第10話「甘い匂い」
【前回までのあらすじ】
Dランクゲートで透明スライム「酸の女王」と遭遇した悠真。
腕を溶かされる重傷を負ったが、なぜか傷が高速で回復した。
謎の超回復能力——これは呪印の影響なのか?
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【12月5日(木) 深夜1時 新宿・コンビニ】
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影門での任務から一日。
俺は久しぶりにコンビニのレジに立っていた。
聞き慣れた蛍光灯のジジという音。廃棄間近のホットスナックの匂い。カウンター越しに見える、歌舞伎町のネオンの残滓。
ああ、落ち着く。
やっぱり俺の居場所はここだ。影門とかドラゴンとか、そういうのは柄じゃない。
「……はぁ」
俺は深いため息をつき、雑誌の品出しを始めた。
昨日の影門探索の疲れは、不思議なほど残っていない。
あの時、腕の火傷が勝手に治っていたことが、まだ頭の片隅に引っかかっている。
シオリさんには言わなかったが、明らかに異常だ。
俺の体に、何か変化が起きている。
だが、考えても答えは出ない。
……ダメ元で、自分を鑑定してみるか。
俺は店内の防犯ミラーに映る自分の姿を見つめ、『鑑定』を発動した。
今まで、自分自身を鑑定しようとしても何も見えなかった。
鏡を見ても、水面に映る自分を見ても、結果は同じ。
『真贋鑑定』は他者や物品にしか効かない——そう思っていた。
だが。
【氏名:橘 悠真】
【年齢:25歳】
【職業:コンビニ店員 / 影守り所属鑑定士】
【種族:人間?】
【称号:深淵を覗き返した者】
【状態:呪印(初期)、疲労(軽度)】
「……見える?」
俺は目を疑った。
今まで一度も見えなかった、自分自身のステータスが表示されている。
なぜ急に見えるようになった?
……あの夜からか。あの『目』と視線を合わせてから、何かが変わったのか。
それはともかく、表示された内容が問題だ。
【種族:人間?】?
クエスチョンマークってなんだよ。俺は人間だろ。
それに【称号:深淵を覗き返した者】って何だ。
いや、待て。『深淵』という単語には心当たりがある。
あの時、鑑定結果に表示された名前——【深淵の王】。
あいつと目が合った瞬間から、俺の体はおかしくなり始めた。
だが、これ以上の情報は鑑定結果からは読み取れない。
【呪印(初期)】という表示も気になるが、具体的に何がどうなっているのかは分からない。
見えるようになったはいいが、詳細までは分からないらしい。
「……はぁ」
俺は深いため息をつき、考えるのをやめた。
とりあえず今は——
ウィーン。
自動ドアが開いた。
「いらっしゃいま——」
俺は反射的に挨拶しかけて、言葉を飲み込んだ。
入ってきたのは、ダボッとした赤いパーカーに黒いマスクの——見覚えのある不審者だった。
◆ ◆ ◆
神宮寺マリア。
国民的アイドル聖女にして、深夜のコンビニでスイーツを爆買いする残念美少女。
二日前、この店で出会い、俺が裏口から逃がしてやった相手だ。
あの時渡した『フルーツタルト無料券』——もちろん俺のお手製の偽物だが——を回収しに来たのだろうか。
聖女様は相変わらずキョロキョロと店内を見回しながら、一直線にスイーツコーナーへ向かった。
その動きに合わせて、パーカーの下で規格外の双丘がタプン、タプンと揺れる。
歩くたびに、重力に逆らうような質量が上下に波打つ。
俺は視線を逸らした。
……いや、見てない。見てないぞ。
聖女様は新作のプリンやらシュークリームやらをカゴに放り込み、満足げな顔でレジにやってきた。
「……お会計、お願いしますですぅ」
眠そうな声。
マスク越しでも分かる、幸せそうな表情。
俺は淡々と商品をスキャンしながら、こっそり『鑑定』を発動した。
【氏名:神宮寺 マリア】
【状態:空腹(極限)、ストレス(中程度)、変装】
【思考(表層):『プリン……シュークリーム……幸せですぅ……』】
【目的:深夜のドカ食いによるストレス発散(二回目)】
……うん、知ってた。
「3,580円になります」
「あ、えっと……」
聖女様がパーカーのポケットをゴソゴソと漁る。
取り出したのは、くしゃくしゃになった千円札が数枚。
小銭入れを逆さにして、ジャラジャラと硬貨を数え始める。
「……あれ? お金が……」
どうやら所持金が足りないらしい。
まあ、深夜に脱走してきた聖女様が、潤沢な資金を持っているとは思えない。教団の管理下にある以上、自由に使える現金は限られているのだろう。
「……足りないですか?」
「う、うぅ……580円足りないですぅ……」
聖女様が泣きそうな顔をした。
目の前には、夢にまで見たスイーツの山。
だが、手持ちでは580円足りない。
俺はため息をついた。
……まあ、仕方ない。ここは投資だ。
「お嬢さん。580円くらいなら、俺が出しますよ」
「え……!?」
聖女様が目を丸くした。
「い、いいんですかぁ?」
「ええ。常連さんへのサービスってことで」
俺はポケットから小銭を出し、レジに入れた。
これで合計780円の投資だ。前回の200円と合わせて、およそ千円。
聖女様とのコネクションを買えるなら、安いものだ。
「うぅ……店員さん、優しい……」
聖女様が感動したように俺を見つめた。
その瞳が、宝石のような碧色に潤んでいる。
やめろ。その目で見るな。打算で動いてるだけだから罪悪感が湧く。
「あ、そうだ」
聖女様が思い出したように、懐からチケットを取り出した。
俺が前回渡した、偽物のフルーツタルト無料券だ。
「これ、使えますかぁ?」
「……え?」
「この前もらったチケットですぅ。『季節の最高級フルーツタルト無料引換券』って書いてあるから、楽しみにしてたんですけど……」
聖女様が期待に満ちた目で俺を見る。
その動作で、パーカーの胸元がプルンと揺れた。
……やばい。
あれは完全にハッタリで作った偽物だ。
そんな商品、うちの店には存在しない。
「あー……それは……」
俺が言い訳を考えていると、聖女様が突然、鼻をひくひくさせた。
「……?」
彼女の表情が変わった。
眠そうだった目が、急に鋭くなる。
「店員さん……」
「は、はい?」
「なんか、いい匂いがしますですぅ」
「……匂い?」
俺は自分の体を嗅いでみた。
特に何も感じない。昨日シャワーを浴びたし、制服も洗濯したばかりだ。
「いえ、俺は何も——」
「違うですぅ。体の匂いじゃなくて……」
聖女様がカウンターに身を乗り出してきた。
その動作で、Iカップの胸がドサッとカウンターに乗る。
柔らかそうな質量が、形を変えて押しつぶされる。
俺の視界の端で、白いTシャツの布地が限界まで引っ張られていた。
「もっと、奥の方から……甘い匂いが……」
聖女様がさらに身を乗り出す。
その顔が、俺の顔に近づいてくる。
碧色の瞳が、至近距離で俺を見つめた。
「ちょ、ちょっと、近いですよお嬢さん——」
「——見つけたですぅ」
聖女様の目が、俺の胸元——正確には、心臓のあたりを見つめて止まった。
「店員さん……あなた、『呪われて』ますですぅ」
◆ ◆ ◆
時が止まったような気がした。
「……は?」
「呪印ですぅ。魂に刻まれた、とても強い呪いの痕跡……」
聖女様の表情から、いつものおっとりした雰囲気が消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、聖職者としての真剣な眼差しだ。
「これ、放っておいたら大変なことになりますですよ?」
「待ってください。呪いって……俺、そんな自覚ないんですけど」
「自覚がないのが一番危ないですぅ」
聖女様がカウンターを回り込み、俺の正面に立った。
タプン、と胸が大きく揺れる。
「ちょっと、見せてくださいですぅ」
「いや、だから何を——」
聖女様が俺の胸に手を当てた。
小さな手のひらが、心臓の上に触れる。
その瞬間、彼女の手から淡い金色の光が溢れ出した。
「……っ」
温かい。
いや、温かいというより——懐かしい、という感覚に近い。
まるで、長い間忘れていた何かを思い出すような。
「……やっぱりですぅ」
聖女様が眉をひそめた。
「これ、『深淵系』の呪印ですぅ。しかも、かなり強力な……」
「深淵系……?」
「闘の底から這い上がってくる、とても古くて、とても恐ろしい存在が刻む呪いですぅ。教会の古文書にも記録が残ってるくらい危険なやつですぅ」
闇の底から這い上がる存在。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にあの光景がフラッシュバックした。
新宿の雑居ビル。
崩壊する空間。
暗闇の中で、こちらを見つめる——巨大な金色の瞳。
あの時、俺は『鑑定』でその名前を見た。
【名称:深淵の王】と。
あの存在と目が合った瞬間、俺は確かに『何か』を感じた。
全身を貫く悪寒。魂に焼き印を押されたような感覚。
「……心当たり、あります」
「やっぱりですかぁ」
「三日前。新宿で、なんかヤバい存在と遭遇しました。空間の裂け目から顔を出してきた、巨大な目玉……」
俺は詳細を伏せて説明した。
影守りの機密に触れる部分は言えない。
だが、聖女様の表情がみるみる険しくなっていく。
「空間の裂け目から……巨大な目……」
彼女は何かを考え込むように呟いた。
「それ、もしかして……いえ、今はいいですぅ。とにかく、これは大変ですぅ……!」
「そんなにヤバいんですか?」
「ヤバいなんてもんじゃないですぅ!」
聖女様が俺の手を両手で握った。
柔らかい手のひらが、俺の指を包み込む。
「この手の呪印は、放っておくと魂を侵食して、最終的には術者の眷属になっちゃうですぅ!」
「眷属って……その、呪いをかけた奴の手下になるってことですか?」
「そうですぅ! 自我がなくなって、ただの怪物になるですぅ!」
……冗談じゃない。
「それと、もう一つ危ないことがあるですぅ」
聖女様の表情がさらに深刻になった。
「その呪印、『眷属を呼び寄せる』効果もあるですぅ」
「呼び寄せる?」
「はいですぅ。呪印を刻まれた人は、術者の魔力を帯びるようになるですぅ。だから、他の眷属たちが『仲間だ』と思って近づいてくるですぅ」
俺は嫌な予感がした。
「……それ、近づいてきた眷属はどうなるんですか?」
「最初は仲間だと思って寄ってくるですけど……実際に来てみたら、店員さんは人間ですぅ。だから——」
聖女様が申し訳なさそうに言った。
「——たぶん、襲ってくるですぅ」
……最悪だ。
呪印のせいで怪物を引き寄せて、しかも襲われる。
俺はただ、平和にコンビニバイトをしていたいだけなのに。
「でも、大丈夫ですぅ!」
聖女様が力強く言った。
その動作で、胸がぶるんと揺れる。
「マリアは聖女ですから! 呪いを浄化するのは得意ですぅ!」
「……は?」
俺は思わず聞き返した。
「今、聖女って言いました?」
「はいですぅ! マリアは聖女だから、呪いとか穢れとか、そういうの——あっ」
聖女様が口を押さえた。
碧色の瞳が、みるみる焦りの色に染まっていく。
「……え、えっと、今のは……その……」
「いや、知ってましたよ。最初から」
「ふぇっ!?」
聖女様が素っ頓狂な声を上げた。
「だ、だって、変装してたのに……!」
「お嬢さん、その変装、バレバレですよ」
俺は呆れたようにため息をついた。
赤いパーカーに黒いマスク。確かに顔は隠れているが、Iカップの胸と独特の口調は隠しようがない。
何より、俺には『鑑定』がある。最初から全部見えていた。
「う、うぅ……恥ずかしいですぅ……」
聖女様が真っ赤になって俯いた。
「まあ、俺は口が堅いんで。誰にも言いませんよ」
「ほ、本当ですかぁ?」
「ええ。この前も裏口から逃がしてあげたでしょう?」
俺がそう言うと、聖女様の表情がパッと明るくなった。
「そ、そうでしたぁ! 店員さんは優しい人ですぅ!」
その笑顔につられて、胸がタプンと揺れる。
……まあ、優しいというか、打算なんだが。
「それで、さっきの話に戻りますけど」
「あ、はいですぅ」
「聖女様が俺の呪いを解いてくれるって話、本気ですか?」
「もちろんですぅ!」
聖女様が力強く頷いた。
「店員さんは、マリアを助けてくれましたぁ。この前も、今日も。……マリア、恩知らずは嫌いですぅ」
彼女の碧色の瞳が、真っ直ぐに俺を見つめた。
「それに、困ってる人を放っておくなんて、聖女として失格ですぅ。だから——」
聖女様がぐっと胸を張った。
Iカップが、これでもかと主張する。
「——マリアが、店員さんを助けますですぅ!」
……なんというか、眩しい。
打算で動いていた俺が、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
「……ただ」
聖女様が少し言い淀んだ。
「今のマリアの力だと、完全に解呪するのは難しいですぅ。でも、定期的に浄化すれば、進行を遅らせることはできますですぅ」
「定期的に……?」
「はいですぅ。最低でも週に一回は浄化しないと、呪印の侵食が進んじゃうですぅ。だから——」
聖女様がぐっと顔を近づけてきた。
Iカップの胸が、俺の腕に押し付けられる。
柔らかい。温かい。そして重い。
「——マリアが毎週、浄化しに来てあげますですぅ!」
(……なんでそうなる)
俺は心の中でツッコミを入れた。
だが、彼女の目は真剣そのものだ。
損得で考えれば……悪くない話ではある。
聖女とのコネクションが、向こうから転がり込んできた。
しかも、俺の命に関わる問題を解決してくれるという。
「……分かりました。じゃあ、お願いします」
「任せてくださいですぅ!」
聖女様が満面の笑みを浮かべた。
その笑顔につられて、胸がタプンと揺れる。
俺は視線を逸らしながら、心の中でため息をついた。
(……また厄介事が増えた)
◆ ◆ ◆
それから、聖女様は俺に『応急処置』を施してくれた。
胸に手を当て、金色の光を流し込む。
その間、俺はIカップの圧倒的な存在感から目を逸らすのに必死だった。
聖女様が少し身をかがめるたびに、パーカーの胸元から白いTシャツが覗く。
「I ♡ AKIBA」のロゴが、豊満な曲線に沿って歪んでいる。
目のやり場に困る。
(……これが毎週続くのか)
俺は複雑な気持ちで天井を見上げた。
「——はい、今日はこれで大丈夫ですぅ」
聖女様が手を離した。
確かに、心臓のあたりが少し軽くなった気がする。
「これで呪印は消えたんですか?」
「消えてはないですぅ。進行を遅らせただけですぅ」
聖女様が申し訳なさそうに言った。
「完全に解呪するには、もっと強い力が必要ですぅ。今のマリアじゃ、まだ……」
「……そうですか」
まあ、そう簡単にはいかないか。
でも、進行を遅らせられるだけでも十分だ。怪物になるよりはマシだ。
「また来週、同じくらいの時間に来ますですぅ!」
聖女様がスイーツの袋を抱えて、店を出ようとした。
その時、ふと振り返る。
「あ、そうだ。店員さん」
「はい?」
「フルーツタルト、楽しみにしてますからねぇ」
ニコッと笑って、聖女様は夜の闇へ消えていった。
その背中で、豊満な胸が最後まで揺れていた。
……フルーツタルト。
どうしよう。本当にどうしよう。
俺はレジの前で頭を抱えた。
◆ ◆ ◆
翌朝。
俺はシオリさんに電話をかけた。
「……もしもし、シオリさん? ちょっと相談があるんですけど」
『何かしら?』
「俺、呪われてるらしいです」
『……は?』
電話の向こうで、シオリさんが絶句した。
(第10話 完)
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