
正直、心強い。
◆ ◆ ◆
こうして、俺の影守りでの最初の一日が始まった。
表の顔は、冴えないコンビニ店員。
裏の顔は、国家機密を扱う鑑定士。
俺の「平穏」とは程遠い、過酷で刺激的な二重生活が、ここに幕を開けた。
——だが、この時の俺はまだ知らなかった。
あの夜、深淵の王に『見られた』瞬間。
局長が危惧した通り、俺の魂には確かに『呪印』が刻まれていたことを。
そしてそれが、10年前の事故と深く繋がっていることを——。
(第6話 完)
【あとがき】
お読みいただきありがとうございます!
悠真、影守りにD級鑑定士として正式採用!
コンビニバイトの20倍の給料……でも本業はコンビニです。
雪兎という可愛い(?)護衛もつきました。
これから二重生活が始まります。
次回、雪兎との日常!
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