第14話「碧水晶の洞窟」
───────────────────────
【12月8日(日) 朝7時 中野・メゾン・ド・中野】
───────────────────────
夜勤明けの朝。
俺は中野のボロアパートに帰るなり、玄関で力尽きた。
靴を脱ぐ気力すらなく、ドアを閉めた瞬間に膝から崩れ落ちる。
記憶がない。
気づけば、目の前にスニーカーの底があった。
「……んぐ、よく寝た……」
俺は重い瞼をこすりながら起き上がった。
頬にひんやりとした硬い感触がある。
よく見ると、そこは枕ではなく、埃っぽい玄関のコンクリート(たたき)だった。
どうやら俺は、玄関で気絶するように眠っていたらしい。
だが、体は驚くほど軽い。
硬い床で丸一日寝ていたはずなのに、体の痛みはゼロだ。連日の疲れも、深淵の化け物への恐怖も、すべてリセットされた気分だった。
これも『呪印』による回復力のおかげか。
便利といえば便利だが、代償を考えると素直に喜べない。
俺は大きく伸びをして、ふと足元を見た。
「……お、おはよう」
そこには、俺の脱ぎ捨てたスニーカーの横に、雪兎がいた。
ちょこんと座り、前足で長い耳を毛づくろいしている。
俺が起きると、パタパタと耳を振って「ようやく起きたか」と言いたげに鼻を鳴らした。
その姿は、どこか誇らしげで、妙な貫禄(ドヤ感)がある。
何があったんだ?
不審に思いながら、俺は玄関のドアを開けた。
「うわっ!?」
絶句した。
アパートの前の廊下が、カチカチに凍りついていたのだ。
壁には無数の爪痕が刻まれ、手すりは軽くひしゃげている。
そして、俺の足元には——
「なんだこれ……魔石の山?」
キラキラと光る小石が、ゴミ袋一つ分くらい山積みにされていた。
魔物が消滅した後に残る核、魔石だ。これだけの数、一体何匹倒したんだ?
「……ようやくお目覚め?」
涼やかな、しかし疲労の滲む声がした。
隣の部屋のドアの前。
何もない空間が揺らぎ、パイプ椅子に座ったシオリさんが姿を現した。
膝の上には読みかけの文庫本。足元には空になった栄養ドリンクの瓶が数本転がっている。
「シオリさん……? 今まで透明に……?」
「『認識阻害』アイテムの結界よ。一般人にこの惨状を見せるわけにはいかないでしょう」
シオリさんは本を閉じ、小さくあくびをした。
いつもの完璧なパンツスーツ姿だが、その美しい顔には隠しきれない隈がある。
立ち上がると、着痩せして見えるはずの胸が、ふわりと揺れた。
「あなたが爆睡している二十四時間の間、ひっきりなしに『お客様』がいらっしゃったわ。下級の影狼が十体、怪鳥が五羽、あとは有象無象の虫けらが多数……」
「えっ……ま、まさか、それを全部シオリさんが?」
「いいえ。私がここで派手に魔法を使えば、アパートごと吹き飛んでしまうわ」
シオリさんは足元の影を指差した。
「戦ったのは、その子よ。私は結界を維持して、外部への騒音と被害を遮断していただけ。……その子が、一歩も引かずに全ての敵を噛み殺したの」
俺は雪兎を見た。
雪兎は「ふん、雑魚ばかりだったぞ」とばかりに、涼しい顔で耳を撫でている。
A級の氷の魔女が作り出した使い魔だ。その実力は伊達じゃないらしい。
「……そっか。ありがとな、雪兎」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じながら、雪兎の頭を優しく撫でた。
雪兎は満更でもなさそうに目を細め、俺の影の中へと溶けていった。
◆ ◆ ◆
「さて。護衛も完了したし、私の任務もひと段落ね」
シオリさんがふらりと立ち上がる。
彼女は一睡もせずに結界を維持し続けてくれたのだ。
「体調はどう? まだ眠い?」
「いえ、おかげさまで全快です。……シオリさんこそ、休んだ方が」
「私は大丈夫よ」
そう言いながら、彼女はふらついた。
慌てて支えようとしたら、シオリさんの体が俺の方に傾いてきて——
むにゅっ。
柔らかい感触が、俺の腕に押し付けられた。
「っ……!」
パンツスーツ越しでも分かる、確かな弾力。着痩せするタイプだと聞いていたが、これは予想以上だ。
(い、今のは事故だ。シオリさんが寝不足でふらついただけだ……)
「……ごめんなさい。少し立ちくらみがしたわ」
シオリさんが何事もなかったように体を起こす。
俺は心臓を落ち着かせながら、話題を変えた。
「あの、今日はもう帰って休んでください。俺も大丈夫ですから」
「何を言っているの。起きたなら行くわよ。本部に連行するわ」
「え、今からですか?」
「当然でしょう」
シオリさんの目が、キラリと光った。
「あなたが寝ている間に、ダンジョン潜入の準備は整えておいたわ。……今後の『稼ぎ』についての作戦開始よ」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺、まだ心の準備が……」
「準備? 何を悠長なことを言っているの」
シオリさんが俺の腕を掴んだ。
細い指なのに、異様に力強い。
「バチカンへの寄付金を稼ぐんでしょう? 聖遺物を探すんでしょう? あなたが昨日言ったことよ」
「言いましたけど、もうちょっとこう、段階的に……」
「却下。時間は有限よ。呪印の進行も待ってくれないわ」
正論すぎて反論できない。
俺はため息をついた。
「……分かりましたよ。で、時給は発生するんですか?」
「当然でしょう。影守りの臨時調査員として、日当と成果報酬が出るわ」
「それならまあ、行きますけど……」
結局、俺は彼女の強引さに押し切られる形で、準備を始めることになった。
タフすぎる。この人、本当に一睡もしてないのか?
───────────────────────
【12月9日(月) 昼2時 奥多摩・山間部】
───────────────────────
厳重なフェンスと警備員に囲まれたゲートの前には、重装備のハンターたちが列を作っていた。
彼らは皆、正規のライセンスを持つ「勝ち組」だ。
全身を覆う魔法の甲冑、背中に背負った大剣、腰に下げたポーション類。装備も立派だし、顔つきも自信に満ちている。
そんな中、俺の装備といえば——
ユニクロのパーカー。その下に着込んだ『黒竜のインナーベスト』。そして、ダウンジャケット(袖は修復済み)。
見た目は完全に私服だ。
ベストは源造さんに支給してもらったもので、下級竜の脱皮した皮から作られている。刃物も銃弾も通さないし、中級以下の魔法なら無効化する。性能は一級品なのだが、いかんせん服の下に着るタイプなので、外からは見えない。
「……おい、見ろよあいつ。私服だぞ」
「遠足か? Bランクを舐めてんのか」
列に並ぶハンターたちから、嘲笑の声が聞こえる。
居心地が悪い。俺は帽子を目深にかぶり、小さくなった。
「道を開けなさい」
凛とした声が響く。
シオリさんが現れると、場の空気が一変した。
彼女は純白の戦闘用ロングコートを翻し、俺を引き連れて列の先頭へと歩いていく。
そのコートは見た目以上に優れた装備だ。
俺が以前『鑑定』した時、【名称:霜白のロングコート】【ランク:A】【効果:魔力を流すことで物理・魔法両面の防御力向上、体温調整機能、自動修復が発動】と表示されていた。
つまり、魔力を常時流し続けないと、ただの布同然になる。A級魔導士のシオリさんだからこそ扱える、燃費の悪い高性能装備だ。
コートの下からは、動くたびに何か大きなものが揺れている。
(……いや、今は集中しろ)
「き、如月副隊長!?」
「『氷の魔女』だ……! 本物が来たぞ」
ざわめきが畏敬に変わる。
警備員が慌てて敬礼し、ゲートの封鎖線を解除した。
「ご苦労様。特別調査に入るわ。……この男は私の連れよ」
シオリさんは一枚のカードを警備員に見せた。
俺のために即席で作った、臨時入構証だ。
【影守り・臨時特別調査員(補佐)】
【権限:A級探索者・如月シオリの監督下に限り、帯同を許可する】
「は、はいっ! どうぞお通りください!」
シオリさんは顔パスで通過していく。
俺はおこぼれに預かり、周囲のハンターたちの「あいつ何者だ?」という視線を背中に浴びながら、ペコペコと頭を下げて彼女の後ろをついて行った。
(……すげぇ。これが権力か)
スカベンジャーのように泥だらけになって裏口を探す必要もない。
正面突破。VIP待遇。
俺は少しだけ優越感に浸りながら、空間の裂け目へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
視界が歪み、次の瞬間、冷涼な空気が肌を包んだ。
「うわ……綺麗だ」
思わず声が出た。
そこは、壁一面が青く発光する水晶で覆われた、幻想的な洞窟だった。
薄暗い闇の中で、無数の結晶が星空のように瞬いている。
空気は澄んでいて、どこか甘い香りがした。魔力の匂いだ。
足元の岩肌は湿っており、遠くで水が滴る音が反響している。
「『碧水晶の洞窟』よ。ランクはB。この水晶自体にも微弱な魔力が含まれているから、照明はいらないわ」
シオリさんが慣れた様子で歩き出す。
俺は周囲をキョロキョロと見回しながら、さっそく『鑑定』を発動した。
視界に情報の嵐が吹き荒れる。
【名称:魔力水晶(低品質)】→【価値:E(1キロ500円)】
【名称:光る苔】→【価値:F(雑草)】
【名称:石化した骨】→【価値:なし】
「……うーん、しょぼいですね」
俺は壁の水晶を見て呟いた。
確かに綺麗だが、金になるかと言われると微妙だ。これならコンビニのバイトの方が割がいい。
「入り口付近は採掘し尽くされているもの。ハイエナたちが根こそぎ持っていった後よ」
シオリさんは興味なさそうに言った。
「目指すのは深層よ。そこなら、まだ誰も見つけていない『原石』が眠っているはず」
「了解です。……っと、ストップ」
俺はシオリさんのコートの裾を掴んで引き止めた。
「何?」
「そこ、踏まない方がいいですよ」
俺は彼女の足元、一見すると何もない地面を指差した。
【名称:落とし穴(擬態)】
【深度:20メートル】
【底:剣山あり】
【状態:作動待機中】
「……古典的な罠ね」
シオリさんが氷の礫を投げると、地面がパカリと開き、真っ暗な穴が口を開けた。
落ちていたら串刺しだ。
「魔力感知には反応しなかったわ。……さすがね、いい目をしてる」
「どうも。俺の目は『隠された悪意』には敏感なんで」
俺たちは慎重に進んだ。
道中、襲いかかってくる水晶仕掛けのゴーレムや、巨大な蝙蝠は、シオリさんが指先一つで凍結粉砕していった。
俺の仕事は、戦闘が終わった後に魔石を回収することと、罠を見抜くことだけだ。
(……楽だな。これで日当が出るなら、悪くない仕事かもしれない)
一時間ほど進んだ地点。
行き止まりの広場に出た。
「……おかしいわね。古い調査報告書だと、この先に深層へ続くルートがあったはずなんだけど」
シオリさんが壁に手を当てて首を傾げる。
そこにあるのは、強固な岩盤だけだ。
他のハンターたちもここで引き返した形跡がある。
「崩落で埋まったのかしら。……実際、三十年前の大地震で塞がったという説が有力なのよね。それ以来、誰も深層に辿り着けていないの」
「じゃあ、引き返しますか?」
「そうね……残念だけど、他のルートを——」
「いや、待ってください」
俺はシオリさんの言葉を遮り、岩盤に近づいた。
ただの岩壁に見える。
だが、俺の『目』には違和感が映っていた。
岩の表面に、不自然な魔力の流れがある。
俺は『鑑定』の焦点を、物理的な形状から、魔力の構造へと切り替えた。
【名称:幻影の壁】
【ランク:A】
【解除条件:特定の波長の魔力を流す】
【先にあるもの:隠し通路(未踏破エリア)】
「……ビンゴだ」
俺はニヤリと笑った。
「シオリさん。これ、崩落じゃないです。壁に見せかけた『幻影魔法』ですよ」
「幻影? でも、私の探知魔法でも実体として認識されるわよ?」
「高度な偽装です。Aランク相当の術式が組まれてる。……三十年前の地震を利用して、誰かがわざと塞いだように見せかけたんでしょう」
「わざと……? 誰が、何のために?」
「さあ。深層に眠る『何か』を守るためか、独り占めしたかったのか。どっちにしろ、普通のハンターじゃ絶対に見抜けない」
俺は壁の一点を指差した。
「ここの窪みに、微弱な魔力を流してください。鍵穴です」
シオリさんは半信半疑ながらも、指先から青白い魔力を流し込んだ。
ズズズズズ……。
重低音と共に、岩壁が陽炎のように揺らぎ、消失した。
現れたのは、人が一人通れるほどの狭い通路。
その奥から、今までとは比べ物にならないほど濃密な、甘い魔力の匂いが漂ってきた。
「……嘘でしょう。三十年間、誰も通れなかった深層への道を、一瞬で?」
シオリさんが目を見開いて俺を見る。
その拍子に、彼女の胸がぷるんと揺れた。
(……いや、今は集中だ)
俺は鼻の下を指でこすった。
「言ったでしょう。俺の目は、誰かが見落とした『価値』を見つけるのが得意なんです」
俺は暗い通路の奥を睨んだ。
「行きましょう。この奥に、俺たちの『活動資金』の種が眠ってますよ」
俺とシオリさんは顔を見合わせ、未踏の領域へと足を踏み入れた。
ここからが、本当の「裏世界鑑定士」の仕事だ。
(第14話 完)
少しでも面白い、続きが気になる!
と思ったら、下のブックマークや
☆☆☆☆☆を★★★★★にして応援いただけると嬉しいです!
執筆の励みになります!




