走り出した王女
グランデジアのリオネンデ王からの贈り物と聞いて、瞳を輝かせたルリシアレヤがすぐに顔色を曇らせた。
「干したブドウに干したウサギ肉、剥き身にして干したエビの瓶詰、それからこれは何? 干した魚かしら? それとも肉?」
運び込まれた贈り物の箱の中身を手に取って、ブツブツ言うルリシアレヤ、
「リオネンデって、食いしん坊なの? 食べ物ばかりじゃない。しかも干した物ばかり」
最後には呆れ果てる。
「食いしん坊かどうかは知らないけれど、そうねぇ……ま、頭の固い人かもね」
そう言って笑うのは母親のバチルデア王妃ララミリュースだ。どうせなら、もっと若い娘の気を引くような気の利いたものを贈ってくればいいのに、そう思うが口にはできない。ルリシアレヤだってそう感じているのだ。同調すれば娘と二人、リオネンデを悪く言うハメになる。それは避けたい。
「国王が仰るには、どれもグランデジアの特産品なのですって」
「ふぅん……お父さまはわたしより先にわたしへの贈り物を見たってことね」
「検閲されるのは我慢するしかなくってよ、ルリシアレヤ」
「そりゃそうなんだけど」
父の許しが下りていない今、リオネンデと直接の遣り取りは許されない。そんなの判ってる、それが不満なわけじゃない。いや、そりゃあ不満だけど、それよりもっと不満なことがある――ルリシアレヤがそう思う。
あの手紙を読めば、遊びにいらっしゃいと言って貰える、そう思っていたのに当てが外れて面白くない。リオネンデは思ったよりも賢くない? なんでこんなものを寄こしたの? 来いと言ってくれないのなら、あちらから来たくなるような手紙を書けばよかったかしら? あぁ、でもそれはもっと難しそう。王なのだから、そう簡単に国を離れようとはしないはず――
「特産品を食べれば、グランデジアに行った気分になるとでも思ったのかな?」
「あぁ、そうかも――あら?」
どう宥めたものか考えながら贈り物を見ていたララミリュースが何かを箱から取り出した。
「ルリシアレヤ、お手紙が――」
「貸して!」
普段だったらそんな端ない真似をするはずのないルリシアレヤが、サッと母親の手から封書を奪う。
「ついて来ないで、一人になって読みたいの」
留める間もなく庭へと飛び出したルリシアレヤを、微笑みながらララミリュースが見送った。
煉瓦敷きの散策路を走り抜け、泉水の近くに置かれた長椅子に腰かける。鉄と木で出来た長椅子、座り心地がいいとは言い難い。でもこの泉水の周囲には色とりどりのバラが咲き乱れ、芳香が漂っている。ルリシアレヤのお気に入りの場所だ。
息が整うのを待って、手に持ったままの封書に目をやる。対角に唐草模様の型押しされた封筒はルリシアレヤの好みに合う。悲しいのは封をされていないことだ。検閲が入ると見越していて、誰が読んでも差障りのない事しか書かれていないと察せられる。実際、ルリシアレヤのもとに届けられるまで、何人が読んだことか。
これも王女の立場を考えれば文句は言えない。それでもトキメキが止まらない。リオネンデはどんな文章を書く人なのだろう? 文面にはその人の、人となりが隠したって表れる。少しでもいい、リオネンデのことが知りたい――
三つに折られた便箋は、広げなくても封書と揃いの型押しがしてあると判った。ドキドキしながら便箋を広げる。
「えっ?」
青みがかった黒いインクで書かれた文字は美しい。でも、その内容は?
『グランデジア国王リオネンデより言いつかり、バチルデア王女ルリシアレヤさまに以下をお贈りいたします』
――目録だ。
「なんなのこれ?」
情けないやら悔しいやら、ルリシアレヤの身体から力が抜ける。うっかりすると泣いてしまいそうだ。
(それにしても……これを書いたのは女の人なのかしら?)
目録には別紙が付けられていて、筆跡から目録と同じ人物が書いたと判る。そこには贈物一品一品の製造法が簡略されて書かれていた。それに加え、調理法も紹介している。調理する者への親切な助言、食べる時に気を付けることまで、事細かな気遣いが散りばめられている。何よりルリシアレヤが注視したのは、作った人たち、つまり庶民の苦労をさり気なく書き添えていることだった。
(これを書いたのは、きっと心の美しい人だわ)
素晴らしい物です、などとは一切書かれていない。けれどこの目録を描いた人はこれらの品々に誇りを持っている。だからわざわざ『素晴らしい』などとは書かない。素晴らしさは、今回は食べ物だから食べれば判ると考え、如何に美味しく食べて貰うかしか考えていない。
いいや、むしろ、書いた人にとって素晴らしいことなど当たり前過ぎて、書こうと思いつかなかったようにも見える。ただただ美味しく食べて欲しい、それしか考えていない。存分に味わって欲しいと本心で願っている。その心にあるのは、種を蒔くところ、獲物を捕らえるところから、咀嚼し飲み込むまで、関わる人たちすべてへの感謝と思いやりだけだ――
いったいどんな人? 書いたのがリオネンデではないことは目録を見れば判る。リオネンデから言いつかったと書かれている。きっとリオネンデが直に命じる位置にいる人だ。
封筒と便箋の仕様から女性と思えるけれど、そうだとしたら後宮の誰か? リオネンデの近くにはこんな細やかに気を回せる女性がいる……ルリシアレヤがさらに力を落とす。
あぁ、でも、いくらリオネンデが気の利かない人だとしても、婚約者あての贈り物を別の女性に頼めるかしら? さすがにそれはないわよね。ならば、もし書き手が女性だとしても情を交わした相手ではない? そうよ、だいたい女性と決めつけるのは早計よ。
再び文面に目を通す。そして思う。もしグランデジアに、リオネンデに会いに行けたなら、この目録を書いた人にも会ってみたい。
男だろうが女だろうが、リオネンデの傍にいることは間違いない。できればお近づきになり、グランデジアでの話し相手、いいえ、相談相手になって欲しい。わたし、この人が好き。この人がいれば、グランデジアでの毎日はきっと楽しい――
パッと心が華やいで、自分の思い付きを面白がってルリシアレヤがクスクスと笑い始める。コロコロ表情を変えるルリシアレヤを呆れて見ているのは泉水で遊ぶ小鳥たちだけだ。ルリシアレヤが笑い出せば、顔を見かわしチチチと囀る。あれほど沈んでいたのに急に笑い出したぞ、ヘンなヤツだね、とでも言っているようだ。
「そうだ!」
不意にルリシアレヤが立ち上がる。驚いた小鳥たちがチッと慌てて飛び立っていく。立ち上がったルリシアレヤも、バッとどこかへ駆け出していく。
向かった先は自分の居室、何人かの顔見知りとすれ違ったが、挨拶もそこそこに通り抜け部屋へ飛び込む。そのままの勢いでチェストに駆け寄ると、引き出しの中をゴソゴソと探し始めた。
「どれがいいかしら?」
これはルリシアレヤの独り言、まずは真っ青なインクの瓶とペンを取り出す。
リオネンデに会いたいとは、気恥ずかしくてとてもじゃないけど言えないし、手紙にだって書けはしない。でも、目録を書いた人に会ってみたいとなら書ける――ルリシアレヤは次の手紙の内容を思いついた。思いついたからには、すぐにでも実行したい。
(グランデジアの名産品の数々、嬉しく頂戴いたしました。干したものが多かったのは日持ちを考えてのことと推察いたしております)
嬉しいって言うのは少し嘘ね、便箋を探しながらルリシアレヤが擽ったそうな笑みを浮かべる。お世辞だって必要よ。
(珍しい物ばかり、どう食したものか戸惑いを感じましたが、目録に添えられた説明書に随分と助けられました。きっとグランデジアでは干す前の物も味わえるのでしょうね。どれほど味わいに差があるのだろうと、今から楽しみにしております)
今度こそ、わたしがそちらに行きたがっているとはっきり判るはずよ。まぁ、まだ食べてないけど、あとでちゃんと食べるのだから嘘にはならないわ。
(それにしても、説明文にはさり気ないお心遣いが込められている上に、貴国を愛し誇りに思う気持ちが読み取れ、いたく感銘を覚えました。書かれたかたはさぞや心根の美しいかたなのでしょう。こんな臣下をお持ちのリオネンデさまはどれほど素晴らしいかたなのか、ルリシアレヤはお会いできるのを楽しみにしております)
そうよ、目録を書いた人だけ褒めてはダメ、リオネンデが気を悪くするわ。そして、ここからが本番……
(バチルデアとグランデジアは遠く、簡単には行けない距離、前の手紙にも認めましたが書物などから思い浮かべるばかりです。もし、リオネンデさまが許してくださるのなら、ルリシアレヤは目録を書いたかたと文通したいと存じます)
リオネンデが許さない理由はあるかしら? あぁ、でも、相手がどんなお役目を担っているか判らない。
(もちろん、相手のかたの都合がよろしければでいいのです。グランデジアのことを少しでもお教えいただければと思っております。そちらに赴いた時、早くそちらに馴染めるよう努めたいルリシアレヤでございます)
そうそう、そしてこれが肝心……
(そして、そのかたがグランデジアでのお友達になってくれたなら、これほど嬉しいことはないでしょう)
「あ、これにしよう」
やっとルリシアレヤの心に沿う便箋が見つかったようだ。レモン水のように淡い黄色の便箋は、隅に一輪の白百合が描かれている。
「うん、この人はきっと白く咲く花のような人よ。うん、百合よりはむしろ白いバラ。しかももうすぐ開く蕾。でも、そんな便箋、あったっけ?」
ま、今日はこれで。白バラの蕾の便箋、作って貰おうかな――インクはそうね、この清々しい青にしよう。相手の好みに合うと感じる。この人の好みは多分わたしと同じだ。美しい青いインクで書かれた文字は、きっとこの人を魅了する。文通を引き受けてくれる助けになるわ。
グランデジアへ嫁ぐまで、あと四年半、何度手紙のやり取りができるかしら? 文通すると決まったわけでもないのに、楽しみで仕方ないルリシアレヤだ――




