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残虐王は 死神さえも 凌辱す  作者: 寄賀あける
第3章 ニュダンガの道

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リッチエンジェの夜

 リッチエンジェはベルグ街道の中でも大きな〝街〟だった。人口もそれなりにあるが、その生活を支える商店の数も多い。中でも服地屋や仕立(したて)屋、あるいは既製の衣装を売り(さば)く店が目立つ。フェニカリデ・グランデジアまで一日足らずの立地は『王都に入る前に身嗜(みだしな)みを整える街』としてリッチエンジェを栄えさせている。


 そんな街ならば、街道の終点ベルグ方面から王都に向かう、もしくはその逆を目指す者は勿論、街の住民や商店、そして旅行者を目当ての商売人も集まってくる。リッチエンジェの賑やかさは弥増(いやま)すばかりだった。


 が、住民も通過していく者たちも、すべてが裕福なはずがない。やはり何軒もある宿屋もピンからキリまで、そんな宿屋の中でも貴族相手の、つまり高級宿屋の客室のひとつ、その寝台でワダは女の背中に唇を這わせていた。


「来てくれるとは思わなかった……」

「それじゃあなんで呼んだのさ? しかもあんな上等な衣装まで寄越してさ――貴族のご婦人が着るような衣装、他に着て行ける場所もない。でも、一度くらいは着てみたい。ここに来るしかないじゃないか」


「よく似合ってたぞ」

「よく言うよ。着てみたかったけど、着たらどうにも落ち着かない。二度と着たいとは思わない――でもさ、ワダ、あんた少し会わないうちに女心が判ってきた?」

ワダに背を向けたまま女が笑う。女ばかりの曲芸一座ガンデルゼフトの座長ジャジャだ。


 この宿もワダの持ち物、ワダは勝手口から入っている。だがジャジャにもそうしろとは言えない。かと言って、貴族御用達の宿に表から入って来られるような衣装をジャジャは持っていないはずだ。


「この宿、いい値段を取るんだろう? 衣装といい、わたしなんかにそんなに使っていいんだ?」

「こうしておまえに逢えたし抱けた。これくらいの散財、なんてこたぁねぇ――こないだ顔を合わせた時は『やぁ久しぶり、それじゃあね』ってツレなくて、俺は嫌われたのかと思ったよ」


「そんな事があったっけ? 覚えちゃいない。そりゃあ悪かった、あんたを嫌ってなんかいないよ、でもね――」

「判ってるさ」

ワダがジャジャの言葉を先回りする。

「おめえは誰か一人のモンになんかならねぇってな」


 あちらを向いているジャジャが寂し気な笑みを浮かべたと、ワダは気づかない。


「そうさねぇ……わたしを満足させてくれる男がいればね、そうなってみたいと思わなくもないんだけどね」

「おいおい!」

今度はワダが笑う番だ。


「あれほど激しく燃えたくせに、満足していないとは言わせないぞ」

「あぁ、あんなに()かったのは久しぶりさ――前の街に置き去りにした男と(しばら)く付き合ったけど、勢いだけでちっとも快くなくてさ」


「勢いだけ?」

「うん、毎晩激しく求めてくれる。最初の内はそれが嬉しくて、ガラにもなくわたしも夢中になった。でもさ、若い男はダメだね、自分の欲望を優先させちまう。わたしはいつも置き去りさ」


「若いってどれくらいだ?」

二十(はたち)になるくらいかな……わたしが初めての女だった」

「そりゃあ随分と年下をを(くわ)え込んだな――初めてじゃ、それこそコトに夢中で女の加減なんぞ気にする余裕はないだろうさ」

「かもしれないね」

ジャジャもくすくす笑う。


「一緒になろうって約束したけど、ひと月も持たずにダメだって判った。可哀想にアイツ、理由(わけ)も言わずにいなくなったわたしを探しているかもね」

「一緒になる? いったいどんな男で、どこがそんなに気に入ったんだよ?」


 後ろからジャジャの首筋を唇で愛撫しながらワダが囁く。譫言(うわごと)でも一緒になろうなんて、ワダには言ってくれなかった。嫉妬が男を(たぎ)らせる。


「ホント、どこが良かったんだか? 心も満たしてくれる、そう勘違いしたのかもね」

乳房に回されたワダの手を(うる)そうに振りほどき、ジャジャが上体を起こす。

「終わったばかりじゃないか。夜は長いんだ、そうガッつくこともない――それにしてもワダ、こんな高級な宿、どうした風の吹きまわし?」


 寝台から降りてテーブルの上に置かれた酒瓶に手を伸ばすジャジャを眺めてワダが(うそぶ)く。

「我が女神、ガンデルゼフトのジャジャさまをお迎えするのに奮発したのさ」

この宿は俺のモンだ、そう言ったらジャジャはどんな顔をするだろう。でもこの秘密は身内(・・)にしか漏らせない。


 一糸まとわぬまま、ワダの目を気にすることなく透明な杯に酒を注ぐジャジャが笑う。

「そうかい? それじゃそういうことにしておこうか」

冗談としか受け止めていないようだ。


「こんな透明な杯、初めて見た」

「ガラスって言うんだ。フェニカリデで作られてるけど、材料を手に入れるのも、作るのも難しい。そこらの店になんか置いてない代物(しろもの)だ。大金持ちでなきゃ買えない」

「相変わらず物知りだね――さすが、貴族さまがお泊りになる宿だ。食器ひとつも高級品ってか」


 ジャジャのため、特別用意したのだとは言わないワダだ。ようやく二脚、手に入れた。王宮でさえも使う事がないと聞いている。そしてワダはジャジャの勘違いを訂正する気などこれっぽっちもない。フェニカリデを話題に乗せる小道具なのだ。


「この街の公演が終わったら、次はフェニカリデか?」

「フェニカリデ? いいや、あそこはわたしらの商売には不向きさね。数年に一度行けばいい。去年行ったばかりだ、当分行かないよ」


「なぜさ? 王都だぞ? 人が腐るほどいる」

「だからだよ。娯楽だって多く集まる。曲芸だってわたしらだけじゃない――しかも地代が高い。たいして客を集められない、(かかり)は多い、つまり実入りは少ない。あそこは仕事しに行く場所じゃなく、遊びに行くところさ」


「だったらさ――」

ここまで言ってワダが迷う。今、こんなことを言っていいのか?

「だったら?」

言葉を止めてしまったワダにジャジャが目を向ける。

「いや……」

ここまで言ったんだ。なぁに、ただの世間話、断られても挽回できる。ワダが最初の一手を打った。


「だったら俺と一緒に遊びに行かないか?」

「遊びにってフェニカリデへ?」

「うん――仕事でよく行くけど、遊んだことなんかないんだ。まぁ、出身地でもあるしな」


「あんたもフェニカリデ出身なんだ? わたしもだよ。二十五で家を出て、曲芸を始めるまではフェニカリデだ」

「あ、でも、フェニカリデで遊ぶって、いろんな公演を見たり?」

「そっか、ワダは苦労人だから、フェニカリデでの遊びなんか知らないか――それじゃあさ、わたしが案内してあげるよ。一緒に行こう」


 こんな巧く事が進んでいいのか? 少しばかり怖さを感じるワダが、それを表に出さずジャジャを笑い飛ばす。


「ジャジャの案内じゃ、美味い酒を飲ませる店の梯子(はしご)になりそうだな」

「いいだろ、それでも。で、夜はしっぽりと、な?」

「え……」


 そりゃそうか、一緒に行くんだ、同じ宿の同じ部屋、そうなりゃそうなるよな。気持ちの高揚(たかぶ)りを抑えきれないワダの声が弾む。


「その時はまた、貴族さまが泊まるような宿を取ってやるよ」

「いいや、普通の宿でいい――あんな気取った格好、もうしたくない」

「そうか、それじゃあ、そうしよう」

「あんたも飲むかい?」

グラスを軽く振りながらジャジャが問う。


「あぁ。飲もう」

ガウンを羽織ってワダも寝台を降りる。それを見てジャジャもガウンを羽織る。そのままでいいのに、そう言いたかったが言わずにいたワダだ。もう二度と見ることができない訳じゃない。


「しかし嬉しいね。ジャジャと一緒に旅だなんて――なんだったら、思い切って俺とずっと一緒にいたらどうだ?」


 ひょっとしたら今なら『うん』と言ってくれるんじゃないか? 一緒になるつもりだった男と別れたばかりで、ジャジャはきっと寂しがっている。だから旅行に同意した――


 ワダの淡い期待は見事に裏切られる。

「わたしの心を満たせる男なんかいないんだよ、ワダ」

傾けたグラスに唇を付けたままジャジャが言う。


「いないって言うのはちょっと違うかな――たった一人いる。その男はわたしなんかにゃ手の届かないところに行っちまった。さっき話したボウヤが少し似てて、コイツならって思ったけどダメだった。ほかの誰かじゃダメだって思い知ったさ」

酒を(あお)るように飲み干すジャジャを(ほう)けたようにワダが見詰める。


「子どものころから知ってるヤツでね。七つも年下の繊細な男だった。そのくせ強がってばかりの……わたしはね、ソイツの傍にいて、ずっと守ってやりたいって思ったもんさ」

「ソイツを忘れたくってフェニカリデを出た?」


 クスリと笑いジャジャがワダを見る。

「忘れるも何も、ソイツとはなんもないよ。最初から無理だって判ってた。あぁ、でも、そう言われればそうなのかもしれない。忘れたくってフェニカリデを離れたのかもしれない」


「手の届かないところって、死んだわけじゃないんだ?」

「彼が? 死んでなんかないさ。多分元気でピンピンしてる」


「でもよ、手が届かないって?」

「単にわたしの思い込みかな? なぜかそう思った……そうさね。好き過ぎたのかもしれない」


「好き過ぎた?」

「うん。好きで好きで仕方なくって、あのままずっとそばにいたら、きっとそれを告げてしまった。彼は――それは彼を困らせるだけだ」

「それって――」


 まさか相手はサシーニャさまか? ワダの心に疑念が浮かぶ。年頃が同じくらいだし、手が届かないのも納得できる。でも、もしそうならジャジャもまた、貴族の姫君なんじゃないのか? でなければ準王子のサシーニャと知り合うはずもない。だが目の前にいるジャジャからは貴族の『き』の字も思い浮かばない。相手がサシーニャさまのはずがない。


「それって?」

ジャジャが言葉の先を催促する。


「いやさ、ジャジャ。おまえ、母性本能が強いんだなと思ってさ」

「そうなのかねぇ?」

ワダが口にしなかった内容を知らないジャジャが明るく笑う。


「これからはジャジャ姉さまって甘えてみようかな?」

「よせやい、気持ち悪い――ほかの誰かじゃダメだって、言ったばかりだよ?」

それよりも、とジャジャがワダの首に腕を絡める。

「酔いが回ってきたみたい。身体(からだ)が熱くなってきた……寝台に戻ろうか?」


 俺はまだ一口も飲んじゃいない、そう口にする代わり、ジャジャを抱き締めて唇を重ねるワダ、その腕の中でジャジャが思い浮かべるのは別の――あの男の顔だった。

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